2018-07-16

「オウム真理教」を考える④


信徒一人ひとり、次第に教団の狂気に巻き込まれていく。

しかし、そもそもその「信徒」は何を求めていたのか。
そこには極めて真面目な動機があった。そして、彼らはその誠実な性格であったことで、今回の教団の狂気に気がつかないのだ。なぜ、気がつかないのか。彼ら自身の言葉によれば、「『自分の考え』というもの自体が自己の煩悩であり、けがれである、として自分の疑問を封じ込めるように」なったという。完全な思考停止だ。それこそ、かなり高い教育を受けてきたはずの信徒たちが教団の狂気に気がつかないようにされた原因なのだろう。

(2018・7・14 朝日新聞朝刊)


ただ、そのような彼らは、なぜ教団の扉の中へと入っていったのか。

彼らが教団に「真理」を求めていたかどうか、「それは留保したい」と、以前書いたが、そもそも「真理」ということがいかなるものか、という議論を差し置いてこのようにいうこと自体生産的ではない。言いたかったことは、おそらく彼らは論理的、普遍妥当性をもつ「真理」を求めるつもりではなかったのではないかということだ。問題はむしろ、もっと実存的な問いではなかっただろうか。

 なぜ、自分が生きているのか。生きる目的は何か。
 私が私であるとは一体どういうことなのか。

現代の学歴社会で成果をあげてきた彼らの多くは、問いには必ず一つの答えがある、と正解を求める学びを生きてきた。しかし、人生を生きるということには参考書も正解一覧もない。よい大学、よい会社を目指すことのために、人生の多くの問いに立ち止まることはゆるされなかっただろう。
しかし、80年代の終わりから90年代のはじめバブルの時代は、膨れ上がっていく欲望の個人主義の中で、時代は将来へ向けての不安に傾いていったように思う。大学を出て、社会の一員となって生きていた彼らは、この漠然とした不安を沢山の娯楽や消費生活の中に引き込まれながら自分のものとしていったのだ。
その中で、生きることへの問いは、具体的な自分たちの生活の明日をどのように、なんのために生きるのか、という極めて個人的で実存的な問いとなった。だから、社会が何かをいうのではなく、私がこのことをどう感じ、何を考え、どう行動するのか。その自分の生きる確からしさを求めていたように思うのだ。

今でいうところの、スピリチュアルな問い。スピリチュアルなニーズが、やはり彼らの教団へと向かわしめた最も大きな理由だろう。

価値観も多様化し、不安な時代に、「断言」する力強さ。麻原にはそれがあった。強い信念を持って生きることへ、揺るがぬ確かさを示されたときに、おそらく、彼らはそれに惹きつけられていったのではないか。

しかし、そこに疑問をもつことは許されなかった。それこそ、この教団の秘密だ。
自由に批判できない社会は、小さな組織でも国家のような巨大な組織であっても、全く同じように、悪魔の支配に身を譲り、思わぬ暴走が自らを危うくするばかりか、他者を、世界を崩壊させて行くような脅威となりうる。

彼らは、その悪を自らのうちに引き受けてしまう。しかし、彼らはそれが悪とは思えなかったのだ。麻原の考えを生きることが、すなわち、世界のためであり、人類のため、私のために最もよい、確かなことと信じていたのだ。


2018-07-11

「オウム真理教」を考える③

あらゆる宗教に起こり得る狂気は、まず教団の内部における権力による暴力的支配の問題だ。社会に対するテロは甚大な問題だが、隠されていてあらゆるところにはびこっているという意味ではこちらはこちらでタチが悪い。そして、その意味でいうと、公式的なその宗教の言葉には表されない、極めて具体的で個別的な問題として存在するという意味でも、この問題は難しい。

