2010-11-23

聖霊降臨後 最終主日

11月21日 日曜日、大阪の豊中教会での説教です。
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説教『主のみ名によって』

今日は、教会の暦でいいますと、聖霊降臨後の最終主日となっています。来週は、待降節アドベントを迎え、クリスマスに備えていく。教会の暦はこの待降節が一年のはじまりですから、今日が一年の終わりの主日です。この日には、教会では伝統的に終末のこと、終わりのことに関して書かれている聖書の箇所が読まれています。
終わり、終末といっても、もちろんそれはいわゆる世界の破滅についてではなく、歴史の終わり、目的、目指すところゴールについてといった方がよいと思います。一年の終わりに、私たちのすべてが目指すところについてのみことばを聞く。いや、神様が約束される救いの出来事について私たちはみことばを聞いている。神がつくられたこの世界、そして私たち自身を、まさしく神のものとしてふさわしく神様は完成される。神の国の実現、その約束と希望が示される。それが終末に関するみことばであります。

しかし、今日のみことばを聞くとわかりますように、その希望の出来事について語られるイエス様のみことばは、むしろ混乱を語ります。実際おそらく当時の人々にとっては考えられないような出来事が語り出されている。それは、まず神殿の崩壊がおこるという預言から語られるのであります。確かに、私たちはこの預言が西暦70年、歴史的な出来事となったことを知っています。あるいは、多くの古代の遺跡がそうであるように、この神殿が壊れたということを重ねて思い浮かべるかもしれません。ましてや、ユダヤ人でもなんでもない私たちには、この神殿の崩壊という言葉の切実さは想像できないのかもしれない。
けれども、実際当時のこのイエス様の語られるところを耳にした人々、弟子たちを始めユダヤの人々にとって、この言葉がどれだけ衝撃的なことであったかと思う。彼らの日常はこの神殿によって守られてきたのです。神殿は、神様と彼らイスラエルの人々との確かなつながりを確認する場でありました。祈りと犠牲をささげる場所、神様の祝福をいただき、讃美の声を上げ、また時には深い嘆きが叫ばれるところでもあったでしょう。そして、そういう宗教的な儀式、行為はすべてイスラエルの人々の日常の生活に密接に関係しているものでありました。
つまり、この神殿は当時、神様とのつながりを最もよく確認するものであって、存在の基、もしくはアイデンティティーだといってもいい。だからこそ、当時世界中に散らされていたユダヤ民族、ディアスポラと呼ばれた人々にとっては、一年に一度、あるいは一生に一度は巡礼すべき場所と考えられていた。それが崩れ落ちるというわけです。
そう思うと、この主の語られる言葉の切実さを改めて思わされます。それは、私たちにも、時に自分の生きてきた世界が崩れ落ちるような出来事に出合うことがあるからです。突然の事故や災害、あるいは病気ということが私たちを襲う。あるいは人生の失敗や挫折。極ささいなことのようであっても、自分を大きく揺るがすことだってあるのです。自分がそれまでこれが当然の世界だと、これが自分だと考えてきたもの、自負してきたものがすべてガラガラと崩れていくということを私たちは経験するのです。そういう私たち自身の経験こそが、私たちにこの神殿崩壊の預言の切実さを教えます。
なぜ、救いの出来事への約束であるはずなのに、このような恐ろしいことが起こらなければならないと語られるのか。
確かに私たちはよく知っているのです。形ある物は必ず壊れる。生まれ出た命に終りがあるように、すべての物ははかないものなのです。しかし、なぜ、このことが私に起こらなければならないのか。なぜ、今、起こらなくてはならないか。受け入れられないのです。それでも、私たちは無情にこの神殿の崩壊を目の当たりにし、自分自身がくず折れていく只中にあるということが起こるのです。
主はさらに、続けてさまざまな争いやあるいは悪しきことが次々に起こることを語られます。そして、迫害があなた方を襲うだろうと。迫害とは、壊れてしまった世界のただ中で、私たちを責め立てる力です。迫害は、迫害するものが正義を振りかざして、信仰者、その信仰を間違っていると責め立てるのです。こうしたことが、神様が救いをもたらす時に私たちに起こらねばならないこととして語られているのであります。
どうしてなのだろうか。なぜ、こんなことになるのか。私たちは、恐ろしいほどに、不安になるものです。救いに至るまで、私たちはもっと安らかに、満たされたものとして、その時を迎えたい。そう願っているのです。そうした願いを持つ私たちに、神殿の崩壊預言は、いったい何を示しているのだろう。こうした出来事は、まるで神様が私を省みてはくださらないのかと、思わされるような出来事です。やはり、神様などいなのではないのかと、底知れない虚しさを感じさせられる出来事があるというのです。
私たちは、この神殿崩壊の預言は、あの当時のユダヤ人にとっての出来事として語られているのではなく、私たちの経験する最も大きな試練について語られていると知るのです。いったい、なぜ主はそのようなことを仰られるのか。

主は言われます。主の名によって立とうとするものは迫害されるが、「忍耐によって、あなた方はいのちを勝ち取りなさい」と。
「忍耐せよ」といわれるのかと、うなだれてしまいそうです。私たちは、この「試練」の時に、耐えらるのだろうか。「それは無理です」と、私たちはそう叫び出したいほどです。神の国が私たちに実現をするという、その時まで耐えることができるだろうか。私たちは、なお一層、恐れの中に立ちすくむ。
救いの約束、神の国の実現を語られるときに、この怖れと苦しみと悲しみの出来事があるといわれることを私たちはどう考えたらよいのだろう。私たちは、そのことに思いめぐらしても、なぜ、そうであるのかということに答えはないのです。「どうして」と、尋ね求めても、神様は応えてくださらないのです。私たちは、神様の御心のすべてを知ることは許されていないのです。

けれども・・・逆にいえば、私たちが深い悲しみの中にある時にこそ、私たちははっきりとこの約束を主が語られたことを思い起こすことができます。私たちは、思いに反してであうことその苦しみの時にこそ、イエス様が約束されたことばだけが私たちのよりどころであることを知るのです。

そして、大切なことは、これが私たちの受けるべきさばきであるとか、罪ゆえの罰なのだとは一言も仰られてはいないということです。私たちは思うのです、自分の足りなさ、信仰のなさ。至らなさ。だからこそ、この耐えがたい苦しみは、自分の問題なのだと。けれども、主は、そのことをいっさい言われない。それは、私たちの罪は主ご自身が負ってくださったからなのです。それが、私たちの救いです。私たちは主のみ名によって、生かされたのです。

だからこそ、主は言われます。「あなた方の髪の毛一本でさえ、失われることはない。」私たちが、この時を「耐える力」は、この主の約束の言葉にこそあります。私たちは、その時には、あたかも自分のすべてが崩れ行くと思わされる。けれども主は言われるのです。あなた方の何ものも失われない。むなしくされない。それは、主があなたを愛され、主があなたを捉え、主があなたを抱き、守られるからです。

パウロは言いました。私たちは洗礼によってキリストにむばれている。キリストともに葬られ、キリストのいのちに生かされている。私たちは、キリストをこの身に負っている。だからこそ、四方から艱難を受けても、倒されない。それは、キリストご自身が私たちを負ってくださったからなのだ。

そうなのです。私たちが神様と結ぶのは、それは、私の確かさの故ではありません。キリストが私と共におられるからです。いや、ただキリストが私に生きるということだけが私を本当に生かす者だとパウロは言っています。私たちと神様との関係、結び付きは、私たちの手によってつくられた生活でも、立派な神殿でもありません。私たち自身の知恵も、業績も、あるいは、立派そうな私たちの信仰も、それが私たちを助けるものではないのです。そうではなく、主ご自身があなたと共におられるという、たった一つの約束。それだけが私のすべてを支えます。ただ、その恵み、神の言葉によってのみ生きるものであるように、私たちはこの神殿が壊されるという出来事の中で招かれ、生かされていくのかもしれません。その生のただなかで、私たちには証をするものとされていくといわれます。
私たちはその生活のただなかで、証をするものとされるといわれます。何を証するのか。キリストによってのみ救いがあるという私たち自身を証するのです。そして、必要な証の言葉はその時にこそ与えられるといわれます。つまり、私たちは、この悲しみや苦しみの時にこそ、私たちは耕され、心柔らかにされて、主のみことばを、その救いの恵みを深く、しみとおるように頂いていくに違いない。
そうして、主の者として生かされるあなたは、決して虚しくならない。神の御心の実現するその時に、神様の御心からもっとも遠くにあるこの私を、しかし、それでも神の者として離さない主がおられるからです。その約束、いや、その出来事が私たちを支える。私たちを試練の時に忍耐をあって生きるものとしてくださるのだ。
その約束を私たちはイエス・キリスト名、主のみ名によって与えられています。主のみ名によって洗礼を受け、主のみ名によって祈る者とされている。だからこそ、私たちはこの時を耐えるものになる。

今日も、主のみ名によってこの礼拝に集められ、この神の国の実現を先取りして、この教会の交わりを与えられています。そして、私たちは主のみ名によって遣わされます。
悲しみも苦しみも、こういうことは起こるにきまっている。しかし、それがあなたへの最終的な言葉ではありません。主がすべてを私たちのために整えてくださいます。この問題のただなかでこそ、みことばを深く聞き。生かされる者となるのです。確かな主の救いを待ち望み、今を耐え、キリストがともにいてくださる約束にしっかりと生かされていきたいのです。

2010-11-17

『さよならエルマ おばあさん』

 この本は、Ministry誌でも紹介された。
エルマおばあさんにかわいがってもらっているスターキティという名の猫が、病気になったおばあさんの最期の一年を見守る記録という形で書かれた写真による記録絵本といえる。
おばあさん本人が自覚をして、「その時」に備えていく。表情、眼差し、愛する人々との関係がありのままに映し出されていく。エルマおばあさんの生きてきた人生を深く感じさせられるのと同時に、哀しいからこそ尊く、切ないからこそ祝福された私たちの限りある生の不思議を想う。


写真家の大塚敦子さんが、偶然の出逢いを通して知りあったエルマおばあさんを「看取り」ながら残した記録は、単なる写真ではなく、その向こうに深い愛の眼差しを感じることができるものだ。
様々なお話しや絵本でも「死」を取り上げるものが見られるけれども、生きられたいのちの重みを静かに受け取りつつ、「死んでいくこと」に寄り添うようにせまっていると思う。

2010-11-13

「いのちの倫理と宗教 ―死の選び方と看取り方」

今年もルーテル学院大学のコミュニティ人材養成センターの企画で、表題のプログラムが持たれる。
今日と来週の二回の講座。内容は下記の通り。


「いのちの倫理と宗教―死の選び方と看取り方」

私たちは、その人生の歩みがそれぞれに違ってはいても、皆等しく、必ずその歩みを終える「死」を迎えます。誰もが避けて通ることは出来ない「死」をどのように迎えるのか。私たちは、自らの選びで生まれ出てきたのではないのと同じように、「死」についても「時」や「場所」を自由に選べるわけではありません。しかし、他方、「いよいよの時」のために自らが選んでおかなければ、不必要な延命治療など「望まない生」を負わされていくことも起こりかねません。
「死の選び方」とは、実際には自分自身の生涯を「自分らしく」「自分のものとして」、最期の時まで「どう生きぬくのか」ということに向けて、どう備えていくのかを考えるための言葉です。そして、そうした一人ひとりのかけがえのない生涯の歩みをどのように実現し、終わりまで支えていくのかは、本人はもちろん、家族や関係の者たちが共に考えていかなくてはならない「看取り」の課題でもあります。
福祉や医療などの現場で、「死」の問題は絶えず隣り合わせであるばかりではなく、その問題を通してもう一度「生きる」ことをいかに支えていくのかということを考える視点を新たにしていくことにもつながります。
この講座は、本学キリスト教学科が企画し、仏教・キリスト教それぞれの宗教者を講師に迎え、死を迎える本人、その出来事に直面する家族の課題やニーズ、その人々を支える者にとって何が大切か、何を備えておくべきか等について、倫理的、宗教的あるいは広くスピリチュアルなものの役割を含めて学ぶ目的として開催いたします。講義とグループ・ディスカッションを通して、皆で学び合い、考えていく内容です。

