2024-04-01

この時に 思うこと





この度、私たちルーテル学院大学・大学院の2025年度以降の募集停止が公になりました。

 

事情については発表された通りですが、三年連続して入学定員を大きく割った背景にあるさまざまな課題を見据えつつ、諸々の経営努力を重ね、ここまで歩んできた本学の教育研究が少しでも長く提供できるように本当にさまざまな検討を重ねてきた上で、それでも与えられ、また選び取った結果です。

 

2024321日に理事会はこの決断をしたわけですが、何回もためらい、まだその時ではないのではと、問い返すことはギリギリまで続きました。それでも、建学の精神、ミッションステートメントを堅持し、学生と教職員を守る責任を果たしていくためにあらゆる可能性を模索した結果であったと言えると思っています。

今、ここで決めること。そして、ここから最後までやり遂げていくこと。あらゆる可能性は、本当にさまざまな方向に開かれてもいたはずだけれど、こうして、一つの結論に至ったことを、やはり、しっかりと受け止めていく。それが、今ここで責任に与らせていただいているもののつとめだと信じています。

 

大学関係者、特に本学学生と保護者の皆様、また卒業生の皆様には大変驚かれたことと思います。本学の教育を作り、担い、また守ってきてくださった先達の教職員の方々や同窓生の皆さま、後援会を通し全国から本学のためにいただいてきた各教会と信徒の皆さまの祈りとお支えに応えきれず、本当に申し訳ありません。

とりわけ、新入生も含めた学生たち、また卒業生たちに対して、母校をまもることができなかったことを心からお詫び申し上げます。

 

SNS上に溢れている母校がなくなることへの嘆きの声は、ルーテルを愛する思いですね。それだけ大切なものをここで経験し、それぞれの人生にとってかけがえのないものとして心に残るものがあったのだと、そう思うのです。そういう学校でありえたことは、この学校の誇りです。でも、それはここの学校がそうだったのではなく、それぞれの時代を支えた教職員があって、集まってきた学生たちがいて、送り出してくれた教会や家族があったところに生まれた奇跡のような物語なのだと思います。この学校はその舞台でありえただけのこと。皆さんの心の中にこそ、皆さんの人生の中にこそ、その全てがあるように思うのです。

 

 

ちょうど10年前の2014年度からは総合人間学部人間福祉心理学科となりましたが、神学部が人間学部になったという名称の変化は、大学が「キリストの心を心とする」ということを身をもって示してきたものではないかと思っています。それは、神が世を愛し、人を愛してくださっているという一点をキリストの心に見ているからでありました。

 

1964年の大学認可以降の60年間の歩みおいて、本学は神学部神学科というルーテル教会の牧師を養成する単科大学から、社会福祉学、臨床心理学といった対人援助の専門の学びをしていただけるように大学を整え、社会において様々に困窮する方々を支援し、「いのちと尊厳」を守り、「共に生きる」社会を実現するための人間教育を目指して参りました。対人援助の心をもって福祉、心理、教育、医療など地域社会のさまざまな現場で働く専門職、及び社会への貢献を担う責任主体としての社会人を育てる大学として教育研究を展開して参りました。

 また、大学院も含めて、現在の対人援助の専門職と現場の葛藤をミクロからマクロに至るまで確かな眼差しを持ってとらえながら、私たちの社会の中に「共に生きる」ということの本当の意味や価値を実現していくことに責任を持った研究、現場の支援を作り上げようとしてきたと思います。

ルーテルが成し得たことは大きなことではありませんけれど、決して小さいものでもないと、ここの教育・研究に携わってくださってきている教職員、学生、卒業生、修了生の皆さまの姿を見て本当にそう思っています。

 

ルーテル教会の宣教と神学についても、今日の大学や大学院というものについても、しっかりと学び直し、この経験から少しでも何かの役に立つ言葉を紡いでいくことができればと思います。今は、まだその時ではありませんが、時が来ることの中で、少しずつ誰かの心に、働きに役立つものとなるようにしたいと考えています。

 

学生たちの学びを支えたい。

卒業生たちの働きを支えたい。

教職員の人生に新しい歩みが与えられるように、尽くしたい。

 

まだまだ、すべきことはたくさんあるのです。これからもどうぞ、お祈りとお支えをお願いしたいと思います。

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