おそらく、純粋な形での何かを求める信徒とそれにふさわしい?修行と霊的ステージを提供する教祖および教団組織という関係は、容易に、今でいうハラスメント的な力関係に陥ったことが想像される。霊的権力者が支配する構図。信徒の思考停止なるものは、「宗教だから」ではない。このハラスメント構造の中で生き延びるための服従の論理がこれをもたらすのだ。そして、おそらく積極的にこの論理に生き始めた者が自らをやはり正当化する時に、この一定の思考形態の中にはまり込んで、積極的にこれを補強する思考のみが強化されるのだ。

これが始まると、この宗教教団は暴力の支配する団体に変貌する。
圧倒的な権力・権威が支配する構図は、それを認め、受容し、かえって助長する被支配者たちの関係が保たれるように相互依存の現象も作り出すだろう。

この恐ろしさは、もちろん、カルト教団に限ったことではない。クラスでも、家族でも、恋人同士、会社でも、大学のサークルでも、宗教組織でも、どこでも作られる。
しかし、一旦これが成立してしまうと、崩しがたい。むしろ、その「カタチ」の正当化が暴力をさらに生み出す。これによって、どんなにそこに良いものの要素があっても、その組織自体が悪の製造マシンになっていくのではないか。

「ポアする」という言葉で、罪をおかさせないという理由づけを持って殺人を正当化する論理は、人のいのちと尊厳性を無視して、抽象化された宗教的言語の歪んだ理解だ。けれど、それを気がつかせない、気づいても止めることを許さない霊的?権威が支配するとき、この教団が何を提供するものと堕していったかは明白だろう。

独裁が生み出す危険な暴走は、かつて学生運動(連合赤軍)にも現れただろうし、ナチスなどの国家支配の形もとる。悪魔の構造だ。どこにでも現れる。宗教という最も善に満ちていると信じられているところほど、その罠によってこの悪を招き入れることになりやすい。
カルト教団と呼ばれるものの反社会性の根っこは、ここにあるのではないか。






「オウム真理教」を考える②

彼らの求めたものは、言葉以上の「真理」であったのではないか?
(いただいたのは「真実」という言葉だった。記憶違い。この違いは重要だと思うので、改めて考えたい。)

問いかけに 私は少し戸惑いを覚えつつ、考えさせられている。
まさしくそうだと、思う。そうなのだ。彼らの求めたもの、彼らを捉えたものは「言葉」ではなかっただろう。
しかし、私のうちに起こった戸惑いは、「言葉」へのこだわりを私が持っているからなのだ。それは、捨てるべきものなのだろうか。
そして、もしそうだとしたら、いやそうでなかったとしても、彼らの求めたものが「真理」なのかということには、少しく留保をしておきたいように思う。

言葉とは何か。真理とは何か。

まるでヨハネ福音書に登場するピラトのように、私はこの問いかけの前に、どのように答えるのかと、自問しているのだ。

言葉が単に言葉であるということは、一体どういうことなのだろう。言葉以上のものを持たない、言葉というものを考えることが難しい。
だから、もし、彼らが言葉以上のものを求めたというのであれば、それは大変にわかりやすい。彼らは、単に言葉による知識を求めていたのではないのは明らかだ。

そして、それこそこのカルト教団が提供するものであったことは間違いない。
「修行」であり、それによって得られるとした「霊的ステージ」こそが、彼らの求めたものだっただろう。それを高めることは、彼らにとっては学歴社会で偏差値をあげるがごとくに、彼ら自身を駆り立てる原理だったと思うのだ。この霊的ステージが高まれば、そこには人間のの持つ一般的な能力を超える世界が開ける。今なら、さしずめゲームによってステージをクリアして行くと、次のステージが開けるのと似ているかもしれない。そのひらけてくる世界は、一般には理解され難いかもしれないが、それこそ彼らの求める新しい世界だ。ある種のエクスタシー。りんかい線を超えた境地が開かれるのを「体験」していく。修行の力。