【日時】 2010年11月13日(土) 13:00-17:00
2010年11月20日(土) 13:00-17:00 (全2回 8時間)

【講師】
松田 卓(亀田総合病院 チャプレン)
菅原 建(浄土真宗厳念寺住職)
江藤直純(本学キリスト教学科教授・日本ルーテル神学校長)
石居基夫(本学キリスト教学科准教授、キリスト教学科長) 

2010-11-01

宗教改革記念礼拝


今年の宗教改革記念礼拝は、九州の日本福音ルーテル博多教会にまねかれた。
恵まれた交わりをいただいた。
午後には福岡地区の5つの教会が合同でオープン・チャーチ・プログラムとして講演会を企画してくださり、「ルターの宗教改革と現代」というテーマでお話をさせていただいた。

博多のとなり、箱崎教会は私の父が若いころに赴任した教会で、当時のつながりを持った方々も集ってくださったこともあり、本当に豊かな交わりをいただいた。講演に続く分かち合いのプログラムでは、各教会の方々に少しずつお話をいただいたが、そこに苦労しながらも、教会の地に足をつけた活動や伝道の働き、奉仕などの実りがあることをお聞かせいただき、改めて、教会の交わりの暖かさを深く覚えたことだった。

2010-10-26

神のみ顔 (10・17説教)

説教「神のみ顔」 ルカ18:1-11

今日の聖書の箇所は、一番初めにイエス様がいわれているように「気を落とさずに、絶えず祈らなければならないこと」が教えられています。
たとえは、たいへんわかりやすい。神を畏れず、人を人とも思わない不正な裁判官もしつこく嘆願するやもめによい裁きをする。「まして、神は」、必ずやご自分の民の熱心な祈りを聞かれるはずではないか。と言われるわけです。たとえは、非常に大胆で、神様と私たちとの関係が、「不正な」裁判官とやもめの間のやり取りにおいて語られることになっているわけです。つまり、裁判官の憐れみ深さやその正義に対する揺るぐことのない態度が、憐れなやもめに良い裁きをもたらすというのではありません。そうではなく、やもめのしつこさに辟易をした裁判官がうるさいのでやもめに都合のよい裁判をしてこれ以上困らせることがないようにしたというのです。もちろん、先ほども言いましたように、これは直接の喩ではありませんで、こんな裁判官でさえそうなのだから、まして神はご自分の民が叫び求めるのを放っておくことはありませんと語られているわけです。
しかし、いずれにしても、これは熱心な祈りの必要性を教えていると思われています。途中であきらめてはならないと。
しかし、このことばによって、私たちは自分たちの思いや願いが神様に応えてもらえないことがまるで自分の信仰の、熱心さのたりなさのように考えてしまわないだろうか。私たちの祈りが切実であればある程、実は私たちはそのことを深く思わされてしまいます。いろいろな問題の中で、どれだけ必死に祈ったか。祈らなかったか、それによって私たちの救いが決定される。お百度を踏むということが日本では古くからなされてきましたから、その祈りの熱心さをどう表すかということで、私たちの祈りの効果が表れるのかもしれない。思いが通じる、願いが届く。そのために熱心さを私たちはどこかで必要なことだと思っていますし、かなわなければ、その熱心さが足らなかったと感じさせられる。自分の信仰が足りなかったとそこで気落ちする。

さて、このイエス様の教えは、そうした熱心さへの招きだったのでしょうか。
いや、実際、このしつこいほど祈るという喩のほうから考えると、そういう印象がないわけではありません。けれども、イエス様が言われているのは、聴かれなかった、自分の熱心さが足りなかったと思う、その時にこそ、気落ちをせずに祈ることへの招かれているのではなかったかと思うのです。この教えは、祈りへの招き。あきらめないことへの励ましです。その根拠は、神様の確かさにある。救いを求めるあなたの祈りを、必ず聞き届けられるという神様の約束を教えられているのです。
祈りの招きは、たとえば詩編の27編の中でも歌われていました。
 詩編27編7-
主よ、呼び求めるわたしの声を聞き 憐れんで、わたしに答えてください。
心よ、主はお前に言われる。
「わたしの顔を尋ね求めよ」と。
主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。

こうした招きがないなら、実際私たちは祈ることが出来なくなってくる。実際、誰にたいして、何を、どう祈るのか私たちは知らないのです。だから、まず神の確かな約束の中で、祈りへの招きがあることを私たちは憶えておきたいと思うのです。

しかし、そうした招きが私たちを支えるのだとしても、どうして神様がこの祈りに「すぐに」お答えくださらないのかと、やはり私たちは心穏やかではない自分を持て余しつつ、時をすごさなければなりません。神様はなぜこの私の願いにおこたえくださらないのだろうか。自分はそれほど身勝手な願いを祈っているというのだろうか。もし、そうであればいくらでもそのことを改めます。そんな思いで祈っても、いっさい私の願いは聞き入れられていないし、答えもない。そういう時間に投げ込まれるのが私たちなのではないでしょうか。あの旧約のヨブがそうであったように、私たちの嘆きは神様に簡単には聴きいれられていないかのように思わされるのです。
 その時にこそ、実は、イエス様の大胆なあのたとえが現実味を帯びてくるのかもしれません。確かに、救いの確かさは神様の約束の中にある。そして、イエス様は、神様が速やかにさばいてくださると、教えてくださっている。そうなのだ。私たちの信仰の知恵はそういう。けれども、現実には、神様は私たちにはまるで不正な裁判官であるかのように、何一つ私のためにはしてくださらない、いや、これでは正義が通らないと思わされるものなのです。なぜ、神様はこのことを放っておかれるのか、と問わずにはいられない。「速やかに」と言われたはずではないのか。「いったい、いつまで・・」と叫ばざるを得ない。そうした問いをにぎりしめている。


神様は、なかなか私たちの思うようにはお答えくださらない。だから、ここで私たちの信仰の格闘が始まるのです。いや、もしかしたら、もう、うち沈み、信仰を失い、あきらめていくのが私たちなのかもしれません。神などはじめからいるわけもないと、私たちはあきらめてしまうのではないでしょうか。
今日の旧約の日課では、ヤコブがヤボクの渡しで神様と格闘したことを記しています。ヤコブは父と兄を欺いた、自分の犯した罪のためにふるさとを離れなければならなかったのですけれど、そのふるさとに戻るように神様から命じられ、自分を憎んでいるだろう兄エサウとの再会を前に、おそらくは不安と恐れに包まれていたと思う。その彼に神が訪れるのです。そして、その神と戦ったという出来事が創世記に記されているのです。
じつは、信仰というものは不思議なもので、私たちがそれを求めているのかと言えば、そうではなく、神様の方がいつの間にか私たちを捉えておられる。そしてそこに信仰の格闘が始まると言えるのかもしれません。
神様による祈りの招きは、恐れと不安、絶望のただなかにある私たちを捉えるばかりか、神様ご自身が私たちと組みあってくださることをこのヤコブの記事は教えている。私たちが自分から祈ることもできないその時に、神様が私たちと格闘してくださるのです。
「なぜ、どうして」という、この祈りの格闘は、私たちが信じていくというその信仰において避けがたいばかりではなく、むしろ、私たちがその信仰をさえ忘れたたずんでいるときにも神様によって望まれていることでもあるかのようです。それは、いったいどうしてでしょうか。
それは他でもなく、神様が私たちを信仰によって望みとよろこびのうちに新たに生きるようになることを求めておられるからです。
ヤコブの格闘の物語は、神様が私たちを祝福してくださる、その物語なのです。物語はあたかもヤコブが神様と戦ってその祝福を獲得したというように語られているのですが、実は大変不思議なことを思わされます。ヤコブはこの格闘の末に、神様に勝利して、その祝福を手に入れているようなのです。「神と人と戦って勝った」。だからこそ、祝福を手に入れている。ところが、実際はどうなのでしょうか。
彼は腿のつがいを外されています。本当はそこで勝負あったのです。ヤコブはこの戦いの中で相手に組み伏せられている。ヤコブの負けだったのではないでしょうか。にもかかわらず、神は勝利をヤコブに与えられている。
その戦いの中で神に負けるということの中でこそ、ヤコブは勝利をたまわっているトいえるのです。

私たちは、信仰がどのようなものなのかということをここで、よくよく知らされてくる。私たちは、神様がこの現実を変えてくださること、それを願い、その願いどおりになったら、この神様との格闘に勝利して、祝福をうけると考えていないでしょうか。なんとかして、自分の思い通りの答えを期待するのです。しかし、神様は、私たちが期待するようには現実をたちまちにしてひっくり返すような奇跡は起こされないのです。そこでは、私たちの理解を超えた神様の御心が実現をする。だから、実は私たちは組み伏せられているのです。
けれど、その現実のただなかで、主は私を尋ね、私に出逢ってくださっている。私と組み合い、無力に負けてくださるようにしてまでも、私に出会ってくださる。そして祝福を与えてくださっている。そうして、私たちにこの現実の中を生きる勇気と力を与えられるのです。
私たちは、その苦しみや恐れ、悩みのただなかでこそ、私たちを尋ね求める主の御顔に出会うのです。私たちの願った奇跡はありません。しかし、この主の御顔は、現実を生きる私を決して一人にしない。ヤコブと戦った神はイエス・キリストの十字架において、徹底して私たちの苦しみを知ってくださいました。また、神と戦ったヤコブの信仰をあのキリストの十字架が徹底して生きられました。そして、キリストは神の御心を受け取られました。

その主が変わらぬ現実にたたずむ私を尋ね、共に生きてくださる。その祝福を与えられるのです。そこに私たちは生きる希望と勇気を与えられる。神様がこの現実を生きる私を確かに知ってくださり、確かに愛してくださり、いとおしんでくださり、ここを生きることのために共にいてくださって、この私がここに生きるものであるということのかけがえのなさを知らせるからです。
そして、この主が共にいてくださるというただそのことが、私に新しい生き方を与えてくださるのです。自分のためではなく、誰かを愛し、誰かに喜びを分かち合うものとなることを私のうちに実現されるのです。その御顔において、私たちは生きることの意味をいただくのだと思う。
現実は変わらない、しかし、現実を生きる私が変えられる。神様の御心に服するということにおいて、私たちは、敗北ではなく、信仰の勝利をいただく。私たちの思いではなく、神様の御心が私に実現することを受け取っていくとき、本当に神様が私を通して働かれるいのちをいただくことになるのではないか。悲しみにしずみいくときに、私を捉え、新しくして、主に生かされる喜びを分かち合うものとされる。そのとき、私たちは他には代えがたい自分自身を生きる意味を主の御顔の内に頂くのです。
この礼拝において、私たち一人ひとり、主の御顔に照らされ、新しいいのちをいただいて、それぞれの重荷を負う、生活の現実の只中へ、しかし、神が、私たちを愛されているのだから、安心をして、私たちもまた神と隣人とを愛する新しい生き方を主に頂き、喜びを持っていかされて行きたいと思うのです。

