2020-08-03

「戦争体験者の上映と対話」に参加して

8月になって最初の日に、お誘いを受けて、長津田のみどりアートパークホールで、戦争体験の語り部から話を聞く機会を得た。一つは中国残留孤児の体験、もう一つはヒロシマの被爆体験だ。当時の写真や本人の体験をもとに描かれた絵などがスライド形式で映される中で聞くと、時代背景も身近に感じることができ、話も聞きやすいものだった。ヒロシマ体験の語り部の方は、残念ながら体調もあり、90歳を超える年齢をおしての参加は見合わされた。直接会場でお会いすることはできなかったけれども、映像に合わせたお話は十分にメッセージとして伝わってきた。

もちろん、それぞれのご苦労は、短い時間にとても語り尽くされるものではない。それでも、是非ともそれぞれに伝えたいという思いでお話しくださったことだ。一方で、聞く側の私たちには、ある意味で今や多くの一般的な情報が既に与えられているだけに、直接にお聞きする機会だからこその何かを期待する思いもあったように思う。
それぞれの思いが合わさりながら、与えられたこの機会は、ただこの時だけのかけがえのない場として成立したように、私には思われた。語られた内容はもちろんだが、むしろ、この場に自分がいたというその立場から、印象に残ったことを記録しておきたい。

まず一つは、語り継ぐことに、私たち自身が確かに招かれたという思いを抱かされたことだ。このヒロシマ体験の語り部の方は、記したようにおいでになれなかったのだが、ご本人と共に活動してきたサポーターの方がご本人に代わって多くの質問にお応えくださった。おそらく、ご本人とは親子以上の歳の差があろうけれど、ここ数年、イベントなどを共にされ、身近にいつも接してこられてきたことでヒロシマの被爆の様子だけでなく、ご本人のヒロシマ体験以前・以後の人生の歩みについても、よく知っておられた。そして、この代理を努めた方はもともと平和教育への深い関心から、ヒロシマ、ナガサキの出来事の学びや語り部の方々との交流があったことも力強いメッセージになった。期せずして、この方が代理としての働いてくださったおかげで、次第に語り部の方たちを失っていく「これから」においても、私たちはこの語り継ぐ働きにどのように連なるものとなりうるかということを学ぶことができたように思うのだ。
会場にも平和教育に携わっている小学校教員も複数参加していたこと(おそらく、こうしたことはよくあることのようだった)で、その会場とのやりとりにも自然と、今の私たちが何をできるのか、どう次の世代に伝えていくのかという課題を意識させるものとなったように思う。実際、ヒントを求める発言もあり、集まった人たちの中には、この機会に連絡を取り合うようにして話が広がっていくような気配も見ることができた。こうした企画が密かに期待する「これから」へのネットワーク、繋がりが結ばれているようにも思えた。そうして、私たちは、今、それぞれに、何かを受け取ったものとして、「これから」への使命の一端を担うことへと招かれたように思うのだ。

もうひとつ、語られることばやストーリーの裏側に秘められた「問題」をどのようにことばにしていくのかという大きな試みの中に、私たち自身が立たされているという思いだった。この戦争体験の分かち合いには、ただその「時」のことだけでなく、その前後の人生そのものが伝わるような話が語られて、当時の日常のなかにあった慎ましい幸せ、そして夢や希望と現実の苦労が見えてきていた。それだからこそ、戦争がもたらす深い痛みは浮き彫りにされる。そういう語り方がなされるようになっていたと思う。けれど、そこから先に私たちが、踏み込んでいく痛みを、どうやって初対面の私たちが共有してことばにしていくのか、その問題に突き当たっていると思われたのだ。一つは、中国残留孤児として生きてこられた苦労、悲しみの体験とそれでもそこで養い育ててくれた養父母があったことへの感謝の思いが語られていたが、なぜ、その中国を後にして日本に家族を連れて帰ってきたのか、その帰国後の苦労も含めて、本当は丁寧にお聞きしなければならない問題がそこにあったはず。質問もそのことに向けられたが、いろいろな意味で聞きたいこととお答えいただくこととの間には距離があった。信頼がなければ、ことばは共有できないし、また愛がなければ決してことばは生まれてこない。現実を生きてこられたお一人の、あるいはその家族の痛みや苦しみ、希望や夢をどうして興味本位のようにして問うことことができるだろう。どうして、語ることが可能だろうか。ヒロシマ体験後、結婚という形を取らずにも男性との間に3人お子どもを生み育ててきたそのことについて、「籍を入れられなかった」ままであったことを問うことも、同じように、その選び取らざるを得なかった一人の人生をことばにすることの痛みにどのように自ら向かい合うのかということがなくて、どうしてその事実だけが確認される必要があるのだろうか。それでも勇気を持って語っていかなければ、何も伝わらないと、かなり踏み込んでの証言が紡ぎ出されている。しかし、その集まりには本当に様々な背景の中でそこに居合わせている人たちがあって、短いやりとりでは、どうしても問う川にも問われる側にも、思いを分かち合いきれない中途半端さが残ってしまう。いきおい、ぞんざいなやりとりしか成立しない。それでは、ことばにする意味がないし、ことばになっていかないのだ。語られるストーリーの裏にまだ隠された痛み、生きる現実社会の歪みや闇は語り出されない中に眠っている。それをことばにすることを私たち皆がどう作り出していくのか。そのことばによって何に向かい合おうというのか。そういう問いとの出会いを、こうした集まりの只中にあって経験しているのだと、感じられたのだった。

新しいICT社会。情報はただ受け取るばかりではなく、誰でもが発信できるし、やりとりもできる時代だ。けれど、私たちはことばによって、どのようにつながるのだろう。何をするのだろう。容易に意見を表明することもできれば、批判することもできる。けれど、私たちが持つことばは、本当は人と人とを結び付けるもののはずなのだ。愛と信頼を生み出すこと、そのために語りあい、話し合う対話こそが人間を人間たらしめる。投げ出したまま、吐き出したままになることばが人を傷つけ、苦しめ、いのちさえ奪いかねないようなことが多い中、改めて「対話」を生み出していく大切さを思わされる企画であったと思う。
(Sさんの司会が、会場をしっかりとリードしていくなあと、安心できました。そういう対話のファシリテートはだいじですね。)

COVID19ウィルス禍で、様々な困難がる中、講演をお引き受けくださったことも企画する方々にも多くの困難があったことだろう。それでも、あえてこの時を逃してはいけないと企画をしてくださったことに敬意と感謝を伝えたい。企画にオカリナ演奏で空気を和らげてくださったお二人にも、感謝申し上げたい。

今年の8月は、有意義なスタートだった、、、と思う。