もちろん、それに至るまでにも、彼らの中に経験される教団内の「人間関係」「信頼」「存在の肯定」なども、現代社会の中では簡単には経験できない、親密なそして厳しさの中で得られる真剣さを与えるものだったと思う。多くの信徒は、まるで父親に怒られるかのように真剣に向かい合ってくれる「尊師」の言葉を求めただろう。常に優秀で周囲の期待に応えることができてきた人々には特にもこんなに真剣な向かい合いを経験することは滅多になかったことだったに違いない。そして、おそらく皆が深い自己省察へと導かれただろうし、そこで厳しく自己否定への契機を受け取っただろう。そんなことは、経験したことがなかったことだ。これは、修行そのものへの道筋を作って行ったことだろう。

そして、新しい自分を作る。そうした人(信者)が増え、教えが広がって行くことで、必ず新しい社会も開けてくる。小さな物語は大きな物語の中に位置づいて行く。その実感。
極めて情緒的でもあるけれど、単純で明快なストーリーを語ってきたのではないか。
それは、その実体験こそは彼らの求めたものだったのではないかと思う。
生身に感じる確かさ。
それは「真理」を求めたものであったのか?

しかし、こうした体験のすべてをは言わなくとも、宗教は皆うちに持ってきたものだ。
「オウムが怖い」は、「宗教が怖い」となって当然ということだ。

では、何が違うのか。カルトとそうでない宗教と、何処が分岐点となるのか。その違いは、言葉によって確認されてこなければならないのだと、そう思っている。言葉を超える何かを示す。しかし、そこに語られる言葉が、その人にも世界にも何を作り出そうとしているのかを確かめる唯一の道なのではないのか。
言葉へのこだわりを、私はやはり捨てる事はできない。



2018-07-09

「オウム真理教」を考える〜なぜカルトに?⑤

誰もカルトに入ろうと思うわけじゃない。
しかし、それに捉えられていくのは、現実の世界の中での生きることの息苦しさにあろうか。
この世では、もろもろの評価によって自分がはかられてきた。よい成績、よい学校、よい会社、よい結婚。一流とまでいかなくても、社会的な評価のあることや収入の確かなことで中流以上の自分を作り上げられねばならない。いまだったら、そこからのおちこぼれは負け組といわれようか。でも、わたしたちはいつでもそんなふうに上手くいくわけじゃない。そうなったときの喪失感はわたしのいきることを根底から揺さぶるのだ。
親も、子どもを愛していると言いつつ、どんな「立派さ」であるか、それが気になって仕方が無いのでは。その「立派さ」に至らないなら、まるですべてが失敗であったかの如くに落胆する。
そういう世界に生きるわたしたちの心には、自分の存在そのものを認めてもらえているのか。自分の人生の生き甲斐や、生きる意味、目的などが分からなくて、不安や恐れがみちている。むしろ、「よい」とはなにか、「立派さ」とはなにか。そんな漠然としたものに捉えられていて、自分が見えなくなっていく。本当は自分はどう生きていくのだろう。何をするために自分がいるんだろう。
安定した社会生活のなかでだって、そうしたことが「むなしさ」として表現されたのが、あの時代に信者となり、幹部となっていった「優秀な」ひとたちのなかに少なからずあったのだろう。
まして、何かの理由で、成功もなく、認められることなく、むしろ居場所がないと思ってしまった若者の、こころの空洞、生きる力を見出せない苦しさ。それがカルトと呼ばれる集団であろうと、そこにいったら全くちがう世界が開けているとしたら、そこに魅了されるということもありえよう。
現実とは全く違う別の世界で、生き直せる。それが認められる。それが与えられる。努力はすぐに評価される。大事にされる。いままでを全部ちゃらにして、そこではじめなさいってそう言われたら、そう信じられたなら、別の世界へ行きたくなる。
はっきりとした目標が立てられ、支援され、計画が与えられて、自分が位置づけられる。
努力は報われる。

この世からの、完全な逃避を実現する。

カルトは、そんなふうに一人を誘うのかも知れない。
この世界に生きることの、つらさ、不安、おそれ、罪深さに耐える力がなかったなら、別の世界に逃げたくなる。そういうものかも知れない。