2010-10-24

ぼくがぼくであること

                 

『人間・いのち・世界』という学部の専門科目で「私が私であるということ」という授業を提供している。私たちは、「人間」という抽象的な存在ではなくて、生まれた時からさまざまな身近な人や物との一回的な関係の中で生きる「私」として生きるものであることを学ぶ。授業では宮崎駿作品の「千と千尋の神隠し」なども用いて、私たちがその成長の過程で私が与えられている関係をどのように自分のものとしながら、「私」になるかということを学んでいる。
そんな授業を担当していたから、アマゾンの検索でこの本の題名を発見したとき、購入しようとカートに取り置いていた。先日、別の本を注文するのでまとめてカート内の本を注文したため、昨日届いて思い出した。
山中恒作の児童文学だが、大人が読んでも面白い。というか、1969年が初版だが、その時代を色濃く映す作品は、今の小・中学生の実感からは遠いかもしれない。だから、この時代に少年時代を過ごしたものだからこそ分かるということがあるのかもしれない。もちろん、子どもから思春期に向かう成長過程で自分と社会との関係を家族という軸をばねにして見出していくのは、時代を超えた課題でもある。誰もがこの課題に出逢い、大人として成長していくのだろうし、そうしてきたのだ。だからこそ、ドキドキしながら、この作品に共感する。

成績の良い優等生ぞろいの兄妹のなかで一人出来の悪い6年生の「秀一」は、口うるさい母親や生意気で要領のいい妹との成り行きから「家出」をしてしまう。たまたま事件の目撃者となるのだが、夏休みの間、「夏代」という女の子と老人の家に泊まる。その経験が秀一には大きな成長のきっかけになる。「冒険」と「秘密」は、秀一に新しい「自由」への予感を与えるが、同時に「責任」を持つことを教える。作者は、社会というものをつくり、成り立たせていくもののはじまりが何であるかを子ども時代の感覚でとらえさせようとしているように思う。

大人の庇護のもとで育つ子どもは、いつこの世界を生きることの主体として成長するのか。人間のずるさやわがままさ、自分勝手さは大人も子どもも実は変わらない。親や教師の権威には本当に正義があるか。限界のある生を生きることの哀しさを抱えながら、どうやって自分が自分としての主体を獲得するのか。「秀一」のように自分をよく考え、素直さと謙虚さを忘れずに、なお自分がその時を耐えつつ「自分」として立っていく足取りを、自分のうちに少しでも確認できるだろうか。いつの間にか、空っぽの大人の面子と権威を仮面としていないかと省みる。

2010-10-14

みんなで葬儀

「Ministry」誌の秋号が発行された。
特集をお手伝いさせていただき、天童荒太氏との対談も収録されている。

http://www.ministry.co.jp/

礼拝、牧会、リタージーなどについて諸先生方に執筆していただき、私自身も葬儀にかかわるQ&Aに応えながら、改めて「死」に直面する牧師のミニストリーについて深く考える機会となった。

「死生学」などを学んでいるといって、今回の特集でも私の書いた拙文を多用していただいたが、改めて「死」を語ることのおこがましさを実感している。私たちが出会うのはいつでも、まったく新しいその人だけの「死」なのであって、一般化することの出来ない個別性、一回性を持ったものだ。そこには一切の予断の入る余地のない「出来事」としての「死」がある。私たちは、そこでただ一切を神にゆだねるべきなのだ。
だからこそ、牧師が牧師として何か踏み越えてならない一つの線を踏み越えないようにしながら、同時に神を想うこころを確かに神に向かわしめること、そして、神がまた、私たちに示されること、働かれることの真実を御言葉において取り次ぐべき不可能をどうしても担わされる奇跡を牧師として謙遜に受け止めることを願って、この特集にあたらせていただいたつもりではある。
しかし、それでもなお、不遜なことばがあれば、それを清めて益としていただけるように願うばかりである。

ただ、今回、この特集でご協力いただきながら、執筆してくださった諸先生と心が重なるような内容になっていたことに何よりもうれしく思わされた。それぞれの専門の領域で葬儀をしっかりと取り上げていただいたことで、読み進むうちにカノンの曲を聞くがごとくに同じいくつかのテーマが繰り返されているように思われた。
全体として、良いものができたのではないかと思う。

是非、実践的に用いていただければと思うし、また、実践の中では、本誌に書かれたことを批判的にこえていって主ご自身の働きがそこに現れるものを共有していってほしいと願う。

2010-09-19

キリスト者の死生観 III

(JELC三鷹教会みどりのセミナー再録)

1. キリストと共に
どんなに信仰があっても、だれも死を逃れることはできません。しかし、どのようにこの死を生き抜くか、そこにこそ信仰の働くところがあるといってよいでしょう。死を避けるのではなく、確実にやってくる死を克服する信仰は、死が私たちにとって最後的な言葉ではないと知っているのです。キリスト教は、私たちが死を克服することはキリストの十字架の死と復活にのみよることを伝えてきました。ですから、私たちは死を考えることに増して、このキリストの十字架と復活の出来事に出会い、生かされるということが肝心なことなのです。それは、具体的に礼拝を中心とする信仰の生活の中で与えられてくる出来事なのです。
私たちの信仰生活は、洗礼によって始められます。洗礼はキリストと共に死にキリストともに復活の命に与ることだといわれます(ローマ6:4)。ルターは『小教理問答』において、洗礼は一回限りだが、その霊的意味は私たちの日々の悔い改めとともに与えられ、終わりの時あるいは私たちの肉の死によって完成されると教えています。私たちが、実際に罪に死んで復活の命に結ばれて生きるようになるのは、御国の完成の時まで待たねばならないわけですが、むしろ、私たちは自分の今の現実にもかかわらず、神様の御業に生かされていく希望を持つことが許されていると知りたいのです。また、聖餐において、私たちはキリストの体と血をいただき、主と一つとされて生かされます。同時に、御国の祝宴を先取りしつつ、私たちは生きている者も、すでに主に召された者も共に主によって豊かに祝福された交わりにあることを知るのです。そして、何よりも語られる御言葉によって私たちがキリストに導かれ、癒され、慰められ、キリストと共に生かされる出来事の中で、私たちは、「わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ11:25)といわれるような信仰の命へと招かれているのです。

 

2. 死への備え
実際に死を迎える時、ルターは何より自分の与った礼典に立ち返り、そこから慰めを得るようにと教えます。私たちは自分の信仰の確かさに立つことは出来ないからです。ただ、神様の御業に信頼をすることしかありません。キリストは死に対し勝利されたのですから、私たちもその勝利に与ることが約束されているのです。しかし同時に、キリストはご自身の受難と死に対してどこまでも従順であられました。キリストの勝利はこの従順な姿の中に、そしてまったく望みの見えないことの中に隠されていたのです。神様の御業への信頼は、まさに勝利への確信と、そしてまた徹底した従順さにおいて、死を克服する力となります。けれども、たとえば椎名麟三は洗礼を受けた時に「これで自分は死にたくない、死にたくないと、じたばたして死んでいってもいいことになった」と言ったといわれます。つまり、私たちは自分が必ずしも強く雄々しくある必要はないのです。すべては、神様が引き受けてくださっているのだから、どんな自分もありのままで神様にゆだねてよいというのが、キリストに信頼することなのです。
具体的には、いつその時がくるかわからないわけですから、準備のしようはないかもしれませんが、逆にいつでもその時が来るものだと備え、御言葉を聞いていくことが大事です。ルーテル教会が、今の式文の最後に歌うシメオンの賛歌は、その礼拝で御言葉を受け、主の救いを見た私はいつでもこの世を去っていくことができるという信仰の告白を表しています。そして、同じ賛歌が葬儀においても歌われます。つまり、毎週の礼拝において、私たちは終わりの時への備えを与えられているということでもあるのです。
もし、病気や体の状態などから、「その時」を近くに感ずることがあれば、特別に注意をしておかなければならないこともあります。この世のことをきちんと整理していくことも一つです。また、とりわけ牧師や教会員とのつながりは大切です。家族や近しい者には、普段から「もしもの時」にはどうするか伝えられるように工夫しておくとよいと思います。教会は、また、いつでも祈りとまた実際的な手だてとを持ってその時に適切に対応するのです。
葬儀がキリスト教式で行われなければ救われないなどということはありません。救いについては、本人と神様との関係の問題ですし、最終的には神様にゆだねる以外にはありません。ですから、葬儀の形式にこだわる必要はないわけです。しかし、キリスト教式で行われる時には特にも信仰を持たない人々にも慰めと希望が分かち合われるように、具体的な配慮も必要でしょう。信仰において不必要に思われることでも、キリスト教の信仰があいまいにならない限り、キリスト教的な方法に変えたり、説明をくわえたりして、できることは大胆に取り入れてもよいと思います。献花は焼香に代わるものとして、日本のキリスト教葬儀の中に定着していますし、弔辞に代わり、故人の思い出を話したり、遺族に対する感謝や慰めを語ったりすることも一般的になっています。

 

3. 異なる信仰の下にあるとき
日本においての一番の問題は信仰を持たないで亡くなった家族についての問題です。信じるための機会が得られなかった者たちについてはもちろん、チャンスはあっても、受け入れられなかったままにその生涯を終えることとなった者もいます。いったい、その人たちは救われないのでしょうか。
キリスト教は「信じて洗礼を受ける者は救われる」(マルコ16:16)と教えています。また、すべての人が等しく救いに与るということを無条件に教えることはありません。キリストによる救いをゆるがせにすることもありません。それらは、しかし、信じることによる救いへの強い招きの性格を表しているのです。神はひとりの滅びも望まれません(IIペテロ3:9)。また、すでに世を去った者についての救いを語るときに、その「救い」とはどういうことが考えられているかということも問題の一つです。キリストにある救いは、信じるものに生きることに対する勇気と希望を与え続けるものです。その希望は死によっても打ち砕かれることのない希望なのです。死んだ者の救いについては、神様にゆだねること以外にありません。その救いは、終末の時、つまり神の国の完成のときにのみ知らされるのです。私たちに確かなことはイエス・キリストによる救いの約束のみです。そして、イエス様ご自身が絶えず心を配ってくださるのは、救いから遠いと考えられていた人々であります。つまり、罪人の救いこそが福音なのですから、私たちは信じることなく世を去った人々の救いを安易に語ることは控えなければなりませんが、これを積極的に退けることは正しいこととは言えないでしょう。教会がキリストの体であるのであれば、この体はどういう人々のところへと出て行き、誰に救いの喜びをもたらすのか。そういう脈絡の中で、亡くなった人々についても考えていきたいものです。
具体的には、異なる信仰の下にあった人々についても、キリストのとりなしを信じ祈りつつ、その人を通しても与えられた神様の恵みを覚えることを、教会的脈絡の中に位置づけることを考えてよいように思われます。何を信じていてもよいのだというのではなく、どんな私たちであっても、神様は恵みと愛をもって招いてくださることを示したいものです。また他宗教に対する寛容と敬意を表すことは、自らの信仰を証することにもなるのです。

 


4. 神の国の証して
私たちが自分の死をいかに克服し、喜びと希望に生かされるか。それは、私の救いの問題です。しかし、この福音は主イエス・キリストの罪と死と悪魔に対する戦いをともに戦い、その勝利に与ることなのです。つまり、これは私の救いであると同時に、この世に与えられる救いの出来事と切り離して考えることは出来ません。ですから、私たちは自らの罪に死んで、キリストの復活の命に生かされつつ、来るべき神の国を証し、正義と公正、また平和を求め祈り、その喜びを分かち合うよう求められているのです。そのようにして、他者の死について私たちが心を砕くことこそ、キリストの命を生きる信仰者の働きなのです。

