2024-04-13

2024年度 ルーテル学院 入学式メッセージ

 2024年4月2日 ルーテル学院大学・大学院、日本ルーテル神学校の入学式が行われた。



2025年度以降の学生募集停止を決定したため、これが大学・大学院と神学校の合同で行われる最後の入学式となった。

その入学式でのメッセージは、マルコ福音書16章6・7節。

若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」


説教題:「新しい始まり」

新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。ご家族・保護者の皆様にもお祝いを申し上げたい。

先日の説明会にもおいでいただいたことでしょう。先週、3月の終わりには、大学の重大な決定の突然の公表、お知らせもあって驚かれたことと思います。

それでも、皆さんには、この大学での学び、研究に、気持ちを新たにして、今日ここにおいでくださったことと思います。教職員一同、皆さんをお迎えできたことを、嬉しく思います。

 

この大学のニュースがHPで公表されたあと、SNS上ではさまざまに反響がありました。卒業生たちは、みな驚きと寂しさを隠さない。母校が無くなるのかと嘆きの声が届きます。そして、その卒業生たちの口にのぼってくるのは、いろいろなこの学舎での思い出でもありました。それは、卒業生一人ひとりの中にあるルーテル学院の存在感だと言って良いと思います。福祉施設で責任を負っていらっしゃる方たちがあり、病院や学校で心理職として働く人たちもいます。会社勤めで頑張っている方がおられる。カウンセリング業をされている方もある。研究職についている方もあるし、中には写真や演劇など芸術分野に進んでいる人もある。子育て真っ最中の人、親を看取り、自分もそろそろ老後に備えるという方。多くの卒業生たちが、ルーテルの日々を懐かしく心において、自分自身を振り返って、母校がなくなるのは寂しいと口々に声をあげている。

 

このキャンパスで教員との学び、実習先で入所者やクライエントさんと出会い、友人と過ごし、サークルを立ち上げ、ボランティアに出かけ、学園祭で盛り上がり、一緒に食べて飲んで語り合った日々が、それぞれの人生の歩みの原点となっているのがよくわかる。「ああ、うちの大学は、一人ひとりの人生の原点となるような経験をしていただけた大学、愛された大学なのだ」と改めて思いました。

私自身も40年ほど前に学んだ卒業生ですが、一学年30名、全学で120名に満たないほどでしたが、学生が皆で大学生活を作り上げていったような日々でした。

 

それでは、このルーテル学院の原点は何か。そこにはルーテル教会の宣教、ミッションがあると改めて思う。

本学は1909年、九州熊本の地でルーテル教会の牧師養成の神学校として始まった学校です。しかし、神学校が大学になったということは一つの側面に過ぎません。教会は、この神学校を作る7年前、1902年には佐賀県で最初の幼稚園をつくります。これは九州全体でたった4つしか幼稚園がなかった時代です。幼児教育が認識され始めるようになり、その後、小城、久留米、博多、箱崎と各地で幼稚園を建てていきます。また神学校の設立の2年後の1911年に九州学院を、そして1926年には九州女学院、今の九州ルーテルを設立する。教育事業を展開していきました。

そして同じ1920年代、これら教育事業とともにルーテル教会は熊本に慈愛園という社会福祉施設をつくりました。貧困の中に置き去りにされていく子どもたちや女性、高齢者のため、障がいを持つ人たちの施設も含め複合型の社会福祉施設を作っていく。関東大震災直後は、東京でも老人ホームと母子施設を作っていく。

ですから、ルーテル教会の日本での宣教は、ただ教会を建ててキリスト教を伝え信徒を増やすということではなかった。むしろ、社会において、すべての人が与えられたいのち、それぞれの人生を、喜びを持って生きることができるように神の恵みを分かち合うことを考えたわけです。そして具体的な困難な状況の中にある人々に、教育と福祉によってその必要ニーズに応えていく、社会を築いていくことを使命、ミッションとしてきた。

これが私たちルーテル学院の原点ですね。だから、今日、対人援助という専門においてこの大学の教育・研究を実現してきた。

 

