ラベル 礼拝 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 礼拝 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025-02-10

2024年度 神学校の夕べ

今年は日本ルーテル神学校を一名の学生が卒業します。 
日時:2025年2月23日 日曜日 午後4時 
場所:日本福音ルーテル教会 宣教百年記念会堂 
卒業生:大和友子さん(出身教会:JELC大岡山教会)。

 四年間の学びをすべて終えられこの春に牧師として教会に遣わされます。
(赴任地は久留米教会、田主丸教会、二日市教会となりました。 )

 どうぞ、卒業生を覚えるこの神学校の夕べにお集まりいただければと思います。
また、お集まりいただけなくてもお祈りくださいますように。

* 当日、多くの方々がおいでくださいました。感謝。



2020-02-27

教職授任按手式礼拝


教職授任按手は、3月20日九州は博多教会で行われる教区総会において行われることとなった。当初の予定は、3月1日に日本福音ルーテル教会宣教百年記念会堂(東京教会)においておこなれることになっていたが、今般の新型コロナウィルスの感染拡大の不安が広がる中で諸々のイベント・行事が見直されていることを背景にして、決断された。



按手を受けるのは、森下真帆。
新年度から同じ北九州、小倉教会、直方教会への赴任が決まっている。九州教区の教職者と信徒たちの集まる教区総会での按手は、ふさわしいあり方の一つだ。
新任牧師の誕生のために、是非、祈ってほしい。


2020-02-09

2019年度 神学校の夕べ

今年も卒業生を送り出す、「神学校の夕べ」が行われます。

日時:2月23日 午後4時から
場所:日本福音ルーテル教会 宣教百年記念会堂 (東京教会)
主題:召命


今年の卒業生は一人。森下真帆(JELC東京教会出身)。
高校卒業後、ルーテル学院大学で学び、キリスト教と出会い、信仰を与えられた彼女が、こうして牧師をなっていく学びを終えられ新しい旅立ちをされること、嬉しく思います。
今を生きる青年にとって、信仰の出来事って、どういうことなのか、きっとお集まりくださった方にも伝わると思います。
どうぞ、おいでください。

翌週の3月1日に按手を受け、4月からは九州は小倉教会、直方教会に働きます。




2019-02-13

神学校の夕べ 2018年度

今年も、4名の神学生を宣教の第一線に送り出すため、神学校の夕べが行われる。
     日時:2019年2月24日 午後4時から 
      於:日本福音ルーテル教会宣教百年記念会堂(東京教会)
       礼拝-燃える心-


今年の卒業生は、中島共生(JELC市川教会出身)、中川祐子(NRK北見教会出身)、小澤周平(JELCなごや希望教会出身)、そして筑田仁(JELC函館教会出身)の4名。規定の課程を全て終えて神学校を後にする。
 それぞれ、献身に至るまで様々な歩みを重ねつつ、神様の招きの声を聞くことになって神学校の門を叩いた。人生経験の豊かさを思う。それだけに教会での働きには自分の賜物を生かして、主に仕えることだろう。人生の深みでみ言葉に生きる力を分かち合ってくれることと信じている。
 ぜひ、この卒業生がどんな風にみ言葉を取り次ぐものと育ってきたのか、証人となっていただき、励ましをもらいたい。
 お集りいただければと願っている。

 それぞれの赴任地は、この神学校の夕べでお伝えした通り、
中川祐子氏はNRK新潟地区の招聘を受けて新発田教会へ赴任。
中島共生氏はJELC下関教会、厚狭教会、宇部教会。
小澤周平氏はJELC名古屋めぐみ教会。
筑田仁氏はJELC甲府教会、諏訪教会。

彼女・彼らのこれからの働きに祝福を祈っていただければ幸い。

2018-02-13

2017年度 神学校の夕べ

今年も、「神学校の夕べ」で新しい卒業生を送り出す季節となった。

日時は、2018年2月25日 午後4時から
場所は、日本福音ルーテル教会宣教百年記念東京会堂(東京教会:新大久保)
テーマは「かけら」。


2017年度の卒業生は、多田哲さん(JELC豊中教会出身)、野口和音さん(JELC熊本教会出身)、東谷清貴さん(JELC松山教会出身)、森田哲史さん(JELC田園調布教会出身)の4名だ。
 4年前、それぞれの人生の歩みの中で、神様の呼び声を聞き、新しい歩みを牧師への召命として受け止めて神学校へ入学してきた。以来4年間、神学校での学びを深めてきたのだ。宣教の困難な時代、これからの教会を担う新しい人材を神様からいただけることは、本当に大きな恵みだ。しかし、その招きに応えていく一人ひとりにとっては、楽なことは何一つない。しかし、もちろん、この招きのなかで生かされていく喜びは、それに増して大きい。4年間の神学校の学び、教会での実習や研修のなかで、その喜びを味わいつつ、改めて主の召しを受け取り直して歩んできたことだろう。
 そして、彼らは、また新たに自身の生涯にわたる主の導きを実感していることだと思う。だから、彼らは皆、それぞれにこの主の召しに応える歩みの途上にあるといってもよいだろう。
 いま、神学校卒業の節目を迎えるが、主の召しを聴き続ける歩みが重ねられていくことになるのだ。彼らの証しする主の語りかけを、この夕べに聞いていきたい。
 
