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2021-10-28

ルター研究所 クリスマス講演会 「マグニフィカート」 

 ルター研究所の講演会企画のご案内。

例年秋に行ってきたルター研究所主催の講演会。

今年は 12月12日日曜日の午後1時から、オンラインでの開催を企画している。

内容は、ルターの「マグニフィカート」。ルターによって書き上げられたのが、1521年だったから、今年はちょうど。その500年の記念の年ということになる。

宗教改革500年を記念し、ルーテル教会とローマ・カトリック教会とはエキュメニカルな交わりと協働を一歩も二歩も踏み出したといって良いだろう。しかし、マリアについてのカトリック教会伝統の敬虔は、ルーテル教会にはなかなか受け止めにくい性格を持っている。実際、こうしたマリア信仰に象徴されるカトリック神学の構造こそ、ルターはじめ16世紀以後の改革者によって最もクリティカルに論じられたテーマそのものだ。ルターがいわゆる宗教改革的三代著作「キリスト者の自由」「教会のバビロン捕囚」そして「ドイツキリスト者貴族にあてて」を著したのが1520年。その1520年から執筆を始め、翌年、あの有名なウォルムスの国会を挟んであのワルとブルク城で仕上げたのが、この「マグニフィカート」。そこには、マリアの賛歌を丁寧に講解するルターの信仰が極めてよく表されている。




 ルターはマリア、特にこの「賛歌」をうたうマリアには深い慰めと力を受け取ったことと思われる。ただキリストによる救いのみに信頼を置き、本来のキリストの福音が揺らいで見えた当時の神学と教会的慣習に疑問を持って改革を呼びかけたルターであったが、当時の宗教的な権威からもまた世俗の権力からも否定され、自身の破門と帝国追放という厳しい状況の中で命の危険にさらされ、最も弱い者の一人として貶められていた。その窮状の只中で、ルターはマリアの信仰に深く自らを重ねていったことだろう。キリストを身籠るという思いもよらぬ出来事に、受け取らねばならなかったあらゆる非難と陵辱を覚悟し、命の危険にさらされることを覚悟しつつ、ただ、神の御心がこの身になりますようにと身籠った命を受け取ったこと。しかも、神の大いなる御業への信頼を歌うこの賛歌にルターが何を受け取っていったかが想像される。

しかし、そうであればこそ、改めて、「マリアとは誰であったか。いや誰であるのか」と問いかけつつ、そこに生きられるいのちの喜びと悲しみ、その叫びまた希望を賛歌として記録した聖書の世界を今一度深く問い返すべきなのかと思う。今だからこそ、私たち自身が「マグニフィカート」に聞く意味を深めたい。

限られた時間の中で、どのように深めることができるかわからないが、ぜひ、お聞きいただければと思う。

ルター研所長の江口再起氏による基調講演「待つということー現代世界とマリア」をお願いし、そのあと加藤拓未氏によるバッハの「マグニフィカート」紹介を挟んで、シンポジウムを行う。シンポジストは滝田浩之氏(「マグニフィカート紹介」)、多田哲氏(「ルターとマリア」)そして安田真由子氏(「聖書・女性・マリア」)を迎える。司会は私、石居基夫。


オンラインはzoomのウェビナーによる実施となるので、改めてURLなどはお知らせしたい。

乞うご期待


2017-06-08

ルターとバッハ オルガンコンサート

 今年は、ルター宗教改革500年ということで、もろもろの行事が行われる。わけても、ルター宗教改革がもたらした文化・芸術の分野での企画は数は多くないが関心は高い。先だって東京と大阪の会場で行われたルーカス・クラナッハの「500年目の誘惑」も多いに関心を集めた。クラナッハがルターと同時代人というばかりではなく、ルターの友人として沢山の肖像画を描いていることはあまり知られていなかったかも知れないが、宗教改革の時代とその時代的・文化的背景や影響に触れることのできるものだ。もう一人、画家であり、多くの木版画で知られるアルブレヒト・デューラーもルターから多くを学び、福音を伝える聖画を残している。
 クラナッハやデューラーはルターと直接の親交があった芸術家たちだが、時代がくだってルターとは直接の面識はないが、それでもルターの著作に多くの学びを得た芸術家のひとりが、音楽家ヨハン・セバスチャン・バッハである。



