2010-05-20

『死生観の誕生』

前回に続くが、もう一冊紹介したい。
日本人の死生観が、その歴史状況の中でどのように形成されて変遷をしてきたのか、文学作品などを手掛かりに大野順一氏の深い洞察によって明らかにされている。
                 死生観の誕生
戦国時代の武士の戦場での死は、もはや老いや病気などによるものではなく、「争い・殺し合う」という人間の歴史のなかの出来事となった、不自然な「死」であるにも関わらず、それ以前から死ぬことをいいならわしてきた「自然(じねん)のこと」をそのまま用い続けている。これは、もはや「自然(じねん)」の概念が崩壊していることを意味しているといえよう。戦国のヒストリカルな出来事が日本の伝統的なコスモロジカルな概念を打ち崩していく様子を知ることができた。また、この戦国の武士が戦場で「無名(アノニム)の死」を死んでいくこと、そして還るべき場所を失った「故郷喪失」の体験をしていることなどの分析は現代のありようを考える上でも、非常に示唆に富む研究と思う。

2010-05-15

『日本人の死生観』

今年度、これまでの授業の一つを少し衣替えをして「死生学」として木曜日の5時限目に開講している。すでに長くこの枠で公開講座としてきたもののバージョンアップと考えている。このクラスで用いたり、紹介する文献を紹介していきたい。初めにとりあげるのはこれである。


日本人の死生観〈下〉 (1977年) (岩波新書)
日本人の死生観に関する本は今や星の数ほど出版されているが、この岩波新書の二巻本はこの種の研究をする場合の必読書といえよう。
加藤周一とリフトン、ライシュ3人の共同研究の翻訳で、近代日本人6名のケーススタディでが基礎となっている。終章の考察は圧巻で、特に加藤氏の挙げる日本人の死生観についての五つの特徴は極めて示唆に富むものである。


日本人の死生観一連の特徴を簡単にまとめると次のとおりである。

第一に、家族、血縁共同体、あるいはムラ共同体は、その成員として生者と死者を含む。

第二に、共同体の中で「よい死に方をする」ことは重要である。

第三に、死の哲学的イメージは、「宇宙」の中へ入って行き、そこにしばらくとどまり、次第に溶けながら消えてゆくことである。

第四に、「宇宙」へ入ってゆく死のイメージは、個人差を排除する。

第五に、一般に日本人の死に対する態度は、感情的には「宇宙」の秩序の、知的には自然の秩序の、あきらめを持っての受け入れということになる。



私自身は死生観をめぐる日本人の宗教性(霊性)には「共同体指向型の霊性」と「自然志向型の霊性」があると考えているが、加藤先生の挙げる前半二つは前者に、他の三つが後者に関連しているとみている。
この研究は直接に現代の日本社会の「死」をめぐる問題を浮き彫りにするということではない。むしろ、近代の日本人を取り上げたということで、現代日本の中から失われつつあるようにさえ見られうる日本人の伝統的な死生観を近代という文脈の中において確認するものといえるかもしれない。そして、そうした「伝統的」なものは、現代でもある種の影響力をもっているように思われる。この研究から学ぶものは多い。一読されたい。