 そして、彼らのあらたな門出を祈りをもって祝していただければと、願っている。
 

2017-11-29

「共同記念」の苦労と喜び

日本福音ルーテル教会と日本カトリック司教協議会の共催で、宗教改革500年共同記念の行事が、11月23日祝日にカトリックは長崎の浦上教会において無事開催された。
五百年目にして、このように相互理解と交わり、そして共同・協働が可能になったことは、なによりも真の「対話」を重ねて来たことによると思う。



以下のURLにて、当日のシンポジウム、そして共同記念の礼拝を視聴できる。

https://www.youtube.com/watch?v=CkLUSYOPZoA

全国から600名近くのルーテルの信徒があつまり、同様にカトリックから長崎を中心として600名が参加されて1200名を超える方々が浦上の会堂を埋めた、その様子だけでもご覧いただければと思う。

この共同記念は、簡単に実現したわけではない。日本のカトリックとルーテルとで30年に渡り対話を重ね、洗礼の相互承認、そして『カトリックとプロテスタント、どこが同じでどこが違う』の出版や、『義認の教理に関する共同宣言』、『争いから交わりへ』の翻訳・出版を行い、2004年、また2014年と過去2度にわたる合同での礼拝を実現してきたことが、この企画を実現するための下地だ。カトリックの高柳俊一先生、ルーテルの徳善義和先生らが牽引してくださってきた神学的な対話ための委員会も、すっかり世代交代したと言ってよいだろう。委員会は、この企画のための準備委員を選び、企画原案をつくりながら委員会へと報告し、それぞれの教会レベルでの決定へと進めた。
今回の企画は、委員会での企画ではなく、教会レベルのものすることにこそ意義がある。しかし、委員会レベルにおいてさえ、両教会の間には大きな温度差も存在した。まして教会レベルでの取り組みとすることがどれほど困難なことだったか。
カトリックにとっては宗教改革を「記念」すること自体にそもそも意義を見出すことはできないし、日本という状況で言えば、そもそも乗り越えたり、克服したりしなければ成らないような「争い」も経験しているわけではない。この企画の意義とは一体何か?ということは国際レベルの委員会がリードをしてくれて文書を出した後でさえ、自分たちのものと成らなかった。
それでも、改めてこの宗教改革500年の時だからこそ、私たちが取り組むべき意義があることを見出していく。
一つは第二バチカン以降の両教会が重ねて来た対話と一致のための歴史を16世紀の分裂の歴史に対する責任として両教会が世に示していくべきではないかということが深められた。宗教改革ということが年号と出来事の暗記ものとしての歴史に成ってしまうのではなく、むしろ、私たちがその歴史に責任を負って生きる者であること証言していくべきなのだと理解されたことだった。
二つ目は、平和のメッセージを出す責任を理解したことだ。唯一の戦争被爆国、そして3・11での原発事故を踏まえて、非核という喫緊の問題に直面して、平和を単に国際関係の問題としてだけでなく、神のつくられた被造世界への責任として理解するとき、私たちが日本で、カトリックもルーテルも一人のキリストに結ばれて今、世界に発信するべきことがあるのではないかということだった。
この二つのことを踏まえて、ようやく動き出すこととなるのだ。
それでも、これが動いていくプロセスには、大きさもそうだがあらゆる意味で両教会には組織的な差があったために、準備にあたるものの苦労は、実は作業的なことばかりではなかった。総論でよしと成っても、各論、つまり実際はどこでどうするのかということが具体化しなければ成り立たない。これには、さらなる苦労が重なることと成った。
 つまり、「長崎」という場所が唯一カトリックとして取り組む土壌として浮上して、企画は軌道に乗せられたのだ。しかし、さて、ルーテルの側では「長崎」には小さな教会が一つあるのみで、しかも現在は専従の牧師をおいていない。この差のなか、出来ることは東京で準備していくことだったが、この取り組みを日本のキリスト教の歴史に対する一つの責任とも理解してきたし、自認するからには、このギャップは実は本当に大きなチャレンジと成ってくるのだ。
 それでも、執行部、事務局長は身を粉にして足しげく「長崎通い」をして一つひとつ理解を求め、この地でのカトリックの深さと大きさに圧倒されつつ、この地でとりくむことが出来ることの意義を、本当に深く知っていくことと成った。
 そうした積み重ねが、ようやく具体的な形になって希望が見えてくるのは、今年の春から初夏にかけてだ。そこからさらなる詰め、現場での実際を可能にする準備は直前一ヶ月でも終えられなかったのだ。それでも「長崎」現地の浦上の方々の大きな理解と協力を得て、これが実現していく。
 改めて、今回、この取り組みができたこと、大きな喜びのなかに味わっている。
 
 当日の感動は、さらに、深いものとなった。シンポジウム、礼拝のそれぞれの企画の布告とともに、また別に記したい。
 今は、まず、これを終えたことで、この歩みができたことを、神様の恵みとしてただひたすら感謝する。