「オウム真理教」を考える〜なぜカルトに?④

二元論的世界観。

この世を善と悪が入り混じった世界とみる。まあ、誰が見てもそう見える。
しかし、その善と悪の混在は現状で良いとは思えない。このままでは解決できないし、世界は善に向かって欲しいとそう願う。
そこで、何が悪いのか。そして善はどこに見出されるのか。これが結局はそんなに容易には見出されないが、一定の修行の中でこそ、到達できることがあるということになる。

基本にあるのは、教団が善を持っており、この世界は悪に翻弄されて善が見出されにくいものだということだ。善悪二元論で、教団を絶対の善として、この世を悪と単純化して行くことが、教団の論理に引っ張り込む最も巧妙な隔離作戦だ。

教団に属することだけが、善に身をおくことになる。そこで導かれて行くことこそ、この世の悪に打ち勝つ方法だ。そうして、この世からの隔離への誘導する。
ホウレンソウ。報告、連絡、相談。これで教団の指示系統にしっかりと位置付けられて、一般社会との距離を作り出す。家族との関係よりも教団との結びつきの中に生きるようになる。家族への愛情は、認められるが、その愛情は家族を救うことに真実の愛情を見出させられるし、そのためには、まず家族からも離れて自分がしっかりと善に生きることがなければならないと思わされる。

教団への出家は必然となる。

オウムでは、おそらく自己の無限の可能性、その霊的、宗教的力(空中浮遊・幽体離脱など)を修行によって得ることや最終解脱への厳しい修行に入って行くことで、このよの悪に打ち勝ち、善なる世界への道を求めるように、教えられただろう。

その厳しさは、当然自分が求めたものだから、それに責任を持って取り組むし、その結果については教祖からの重用によって、地位を得ることによって報酬を得て、満足させられる。自分の中のあやふやさは、この教祖の絶対的な権威とそれによって生まれている力に頼ることで、解消されて行く。教祖が実際に力があるかどうかなど、もはやあまり関係なくなって、そうあってもらわなければ、託してきた弟子たちの存在そのものが揺らいでしまうのだ。だからこそ、弟子達は自分達のために教祖を持ち上げておかなければならないし、その権威と権力を絶対化して行くのだ。

そうして、教祖は絶対の善になって行く。この教団の中だけに通用するものだが、この教団で通用することが、全ての基準となって行く。弟子達はこの中での完全な生活によって、全てが賄われることを皆で作り上げていったのだ。
省庁が置かれ、大臣のような地位が作られて、小さな国家として成立して行くのは、彼らがこの教祖による世界を必要としたからだ。

やがて、この国は、現実の国に取って代わらなければならない。そういうところに追い詰められる。この世の理屈は、この教団には相入れないからだ。

終末論は、この教団と世界の相克によって彩られることが定められている。テロに向かう準備が出来上がるわけだ。

教祖により洗脳、教団によって押し付けられた理想。しかし、それは所属した自分達の選び取ったもの、自分達が共有していた世界であって、おそらく、信者の誰も洗脳されたとは思っていないのでは。そこにこのカルト共同体の恐ろしさがある。


「オウム真理教」を考える〜なぜカルトに?③

人は自分のしたことを正当化する。これがのめり込んでいく時の心理だ。

情報は、信頼した相手から丁寧にもらう。しかし、その上で、短時間で次のステップへの決断を迫られると、自分の判断は誘導されやすい。自由な選択のはずが、強制されているのだ。それに気がつかないのが私たちの弱さだ。しかし、自分が選んだということが自分の行動への責任感を伴わせる。
自由選択と自己責任。
この原則は、私たちの日常に染み付いた行動原理だ。しかし、本当に自由だったのか。
カルト教団は、上手に私たちを誘導する。

