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2013-02-07

Ministry 16 「自死」と向き合う


雑誌「Ministry」第16号。今回の特集「『自死』と向き合う」の担当として関わらせていただいた。特集に担当として深く関わらせていただいたのは第7号の特集「みんなで葬儀!」についで二度目のことだが、前回にもましてこの特集を取り組むのに自らを問いただされたという思いが強い。
実際に、この特集の難しさは、まだ誌面作りに入る前、特集を決める会議のときから予想されたことだった。重たい課題で、取り上げるべきテーマと思っても、その取り上げ方にも、また何を語るのかということについてももう一つ踏み込めないような躊躇いが生まれる。「自死」というケースにいろいろな形で出逢い、関わってきた経験が、会議の中で分かち合われ、それだけでも心がいっぱいになっていくのに、逆にことばが薄れていく。一般化することの出来ない問題であるのと同時に、個別なことばがこれほどに重みを持つ課題はないと思われて、「一体どうやって取り組んだらいいのか。」「誰が何を言うのか。言い得るのか。」と、一度は特集を止める雰囲気にまでなりかけたように思う。

それでも、私たち編集にたずさわる者たちは、この「Ministry」が何も語らないでいいか?教会の今の現場に、悩み、立ち止まり、考え、苦しんでいる牧師と信徒の方々とともに、福音を分かち合うという、ただその一事について、訴えるべきことあるのではないのかと問いただされて、取り組むことになった。

実際に、いろいろな所で教会が「自死」者とその近親者に対して取った態度によって、つまずき、傷ついたという経験を聴くことが少なからずある。いわゆる「自死」に対する差別という「悲しい現実」。それは、「自殺は罪」という教会が抱えてきたことばから来る根深い課題なのだ。

それだからこそ、その現場で「福音」が語られ、ともに聴かれるように、私たちの特集が祈りをあわせよう。そんな心が、ことばもなく重ねられて、取り組むこととなったのだ。

ネットを使って多くの方々にアンケートの呼びかけ、ご協力もいただいた。様々な意見をいただいた。この特集そのものへの厳しい問いかけも、また逆に励ましもいただいた。
一つひとつの声には、それぞれの経験から来る思いが込められていることが伝わった。

それだけでも、この特集を組んだ意味を思わされたのだ。取り上げられてこなかった思い、語ることのできない悲しみ、悔しさ。そうしたものがたくさん教会の中に沈んでいる。耳をすまして、聖霊がどのようにうめきをもって取りなしをしてくださっているのか、聴いていきたい。そう思った。

限られた誌面。決して十分なものではないことはよく分かっているが、問いかけられた私たち自身をさらしながら、教会の中に、確かな「主のまなざし」を見いだし、キリストの福音の慰めと励ましとを分かち合えるようにと、記事を書き、編集をしていく皆が取り組んでくださったように思う。

多くの方に読んでいただきたいと、心から思う。