2017-06-08

ルターとバッハ オルガンコンサート

 今年は、ルター宗教改革500年ということで、もろもろの行事が行われる。わけても、ルター宗教改革がもたらした文化・芸術の分野での企画は数は多くないが関心は高い。先だって東京と大阪の会場で行われたルーカス・クラナッハの「500年目の誘惑」も多いに関心を集めた。クラナッハがルターと同時代人というばかりではなく、ルターの友人として沢山の肖像画を描いていることはあまり知られていなかったかも知れないが、宗教改革の時代とその時代的・文化的背景や影響に触れることのできるものだ。もう一人、画家であり、多くの木版画で知られるアルブレヒト・デューラーもルターから多くを学び、福音を伝える聖画を残している。
 クラナッハやデューラーはルターと直接の親交があった芸術家たちだが、時代がくだってルターとは直接の面識はないが、それでもルターの著作に多くの学びを得た芸術家のひとりが、音楽家ヨハン・セバスチャン・バッハである。



 バッハといえば「音楽の父」とさえ呼ばれ、18世紀に最も活躍した音楽家のひとりでバロック音楽の巨匠だ。このバッハは、ドイツ、ライプツィッヒの聖トマス教会カントールであると知られているが、もちろんルター派の教会で幼い頃からルーテル教会の中で育ったのだ。ルターは教会の改革を神学的な側面で推し進めたばかりでなく、具体的な教会生活、わけても礼拝を大きく改革したのだが、会衆が礼拝そのものにおいて共にみことばに生かされていくように、会衆賛美歌を導入したことはよく知られている。いわゆるコラールと呼ばれるものだ。それまで、特別な訓練を受けた修道士、聖歌隊が礼拝での賛美を担当していたのだが、ルターは会衆こそがこの賛美歌を歌うことで、みことばを受け、共にそれを口にして礼拝から派遣されていくようにと、会衆歌としての讃美歌コラールを礼拝のなかに位置づけた。自ら作詞作曲もしているが、当時の民衆のなかで親しまれていた流行歌のようなメロディーにのせて神の福音を歌詞に歌うものが沢山つくられるようになった。それが、会衆の歌う賛美歌のはじまりだ。
 このコラールによって育ったルーテル教会育ちのバッハは、自らまた沢山のコラール編曲、作曲を行った。そして、彼は音楽家としてルターの福音理解に立って、それを音楽によって皆で神の恵みに生かされていくように作品をつくり続けたといってよいだろう。ルターの著作集を書斎においていたバッハは、折りに触れてルターと対話しつつ、神の深い恵みを音楽のなかに求め表している。その表現力に圧倒される。

 さて、そのバッハの音楽に触れる機会の一つとして、ルーテル学院は特別のオルガンコンサートを企画している。昨年、チャペルに与えられたパイプオルガンについての感謝とそのお披露目の意味も込めながら、企画している。
詳しいことは、下線の引いてある下のタイトルをクリック。曲名なども紹介している。申し込み方法も、ここで確認。

 宗教改革500年「ルターとバッハ オルガンコンサート」

ルーテル学院のオルガニスト湯口依子先生によるコンサートだ。
先着200名さまの要予約。

追加:素晴らしいコンサートでした。湯口先生に感謝。
   コンサートは二部構成で、前半はルターのコラール。後半はルターの教理問答に基
   づく選曲でした。

今回、短〜く、「ルターとバッハ」についてお話する機会を与えられて,少し整理しながら調べていくと、やはりオルガン芸術そのものがルター宗教改革によって生まれてきたということがよくわかった。
 会衆が教会に集い、賛美を歌う。このコラールの誕生が以後の教会音楽、そしえオルガン芸術に決定的な影響をあたえたのだ。つまり、会衆の賛美が当然となれば、これを支える伴奏を行うオルガンが必要とされたということだ。宗教改革から百年くらいかかって、次第にこうした会衆の歌うコラールとその賛美を支えるオルガンという対応がしっかりと位置付いてくる。シュッツ、シャイン、シャイトらが1600年代のオルガン芸術をコラールをもとに確立させてくる。そして、また会堂全体に響きわたり、会堂がが丸ごと楽器になるようなオルガンが作られるようになる。アルプ・シュニットガーらオルガンビルダーが登場する。そして、このオルガンが用いられて、礼拝のために賛美歌を支えるということと同時に、その賛美歌をアレンジして礼拝の前奏曲や後奏曲が作られたのである。
 やがて、パッヘルベル、ベーム、そいてブクステフーデらの世代が出てくることとなったのだ。このブクステフーデこそ、バッハの師といってよいだろう。
 ルターが宗教改革を行い、礼拝改革を行って、会衆みんなで歌うコラールを作らなければ、こんなに素晴らしいオルガンの楽曲もパイプオルガンさえも発達しなかった、ということようだ。



2017-02-24

教職授任按手式 2017年

今年、日本福音ルーテル教会には二人の新しい牧師が誕生する。
 牧師となるのは次の二人。
  中島和喜(日本福音ルーテル市川教会出身)赴任地:札幌教会、恵み野教会
  奈良部恒平(日本福音ルーテル東京教会出身)赴任地:復活教会、高蔵寺教会

 2017年3月5日 午後7時から
 日本福音ルーテル教会 宣教百年記念東京会堂(東京教会)にて按手式が行われる。

神と人とに仕えるために召されて、4年間の神学校での学びを終え、教職試験、任用試験に合格した二人に、正規の委託を示し、また聖霊の特別の働きを求めつつ牧師として立っていく派遣のために、全体教会議長、副議長、各教区長、宣教師会長、教師会長たちが、新しく牧師となる者の頭に手を置いて祈る。