今だったら、SNSなどの世界は、ほぼ一つの方向で意見が集まれば、その類いの情報ばかりが自分に送られてくる。リベラルな人にはリベラルな意見ばかりだし、保守的な人のところにはそのような意見ばかりが集まる。そうなると、異なる考えは、自分の中に何の存在根拠もなくなって行く。
情報操作は、今の時代容易なことなのかもしれない。
そういう情報の中で自分の行動が求められると動いて行く可能性は高い。そして、動いたら、その自分をそこに所属するものとして位置付け始めるし、その行動への責任を感じて行く。どこにでもあることだから、一般の社会でこれに当てはまらない集団はないだろう。カルトとの区別はつきにくいかもしれない。しかし、カルトは次第に次のステップへと私たちを誘導する。それが二元論的な世界観だ。



「オウム真理教」を考える〜なぜカルトに?②

集会などにいくと、思ったほどには強制はない。
むしろ、自由な雰囲気で優しい気遣いで迎えられる。これが信頼関係を築く。
他でぞんざいに扱われていると、こうした丁寧、親身な対応に心は傾く。
現代社会で希薄になっている個人的な信頼関係こそ、カルトが最も上手に使う手口だ。
 (あ、もちろん異性が対応することが多い。その半分恋愛感情を誘うようなやり方は常套手段だと知っておこう。)

その信頼する相手からの頼みごとほど、断りづらいものは無くなる。だから、この信頼関係の構築には時間も労力も惜しまない。ひと月ふた月、半年と本当にじっくりと責めてくる。(むこうは一人で複数を相手にしながら、時間をかけても量産していくシステムだから、全く問題ない。)そういう関係を築きながら情報操作は始まっていく。正しい判断をするのは、正しい情報によるしか無いが、長い時間をかけて情報の片寄りをつくらされていくわけだ。
 勉強会や、集会は、そもそもこちらの関心事に沿っているのだが、そこに次第に深い誘導が始まる。例えば、平和の問題に関心があるからといって、何か特定の平和のための署名活動などに自分が主体的に関わるかどうかは、全然別の話なのだけれど、関心があるなら、少しでもそれに関わるといいと、誘導される。参加の仕方は自由。どこか街頭に立つこともあるかもしれないし、それぞれの生活の中での家族やサークルで、ちょっとした依頼で誰かの署名を集めることなどを求められれば、いやとは言えない。
一旦引き受けると、これに少しでも結果を結びつけようと努力する。真面目な人間ほどそうやって、自分が活動に熱心になっていく。
この活動が目指すものは、単に署名集めではない。大きな目標を掲げている。そんなことは、知ったものでもないのだが、一旦関わったこととなると、その目標の達成が少しでも進んでいくことに関心が生まれるし、喜びが生まれる。
Jリーグの応援と同じで、漠然とした応援よりも、ファンクラブにでも入れば、一回一回の試合の状況がきになるだろう。そういう所属感や一体感が形成される。
自分が熱心に関わればなおさらなので、ここにいつの間にか、はじめは自分のものではない活動の目標に自分自身が結び合わされていく。

自分が熱心に関わったことは、必ず正当化する。これが間違ったものであるはずはないと。こういう心理作戦は、見事に個人個人を教団の論理の中に必敗込んでいく仕掛けなのだ。


「オウム真理教」を考える 〜 なぜカルトに?①

当時、統一協会とともにいわゆる「隔離型」とも呼ばれる心身宗教の典型の一つがオウムだった。信者となる中で、熱心な求道は、やがて家族をはじめ一般的な社会生活から完全に隔離された教団内での生活に出家する道をとる。事件となってわかったことだったが、優秀な人材が多数出家していたのには本当に驚かされた。