でも、もう一歩進めて、このルーテルのミッション、使命はつまり宗教改革者マルティン・ルターの信仰に根ざすところにあると確認しておきたいのです。それは、聖書に証しされているイエス・キリストのいのちに生かされていくところにある。イエスは、聖書の時代、社会の中で貧しくされた大勢の人々、重い皮膚病を患う人、精神を病む人、女性、こども、死に直面する一人ひとりと出会い、寄り添い、神の恵みを共に生きるように働かれた。その人たちの生きる苦しさ、悲しみ、痛みは、今と同じように、本来共に生きるはずの人間社会の問題だったでしょう。だから、その社会そのものを問うようにイエスは宣教をしたわけです。そして、そのことのゆえに、当時の宗教的政治的権力によって十字架にかけられ命を奪われていったのです。

けれど、そのイエスの働き、問いかけにこそ真実があり、救いがある。このイエスの働き・いのちこそが希望なのだという告白が、キリスト信仰となっていったのです。

 

お読みいただいた聖書箇所は、マルコという人が書いたイエスの宣教の記録の最後のところです。イエスの復活の朝の出来事が記されている箇所。ちょうどおとといがイースター、イエスの復活を祝う礼拝が世界中の教会で守られ、多くの教会でこの聖書箇所が読まれたと思う。

イエスのいのちは、十字架の死において終わらないと、復活を伝える。他の福音書は、蘇ったイエスが墓に駆けつけた女性たち、あるいは弟子たちに直接に会って、語りかけられたとか、一緒に食事をしたと証言する。けれど、マルコはそのようには描かないのです。マルコは空っぽな墓だけを示し、死の中にイエスはいないと告げる若者の言葉を伝えている。

イエスのいのちの力を、現実の死と、そこに経験されている不安、虚しさと恐れとに対比させているのです。

そして、あなた方はガリラヤでイエスに会えるという。ガリラヤとは、かつてイエスが宣教を始められた場所。弟子たちとともに過ごし、大勢の病人や悪霊に取り憑かれた人を癒し、貧しい人、しいたげられた人たちに語りかけ、神の恵を分かち合い、ともに生きた場所。いわばイエスの宣教の原点なのです。

マルコはそのガリラヤに行けばイエスに会えるという若者の言葉で、福音書を締め括っていくのです。そうすることで、マルコはイエスの復活を、何か信じるべき宗教的観念にしてしまわないで、ただ、あのイエスのいのち、その生の姿、働きこそが、皆を新しく生かすのだと呼びかけ、またそのイエスのいのちの力へと招いているように思う。イエスの宣教そのものを辿ることで、この世界の現実があるにもかかわらず人間として生きる喜びと、何を大切にすべきかがわかるのだと伝えている。おそれと不安に震えている私たちに、この招きが語られた。

 

ルーテルの宣教も、この大学での学びも、この呼びかけへの応答だと思う。そんなイエスの働き、いのちの意味を深く問いつつ学ぶということ。いやむしろ、イエスによって私たち自身が、あるいは今この世界そのものが問われていくところにルーテルの人間理解と対人援助の学びは立っていると言っていい。

 

なぜ豊かな世界で貧困のために飢える人があるのか。なぜ戦争をし、大勢の子どもたちが犠牲になっているのか。どうして苦しんでいる人が見捨てられるのか。いのちと尊厳が奪われ、あらゆるところに苦しさがあるのか。お前は何をしているのか。

そういう問いかけの中で、世界を考え、私の生き方を見出していくところに、この大学でのキリスト教主義の歩みがある。

 

社会の方は、そんな問いに向かい合うより、現実によって全てを押し流そうとするでしょう。「しょうがないんだよ」って。でも、その仕方のないと思われるようなことも、変えられないことではありません。押し流す力に抗って、初めて事が動いていく。人権の問題、人種差別に対する考え、女性や子どもの権利、あるいは障がいを持つものも持たないものも共に生きるノーマライゼーションも20世紀の後半に取り組まれ、21世紀の今は、ハラスメント問題、ジェンダーのこと、ポリティカル・コレクトネスなど。まだまだだけど、前進してきたこともたくさんある。それは問い続ける力があるからです。

 

聖書は、問いかけるのです、私たちに。だから、このチャペルを中心としたルーテルでの学びはチャレンジです。私たち、皆さん自身も、きっとたくさん問いかけられることでしょう。同時に、今の世界の中に、このルーテルのような大学の学びとそこから出ていく私たちの存在と働きが、きっと問いかけとなっていくだろう。

そして、この問いかけこそが、私たちを、この世界を変えていくのだと思う。いや、変えていくような問いかけを生きていかれるように、この大学で学んでいってほしい。実践と研究はその問いによって鍛えられ、新しい支援を実現するのです。

 