こうして、この二人が宣教の第一線に旅立つ。それぞれの地に立てられた教会を宣教の拠点として、みことばを宣べ伝え、人々とともに生き、伝道、牧会を担っていく。ここまでの歩みを支えてくださったのは、出身教会の牧師、教会員の皆さま、そして、実習・研修教会を通して出会った多くの方々の祈り。そして、人の思いを越えて働かれる神のみわざと信じる。

神学校を卒業するもう一人、

西川真人(日本ルーテル教団、杉並聖真ルーテル教会出身)は日本ルーテル教団の牧師となる。赴任地は北海道の旭川聖パウロルーテル教会と深川エマヌエルルーテル教会。

按手式礼拝は、3月26日、午後5時から 旭川聖パウロルーテル教会にて行われる。

三人の上に、さらなる主の恵みと祝福とを祈りたい。





2016-10-28

宗教改革500年、ルーテルとカトリック「共同の祈り」

ルーテル教会とカトリック教会とが合同で宗教改革記念の礼拝、「共同の祈り」を行う。

  (ライブ中継は、次のURLで)
    http://www.lund2016.net/media/livestream/
 
宗教改革500周年を一年後に控えて、今年、2016年の10月31日にルーテル世界連盟発症の地、スウェーデンのルンド(ルンド大聖堂とマルメアリーナ)にて記念式典があり、フランシスコ教皇(カトリック教会)、ムニブ・ユナン牧師(ルーテル世界連盟議長)、そしてマーティン・ユンゲ牧師(LWF事務局長)の共同司式にてこの礼拝が行われる。
                 
                              (ルンドの大聖堂)

 両教会の合同礼拝は、1999年の同じく10月31日に『義認の教理に関する共同宣言』の調印の時に続くものだ。対話は続き、この合同の礼拝をもつために『争いから交わりへ」を公式発表し、さらに準備が重ねられてこの日を迎える。
 20世紀エキュメニズムの大きな流れが、とりわけ1964年にカトリック教会が「エキュメニズム教令」を発布して加速度的に進展してきた結果が、両教会の新しい時代を切り開く画期的な決断へとつながって、今回の合同礼拝が行われる。16世紀に宗教改革が起こり、互いの教会をアナテマを伏して断罪しあった歴史を、「和解と平和」のメッセージの中に塗り替える。この礼拝を受けて、来年の500周年は、世界中でこのメッセージを共有するようにと促されるだろう。
 日本においての企画は、間もなく公式に発表される。楽しみにしたい。
 

 

2015-04-08

2015年度 入学始業聖餐礼拝

 日本ルーテル神学校、2015年度の入学始業聖餐礼拝が4月2日に行われた。
その礼拝での説教。
 『真理の霊によって生きる』ヨハネ14:15〜17


 新しい年度を迎え、神学校には3名の新入生が与えられました。また神学基礎コースにも2名の方が学びをはじめてくださることになりました。それぞれに主のみ声に聞いて、ここに集められたのです。改めて、その恵みと導きに感謝を祈りたいと思うのです。
 今年の、この入学式とオリエンテーションは、ちょうど受難週にあたりました。イエス様が十字架の死において、またご自身の復活によって、私たちに神の愛を表し、新たないのちを生きる道を開いてくださる。その出来事をたどっていく時です。
 特に今日は洗足の木曜ということでもあって、お読みいただいた聖書は、ヨハネの14章。この洗足の後に主が弟子たちに話された告別説教と言われている個所です。イエス様は、弟子たちと共にいることがもはや限られているというはっきりとした想いのなかで、弟子たちに語られている個所です。だから、ここには、弟子たちにどうしても伝え残しておきたいことがみことばに刻まれている。弟子たちが、そして私たちが信仰に生きるためのみことばです。
 繰り返し言われるのは、イエス様が神のものであったこと、父と子とが一つであったこと。そこに愛と従順があり、確かな繋がりがあったということですが、その一致によってイエス様が生きられたように、あなたがたも私キリストと繋がり、一つとなって、人を愛し、仕え合うようにと教えられる。それが神とキリストの一致に与って、キリストと一つになる信仰を生きるようにとすすめられているのです。キリストのみことばに聴き、愛に留まることで、弟子たちが確かな信仰のみのり、豊かな働きをもたらすものだという約束が語られているのです。
 なぜ、そのことを繰り返しいわれるのでしょうか。それは、ほかでもなく私たちが信仰を保つことができず、主を見失う時が来ることを、イエス様ご自身がご存知だからなのです。キリストの内の留まることができない、信仰が見えなくなる。
 福音書を書いたヨハネの時代の人々にとっては、おそらく迫害が一番大きなこととしてあったでしょう。しかし、あらゆる困難や危機、またそのなかに私たちを捕らえようとする誘惑、人間の思いが、信仰の根っこであるキリストに留まることを妨げる。そのことをイエス様はご存知なのです。だからこそ、繰り返し、信仰に留まるべきことを語っておられるのです。
 しかし、そう教えられるだけではありません。主は、その時の具体的な助けを約束してくださっています。主のもとに留まり続けるということ、それは主が私たちに命じられ、また望まれていることですが、私たちの力にあまることだと主は知っていらっしゃる。それが本当に可能なのは、私たちの力ではなく、私たちを捕らえ、生かす、神の助け、真理の霊によるのだ、だからこそ、主はキリストにつながって愛する戒めを守るように、繰り返し教えすすめながら、神の働きにのみ救いを求め、信頼するようにと招いておられるのです。