人はなぜカルト✳︎に引き込まれるのか。
巧みな心理作戦がそこにある。
私自身もまだ10代の終わりの頃に、カルトの勧誘の入り口に立ったことがある(もう、40年も前だ〜、びっくり)。何かの企業の意識調査みたいなもののインタビューを装い接近されたが、これは、もはや古い。今なら、スマホなどを使い、出会い系などは使わなくても、SNSを使って、特定の人に近づくことは比較的容易だもの。
しかし、とりあえず私の経験と当時のやり方を紹介しておこう。
インタビューで、応えると色々な特典があると餌に誘導されて、自分の関心に沿って質問が繰り返される。色々な分野での質問がなされてきて、いつの間にか、自分が終わり近くに招待を受ける。例えば、平和について関心があるといえば、その勉強会とか、何かの学習会や抗議集会。文学だったり映画だったりすれば、作品を読んで、見ての批評会のようなもの。関心が高いとすでに答えている自分の言葉に沿った勧誘は断りにくくなる。関心があるなら、これに参加することはいいことでしょう?という心理を掴む。それでも、無理強いはしない。断らせるのが相手の手段の一つだ。断らせることによって、負い目を負わせる。その負い目を狙って、当時は電話攻撃が始まる。インタビューのはじめに、色々な特典をもらうのに住所や電話番号さえも教えるという愚かさがこの勧誘を現実のものにする。これに巻き込まれると、断り続けるのが難しい。
はじめは、向こうのスケジュールでのお誘い。これは予定が合わないと上手に断るが、断るときにこちらは「関心はあるが、申し訳ないです」と、言い続けると、「とんでもない、勝手なスケジュールでのお誘いですから」、と引っ込むのだ。
ところが、これを2回くらい続けると、向こうがかえって申し訳なかったといって、せっかく関心を持ってくださっている、あなたの都合に合わせたいと。少し上の幹部の方に話したら、素晴らしい人材だとか言われたのだとか、ぜひ会いたいとか、一緒に学びたいとか。そういう話をして、こちらの自尊心をくすぐりながら、迫ってくる。
こうなると、こちらの予定に合わせるとなると、これは断りづらいのだ。そうして、ここで、堤防が壊れて一度でもいくとなると、これは向こうの見事な誘導にハマっていくことになる。

今時なら、最初に書いたように個人情報を無理に聞き出す必要がないかもしれない。皆SNSを通じて個人に直接接近することが可能なのだ。しかし、要領は同様。関心に沿った誘い、断らせて負い目を負わせる。同時に、相手に伝わっているこちらの情報と個人的なコンタクトから、組織の上の人の感心が示されるという自尊心のくすぐり。負い目を利用しながら断りづらいこちら優先の誘いがくる。

今時なら、就活や転職などとの絡みは絶好の餌となろう。現実への不満が解消される道が何か自分を引き上げるステップアップとしての可能性に見えるから。そこに漬け込むうまい話には気をつけることだ。


✳︎カルト:本来の言葉の意味では、カルトという言葉にはこの宗教団体の善悪を判断するような言葉ではない。しかし、ここで使う場合には一般に言われるような、その活動に犯罪性また反社会性を感じさせることが強く、どちらかといえば一般社会に対しては隔離・閉鎖がたの共同性をもつ宗教団体というような意味で用いている。


「オウム真理教」を考える 

オウム真理教の教祖、麻原彰晃こと松本智津夫と当時の教団幹部7名が、裁判によって確定していた死刑判決に基づいて、その刑が執行されたことが報道された。

死刑・・・ということが解決なのかと、そのことも大きな問いではあるが、また、なぜこのような執行の仕方なのかという疑問もあるのだけれど…

改めて、あのテロ事件を思い起こす。

1995年の3月20日。地下鉄サリン事件は、13人が死亡、6000人以上の大勢の犠牲者を出したということばかりではなく、組織的に企てられたテロ事件であって、その計画実行を行なっていった人々の存在が、私たちの非常に身近な存在であったことも大きなショックだった。また、この事件後の捜査や逮捕に続いて諸々の事件が明るみに出て、松本サリンや堤弁護士一家殺害など多くの凶悪犯罪がこの教団の仕業であると解明された。連日の教団関係の報道で、出てくるあの教団の幹部として名を連ねていたのは、私とほぼ同世代。おそらく、信者の殆どは、ほんのその数年前まではごく普通の市民生活を送っていたものであっただろう。受けてきた教育のレベルも高く、医者や科学者、弁護士、IT関係の技術者、多種多様な業種のエリートたちだったことは、私だけではなく、多くの人たちを驚かせたに違いない。