 ルーテル学院へ、ようこそおいでくださいました。神の祝福と恵が皆さんの歩みを必ず導きます。自らを問いつつ、新しい世界を切り開いていくような学びを、共にしてまいりましょう。

 

さあ、「新しい始まり」です。 ご入学、おめでとうございます。

2024-02-24

第58回教職神学セミナー「キリストを伝えるーキリスト教と公共世界」




ルーテルの「教職神学セミナー」がこの2月13日、14日と4年ぶりに対面で行われた。会場はルーテル市ヶ谷センター会議室。ウイルス禍前は2泊3日はとって、ゆっくりと学びと交わりを深めたが、今回は久しぶりの対面ということで1泊2日の集中プログラムとなった。





テーマは「キリストを伝えるーキリスト教と公共世界」。

私は基調講演「ルターと公共世界」を担当させていただき、前座としてセミナー全体のイントロダクションをさせていただいた。

そして続いて、ゲストスピーカーにお招きした福嶋揚先生から特別講演「資本新世のキリスト教〜資本主義の神学」をいただいた。福嶋先生のお話は、ご自身もおっしゃっていらしたが、かなり大胆でラディカルなプレゼンテーションであったと思う。現在の資本主義世界の先をどのように私たちの未来として描いていくのかということに関わって刺激的な問題提起をいただいた。福嶋先生の講演についても改めて私なりの受け止めと感想をのちに記したい。

2日目は盛り沢山でまず李明生先生に説教者のための聖書研究ということで「隣人愛が向かう先はどこか -新約諸文書から-」で講演、また現場からということで白川道生先生に特別講演「今、ここにある公共性~教会に顕在する、公の場~」、そして最後は宮本新先生「公共世界における宣教~カサノヴァの公共宗教論を手掛かりに」という講演でまとめをしていただいた。


とりあえず、私がお話しした「ルターと公共世界」のレジュメを以下に置いておく。

大きく4つのまとまりで限定したお話をしたので、できれば今後このブログで、それぞれでお話ししたポイントをまとめ、また時間の関係で話すことができなかったことを補って私自身のこのテーマでの学びを整理しておきたいと思うが、ここではレジュメのみ。


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20240213                                                                            ルーテル 教職神学セミナー

ルターと公共世界

日本ルーテル神学校 石居基夫

1.  はじめに

(1)公共世界とは

公共(Public)⇔ 私事(Private)  近代・市民社会の形成とともに

他者と共に生きる領域 全構成員の共通の関心と課題、基本的人権、

他者性、多様性、差異性、中立性、公平性、自由、民主主義 ☞ 福祉

 

(2)神学の射程として

「公共」の神学 「公共」のために 「公共」を問う cf.稲垣

教会も信仰者も日常的に生きている基盤としての「公共世界」の問題

国家の支配、資本主義経済の世界支配(グローバリズム)による「公共」の危機

危機をもたらす「力」の持つ宗教性(偶像・マモン)を問題として

   

 

私たちの問題

(1)ルーテルの包括的宣教における「公共」

教会における伝道と共に、幼保、教育、福祉の働きを展開 

ルーテル学院←「神の民」育成、福祉・心理の対人援助へ

法人会連合各法人の将来に向けて ルーサラン・キリスト教主義とは

 

(2)公共世界に向けて

戦争と平和、宗教と国家(靖国、天皇制)←20世紀後半の課題

被災地支援、臨床宗教師、スピリチュアルケア←21世紀、とりわけ3・11以後に

原発、沖縄、多様性、生命倫理、環境倫理 

 

 

3.ルター

(1)神の二様の支配と悪魔的勢力との戦い  cf. U. ドゥフロウ

    律法:(神の左手の支配、世俗的支配、国家)

       この世の平和、正義、公平を実現する⇔  悪魔的諸力 

                         (罪、悪魔、死、律法・神の怒り)

   福音: (神の右手の支配、霊的支配、教会)   

         キリストの義が与えられ、赦しに生かされる

 

 

 

(2)神の世俗的支配における「三つの機関(秩序と立場)」 社会教説 cf. 倉松功

   国家(politia):教会(ecclesia):家政(oikonomia

   すべてのキリスト者がそれぞれの秩序に立場をもち、召命(ベルーフ)を生きる

  教会はみことばによって預言者的に参与し、また具体的な奉仕者を派遣する

 