 そんなことは、私たちは分かっているつもりでしょうか。救いは恵みのみによる。信仰は神の働き。ルーテル教会で伝えられてきた信仰義認の教理は、鮮やかにそのことをしめしているのですから。でも、改めて、新年度を迎え、自分の召命を確認する時に、そこに私の出発点があると、深く心に受け止めたいのです。召命が尋ねられ、自分の信仰や取り組みを思う時だからこそ、私たちの信仰の源が主にのみあることを思い起こしたいのです。

 この3月に、ちょうど今年が七十周年にもなった3月10日東京大空襲と、4年目をむかえた東日本大震災のことが何度か、テレビや新聞で取り上げられました。多くの犠牲者を生んだこの二つの出来事は、一つは戦争の悲劇、もう一つは自然災害の脅威です。全く違う二つのできごとなのですけれども、なす術なく、多くのいのちが奪われていったことにおいて共通しているのです。そして、その不条理さは私たちにとってある決定的な信仰の問いを突きつけているのだと、わたしは思います。
 私たちが今日、宣教を考えるとき、そこにあるのはどのような言葉を持って信仰を分かち合えるのかという問題ですが、その答えは、この私たちの信仰への根源的問いを共有することを忘れたところには見いだされないように思う。
 もちろん、こうした不条理の問題は、あの旧約ヨブ記において示されているように、古くから取り上げられてきた問題です。けれども、今日のように、たとえば原子力の問題が象徴的にそのことをしめしているのですけれども、神の創造された世界、一切を無にしてしまうような危機の前に立っている現代の人間精神には、神を信ずるということについて、決定的な問いとなっているように思うのです。

 わたしは、今でもおぼえています。あの3・11のあと、しばらくして、テレビで人気歌手グループがうたった「夜空ノムコウ」という歌の歌詞が私たちの信仰の原風景をうたっているように感じられたのです。その歌は、こううたいだされるのです。「あれから、僕たちは何かを信じてこれたかな〜」。信仰の言葉は、あの時から虚しくなってしまったのでしょうか。
 あれから四年が経って私たち東京に生活するものにとっては、そのことは次第に忘れられていっているのかも知れません。けれども、被災された方々の多くは、仮設住宅で細々と寒さを凌ぎ生きる人たちがいる。ふるさとに帰ることのできなくなった人たちがいます。放射能汚染の問題に発病や死の不安を持つ人々がある。自分たちの畑でとれたものを子どもに食べさせて大丈夫なのかと恐れる母親たち、自分は将来結婚して子どもを産むことを望めるのかと心をふるわせる少女たちがある。
 私たちは、忘れようとしているのでしょうか。見ないようにして生きていないでしょうか。けれど、私たちはこの現実のなかにあるのです。

 原民喜という人をご存知かと思います。原爆小説『夏の花』を書いたことでご存知でしょう。もともと左翼の活動家でもあり、詩人としても作家活動をしていました。40歳の時に広島で被曝し、その経験をメモしたものをもとに小説を書いたそうです。原爆を題材にした多くの小説のなかでも最もすぐれたものの一つとして評価されています。
 たまたま、彼はその時にお手洗いにいたことで、あの原爆の威力から逃れ生き残ったのでしたが、その直後のあの広島に見いだされた惨状を克明に私たちの心に刻むことばが小説に記されています。その文章から、何もかもが吹き飛ばされ、燃えつくし、人々は影になって焼き付き、川に死に倒れ、あるいは生き延びても焼けただれ、顔は腫れ上がり、水を求めて彷徨う姿とうつろなまなざしが見えてくる。
 彼は、その人々をかき分けるようにして避難する。その中で、一瞬彼に起こった思いというか、感情を記しています。

「私は狭い川岸の径へ腰を下ろすと、しかし、もう大丈夫だといふ気持ちがした。長い間脅かされていたものが、ついに来るべきものが、きたのだった。さばさばした気持ちで、私は自分がいきながらえていることを顧みた。かねて、二つに一つは助からないかもしれないと思っていたのだが、いま、ふと己がいきていることとその意味が、はっと私を弾いた。
 このことを書き遺さねばならない、と、私は心につぶやいた。けれども、その時はまだ、私はこの空襲の真相をほとんど知ってはいなかったのである。」

 この惨状のなかで、いきていることの一切の意味が見いだされないような状況の中で、かれは、生き残った自分に与えられた使命を感じるのです。天命として、この現実を書き遺す使命を、自分を弾くような衝撃とともに受け取ったのだというのです。その感覚は、少なくとも彼を捕らえ生かしたことだと思う。原民喜は小説家として、この使命を生きたのです。
 けれど、それだけではもしかしたら何かが足りなかったのかもしれません。彼は、「夏の花」を書いてから4年目の1951年3月13日に吉祥寺と西荻の線路に身を横たえたのでした。
 