何が、彼らをあの狂信的なカルト教団へと駆り立てたのだったか。
洗脳、マインドコントロール。おそらくは、単純な心理的操作なのだけれど、それでも、その単純な道筋になぜ人は引き込まれたのか。
人々は何を求めていたのだろうか。私の関心は80年代から90年代へと移行する時代の中の私たちの心の有り様だ。しかも、その時代に20代後半から30代前半を生きていた私たちの問題なのだ。高度経済成長を子ども時代に過ごして、右肩上がりの世界を自分たちの将来に重ねていたのかもしれないが、次第に将来への不安が大きくなっていった時代でもあったように思う。ノストラダムスの予言を信じてはいなかったと思うけれど、世紀末に向かって行くあの時代の閉塞感や不安感が一つの背景でもあっただろうか。

心の時代、宗教の時代ということが80年代の終わりにはよく言われたものだった。某新聞社にはそうしたコラム欄があったことは印象的だ。何かを求める漠然とした時代。




あの教団そのものが、訴えたのは、現代を生きる「虚しさ」「空虚感」だったという。当時の勧誘パンフレットに載ったある女性信徒の入信のきっかけには、まさに当時のエリートOLが、経済的に、物質的に恵まれ、それなりの友人関係にも不自由のない生活でありながら、漠然と持つ「虚しさ」があったこと。それが埋められたのは、教団の教えだったと記されていた。

本当に教団が埋め合わせるものであり得たのかはわからないけれども、当時の人々の一定のスピリチュアルニーズの状況をよくあらわしているといえるだろう。時代の行きづまり感は、個人的な宗教性の開発へと向かったし、ある種の神秘主義的傾向を持っていただろう。西山茂氏や島薗進氏らが「新新宗教」と呼んで、70年代以降の宗教ブームを捉えているが、背後には、おそらく欧米のニューエイジの動きが影響を与えていたという。「精神世界」への関心が高まり、それが消費ニーズとなって高まりを見せる。霊能、オカルトの類を含みこみながら、哲学と宗教の広がりの中に、気功、ヨガ、神秘主義、タオイズム、アロマ、占い、運命学などを求める人々はやはり時代の子なのだ。

折しも、ベルリンの東西の壁が崩れていくのを目の当たりにしたのが、この時代だ。かつて自分たちよりも少し上の先輩たちがマルクス主義に傾倒して様々な学生運動にエネルギーを注いだようには、自分たちは生きてこなかったノンポリ・三無主義を自覚していても、冷静にあの偉大なイデオロギーの末路を感じて、自分たちの生きる現実を変える理想を持ち得なくなったことにぼんやりとした喪失感を持っていたようにも思う。

自分の死と生の意味やこの世界の向かうべき姿を描いてみせたあの教団、いや麻原のカリスマが、もしかしたら自分たちを大きく変えていく希望に映ったのだろうか。本当は、麻原自身の生育歴に落とした影が、多くの人を巻き込むような闇を作り出すことに過ぎなかったとしても。闇を光に錯覚させる仕掛けが、この時代に用意されていたということかもしれない。

宗教の意味やその恐ろしさも含めて、日本では宗教教育がなされてこなかったことも、こうした教団の教えへの批判的な眼差しを持ち得なかった原因であろうか。

しかし、より深刻なことは、そうした人々の心に、既存の各宗教は何も訴える力を持ち合わせていなかったということだ。確かな言葉を紡いで、私たちの心に響く生きる力を与えるのに、何が足りないのだろうか。あの時から、ずっとその課題を宿題としてきたのではないだろうか。
あの頃、すでに牧師となっていた自分は、同世代に何を伝えていたのかと、忸怩たる思いになる。
たとえ、マークシート方式で正解を選び取ることに飼いならされた世代であったとしても、丁寧な言葉が訴える力を持てないはずはない。
今を生きる私たち一人ひとりの深い魂の問題に、しっかりと向かい合う、そういう神学の言葉を鍛えていくべき時だと思っている。