2018-07-09

「オウム真理教」を考える 〜 なぜカルトに?①

当時、統一協会とともにいわゆる「隔離型」とも呼ばれる心身宗教の典型の一つがオウムだった。信者となる中で、熱心な求道は、やがて家族をはじめ一般的な社会生活から完全に隔離された教団内での生活に出家する道をとる。事件となってわかったことだったが、優秀な人材が多数出家していたのには本当に驚かされた。

人はなぜカルト✳︎に引き込まれるのか。
巧みな心理作戦がそこにある。
私自身もまだ10代の終わりの頃に、カルトの勧誘の入り口に立ったことがある(もう、40年も前だ〜、びっくり)。何かの企業の意識調査みたいなもののインタビューを装い接近されたが、これは、もはや古い。今なら、スマホなどを使い、出会い系などは使わなくても、SNSを使って、特定の人に近づくことは比較的容易だもの。
しかし、とりあえず私の経験と当時のやり方を紹介しておこう。
インタビューで、応えると色々な特典があると餌に誘導されて、自分の関心に沿って質問が繰り返される。色々な分野での質問がなされてきて、いつの間にか、自分が終わり近くに招待を受ける。例えば、平和について関心があるといえば、その勉強会とか、何かの学習会や抗議集会。文学だったり映画だったりすれば、作品を読んで、見ての批評会のようなもの。関心が高いとすでに答えている自分の言葉に沿った勧誘は断りにくくなる。関心があるなら、これに参加することはいいことでしょう?という心理を掴む。それでも、無理強いはしない。断らせるのが相手の手段の一つだ。断らせることによって、負い目を負わせる。その負い目を狙って、当時は電話攻撃が始まる。インタビューのはじめに、色々な特典をもらうのに住所や電話番号さえも教えるという愚かさがこの勧誘を現実のものにする。これに巻き込まれると、断り続けるのが難しい。
はじめは、向こうのスケジュールでのお誘い。これは予定が合わないと上手に断るが、断るときにこちらは「関心はあるが、申し訳ないです」と、言い続けると、「とんでもない、勝手なスケジュールでのお誘いですから」、と引っ込むのだ。
ところが、これを2回くらい続けると、向こうがかえって申し訳なかったといって、せっかく関心を持ってくださっている、あなたの都合に合わせたいと。少し上の幹部の方に話したら、素晴らしい人材だとか言われたのだとか、ぜひ会いたいとか、一緒に学びたいとか。そういう話をして、こちらの自尊心をくすぐりながら、迫ってくる。
こうなると、こちらの予定に合わせるとなると、これは断りづらいのだ。そうして、ここで、堤防が壊れて一度でもいくとなると、これは向こうの見事な誘導にハマっていくことになる。

今時なら、最初に書いたように個人情報を無理に聞き出す必要がないかもしれない。皆SNSを通じて個人に直接接近することが可能なのだ。しかし、要領は同様。関心に沿った誘い、断らせて負い目を負わせる。同時に、相手に伝わっているこちらの情報と個人的なコンタクトから、組織の上の人の感心が示されるという自尊心のくすぐり。負い目を利用しながら断りづらいこちら優先の誘いがくる。

今時なら、就活や転職などとの絡みは絶好の餌となろう。現実への不満が解消される道が何か自分を引き上げるステップアップとしての可能性に見えるから。そこに漬け込むうまい話には気をつけることだ。


✳︎カルト:本来の言葉の意味では、カルトという言葉にはこの宗教団体の善悪を判断するような言葉ではない。しかし、ここで使う場合には一般に言われるような、その活動に犯罪性また反社会性を感じさせることが強く、どちらかといえば一般社会に対しては隔離・閉鎖がたの共同性をもつ宗教団体というような意味で用いている。


1 件のコメント:

  1. 改めて、カルトの説明で「犯罪性」と「反社会性」ということを述べたが、これも難しい。何が基準で「犯罪」となるのか、「反社会」なのか。例えば、戦争中の日本で、戦争に反対したり、赤紙招集に応じないなどは、反社会性で犯罪者、非国民とされたでしょう。何れにしても、どのような判断基準がそこで働くのかが問題なのだ。反社会とか犯罪だとその社会の支配階層、あるいはマジョリティーが判断したとしても、それが必ずしも否定されるべき内容かどうかはわからない。
    むしろ、いのちと人間の尊厳性を奪い、また踏みにじる行為を具体的に見ていく必要があるのだと思う。

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