 私たちが今の時代に、牧師としてたてられていく、その使命をどのように感じていますか。自分を弾くようにした感覚は、あなたを呼ぶ神様の声です。何をするように求められているのだろう。
 私は確認したい。あなたを捕らえた弾くような感覚は、あなたへの確かな救いの出来事なのです。そして、あなたに与えられた使命は、この惨状・この不条理を記録することだけではなくて、「ここに、主がいたもう」という救いのメッセージを分かち合うことです。
 それを可能にするのは、あなたを捕らえ、ここに導きたもうお方が、真理の霊であるという、ただそのことによっているのです。真理の霊。それは、嘘偽りなく、ごまかしもなく、この現実に向かい合って、その重荷を負って生きるための勇気と力、慰めであり、助けである神ご自身の働き、あるいは臨在なのです。そして、そのよりどころは、キリストの十字架にある。 
 キリストが十字架におかかりなって、「我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか」と、神が自分を見放したという叫びのなかに死にたもうこと。にも拘らず、その主が復活のいのちを示してくださったこと。その出来事が、あらゆる時にすべての信仰を支えるのです。一切が虚しくなってしまったのか、と思わされるその現実の中、その出来事があなたを捕らえているのです。その出来事が私たちを生かしているのです。その出来事が私たちの信仰をつくるのです。
 
 皆さんが、信仰の歩みの中で聞き取られた召命の言葉。それは、間違いなく皆さんを導いています。もちろん、その歩みがどのようにかたちを整えてくるかは、分かりません。牧師になることだけが答えなのではないのです。けれども、大切なことは、あなたに語りかける声がある。あなたを生かす真理の霊がある。あなたを助け、あなたを導き、あなたを用いたもう主がいたもうということです。そのことへの信頼をもって、私たちの直面する一つひとつの現実に誠実に向かい合っていきたいと思う。
 新年度、それぞれに召されてここに集っています。赦された歩みがどのように主によって整えられるのか、希望と期待をもちつつ、私たち自身もその恵みに応えていきたいと思うのです。

2014-10-24

カトリック・聖公会・ルーテル 合同礼拝

 2014年11月30日(日)待降節第一日曜日の午後5時から、カトリック教会と日本聖公会、そして日本福音ルーテル教会の合同礼拝が行われる。これは、カトリック教会が第二バチカン公会議(1962〜65)において公にした「エキュメニズムに関する教令」からちょうど50年目に当たるということで、カトリック教会がかねてエキュメニカルな対話を重ねてきている二つのプロテスタント教会に呼びかけ、協働の準備委員会を組織することで実現の運びとなったものだ。


こうした教会間の交わりは、単に仲良くしているということや協力をするということを超えて、本来、キリストの教会として一つであることをどのように見える形で実現していけるのかということを追い求めるエキュメニズム(教会一致運動)のなかでつくられてきている。
 16世紀のルターの宗教改革を皮切りとして、それまでローマ・カトリック教会という一つの教会であったものが分裂をし、それぞれ信仰的な主張と、歴史的・地理的・政治的要因から別々の教会として存在するようになった。ローマ・カトリック教会はただ一つ、キリストの教会は自分たちのみで、他は異端として退け、基本的にはプロテスタント教会はキリストの教会とは認められて来なかった。しかし、20世紀の半ば、第二バチカン公会議においては、そうした過去のカトリック教会の見解を大きくかえることがたくさん表明されたが、プロテスタント諸教会に対しても「」とよんで、この存在を認め、交わりを持ち、信仰を確認し合う様々な取り組みをするようになったのだ。
 エキュメニズム教令は、いわば現在のキリスト教会のエキュメニズムを考えるときに画期的な文書であり、またこれによって、具体的な教会の交わりや話し合いがつくられてきたのだ。
 日本でも、この交わりが具体化してこれまでも幾つもの成果を生み出している。世界のルーテルとカトリックの間では、1999年10月31日に「義認の教理に関する共同宣言」が調印され、同時にアウグスブルクの教会で合同の礼拝が行われた。それから5年後2004年にその「共同宣言」の日本語翻訳版が出版されたが、その際に四谷のイグナチオ教会のマリア聖堂でカトリックと日本福音ルーテル教会との合同礼拝が行われ、300人の会場があふれて入れないほどになった。2008年、カトリックと日本聖公会も『マリア――キリストにおける恵みと希望』の邦訳刊行を記念して、合同礼拝をおこなった。実は同年、日本聖公会と日本福音ルーテル教会の間でも『共同の宣教に召されて』という、これは欧米でのルーテルと聖公会の合意文書の翻訳のものが出版されて合同礼拝が行われている。
 そうした日本でのエキュメニカルな運動が具体的な二教会間では進められてきたのだが、今回は、初めて三教会合同での礼拝となる。
 この三教会の合同の礼拝は、世界でも例はない。日本の教会がそれぞれに積み重ねてきた対話と礼拝の実績が大きな力になって実現したものだ。
 世界のエキュメニカルな交わりと礼拝という側面では、1982年のリマ文書、及びリマ式文の成立ということが最も大きな出来事で、その時にはカトリックも含めて多教派間での交わり、礼拝も世界では行われたかもしれない。しかし、合同礼拝はそれほど多くは実現しなかったのが実際のところだろう。その後は、二教派間の交わりは世界各地ですすんできたけれども、それ以上には広がってきていない。そういう実情のなかで、今回の三教会合同の礼拝は非常に意義深いものだといえよう。
 礼拝の説教はルーテルの徳善義和牧師。日本のみならず世界でルター研究並びにエキュメニカルな対話において長くご貢献くださっている先生にお願いすることができた。
 礼拝に先立ち、シンポジウムも行われる。カトリックの光延一郎先生、聖公会の西原廉太先生、そしてルーテルからは石居基夫がシンポジストとしてこのことの持つ意味を学ぶ。司会は江藤直純先生。
 

