2012-01-31

阿蘇の風を




阿蘇山の外輪、俵山には風の力で発電するプロペラが回っている。雄大な山の合間を駆け抜ける風をとらえると、うなりをともなってまわる。そのプロペラの力強さを目の当たりすると、ただ、なにか茫然とその様子に引き込まれていきそうになる。

肌に優しく感じるのと違って、風のなかにひそんでいる無限のエネルギーへの驚き。



先日、ルーテル幼保連合の熊本地区の保育者研修会に招かれたときに、阿蘇の空港から案内をしていただいた。俵山からは、地獄温泉をはじめいくつかの立ち上る源泉のけぶりを向こうに望むことができたのだが、何よりもこの大きなプロペラの存在感に圧倒させられた。

遠い山にいならぶ姿を見るだけでも、不思議な感覚におそわれるけれど、足もとに立つことで、なにか悠かなるものと人間との触れあうことのとてつもなさを思うのだ。

巨大な人工物には、異様さを思わされもする。
こんなものをつくりだすのは、あくなき人間の欲望なのか、夢なのか。

けれども、あの原発に比べるならば、どれほど自然そのものへ優しいことだろう。
一瞬にして、空を海を川を土を変えてしまった、あの放射能の脅威をここにみることはない。

あのナウシカの「風の谷」の知恵を思う。「火の七日間」の後、あの腐海に沈む世界の片隅で、人がどうして生きていくのか。自然との共生を求める知恵は、確かにあまりに人工的ではあっても、自然に対する謙遜を知っている。

そして、
本当に優しいのは、そのどんな人間の思いをものともせずに、ただ流れていく風の力強さか。

すべてをつくりたもう主が私たちに託したもうことを、今一度、考える時だ。