キリスト者の死生観 II

(JELC三鷹教会みどりのセミナーの再録)

1. 「私の死」
私たちが「死ぬ」ということはある意味では当たり前のことですが、これを当たり前と言ってすませていることはできません。トルストイが短編『イヴァン・イリイチの死』で見事に描き出したように、「人間はだれでも死ぬ」ということと、「私が死ぬ」ということとはまったく別のことなのです。そして、実際私たちは皆、「私が死ぬ」というこの抜き差しならないことに直面しているのです。その「抜き差しならなさ」に、日本的霊性・宗教性は答えているのでしょうか。つまり、やがて自然の命の流れのなかに帰るという考えや、共同体の中に形を変えて行き続けるというような死生観は、この「私の死」に救いを与えているのでしょうか。
この問題は、簡単に答えを出すことの出来ない問題です。しかし、少なくとも日本的霊性においては「私」という存在を自然の中に、あるいはまた共同体の中に消していく傾向があります。そうすることで「私の死」を超えていこうとしているといえるのかもしれません。けれども、それで「私」の問題は本当に慰められるでしょうか。慰められない「私」は、「怨霊」になる以外にないのかもしれません。

 

2. 罪と死
パウロ以来、(あるいはアウグスチヌス以来)もちろん、キリスト教の歴史の中ではもっぱら「死は罪の値」として考えられてきました。しかし、その伝統にあっても「私の死」を直接に神の裁きとは呼ばないで、「罪によって神から離れた魂は肉体を治める能力を失い、その結果として魂が肉体を分離するのが死だ」という説明をしています。それは、たしかに「死」を「罪の結果」としていますが、その切実さはありません。
宗教改革者ルターは、こうした伝統の中で、ある意味最も深く「私の死」の問題に取り組んだ一人といえます。それは、ルターが「自分の死」を神様との直接的な関係の中で見ているからです。つまり、ルターによるならば、「私の死」は第一に「神の怒り」として理解されるのです。肉体からの魂の分離、つまりいわゆる肉体の死は、死の本当の姿の影に過ぎません。死の本来の姿とは、私の罪に対する神様の怒りであり、裁きなのです。つまり、神様との人格的な関係の中で、そして、「私の罪」との関わりの中で、死の問題が問われているのです。それはあくまでも、「私」の問題なのです。消えてしまう存在に過ぎない「私」なのではなくて、裁かれるべき「私」の問題を見据えています。神様の前に、私の存在はゼロでなく、マイナスなのです。そんな「私」の存在こそが実は私の深い嘆きの源です。ですから、この問題は私の「死」によって解決はしないのです。神が裁きたもうのです。
しかし、神様は裁くだけのお方ではありません。「私」をまた裁くことにまして、愛してくださいます。それがイエス様の十字架の愛の御業にほかなりません。どうしようもない「私」が、かけがえのない「私」として愛され、生かされる。それが十字架を通して与えられる「赦し」の奇跡なのです。私たちはこの赦しの中でこそ、「私の死」に対する救いと慰めを与えられるのではないでしょうか。もし、私たちがこの「赦し」を知らないなら、たとえ肉体は生きていても、恐れと不安、また悲しみと嘆きの中で、喜びのないものとならざるを得ないのです。

 

3. 悪と死
それでは、キリスト教は「死」あるいは「死者」をどのように理解しているのでしょうか。キリスト教では「死」について大きな二つの理解の筋道をもっています。
第一に、「死」は人間の被造物性を現しています。永遠なるものは神様以外にはありえないのです。古代ギリシャの考えは「霊魂不滅」で、人間は永遠な魂を持っている存在と考えられました。キリスト教はそのように考えません。神様に造られ、与えられたこの世での命を生きることにこそ意味があり、尊いものなのです。けれども、その命は、神様のように無条件に永遠な存在ではありえないのです。「死」は土のチリから造られた人間の有限性・被造物性を意味しているのです(創世記2:7)。これが、聖書的な意味での「自然死」の考え方であります。人間が、年老いて死ぬということはごく自然な出来事として考えられているという側面があるのです。
第二に、キリスト教においては「死」は人間の罪の結果として理解されてきました。パウロが「罪の支払う報酬は死である」(ローマ6:22)といっている通りです。私たち人間は神様に「よきもの」として造られたはずでしたが、神様に逆らい、罪を犯しました。それゆえに、「楽園」からは追放され、「死」を恐れて生きるものになっています。人間の罪こそが被造物全体を「虚無」に服せしめたのです。
この二つの考えはそれぞれに異なる強調点を持っているといえます。しかし、共通するところは、神様との関係の中で私たちの命が考えられているという点でしょう。そして、とりわけ第二の点、つまり罪とのかかわりの中で私たち「死」を考えることが重要な問題になっているのです。


4. キリストによる救いは、キリストとの一致によって
「死」を考える時に、私たちは本当に「私」の問題に気付かされます。そして、その「私の問題」は私が死によって消え行くことなどでは解決されない問題なのです。私たちが本当に赦され、「私の死」が克服されなければなりません。「私」が愛されていること、「私」の存在に意味があることを、キリストの十字架と復活の出来事において知らされなければなりません。私たちは自分自身がやがて消え行くむなしいものと思って、なお今を生き抜くことは出来ないからです。
ルターは、もう一つ大事なことを言っています。すなわち、私たちは、このキリストの十字架の恵みを、ただ自分自身の苦難と十字架をとおしてのみ受け取ることができるのだというのです。つまり、それは自分のためではなく、他者のために生きること、神様を証すること、その苦しみの中でこそ、キリストを受け取っていくことになるということです。キリストと一つになること。しかし、それは具体的な信仰の生活の中で神様から私たちに与えられることなのです。そしておそらく、自分の意図に反してさえも与えられてくるのです。
そうしたキリスト者としての信仰の歩みを通して、私たちは実際にキリストの恵みに与り、「私の死」を克服するのです。つまり、自分に死んで、キリストに生きることが私たちに実現されていくのです。

 

5. 実際の「死」を迎えて
私たちは、信仰にあって死を迎える時、その「死」はもはや私たちを滅ぼす力ではありません。ですから、その死は「眠り」にたとえられます。私たちが朝起きたときに、眠っていた時間を知らないように、この眠りとしての死から私たちは復活の命に覚めるのです。そして、目覚めた時は天の祝宴が用意されています。信仰にあるとき、私たちの死はもはや、不安や恐れの中にはありません。そのような死を死ぬことは「祝福された死」です。
ルターは具体的に、こうした「祝福された死」を死ぬために、目前に死が迫ったなら、「死」そのものを見ず、キリストを見るように勧めています。「祝福された死」は私たち自身によるものではなく、キリストが分かち与えてくださるものだからです。
それでは、その眠りの間、私たちはどこにいるのでしょうか。私たちは、それがどこか知りません。ただ、神の言葉に休んでいるということがいえます。そうであれば、私たちはキリストを証する神の言葉とともに、死んでも生き、働くものであるかもしれません。実際、すべての聖徒たちはキリストとともにいつでも慰めを人々に運んでいるといわれるのです。死んで「証人」に加えられるということは、まさにそうした意味であると思います。
私たちは、あの罪人と共に「あなたは今日私と一緒にパラダイスにいる」と約束されて、死を迎えるのです。それは、キリストとともにある永遠の命の約束なのです。

キリスト者の死生観 I

(2003年JELC三鷹教会みどりのセミナーで行った連続勉強会の再録)


1. 現代の「死」の論議
十数年前まで「死」について語ることはほとんどタブーでした。今日でもおそらく基本的にはそう変わらないのかもしれません。しかし、たとえば「ホスピス」を中心とした終末期医療また医療技術の発展とともに「死」の問題はにわかにさまざまなメディアで論じられるものとなりました。「臓器移植」とともに「脳死」問題が論議されるようになったのは、ここ十年のことです。かつては、家の中で年老いた者、病気になった者は死んでいきました。そのように身近な出来事であった「死」を、病院や特定の施設、一連の葬儀システムの中に追いやってきたのが現代です。その一方で、高齢化社会・医療技術社会を迎えて、「死」の問題が改めて論じられるようになってきているのです。そして「死」を論じながら、「いかに生きるか」ということが、実は同時に問題になっているのが現代の「死」をめぐる状況だといってよいだろうと思うのです。その課題に、答える議論がどれだけなされているでしょうか。

2. 日本人の死生観とキリスト教
たとえば、梅原猛や山折哲雄などは「日本的宗教性や霊性」の現代的な意義を主張し、日本的死生観が西欧的な人間中心あるいは個人主義的世界に必要とされているのだといいます。さらには、他人の臓器をもらってまで生き延びようとするのは、「聖餐(キリストの体と血をいただく)」や「聖心信仰(キリストとの心臓交換)」といったキリスト教世界から生まれたもので、日本人の心にはそぐわないとまでいうのです。
このように「日本的なもの」と、「西欧的なもの」あるいは「キリスト教的なもの」とを単純化し、対比させて論議をすることには注意が必要です。しばしば、それは一つの意図に基づいて描かれていて、客観的な批判に耐えることの出来ないものです。「臓器移植」の問題を「他人の臓器を取って生きる」と単純化はするのはまったく誤った考えです。むしろ、自分の一部を捧げて一人の命を助けるという点を見るならば、個人主義というのとはまったく違った面を語ることになるはずです。
確かに、日本人には独特の感じ方、考え方があります。自然の中のありとしあらゆるものの中に命(タマ)があり、それは大きな流れの中に循環していると考えられています。個人の命が終わったとしてもそれですべてが終わりということにはならない。むしろ、自然のままに生きて、自然のままに死んでいこうとするのが日本人のありようで、その中で、自然全体の大きな命の流れのなかに一つとなっていくという考えがあります。「大河の一滴」(五木寛之)という表現は、見事に日本人の死生観を言い表していると思います。他方で、日本人は家を中心とした共同体に生き、また死んでいくという気持ちがあります。日本人は、死んだ者も生きた者も一つの共同体の中に含まれていて、死はその身分を変えるだけで、絶対的なものとはなっていないのです。仏壇にある祖先の「タマ」も食事を共にするし、家の者はその仏前にいろいろな報告もするのです。「生まれ変わり」といわれることとか、名を継ぐという習慣も、命の連続性を共同体の中に持っている事をあらわしています。生きている者は死者をよく「供養」をし、死んだ者の「タマ」は生きている者を「守り」、「祝福」する。「おじいちゃんが守ってくれている」というのは当たり前に聞かれる言葉です。
そうした日本人の心からみると、キリスト教は人間中心で、個人主義的ということになるのでしょうか。キリスト教は、神中心であります。確かに人間は神様の言葉を聞くものとして特別な存在ではありえますが、聖書は人間を他のすべてのものとともに神の被造物としています。決して、人間中心ではありえません。また、キリスト教は、神の民であることを旧約の歴史に引き続いて大事に考えてきています。隣人に仕える、愛の信仰は決して個人主義ではありえません。