(3)全信徒祭司と協働

   すべての信仰者が神の御業への参与・協働に生きる

   創造の業 他者と共に生きる世界、必要な物、関係 ← 「小教理問答」使徒信条

   救済の業 隣人への奉仕(ディアコニア) ← 「キリスト者の自由と奉仕」

 

 

4.近代以降の枠組みから新しいカタチを描くために

(1)近代市民社会の形成と公共 の中でのキリスト教信仰

   宗教改革以後のキリスト教的一体世界の崩壊 

  近代国家は多様な信仰の共存を内包する⇔信仰は私的領域へ

  市民革命以後の市民による「公共社会」の自覚的形成と参与

 

(2)国家と資本主義の支配

   現代における国家と地域社会の「公共性」との矛盾 

   自由と平等の相剋、格差と犠牲の必然、

   産業革命後の資本主義経済の圧倒的支配

⇔人間性疎外と自然の搾取の論理

 

(3)現代日本の中で

   19世紀敬虔主義における宗教的個人主義をいかに超克するか。

     →ドイツ敬虔主義の脈絡におけるディアコニア運動の形成の批判的検証

     (シュペーナー、フランケ、ツィンツェンドルフ、ビュルヘン

       今日のいのちと尊厳、多様性を支え、ケアする営みを

神の恵の働きの中にもう一度捉えなおす

 

創造論と終末論のただなかで、救済論を軸にしながらも、包括的神学思考をする

  Politiaoikonomiaの間に立つecclesiaの意味と可能性

  

            Cf.キリスト教自然神学の再考へ(稲垣久和、マクグラス、)

 

2024-02-17

神学校の夕べ 2023年度



今年、4年ぶりに4名の神学生が卒業していく。
それぞれに自分の人生の歩みにキリストの招きを聞き、何回も挫けそうになりながら、それでも主の霊によって導かれて、今年卒業して日本福音ルーテル教会の牧師として召されることとなった。
この2月25日の日曜日の夕方行われる「神学校の夕べ」では、卒業生たちが、それぞれにみことばに向かい合い、自分たちの心の響いている福音を会衆に伝えてくれる。
喜びと感謝を主に捧げつつ、彼らを励まし、祝いの言葉をいただければと願っている。
どうぞ、お集まりください。



 

卒業するのは、笠井春子(JELC田園調布教会出身)、河田礼生(JELC三鷹教会出身)、三浦慎里子(JELC室園教会出身)、ディビッド・ネルソン(JELC本郷教会出身)の4名。

今年、この神学校の夕べのために彼らが選んだテーマは「共に在ませ わが主よ」。

2月25日 午後4時から、日本福音ルーテル教会宣教百年記念会堂(JELC東京教会)




牧会研究会Plus「いのちにつながるコミュニケーション」

 デールパストラルセンター主催の牧会研究会は今年特別企画として、牧会研究会Plus「いのちにつながるコミュニケーション」を企画しました。

講師は三村修牧師 (日本基督教団佐渡教会牧師)です。三村先生はボセー・エキュメニカル研究所(世界教会協議会、スイス)での学びを出発点に、マーシャル・ローゼンバーグ氏により体系化された「非暴力コミュニケーション=共感的コミュニケーション」を学ばれ、この理論に基づいて、互いの「感情」や「必要」を大切にしつながりを育むコミュニケーションづくりを学ぶワークショップ、またメディエーション(仲裁)の練習と実践を、教会をはじめ各地で各世代に提供しておられます。

牧会者として、「共感的コミュニケーション」について実践的な学びができることは何よりも大きな恵みです。私たちは社会において、あるいは教会の交わりや家族の中にあっても、さまざまに痛みと緊張のある関係を経験しています。このワークショップを通して、自分自身の深い思いや相手の中に隠された感情に気づき、自分自身を改めて省み、他者との本当の出会いへと開かれていくことでしょう。何よりも私たちがともに神に愛された存在(いのち)として、お互いに喜びを分かち合うようにと召されていることに気付かされることでしょう。

このプログラムは以下の3回のシリーズです。そのうちの初めの2回はデールパストラルセンターの通常の牧会研究会の第2回と3回の講座として開かれているものです。このPlusのみの参加も可能ですし、通常の牧会研究会に加えた一泊の研修として参加いただくこともできます。


510()1330-1530(オンライン) いのちにつながるコミュニケーション①

614()1330-1530(オンライン) いのちにつながるコミュニケーション②

826()1330~ 27()1530 (一泊2日の対面)    

