08年度に直木賞を受賞した天童荒太氏の『悼む人』に続く作品。悼む人、坂築静人の綴る日記スタイルで紡ぎだされる。天童氏自身が、静人として悼みの旅を続けた7年間に記された日記の一部が小説として整えられたものだと思う。
人が亡くなるというそのはかなさとせつなさに心を重ねる。不条理なものであればあるほど、その人のいのちが確かに生きられたことを大切に抱きしめていく。見も知らぬ人のいのちにどうして寄り添うことができるのかと思うが、それでも天童氏が静人としてその一日一日を生きてこられたことの、一つの証として読ませていただくこととなった。もちろん、小説家としてではあるけれども。しかし、小説というものは、決して単なる作りごとではなく、むしろかえって私たちの真実をうきぼりにするものであることを思えば、この静人としての旅がどれほどのものか想像に難くない。
先日、雑誌「Ministry」の企画で、天童氏と対談させていただいた。
http://www.luther.ac.jp/news/100901_01/index.html
対談は10月に発売される誌上に掲載される。その中で、天童氏は小説を書くという賜物(Gift)をもらっている自分が、書くことで、自分になすべきことがあると言われた。それが自分が小説家として生かされていることの意味としても受け取っておられるようだった。ぎりぎり、フィクションをもって、何を語るか。今を生きる人々に生きることをもっと支えたい、そのために、なにを語るべきかと静人としての旅を続けられてきた彼は、またひとつ、人間の生きるということの深いふかい問いかけに出会っておられる様子だった。苦しみとか絶望の淵、弱さそのものの中で、私たちは生きることのなかでの大切なものを知るように思えると。だからこそ、語りたいと。ただ、もう一方で、これもまた素直に、謙遜に自分などは何か出来るとおもえばそれはもう傲慢なのだともいわれる。天童氏の自然な姿勢に感銘を新たにした。
雑誌については、以下で知ることができます
http://www.ministry.co.jp/
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