3. キリスト教の「死」の理解の基本
それでは、キリスト教は「死」あるいは「死者」をどのように理解しているのでしょうか。キリスト教では「死」について大きな二つの理解の筋道をもっています。
第一に、「死」は人間の被造物性を現しています。永遠なるものは神様以外にはありえないのです。古代ギリシャの考えは「霊魂不滅」で、人間は永遠な魂を持っている存在と考えられました。キリスト教はそのように考えません。神様に造られ、与えられたこの世での命を生きることにこそ意味があり、尊いものなのです。けれども、その命は、神様のように無条件に永遠な存在ではありえないのです。「死」は土のチリから造られた人間の有限性・被造物性を意味しているのです(創世記2:7)。これが、聖書的な意味での「自然死」の考え方であります。人間が、年老いて死ぬということはごく自然な出来事として考えられているという側面があるのです。
第二に、キリスト教においては「死」は人間の罪の結果として理解されてきました。パウロが「罪の支払う報酬は死である」(ローマ6:22)といっている通りです。私たち人間は神様に「よきもの」として造られたはずでしたが、神様に逆らい、罪を犯しました。それゆえに、「楽園」からは追放され、「死」を恐れて生きるものになっています。人間の罪こそが被造物全体を「虚無」に服せしめたのです。
この二つの考えはそれぞれに異なる強調点を持っているといえます。しかし、共通するところは、神様との関係の中で私たちの命が考えられているという点でしょう。そして、とりわけ第二の点、つまり罪とのかかわりの中で私たち「死」を考えることが重要な問題になっているのです。

4. 「生きること」と「天国」
精一杯生きたなら、その行き着く先として「極楽」「浄土」を無条件に望む日本人に限らず、死後に行く場所として「天国」が思い描かれるのは人間の自然な願いでしょう。聖書にも、「天国」が語られています。けれども、キリスト教でいわれる「天国」は、わたしたちが死んだ後に行く場所として描かれているのかどうか、よく注意しておく必要があります。イエス様は「神の国」とか「天国」ということばで、神様と私たち人間との関係をお話になられています。生きている者も、死んだ者も神様との正しい関係の中にあることで「天の国」にあると考えられているのです。
つまり、大事なことはまず私たち一人一人がどのように神様とのかかわりの中に生きているかということになります。そして、聖書は私たちの神様との正しい関わりを、イエス様を通して与えられるものとしています。天国は私たちが死んだ後に行く場所なのではなく、イエス様とともに私たちのところにやってきた出来事なのです。イエス様は言われます。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない」(ヨハネ11:25・6)。つまり、「死」はイエス様との交わり・一致において、克服されたものとなるのです。生きることの結果「天国」に行くのではなくて、「天国」を生きるのです。
そして、このイエス様との関係の中で私たちは、第一に罪の赦しが与えられるのです。そして、このイエス様とともにあることで、私たちは神様と隣人に仕える者、愛する者とされるのです。そのような神様の出来事が恵みとして与えられるところに、「天国」があるといえるでしょう。キリスト者の死生観は、まさに「キリストの愛に生かされる」ところにこそあるのです。
  

2010-09-03

坂築静人

08年度に直木賞を受賞した天童荒太氏の『悼む人』に続く作品。悼む人、坂築静人の綴る日記スタイルで紡ぎだされる。天童氏自身が、静人として悼みの旅を続けた7年間に記された日記の一部が小説として整えられたものだと思う。            


人が亡くなるというそのはかなさとせつなさに心を重ねる。不条理なものであればあるほど、その人のいのちが確かに生きられたことを大切に抱きしめていく。見も知らぬ人のいのちにどうして寄り添うことができるのかと思うが、それでも天童氏が静人としてその一日一日を生きてこられたことの、一つの証として読ませていただくこととなった。もちろん、小説家としてではあるけれども。しかし、小説というものは、決して単なる作りごとではなく、むしろかえって私たちの真実をうきぼりにするものであることを思えば、この静人としての旅がどれほどのものか想像に難くない。
先日、雑誌「Ministry」の企画で、天童氏と対談させていただいた。
http://www.luther.ac.jp/news/100901_01/index.html
対談は10月に発売される誌上に掲載される。その中で、天童氏は小説を書くという賜物(Gift)をもらっている自分が、書くことで、自分になすべきことがあると言われた。それが自分が小説家として生かされていることの意味としても受け取っておられるようだった。ぎりぎり、フィクションをもって、何を語るか。今を生きる人々に生きることをもっと支えたい、そのために、なにを語るべきかと静人としての旅を続けられてきた彼は、またひとつ、人間の生きるということの深いふかい問いかけに出会っておられる様子だった。苦しみとか絶望の淵、弱さそのものの中で、私たちは生きることのなかでの大切なものを知るように思えると。だからこそ、語りたいと。ただ、もう一方で、これもまた素直に、謙遜に自分などは何か出来るとおもえばそれはもう傲慢なのだともいわれる。天童氏の自然な姿勢に感銘を新たにした。

雑誌については、以下で知ることができます
http://www.ministry.co.jp/

2010-07-06

100万回生きたねこ



「人間・いのち・世界」の授業では、いろいろな素材を用いて、「いのち」や「人間」について考えてきた。その中で取り上げた絵本が「100万回生きたねこ」であった。いろいろな飼い主のもとで、いろいろな猫として100万回も生きてきた猫が、はじめて生き返ることなくそのいのちを終えていくことになった。それは、いったいなぜなのか。学生からもらうリフレクションでは、本当にさまざまな意見が寄せられた。
初めて、この猫は「誰の猫でもなく、自分自身であった」から、とか、「自分を大好きだったこの猫が自分の納得いく生き方を初めて見いだした」からとか、「白い猫」を愛した猫がもう新しい猫になる必要がなくなったからだとか。もちろん、正解はない。
この作品を通して、私たちは生きるということの深いふかい問いを自らに問う。そこから、たったひとつの答えを自分のことばとして紡ぎだすことが大切なのだ。

2010-06-12

アジサイの色


咲き始めはほとんど色を見せないでいたアジサイが、いつのまにか瞳にあふれる色をにじませている。
青い花が集まって咲く様子から「アジサイ(集真藍)」と名付けられたこの花の「花ことば」が、「移り気」や「変化」といわれるのは、こんなふうにふと気づかされる花の色の移り変わりの故だ。

この春に父が突然召された。もう、遠く暮らしていた父なのだから、亡くなったという現実は自分の日々の生活にはほとんど何の変化ももたらさないといってもいい。実際は、遺された母のこともあって往き来も多くなったし、いろいろな忙しい日々なのだけれども、やはりすでに「父」がこの地上には存在しないという実感を持つのは書棚の本を手にとる一瞬だったり、バラの赤い色に目をとめた時であったり。

6月11日にFEBCで放送になった「老いと死を生きる」という番組の録音は、父が亡くなる十日ほど前のことだった。「生きている」父や母のすがたを思いつつ語ったものだ。その父は今はすでに神の御許・天にある。いつの間に・・そうだったのか。Motoo's Blog: 「老いと死を生きる」

この青は何の色? しかし、天の青さ・・・・

本当のアジサイの花ことばは「辛抱強い愛」だという。
様々な変化の中にあって、波の中にもまれつつも、神様のその愛にこそ生かされていくものでありたい。

2010-06-05

The perspective of Asia 5

4. Theology in Japan

Now how can we be Lutheran, though we are in 21st century in Asia, far from 16th century Germany? Certainly, it is not only holding on to the old confessional writings. Rather the problem is how we confess our faith in Christ which was also confessed by 16th century Lutherans in the 21st century in an Asian context. Luther’s spirit of confession in the reformation context of the 16th century was to fight against a situation that hid Christ’s Gospel. Following God’s Word, Luther knew the situation in which God’s love revealed in the cross was darkened and then called the church to reform the situation. It was not just his inner reformation of faith, but also the expression of that faith in the reformation of the church, and therefore reformation of the world.
That is to say, “confessional” means to be responsible for the situation in which the theological subject is actually engaged. That is, Lutheran theology takes both the church and the world as the object of its theology. In this sense, theology in Japan has to cope with Japan as the object of theology, critically. And also theology must send messages to Japan in order to share the Gospel, to establish the order of God’s creation, and to accomplish the kingdom of God.
The message of Lutheran Church, therefore, must be the word of God; Law and Gospel. The word of God critically reveals how we are, what Japan is before God, on the one hand, and points out God’s gracious work in the world for sharing the gospel with people. After we changed the name of the department from theology to Christian Studies, we realized that Lutheran theology has such a task to the world, and that this task is carried out through Law and Gospel.
According to this perspective, our department of Christian Studies of Japan Lutheran College decided to focus on the problem of life and death in our actual context from this year. We just started a new curriculum consisting in 15 courses. We call this new curriculum “Life Studies (inochi-gaku 命学)”. Today, problems concerning life and death are so serious in Japan as well as all around the world. It seems very important to learn and to show the Christian understanding of human beings, and life and death, to the world. From all theological perspectives: biblical theology, historical theology, Christian ethics, pastoral theology, and apologetics, the issue of life and death is now examined and learned. In addition, we also learn what kind of thinking and religious understanding and wants are really in Japan both traditionally and in modernized society. In such a project, as Lutherans, we want to be responsible and to give contributions to our churches and even to the non-Christian world
Now, I want to list what we need to be aware of, concerning doing theology in Japan.

(1) In order to do theology in Japan, we must learn the traditional western theology, especially from the theological history, first. It is because there are many fruits and treasures that come from struggles already done between the Word of God and the world in the theological history in the west. Moreover, it should be believed that the living God has led Christian history though human beings who always opposed the will of God.

(2) It might be important not to use the baptized and non-baptized distinction here and now but to see the salvation work of God on the cross for all sinners, including the baptized and non-baptized. Of course, the baptism is the sacrament of God’s promise of salvation and the eschatological event of death and resurrection for the Christian. Luther sees the sacrament as the beginning of the God-justifying work for sinner throughout life until death and resurrection. If so, in the non-Christian context of Japan, it is important to see Christ as the core of God salvation work more than to make clear the border of the sphere of salvation.

(3) When we think of Japan, it is necessary to see Japanese culture in layers. Japanese people have the traditional thoughts and religions on the one hand, and the modernized, rational way of thinking on the other hand. Japan has developed and urbanized on the one hand and still values nature, rural community, and culture on the other. In Japan there are wealthy and poor also. Japanese is of course Asian, but is also westernized so much. Japanese people seems be homogenous but there are minorities like Ainu, Okinawans, etc.. In order to grasp Japan, we need to have compound eyes to see this complex world.

(4) There are people and lives who are weakened, discriminated against, and made poor in Japan today. Theology in Japan must deal with this problem seriously. Luther eliminates the distinction between priests and lay people by the priesthood of all believers. The principle means that there is no distinction between holy and secular, between clean and non-clean, between noble and humble, and between high and low, before God. This principle must criticize a social situation that makes such distinction.

(5) In this sense, the Tenno (Japanese Emperor) system must be closely examined from the Christian view. The system has distinguished between noble and humble among all nations and functioned as a quasi-religion. In addition, the Tenno system invaded Asian countries and tried to exert Japanese supremacy over them during World War II. If theology in Japan wants to be also theology in Asia, it is necessary to answer the problem of this Tenno system.

(6) Having a close relation with Japanese things and favoring them brings the danger of syncretism and nationalism. In order to share the Gospel of Christ with Japanese people it is important and necessary to take Japanese culture and values seriously in the context in which they actually live. At the same time, we should know that we could be at a risk of losing something important for Christianity.

(7) At the same time, we should know the possibility of theology in Japan or other non-western context could challenge the theology in the western culture. The challenge could deepen the understanding of the Gospel from a different perspective from that of the west.