2014-04-22

 神学校の聖週間とイースター

 神学校では、今年も、聖週間の礼拝を寮のチャペルで毎日守り、そして、イースターヴィジルを三鷹教会と合同で行った。神学生は、この間もそれぞれ実習教会のプログラムにも加えていただき、イースターの喜びへと連なっていくこととなった。

(写真は、ヴィジルの礼拝での復活のロウソクと洗礼を覚えるための水と枝)
         
 イースターは、毎年日にちが変わること、そして年度の節目と重なることもあってそれぞれ違った味わいを頂くことでもある。今年はちょうど4月の第二週から三週ということで新年度の学び、実習のスタートと重なって忙しいけれども充実した密度の濃い時間を神学生が共に過ごすことができたのではないか。
 
 私自身も、久しぶりに洗足木曜の礼拝を担当させていただいた。神学生とともに祈り、また洗足の式で足を洗い合い、主が私たちに命じられた「互いに愛し合いなさい」とのみことばが、主ご自身の深い愛に包まれ、支えられ、生かされていく恵みのなかに語られたことを受け取ることができた。今、この場所を離れている仲間をも心に留めながら深い祈りへと導かれた。

 やはり共に集い礼拝に与り、祈りを合わせて、みことばに養われることでこそ信仰が支えられ、宣教へと遣わされる一人ひとりがたてられてくる。ただ神学生の学びと研鑽が行われるというのではなく、そうした信仰の共同体として神学校が与えられているということが何よりも大切なことと改めて思う。
 
 



2014-02-24

『聖卓に集う』

ルーテル教会の礼拝を実践的に学ぶためには、ぜひとも手もとに置いておきたい一冊。



日本福音ルーテル教会、日本ルーテル教団が現在用いている「青式文」は1996年に出版されたが、この出版に至る前十数年間は試用版が用いられていた。いわゆる「白式文」だ。その編纂に関わられたのが前田貞一牧師。最終的な「青式文」が決定されていく時にはその委員の役割からはなれられてもいたため、前田先生の思いとは別に「白」から「青」への微妙な変更がなされている。しかし、「青式文」ができてもその公式の解説などは委員会の仕事とはならなかったので、現在の式文の包括的な解説と実践的説明を求めるとすれば、これを読むのが最も良い。先生の礼拝学の深い見識と牧師としてのご経験が盛り込まれ、礼拝について深く学ぶことができる。
 私自身、神学校で前田先生に礼拝学を教わったのだが、ちょうど私が神学生となって実習をさせていただいた東京池袋教会で初めは協力牧師として、後には主幹牧師として直接に教会でお世話になった。先生からは、沢山のものを受け取り、学ばせていただいた。主日の礼拝のなかで、先生が式文を用いた礼拝の意味やそこで養われる信仰・敬虔について具体的に教えてくださったことは忘れることはない。
 現在、近い将来の式文改定へむけての準備に加わっているが、その時にいつでも現在の式文を振り返り、学ぶことができるのは、この一冊があるからだ。前田先生の貴重なお働きに感謝している。
 ルーテルの神学生は手もとに置いておくべき一冊だ。

2014-02-11

基調講演『ルターの礼拝改革と私たち』①

今日の基調講演のレジュメを起こして、講演内容を少しずつ紹介したい。

宗教改革は礼拝の改革として
 宗教改革は神学的問題にとどまるものではなく、実践的な教会の改革であって、また当時の人々のパイエティを変えた。具体的には礼拝の改革が中心であった。しかし、それまでのミサを廃止したわけではなく、改革したものだ。ルターは「最も重要で、最も有用な秘訣は、ミサにとって何が根本的、根源的なものか、何がそれに付加された無関係なものかをしることである」 という。当時の教会の礼拝(ミサ)において根本的なものに無関係で、またさらに言えば有害な要素が付け加わっていたのだ。だから、今一度、礼拝が本来あるべき根源的な姿を取り戻す必要があったということだろう。その改革はどのような原理、礼拝についての理解(神学)によったものなのか。

. 神の業としての礼拝 Gottesdienst
 礼拝は、神の奉仕。神にたいして私たち人間が捧げるという人間の業ではない。礼拝は「捧げる」というよりも「与る」とか「まもる」という言い方をする。つまり、神のわざ、救いの働きなのであって、人間のわざではない。その神のわざとしての礼拝とは次のような本質をもっている。
(1)神のわざ、それはみ言葉をとおして
   ①改革のなかで、たとえば聖餐が二種陪餐へと変えられる。それは、ただ、イエ 
    ス・キリストの約束、そして命じられた言葉に従ってなされること。改革は、神
    の言葉にその筋道が見いだされる。
   ②同時に、たとえば急進的なカールシュタットの改革を制止し、「唯一私たちの心
    における偶像を取り除くのはみことばの説教」であるという。み言葉が働き、私
    たち自身を変えていくという原則をもっていることも、大切なこと。