 バッハといえば「音楽の父」とさえ呼ばれ、18世紀に最も活躍した音楽家のひとりでバロック音楽の巨匠だ。このバッハは、ドイツ、ライプツィッヒの聖トマス教会カントールであると知られているが、もちろんルター派の教会で幼い頃からルーテル教会の中で育ったのだ。ルターは教会の改革を神学的な側面で推し進めたばかりでなく、具体的な教会生活、わけても礼拝を大きく改革したのだが、会衆が礼拝そのものにおいて共にみことばに生かされていくように、会衆賛美歌を導入したことはよく知られている。いわゆるコラールと呼ばれるものだ。それまで、特別な訓練を受けた修道士、聖歌隊が礼拝での賛美を担当していたのだが、ルターは会衆こそがこの賛美歌を歌うことで、みことばを受け、共にそれを口にして礼拝から派遣されていくようにと、会衆歌としての讃美歌コラールを礼拝のなかに位置づけた。自ら作詞作曲もしているが、当時の民衆のなかで親しまれていた流行歌のようなメロディーにのせて神の福音を歌詞に歌うものが沢山つくられるようになった。それが、会衆の歌う賛美歌のはじまりだ。
 このコラールによって育ったルーテル教会育ちのバッハは、自らまた沢山のコラール編曲、作曲を行った。そして、彼は音楽家としてルターの福音理解に立って、それを音楽によって皆で神の恵みに生かされていくように作品をつくり続けたといってよいだろう。ルターの著作集を書斎においていたバッハは、折りに触れてルターと対話しつつ、神の深い恵みを音楽のなかに求め表している。その表現力に圧倒される。

 さて、そのバッハの音楽に触れる機会の一つとして、ルーテル学院は特別のオルガンコンサートを企画している。昨年、チャペルに与えられたパイプオルガンについての感謝とそのお披露目の意味も込めながら、企画している。
詳しいことは、下線の引いてある下のタイトルをクリック。曲名なども紹介している。申し込み方法も、ここで確認。

 宗教改革500年「ルターとバッハ オルガンコンサート」

ルーテル学院のオルガニスト湯口依子先生によるコンサートだ。
先着200名さまの要予約。

追加:素晴らしいコンサートでした。湯口先生に感謝。
   コンサートは二部構成で、前半はルターのコラール。後半はルターの教理問答に基
   づく選曲でした。

今回、短〜く、「ルターとバッハ」についてお話する機会を与えられて,少し整理しながら調べていくと、やはりオルガン芸術そのものがルター宗教改革によって生まれてきたということがよくわかった。
 会衆が教会に集い、賛美を歌う。このコラールの誕生が以後の教会音楽、そしえオルガン芸術に決定的な影響をあたえたのだ。つまり、会衆の賛美が当然となれば、これを支える伴奏を行うオルガンが必要とされたということだ。宗教改革から百年くらいかかって、次第にこうした会衆の歌うコラールとその賛美を支えるオルガンという対応がしっかりと位置付いてくる。シュッツ、シャイン、シャイトらが1600年代のオルガン芸術をコラールをもとに確立させてくる。そして、また会堂全体に響きわたり、会堂がが丸ごと楽器になるようなオルガンが作られるようになる。アルプ・シュニットガーらオルガンビルダーが登場する。そして、このオルガンが用いられて、礼拝のために賛美歌を支えるということと同時に、その賛美歌をアレンジして礼拝の前奏曲や後奏曲が作られたのである。
 やがて、パッヘルベル、ベーム、そいてブクステフーデらの世代が出てくることとなったのだ。このブクステフーデこそ、バッハの師といってよいだろう。
 ルターが宗教改革を行い、礼拝改革を行って、会衆みんなで歌うコラールを作らなければ、こんなに素晴らしいオルガンの楽曲もパイプオルガンさえも発達しなかった、ということようだ。