These seven points are just a kind of memo for further study. These particular viewpoints come from the theology in Japan, but could contribute to theology in Asia, and also in the different context from the west. At least, I hope this presentation will be useful for dialogue in this conference.

The perspective of Asia 4

3.Theology and Christian Studies

The theological department of Japan Lutheran College changed its name to the Department of Christian Studies for practical reasons. “Theology” is jargon for ordinary people in the non-Christian world so the name of department couldn’t draw sufficient attention. Conversely, the name of Christian studies is understandable for those who are interested in Christianity and the Christian culture, including literature, music, the arts, etc.. Because of this, “Christian Studies,” as you know, is a popular name of studies about Christianity in the non-Christian world.
Needless to say, theology is, in general, the study of self-reflection on Christian faith. In order to serve for Church and mission work and also to train pastors, it has four main disciplines: biblical theology, systematic theology, historical theology, and practical theology. These have been systematized and established as academic studies over a long period of time. The theological department, of course, had all these disciplines. For it was originally founded in conjunction with Japan Lutheran Theological Seminary for the training of pastors. A four-year college program and a two-years seminary curriculum together make up a six-year program to train ministers. So the department had been geared for Christians, especially Lutherans, who wanted to be pastors of the Lutheran church.
In reality, an average of only two or three students graduate and become pastors every year for a total of approximately 160 congregations of the Japan Evangelical Lutheran Church and the Japan Lutheran Church. So it is financially impossible to maintain both the college and seminary if these schools were open to only Lutherans. As far as the theological department is concerned, more than 20 years ago the college program began to welcome non-Lutherans and even non-Christians who really wanted to study theology, while the seminary was restricted to Lutherans only. Also, the theological department started to provide many courses for those who would like to study Christian culture in general, like Christian literature, Christian arts, etc..
For this reason, it was quite natural to change the name of the department from theology to “Christian Studies.” Faculty members of the theological department, however, thought that it was not acceptable to erase “theology” from the name of the department. It was because we were teaching theology as Lutheran pastors. So we struggled and finally decided to choose real achievement rather than empty reputation.
The name was eventually changed in 2005 as mentioned above. After that, we are now realizing that the change is not just nominal, but qualitative. This means that theology is facing a new task to rethink theological work in relation to the context where theologians serve God and church as theologians. Christian Studies takes Christianity itself as the object of study and sees Christian faith as historical phenomena in relation with culture, thought, and concrete political and economical situations in which people lived by faith in Christ. As a result, we become aware of our own cultural context in which we are Christian. That is, we are forced to take “Japan,” a non-Christian context, as an object of theology.
Of course, we already knew that theology has been always done in the actual context in which it was engaged throughout about two thousand years of Christian history. Nonetheless, as far as the theological program which the seminary provides is concerned, there is no formal structure arising from the context we are actually engaged in. Each discipline has its own order and sequence for study. But such an organized theological system was made in the western world. Within such a system, it was hard to rethink the system itself in which a theologian stood. Moreover there was no room to think about Japanese things in the established theological disciplines. Now by welcoming those who are not Christian into the theological circle as students of Christian Studies, we need to consider the peripheral things of Christianity and its context for the Christian faith.
It is not just matters of practical theology, though surely practical theology is a kind of front in which theological thinking is realized. In a practical sense, the problem has been how the Christian message communicates with Japanese people whose mind set is completely different from the western one. In order to accommodate the Gospel to the Japanese mind set, various means have been used: Japanese styles of music, metaphors, old stories, arts, rituals, architecture, and etc.. These are matters related to “translation.” Needless to say, these efforts are useful in order to bring Christianity closer to Japanese people. The question here we are facing is, however, beyond it.
The best way to carry out theology is being relativized. God does not change, but the way that we try to understand God must change over time and across cultures. Theology is being done by human beings who are always limited by time and space. When theology took place in the Hellenistic world, theologians used Greek language and thinking to express their faith. Surely in the Latin world, the Latin culture gave influence to Christian thinking. After the enlightenment and the age of reason, historical thinking has continuously relativized theological expressions. We all know these historical realities. Now the problem is how much we can adopt an Asian way of thinking in order to understand Christ’s salvation. Conversely, the problem could be how we can distinguish the core of the Gospel and the cultural expression of it.
The change of name of the “Department of Theology” to “Christian Studies” challenges us to do theological work in our present context.

The perspective of Asia 3

2. Development of the Mission of the Lutheran Church
From the beginning, the Lutheran church had special concerns about social problems in Japan, especially in the fields of education and social work. In Saga, the first Lutheran kindergarten was built, and in Kumamoto a Lutheran school called “Kyushu Gakuin” was established for youth, in addition to the theological education that was already provided. Also, the Lutheran church established the social welfare institution “Ji-Ai En” for the aged, handicapped, and orphaned in Kumamoto.
Originally Lutheran women’s groups in America prayed for and gave support for the establishment of kindergartens and other educational and social welfare institutions. Lutherans in Japan have devoted themselves to work in the fields of education and social welfare, as well as evangelism, by receiving generous donations of Lutheran churches and women’s missionary organizations in the US.
The Missouri Synod has been deeply interested in the education field and has maintained two independent school bodies in Saitama near Tokyo: Seibou Lutheran School and Urawa Lutheran School. Now both churches, the JELC and the NRK together have a total of about 50 kindergartens, 30 nurseries for infants, 5 school bodies and 50 institutions for the aged and the handicapped around Japan. Through such concrete work of education and social work, the Lutheran church in Japan shares the grace of God in the daily lives of people. Churches, schools and institutions for social work are put into different legal categories under Japanese law, but Lutherans have always understood them to work cooperatively and have drawn on the contributions that each can make in developing a holistic plan for mission work.
This means that education and social work have been a part of the church’s mission in Japan, along with evangelism. Since the Reformation Era, Lutherans have been deeply engaged in social issues. Christians, living by the word of God, are encouraged to love their neighbors. According to the principle of Law and Gospel, Lutherans living according to the Gospel positively work to maintain the order of God’s creation. Working in different fields does not mean becoming disengaged from evangelism. Rather, it is a way to show how Christian faith works in the world.
On the basis of this approach to a holistic mission of the church, Japan Lutheran College has developed its curriculum for producing graduates who will work in the world as well as in church. The college established a new course for Christian Social Work in the theological department in 1976 and developed it into an independent department in 1987. Then the graduate program for social work was provided in 2002. In 1982, the college founded the Personal Growth and Counseling Institute for answering the psychological needs both in the church and in the world. Then the theological department also began a new course for those interested in Christian counseling, in 1992. From this new course curriculum was developed which would form the basis of the Department of Clinical Psychology and the faculty of the Clinical Psychological Graduate Program, in 2005. Lutheran churches in Japan and Japan Lutheran College have decided to engage deeply in social problems through measures such as these.
Lutheran identity must be confessional. Being confessional means having an actual commitment to the lives of people from the standpoint of Christian faith. The holistic mission of the Lutheran church in Japan is a means of actualizing God’s grace in the world. The Word of God must be proclaimed and realized through human words and actions both on Sunday and throughout the week. This holistic mission also has contributed to Japanese society and has been evaluated well by people. It is also really important for the mission context in the non-Christian world. Without obtaining the trust of people, there is no success for evangelization in Japan. In such relationships, Lutheran identity has been formed.

The perspective of Aisa 2

1. Theological Education and Luther Studies for the Lutheran Church in
Japan

Dr. J. A. B. Scherer and Dr. R. B. Peery, the first missionaries sent by the United Synod of the South held the first Lutheran worship service in Japan on Easter, April 2, 1893 in Saga prefecture, which is located on the island of Kyusyu. In the first several years they were assisted by Japanese evangelists who had been educated in other denominational backgrounds. Ten years later, a training program of pastors began in Saga. In 1909, Rev. A.J. Stirewalt started the first full program of theological education for training Japanese pastors in Kumamoto, called Japan Lutheran Seminary. The desire of missionaries and Japanese congregations was to have Japanese pastors in order to proclaim the gospel to Japanese people. Just as Luther made a German translation of the Bible for German people, it is quite reasonable to train Japanese to become church leaders for the church’s mission and evangelization efforts.
Forming Japanese pastors was one of the most important tasks in the Lutheran church. The Gospel must be proclaimed in the mother language, through the Holy Spirit. That means the Gospel should take root in the soil of the distinct religious culture of Japan. For that purpose, Japanese pastors must be trained with the right understand of the Gospel, according to the Lutheran tradition.
Luther studies also started at this seminary and produced Japanese Luther scholars. Shigehiko Sato (1887-1935), who studied Luther under Karl Holl, focused on Luther’s religion of conscience. Kazo Kitamori (1916-1998), who is well-known because of his theology of the pain of God, used the Japanese cultural tradition in order to grasp the core of the Gospel. Yoshikazu Tokuzen (b. 1932) who was the first head of the Luther Studies Institute, founded in 1985, has led Luther studies in Japan and introduced Luther’s theology to lay people in the Lutheran church by writing many books, including his translation of Luther’s works. He is a leader in the area of ecumenical dialogue in Japan.
A Characteristic of theological education and Luther studies in Japan is its practical application as well as its academic concern. Of course, there have been many scholars of Luther studies outside of the seminary and even outside of the Lutheran church, but Luther studies based on the church’s mission of proclamation have been done at the seminary and have led Luther studies in Japan.
Regarding practical concerns, two things should be pointed out. First, theology and Luther’s studies in Japan have been done from a Japanese perspective of mission. Sato chose the concept of “conscience” in order to describe a characteristic of Luther’s theology. It is not his original view, but is taken from Holl’s Luther studies. However, the concept of “conscience” must be appropriate for proclamation of the Gospel in Japanese culture, in which most people are highly educated in regards to moral issues. Kitamori developed his understanding of the Gospel under the idea of the “pain of God”. The “pain of God” means that God loves the object of his wrath by giving his only son to death on the cross for salvation. He used an analogy of the pain of God based on human pain taken from Japanese concept of “tsurasa.”
Second, Lutheran theology in Japan has served the ecumenical movement in Japan. Tokuzen and other scholars of the Luther Studies Institute have led ecumenical dialogue in Japan, including both Lutheran-Roman Catholic and Anglican-Lutheran relations. Ecumenism is really important, especially in a non-Christian context like Japan. For the Christian Church can hardly share the gospel of the one God and Lord if the Church of Christ itself is divided into factions that fight one other. It has been an extremely important, yet difficult question since the Meiji era when Christian mission work was officially allowed in Japan. So ecumenism is not driven merely by theological discussion for the purpose of agreement on doctrinal issues, but it is also a matter of agreement and cooperation among denominations for mission work in Japan and the witness of the united body of Christ to a divided world.