(2)福音の中心性
   ①福音の明瞭に示されること。これが礼拝にとって必要なこと。神による人間への
    救いの働きがゆがめられたり、隠されたりすることのなく示される。すなわち、
    宗教改革の神学によって確認された、神の恵みの働きのみによる救いがある。
   ②聖餐の理解ではっきりと示されたと言ってよいが、礼拝は犠牲ではなく、神によ
    る賜物として、すなわち人のわざではなく、神の救いのわざとして示される。 

(3)信仰者を創造する
   礼拝は、信仰を要求する。ex opera operantis という主張は、執行者の問題では
   なく、受領者の信仰に基づく有効性を主張している。信仰義認という言い方も同じ
   だが、それは、けっして信仰が前提条件ということではない。無条件的な神の救い
   のみ業であることは間違いない。しかし、その神のわざが、不信仰から信仰を創造
   するのであり、それがみことばによる礼拝。信仰とはなれては存在しないという意
   味。逆に言えば信仰者がそこに存在しないままで行われた私誦ミサなどへのするど
   い批判でもある。礼拝はそこに人がいて、み言葉が聞かれ、そのみ言葉の働きによ
   って、信仰がその人の内に創造され、生かすわざ。

2014-01-31

「献身の祈りの夕べ」

 今年の「神学校の夕べ」は、例年とはおもむきを変え卒業生を送り出すための祈りの夕べではなく、献身者が起こされるようにと願い祈る夕べとしての企画となりました。

今年は、ルーテル神学校始まって以来おそらくはじめてのことと思いますが、卒業生のない年となりました。今までも、1名の卒業生というようなことは何度もありましたが、卒業生が一人もいないという年は一度もなかったのです。
 これは、一大事!しかし、これは現実です。神学教育にたずさわる身として忸怩たる思いがあります。
 そして同時に、この事実に、神学生が育てられ、牧師とされていくことが、どれほど神の恵みと導きに支えられてのことであるかということを改めて思わされることです。神学校は、牧師養成を担っているのですけれども、この働きが私たちのわざによるのではないことを深く受け止めることとなりました。私たちの願いや計画を私たち自信がひた走り、そして、ことがなるというわけにはいきません。私たちの考えを打ち砕いても、ただ、神のみが人を召し、導き、養い育て、牧師として派遣されるのです。そして、その神のみ業によく仕えるよう教会は整えられ、神学校をはじめその働きを担うものが遣わされ、用いられていくばかりなのです。
 
 例年、神学校を卒業し牧師として旅立っていく者たちが、み言葉を取り次ぎ、在学生たちはその旅立ちを祝い、皆が主の招きを思い起こし、感謝のうちに祈りつつ、按手と派遣に備えるようこの「神学校の夕べ」の礼拝が守られてきました。ですから、例年学生たちが主体となって、この夕べを準備するのです。
 今年は、卒業生のいない中で、学生たちは是非この時にこそ、「召命・献身」の主のみわざ、そこに起こされてくる私たちの応答の奇跡を思い、その出来事を共々に確認し分かち合っていく礼拝をしたいとこの準備をしています。
 この夕べが、このような形で守られることは二度とない!ことと思います。そう信じつつ、この礼拝へと皆さんをお招きしたい…。
 
 

2013-08-18

聖公会ールーテル合同礼拝 2013

 2013年9月14日の土曜日、日本聖公会と日本福音ルーテル教会とのエキュメニカルな交わりと宣教協力の具体化のために、合同の礼拝をいたします。
 2008年のペンテコステに聖公会とルーテルの国際的な対話の諸文書が翻訳出版され、その記念として合同礼拝が聖公会の聖アンデレ教会で行われました。それから、早いもので5年が経ちます。委員会レベルの対話では聖餐に関する学び、実践的な交わりを重ねています。また、両教会の神学校でも継続的な交わりを持っています。しかし、より具体的に、そして実際的な宣教の協力を考えてゆくためには、より多くの交わりを各地域で展開して行く必要があると考えて来ました。

今回は、日本福音ルーテル教会の東京教会を会場にして、合同の礼拝を行います。こうした積み重ねが、それぞれの地域に教会での交わり、合同礼拝などの取り組みを生み出してゆければよいと考えられています。
 2017年に宗教改革500年記念の年を迎えますが、ルーテルとカトリック、ルーテルと聖公会、そして聖公会とカトリックそれぞれの対話・協働の働きが重ねられているので、この年には3教会の合同の礼拝も行えたらと願っています。おそらく、そのための具体的な取り組みが来年度には実現することになるでしょう。
 21世紀を迎えて、国とか文化を超えた交流が常識となる一方で、経済的な格差問題を軸に分裂・分断、対立・争いが絶えることなく繰り返されています。キリスト教の中から、今の時代にむけて一致・協力、平和などのメッセージを具体的に示してゆくためにもエキュメニズム(教会一致運動)の責任は大きい訳ですが、そのためにもこの合同礼拝の取り組みが、一つのステップを踏んで行くものと考えたいのです。