                      いのちにつながるコミュニケーション③

                                -和解の出来事に仕える

問い合わせ、お申し込みについては

日本ルーテル神学校附属研究所デール・パストラル・センター(E-mail:  dpc@luther.ac.jp )

にお願いいたします。




【対象者】教派にかかわらず各教会教職者、聖職者


【定員】20


【受講方法・費用】(下記費用にはワークショップに伴う宿泊・食費は含まれません)

 1. 以下の3つのパターンからお選びください。

 A.  年間10回の牧会研究会 オンライン講座のみを受講:¥20,000

 B.  Aに加えて牧会研究会Plusを受講:¥25,000

 C.  オンライン5月・6月とPlusのみを受講:¥9,000


 2.デール・パストラル・センター事務局までE-mailにて以下を記してお申込みください。

  受講パターン(ABC)、②お名前(ふりがな)、③教会名・教職位、

④ご住所、⑤E-mailアドレス、⑥連絡用のお電話番号

いただいた個人情報は厳重に管理し、研究会および今後のDPCからのご連絡にのみ使用します。


【申込期日】

315日(金) 

牧会研究会 2024

 今年も日本ルーテル神学校付属のデールパストラルセンターは、牧師を中心とした牧会の任をもつ方々のために牧会研究会を開催します。今年は牧会者である私たち自身を振り返り、また霊的な務めに召される中での自身の養いに向けたテーマで企画しています。




ポストコロナということで、昨年は全10回を対面にて行いましたが、遠隔地にある方々にはご参加いただけず、多くの方にハイブリッドでの開催についても問い合わせをいただきました。しかし、現実的には対面とオンラインを混在させることに技術的困難があり、今年の牧会研究会開催についてはオンラインのみの開催といたしました。以下のような講師による、全10回のプログラムです。どうぞ、ご参加くださいますように。

しかし、同時に対面でのかけがえのない学びを実現したいという思いもあり、牧会研究会Plusという対面でのプログラムを合わせてご紹介しています。上の10回と合わせての申し込みもいただけますし、また、このPlusの企画として2回のオンラインと一泊の対面での研修会として独立したプログラムとしてもご参加もいただけます。この牧会研究会Plusは、別にご案内いたしますので、そちらをご覧ください。

いずれも、問い合わせ、お申し込みについては

日本ルーテル神学校附属研究所デール・パストラル・センター(E-mail:  dpc@luther.ac.jp )

お願いいたします。

【講師】  成 成鍾 (日本聖公会東京教区司祭

      三村 修  (日本基督教団牧師)

      関野 和寛(DPC所員)

      石居 基夫(ルーテル学院大学学長、DPC所員)

      ジェーム・サック(日本ルーテル神学校教授、DPC所員)

 

【年間予定】各回13:30-15:30オンラインZoom

1回  412日  牧師のセルフケア  (ジェームス・サック)

2回  510日  いのちにつながるコミュニケーション①  (三村修)

3回  614日  いのちにつながるコミュニケーション②  (三村修)

4回  712日  クリスチャンでない人々の看取り  (関野和寛)

5回  913日  牧会者の心  (石居基夫)

6回 1011日  牧会者と霊性修練Ⅰ‐準備過程  (成成鍾)

7回 11月 8日  若手・新人牧師に必要な防衛-教会内批判者論理から  (関野和寛)

8回  110日  牧会者と霊性修練Ⅱ‐理論と実践  (成成鍾)

9回  214日  聖人君子からの脱却-インターナルシステム理論  (関野和寛)

10回 314日  牧会者と霊的同伴  (成成鍾)




【対象者】教派にかかわらず各教会教職者、聖職者


【定員】20


【受講方法・費用】(下記費用にはワークショップに伴う宿泊・食費は含まれません)

 1. 以下の3つのパターンからお選びください。

 A.  年間10回のオンライン講座のみを受講:¥20,000

 B.  Aに加えてPlusを受講:¥25,000

 C.  オンライン5月・6月とPlusを受講:¥9,000


 2.デール・パストラル・センター事務局までE-mailにて以下を記してお申込みください。

  受講パターン(ABC)、②お名前(ふりがな)、③教会名・教職位、

④ご住所、⑤E-mailアドレス、⑥連絡用のお電話番号

いただいた個人情報は厳重に管理し、研究会および今後のDPCからのご連絡にのみ使用します。


申込期日】

315日(金)