The perspective of Asia 1

―Confessional Lutheran Identity in Light of Changing Christian Demographics—The Perspective of Asia

Dr. Motoo ISHII

Introduction

The chapel of Japan Lutheran College, where we have worship service at noon every day, has a one-meter high and a two-meter long window, just to the left of the altar, showing a small garden. The building is designed in modern fashion and made of concrete, not bamboo nor wood. The small garden is also not a typical Japanese one, but it lends a sort of Japanese flavor, probably because it reminds us Japanese of a tea-ceremony house which uses such miniature gardens to give us a feeling of the seasons. In our chapel, the green color of the garden, which indicates God’s creation, is always in front of us, as we worship God our Lord. Christianity in Asia must see God and His work in our own context in which we are living.
What is “confessional Lutheran identity” in an Asian context? The theme given for this conference might be something we are not conscious of in our daily Christian lives, even in theological work in Asia, because it is more important to be Christian than to be Lutheran in the non-Christian context. At least, Lutheran identity is not formed by struggles and disputes with Roman Catholic or other denominations. The time has come for dialogue, not discord. So it is quite natural to form our identity as Lutherans by what we are doing as Christians in and through the Lutheran church in Japan.
In regard to the Lutheran church in Japan, it should be mentioned that there are four Lutheran church bodies; the Japan Evangelical Lutheran Church (JELC, related with ELCA) which started its mission in Japan in 1893, the Japan Lutheran Church (Nihon Ruteru Kyodan, [NRK], Missouri Synod related) which originated under the first LCMS missionary in 1948, the Kinki Evangelical Lutheran Church, and the West Japan Evangelical Lutheran Church (these two churches have a Norwegian background). The first two churches have good relation with each other concerning theological education and maintain the Japan Lutheran College and the Japan Lutheran Theological Seminary together, while the last two churches work together in the west part of Japan and have a seminary in Kobe. Each of these four churches has its own independent church organization and heritage inherited from its mother church and missionary society, which sent missionaries to Japan and supported these young churches. They are different from one other but need to cooperate in concrete ways in order to evangelize in Japan. For example, these four churches have cooperated in broadcasting the Lutheran Hour radio program, which the Missouri Synod has supported, published a Lutheran hymnal and order of worship, and provided joint education programs for clergy and lay people, etc. Such needs in the mission context have been met with concrete cooperation and have forged a new Lutheran identity in Japan. It is an ongoing process.
I would first like to describe what the Japanese church and its program of theological education have done so far, and then to comment at length on what it means to “do theology” in Japan. In this way, I will try to find an answer to the question, “What is our confessional Lutheran identity in Japan?”

2010-06-04

International Lutheran Council 4th World Seminary Conference




I am attending this conference, now. The theme of ths conference is "Confessional Lutheran Identity in Light of Changing Christian Demographics".

国際ルター派協議会の世界神学校会議が、フォートウェインのコンコーディア・セオロジカル・セミナリーにて6月3日―6日の日程で開催された。「キリスト教人口の世界地図の変化の中における、告白的ルター派のアイデンティティーについて」というテーマ。この協議会は、米国ルーテル教会ミズーリ・シノッドに関係する世界の諸教会の協議会。今回は、神学校の会議ということで、世界では珍しいことだが、ミズーリ系(LCMS)の日本ルーテル教団と米国福音ルーテル系(ELCA)の日本福音ルーテル教会の合同神学校という位置づけになる日本ルーテル神学校から、ブランキー氏、江本氏、石居の3人が参加した。世界23カ国から65人の神学校代表者、神学者が集まった会議だった。4日にブランキ氏が『ヨハネ福音書における「いのち」について』の発表。5日に石居が「アジアの視点から」で、テーマについての発題を行った。
 初めに、フィリップ・ジェンキンス氏(聖公会)の主題講演が行われた。今日のキリスト教人口の統計的な後付けを紹介しながら、キリスト教はもはや西欧の宗教とは言えず、むしろアフリカ・アジア・ラテンアメリカなど第三世界と呼ばれてきた国々にその主流が移っていることを説いた。グローバル・サウスとも呼ばれる今日の状況は、世界にキリスト者人口の半数をはるかに超える信仰者たちがアフリカやアジアなどのもっともキリスト教から遠いと考えられてきた「非キリスト教的世界・文化」のなかに存在するという新しい時代なのである。これは、人数的にそうだという数の問題だけではなく、その活動においてもアクティブに活躍し始めている様子が紹介された。しかも、そればかりか、欧米社会の教会そのものが変化していて、実際そうしたアフリカやアジア、ラテンアメリカの国々からの移民たちが欧米における教会の多くの割合を占めているのである。つまり、今や世界のキリスト教の地図は西欧中心ということではなくなっているのである。
 そうしたなかで、キリスト教そのものに変化が起きている。たとえば、ペンテコステ派が異文化の中にある宗教的なものと結びつきながら、大きな勢力となって欧米の教会の中にもその影響をもたらしていることなども現実である。キリスト教はかつてのキリスト教の姿とは確実に変わってきている。そこに見られるのは、保守的、あるいは原理主義的な傾向でもある。また、これまで異教的と言われてきた社会・文化に広がるキリスト教の中にはひそやかにその土着の宗教との習合が見られる場合もある。
 このような世界のキリスト教の現状の中で、ルーテル教会はそのアデンティティーをどのように堅持し、どのような役割を担うべきなのか。それがこの会議での主要なテーマであった。

2010-05-20

『死生観の誕生』

前回に続くが、もう一冊紹介したい。
日本人の死生観が、その歴史状況の中でどのように形成されて変遷をしてきたのか、文学作品などを手掛かりに大野順一氏の深い洞察によって明らかにされている。
                 死生観の誕生
戦国時代の武士の戦場での死は、もはや老いや病気などによるものではなく、「争い・殺し合う」という人間の歴史のなかの出来事となった、不自然な「死」であるにも関わらず、それ以前から死ぬことをいいならわしてきた「自然(じねん)のこと」をそのまま用い続けている。これは、もはや「自然(じねん)」の概念が崩壊していることを意味しているといえよう。戦国のヒストリカルな出来事が日本の伝統的なコスモロジカルな概念を打ち崩していく様子を知ることができた。また、この戦国の武士が戦場で「無名(アノニム)の死」を死んでいくこと、そして還るべき場所を失った「故郷喪失」の体験をしていることなどの分析は現代のありようを考える上でも、非常に示唆に富む研究と思う。

2010-05-15

『日本人の死生観』

今年度、これまでの授業の一つを少し衣替えをして「死生学」として木曜日の5時限目に開講している。すでに長くこの枠で公開講座としてきたもののバージョンアップと考えている。このクラスで用いたり、紹介する文献を紹介していきたい。初めにとりあげるのはこれである。


日本人の死生観〈下〉 (1977年) (岩波新書)
日本人の死生観に関する本は今や星の数ほど出版されているが、この岩波新書の二巻本はこの種の研究をする場合の必読書といえよう。
加藤周一とリフトン、ライシュ3人の共同研究の翻訳で、近代日本人6名のケーススタディでが基礎となっている。終章の考察は圧巻で、特に加藤氏の挙げる日本人の死生観についての五つの特徴は極めて示唆に富むものである。


日本人の死生観一連の特徴を簡単にまとめると次のとおりである。

第一に、家族、血縁共同体、あるいはムラ共同体は、その成員として生者と死者を含む。

第二に、共同体の中で「よい死に方をする」ことは重要である。

第三に、死の哲学的イメージは、「宇宙」の中へ入って行き、そこにしばらくとどまり、次第に溶けながら消えてゆくことである。

第四に、「宇宙」へ入ってゆく死のイメージは、個人差を排除する。

第五に、一般に日本人の死に対する態度は、感情的には「宇宙」の秩序の、知的には自然の秩序の、あきらめを持っての受け入れということになる。



私自身は死生観をめぐる日本人の宗教性(霊性)には「共同体指向型の霊性」と「自然志向型の霊性」があると考えているが、加藤先生の挙げる前半二つは前者に、他の三つが後者に関連しているとみている。
この研究は直接に現代の日本社会の「死」をめぐる問題を浮き彫りにするということではない。むしろ、近代の日本人を取り上げたということで、現代日本の中から失われつつあるようにさえ見られうる日本人の伝統的な死生観を近代という文脈の中において確認するものといえるかもしれない。そして、そうした「伝統的」なものは、現代でもある種の影響力をもっているように思われる。この研究から学ぶものは多い。一読されたい。

2010-03-14

「日本の近代化とプロテスタンティズム」


この週末は、京都で研究会に出席しました。テーマは「日本の近代化とプロテスタンティズム」。日文研での共同研究である。文学・思想・文化・神学など様々な分野の専門家による学際的研究プロジェクトとなっている。
何をテーマとしようか、いろいろ考えたが、明治から大正期にかけての日本の近代化のなかで、キリスト者たちはどのような主体形成を行ってきていたのかということを考えてみたいと考えている。高倉徳太郎の「自我問題」を取り上げようかと考えているが、はたしてうまくいくかどうか。
その中でいわゆる「武士道的キリスト教」と評される明治の初代クリスチャンの性格がどのように位置づけられるのかを考えたい。夏までの時間で、すこしまとまった形の研究に仕上げたい。

研究会では、「近代」とはそもそも何かという根本的な問いをさらに深めることと、「武士道」とはそもそもなにかという本質的なキータームにある程度の共通理解をもとめる気持も表わされた。今後の研究の歩みをフォローしていきたい。

2010-03-11

「老いと死を生きる」


大学のチャペル裏にあるサクランボのなる桜は、一足早く満開。

昨日は、FEBCの録音で久しぶりにスタジオ入り。特別番組の「今日を問う」シリーズ「老いと死を生きる」のなかの一つを担当させていただいた。
自分が牧師として与えられた経験と「キリスト教死生学」の学びを通して、改めて受け取っていく神様のみことば、恵みを分かち合ウことができればと願っている。
誰もが迎える死、そしてそれに向かう老いの重荷。それでも、神様の恵みをいつでも新たにいただく「時」となりうる。すべては主にゆだねて、与えられたこの時を復活の希望を胸に歩むことができたなら・・・と祈りつつ収録。いつものように、代表であり、パーソナリティー役の吉崎恵子さんにお相手をしていただき、自然な形でお話しをしながら神様の働きを見出させていただいた。感謝。

番組については 以下のURLで確認いただける。
http://aging.febcjp.com/

2010-03-08

教職授任按手式


昨夕、日本福音ルーテル教会の教職按手礼拝が東京教会で行われた。今年は高村敏浩氏一人が按手を受け、牧師として新しい召しを受けた。赴任地は日本福音ルーテル岡山教会・松江教会・高松教会。三つの教会を兼任することになる。
牧師もまた一人の信徒であるし、また信徒は皆ひとしく宣教に召されているわけだけれど、それぞれの置かれている場所において、牧師はその教会の群れを整え、共に主のみことばに生かされていくように特別に仕えるものとされる。それはやはり特別なこと。教会の祈りが実り、日本福音ルーテルの331人目の牧師が生まれた。
北海道から九州まで、多くの教会の牧師信徒が集まり、アメリカからの彼の恩師も駆けつけた。感動的な按手式だった。
彼への按手を通して、集うもの一人ひとりに、牧師が生まれること、牧師を与えられること、牧師となること、牧師を支えることなどについて思いを深め、また祈りを分かち合えたことを信じている。

2010-03-04

「見える一致」をめざして


この柊南天は、市ヶ谷センターの建物わきにさいていた。

昨日は、聖公会とのエキュメニズム委員会が市ヶ谷センターで開かれた。2008年度に国際レベルでのアングリカンとルーサランの対話の成果(ポルヴォー宣言とCCM)が日本語に翻訳されて、出版記念の意味もあって両教会の合同礼拝をしたことでこの交わりがさらに深まってきている印象だ。集まっている委員もそれぞれが敬意を持ちつつ、この交わりから何か新しい宣教の展開が生まれるように願いつつ真剣に、しかし楽しく会議を持っている。
エキュメニズムは、教派をこえて一つのキリストの教会としての交わりができることを目指しているが、とりわけ重要なのは目に「見える一致」の一つの具体化である、聖餐の交わりを共に出来るということである。今の日本福音ルーテル教会と日本聖公会との間では、洗礼の相互承認は協約も結ばれているのだが、聖餐の完全な交わりには至ってはいない。「完全な交わり」という意味は、それぞれの教会で執行される聖餐の礼典を福音に基づき、真の教会において行われる礼典として認めることを意味している。
この交わりの実現において、一番大きな問題はルーテル教会で執行される聖餐の礼典の執行者の問題だといえよう。聖公会では、カトリックと同じように歴史的なエピスコペート(監督職)のもとにあって按手を受けたものがキリストの代理として、この地上の司祭として、礼典を執行するものと認められる。つまり、ルーテル教会、特に北欧系のように古いビショップの伝統がない場合には、そこで牧師職にあるといっても、歴史的な監督のもとにあると認められなければその礼典は有効とは考えられないことになる。その問題について、つまり監督の職務ということについての理解のあり方について議論が重ねられてきたのが国際レベルでの両教会の対話での大きな成果であったといってもよい。
今の日本での二つの教会は、正式にこのエピスコペについての議論に入っているわけではない。しかし、いずれにしても、実践的に両教会の交わりを地域の教会レベルで実現させながら、日本の宣教のために協力し合う関係をつくっていくことを願っている。この新しい対話と交わりの構築が日本の他の教派、あるいは世界のエキュメニズムの交わりに資するものとなるように一つ一つを実らせていきたい。

2010-03-01

神学校の夕べ

昨日、2月28日日曜日の午後4時から日本福音ルーテル教会を会場にして「神学校の夕べ」の礼拝と祝会がおおなわれた。日本ルーテル神学校の卒業生を送るための毎年恒例の行事だが、今年の卒業生は一人。高村敏浩氏。アメリカで神学的訓練を踏まえたうえで、日本の神学校で三年間の研鑽を加えての卒業。式は3月の5日で、翌3月7日に按手を受け、4月には岡山へ牧師として赴任する。良い素質をもった卒業生を送り出すことができることは神学校としてもうれしいことだ。来年は3人の神学生の卒業が予定されている。宣教が厳しい時代の中だからこそ、こうして卒業生を出し続けることができることは何よりも喜ばしい。


しかし、この機会に改めて思う。
神学校は、教会の宣教・牧会現場にある牧師との新しい協力と教育体制、ならびに他の神学校との強い協力関係のなかで集中した神学訓練を実現するシステムを構築する必要があると思う。神学校は百年の歴史を刻み、それこそ私塾のように宣教師館の一室から始まり、専門学校となり、また大学となって大きい成長を遂げたといってよいだろう。けれども、学校経営そのものが困難な状況の中で、現在の体制内での神学校のあり方を今一度考える必要に迫られている。教会も豊富に人材を生み出していく状況にはない。神学教育に専従するスタッフをどのように計画的に養成できるだろうか。現在の学校制度の枠組みにとらえられていくと膨大な資源(お金も時間も人も)を本来の神学教育・牧師養成以外のところに失っていくことになりかねないのだ。
たとえ現在の状況を維持するとしても、10年後の大学と神学校の姿がしっかりと描けるかどうか。神学教育・牧師養成が日本の教会の宣教の展開の一つの要と理解するなら、一刻も早く手を打たねばならないのではないか。

2010-02-20

「中高年と再生」

今週、15-18日の4日間、ルーテル学院大学・神学校では教職神学セミナーが開かれた。。
テーマは「中高年と再生―人生の危機と信仰の歩み」。
やや硬い感じのタイトル。しかし、このセミナーで改めて「団塊の世代」についての実際を教えられ、また自分の世代との比べつつ、あの世代がいまの時代に大量に引退時期を迎えているという現実について考えさせられている。
あの「団塊の世代」は、自分の世代のちょうど一回り上になる。だから、いろいろな意味で自分たちがぎりぎりあの世代の影響を受けてきたといえるかもしれない。中学になったころにあの浅間山荘事件の連日の報道にくぎ付けになった自分は、大学生になってもうすっかりと時代は変わってしまっていたにも拘らず、学生運動の残り火のようなものを味わい、当時学生たちとしのぎを削った経験を話してくれる教授たちから、いい意味でも悪い意味でも『「学生運動」の後』を教えられてきた。社会の問題に鋭くきりこむイデオロギーの崩壊後の、自分たちの世代が90年代前半のあの「オーム真理教」をはじめとする新しい宗教を求めた中心的世代である。時代はポスト・オームとなって、宗教という衣を嫌い、スピリチュアリティーを求めるようになったわけだから、この世代間の相違はそれなりに興味深い。
しかし、江口氏は「団塊の世代」を生きた一証人として、自分たちがあの時に立ち向かっていた問題は、実は社会の問題ではなくて、今につながる時代の生み出してきていた内面的な「空虚さ」の問題だったと述懐された。これは、なかなかに深い考察だ。あの「団塊世代」との断絶の中で、自らを感じてきた世代としては、突然に親近感を覚えてくる。ならばと振り返るとき、ある種の憧れのような感覚と批判的な視点をもって見てきたあの世代に対する遅れ・・のようなものは、何のことはない逆に早すぎた彼らの世代の問題とも見えてくる。
さて、そうであれば、同じ時代を生きている我々が「中高年」という人生の節目に、どんな「ことば」をキータームとして神の言葉を聞き取るものなのだろうかと、改めて問い直したいのだ。

2010-02-11

書評「人物でたどる礼拝の歴史」

「本のひろば」に掲載の紹介文

人物でたどる礼拝の歴史


礼拝学関連の出版が続き、近年その研究の充実ぶりには目を見張るものがあるが、そうした各種の研究書の中で、本書は、おそらく最も読みやすい礼拝学のイントロダクションにあたると言ってもよいだろう。現在に至るキリスト教二千年の歩みの中、欠かすことなく守られてきた主の礼拝が、どのような歴史的な変遷をたどってきたのか。礼拝の歴史に深く関与した人物に着目しつつ、礼拝の神学と実践の宝庫としての歴史に近づく一冊である。季刊誌『礼拝と音楽』に7年間にわたって連載されてきたものを中心に纏められたものであるだけに、とりあげられたトピックや人物のみならず、執筆陣の充実ぶりも壮観な印象である。
新たに書き下ろされた二項目を加えた全二十六項目は礼拝史のなかの全てのトピックを網羅するとは言えないのかもしれないが、使徒教父の時代から現代までの広がりの中で重要な項目が十分押さえられている。一つひとつの項目は、コンパクトではあっても、洗練され、凝縮された叙述なのは連載の故だが、執筆者の苦労と同時にその力量を思わせる。それぞれに深いかかわりをもった人物を初めに紹介する手法は、その時代、ことにもそこに生きる信仰者の姿を浮き彫りにしてくれる。「まえがき」にもあるように、礼拝はどんな時も個人のものではないけれども、まさにそこに生きる人々、「共同体の業」(レイトゥルギア)であればこそ、その時とところに生きた具体的な人物が感じられるところで、その共同体の姿も生き生きとして見えてくる。礼拝の神学の展開や実践的発展を歴史的に視るというよりも、その一つの時代に何が求められ、信仰者がどのように礼拝によって生かされていったのか、その時代と場所に焦点が絞りこまれていくことで、礼拝の豊かさを再度確認させられる叙述である。
読者は、読みやすく興味のあるところから自由に読み始めることができるだろう。しかし、読み始めたなら、必ずや他の項目にも目を注ぎたくなる。ローマ・カトリック、聖公会、ルター派、改革・長老派、メソジスト、バプテスト、あるいはピューリタンや敬虔主義の礼拝。今日の多様な教派にかかわる礼拝の源泉をそれぞれに見出すばかりではなく、その源泉が二千年の教会の歴史の中に改めて位置づけられることで、一つの教派的伝統がより大きなキリスト教会全体の伝統の豊かさとなることを思わされる。
日本についても、キリシタン時代やプロテスタント宣教初期の礼拝の様子を紹介していることは見逃せない。特に、日本最初のプロテスタント教会の礼拝が鎖国時代の17世紀にさかのぼるというくだりは、新しい研究の成果でもあり、宣教百五十年を祝ったばかりの読者には胸躍るものがある。
また、西方の伝統ばかりではなく、日本ではあまり一般に知られてこなかった東方正教会の礼拝伝統についても垣間見ることができたことも特筆すべきことだろう。近年ビザンティンの伝統が紹介されているところだけに、同じキリストの教会としての具体的な交わりと相互の理解がより進むように願うところである。読者には、この異なる伝統の具体的なイメージが伝わりきるものではないかもしれないが、その深い敬虔に改めて興味をそそられることになる。
リタージカルムーブメントやエキュメニカルなリマ式文、あるいはヒム・エクスプロージョンなども取り上げられて、現代の礼拝につながっている大きな潮流見ることも出来る。近年のアジア・アフリカ・ラテンアメリカなどのコンテキストから起こっている賛美や礼拝、新しい神学と実践の動きについては、もう少し時間を置いてから紹介されるということになろうか。
いずれにせよ、本書によって、礼拝に招かれ、礼拝から派遣されるダイナミズムの中にこそ、私たちの信仰の生があることを今一度教えられるのである。

2010-02-09

「いのち学序説」の計画

2010年度にキリスト教学科は「いのち学」という枠組みをつくって、神学の各分野から「いのち」の問題を深くとらえ、研究して行こうという取り組みを準備している。これは、神学が教会のために教会の信仰内容を説明するということだけではなく、現代の課題に神学が正面から向き合っていくことと、その成果を世界に問いかけ、また投げかけいこうとするものである。

現在、準備に取り掛かっている2010年度の新しい授業。
次のようなシラバスを用意している。

シラバス
「いのち学序説」 


【履修の条件】
特にないが、クラスでのディスカッションに積極的に参加する者に限る。

【内  容】
現代社会における「死といのち」の諸問題を見すえ、キリスト教の視座からこれに取り組んでいくことをともに学んでいく。授業は、講義とクラスのディスカッションによって進められる。
1.イントロダクション・いのち学
2.いのちのはじまり
3.いのちの喜び
4.労苦と苦難
5.病と障がいを負って
6.科学・医療といのち
7.他者とともに生きる
8.求められる和解
9.いのちは誰のものか
10.死と魂
11.死後の世界
12.自然の中にあって
13.いのちと宗教
14.まとめ

【評価】
クラスでの発表・発言、提出物と前期末の試験、もしくはレポートによる。

【テキスト】
テキストは特にない。
参考書は、その都度クラスで紹介するが、森岡正博『生命学をひらく』、東京大学出版会の『死生学』シリーズなど。

2010-01-17

Ministry

昨年の春、キリスト新聞社から創刊された新しい注目の雑誌。

Ministry(ミニストリー 2010年 01月号 [雑誌]

1月号を読んだ。牧師を応援する実践神学分野の雑誌。今月号の特集「『説教力』をみがく」。
編集主幹のひとり平野克己氏がこの特集をまとめられている。
神学校で説教学を教えられいる諸氏の一言は奥が深い。短い文章のなかに、説教者への心得が要領よくまとめられている。実際の牧師たちの一週間の説教への取り組みのドキュメンタリー風のレポートには若い牧師たちも励まされるだろう。なによりも、平野氏による説教の「赤ペン先生」は必見。氏の説教についての深い理解からなされる的確な指示は、説教作りに多くのヒントを与えてくれるばかりでなく、説教を語るということを改めて課題として受け止めさせてくれる。

昨年の10月雑誌の編集会議にも出させていただいたが、私と同世代の牧師たちが、日本中の牧師と教会を元気にしたいという熱いパッションで作っている。素直に、うれしい心になった。教派をこえて、この雑誌が日本のキリスト教界にあたらしい風をもたらすに違いないと感じた。