2016-08-08

『遺体』に言葉をかけること 『遺体:明日への十日間』をみて

『遺体:明日への十日間』石井光太原作、君塚良一監督。西田敏行主演。

                                  

西田演ずる相葉常夫が主人公。現役を引退した相葉は、釜石での民生委員をしていたが、そのときあの3・11の地震と津波が起こる。その被災の最初の十日間が描かれている。
海辺の街は壊滅。助けに駆けつけても、誰もいない。見い出されるのは、亡くなった人たちだ。次々に遺体が安置所となった小学校の体育館に運び込まれる。海水と泥にまみれた瓦礫の中から見出された遺体がビニールシートにくるまれておかれていく。かつて葬儀社にいた相葉は遺体の扱いを知っているとボランティアになって、その場所に行ってひとつひとつの遺体を丁寧に扱い、きれいに並べるように指示をしていく。ビニールシートを毛布に変えて、まわりをきれいに整えるようにしていく。

 そこに家族が探しにくる。少し離れたところで自分たちは助かったけれど、家族を失った、探しに回る家族たち。一緒に逃げていたはずなのに、つないでいた手が引きちぎられて、津波にさらわれた娘をやっと見つけた母。現実は何と残酷なことだろう。生死の境を突然異にしてしまう。
 後悔。助けられなかったことの悔しさ、無力さ。圧倒する死の力に飲みこまれてしまったように、遺された人たちも力を失う。誰もがことばをのみこんで、黙々と作業をする。役場の職員も皆被災しているが、それでも懸命に仕事をする。人を助けることにならず、遺体を収容していくだけのこの仕事に、無力感だけが広がる。

 そのなかで、相葉が声をかけていく。遺体に話しかける。
 「ああ寒かったね。家族の人が来ましたよ。見つけてもらってよかったね。逢えてよかったね。」

 たった一つの言葉かけが、一つひとつの遺体に、その人その人の尊厳を取り戻していく。遺体は単なる死体ではなく、ご遺体となっていく。そこにいる人たちは皆、そのやりとりを聞いて、そこにいのちを落としていった一人ひとりの人としてのそのかけがえのなさをもう一度受け取っていくこととなる。
 遺族は、その必死に見い出したことに慰めを得る。

 人間の、その互いにかわす、一つの言葉かけは、人格的な交わりを取り戻すのだ。その交わりにこそ、人間の尊厳、人間のかけがえのなさを受け取る力がある。

 ならば、神のことばには、なお、その人のいのちを豊かにし、確かなものとする力があると信じられよう。


2016-08-01

1980年代の学生時代を振り返って ⑥

 少し遡り、最初に教育を学んでいったときのことを振り返りたい。実は、優柔不断な自分は、国文学を専攻しようか、心理学を専攻しようか、それとも教育を専攻しようかときめかねていたのだ。大学に進んでからこれを決められるという人文学部にとりあえず進んだ。そんな自分がこれを学ぼうと教育を専攻する一番の動機になったのは、大学での一つの出会いがきっかけだった。

 1979年に大学に入って、最初の「教育学」の授業。その先生は、「いやー、まいった」といいながら教室に入ってきた。何人かの教育学研究室の学生といっしょに、それまで学内食堂か研究室で話していたような、そんな雰囲気で入ってきた。教室にすわっている自分は何のことだかさっぱりだったけれども、とにかく、その先生の圧倒的な存在感だけが自分を惹きつけた。大学で学ぶということの不思議な魅力を、その一つのことばから、感じ取ったようなことだった。教授の名前は坂元忠芳。
 先生の手には、一冊の本があってこの第一回目の授業はその本の紹介からはじまり、自分をその本をどうしても読まずにはいられない気持ちにした授業だった。
 その本は、『愛と共感の教育』というタイトルで、糸賀一雄という日本の社会福祉で働いた人の講演集だった。戦後に「近江学園」という知的障害者の施設をつくり、また、最初の重度の障害児施設「びわこ学園」を設立した人で、講演のタイトルは「この子らを世の光に」というもの。この講演の最中に糸賀は倒れ、病院搬送されるが、還らぬ人となる。とにかく、その講演集をもって語る坂元教授は、教育は、愛によって、その子どもを人間として育てることで、そこに愛するという教師の関わりが愛するという子どもの心と産み出す、そういう人格教育こそ考えられなければならないというような話だったように思う。実際にはその講演集を読みながら、施設の中で見られる子どもたちとその子どもに関わるスタッフとの関係の姿に、教育の原点を見るというような講義だった。

 教育といえば、読み書きそろばんではないけれども、この社会に生きる主体として身につけるべき教養、自然科学や社会科学の基礎を学んでいくための力をつけることのように考えていた。そのために、もちろん大学で学ぶような学問のレベルに至るまでに、充分な基礎的能力と知識を系統的に学び、それがより効果的に身に付くようにその教育方法の工夫が必要とされている。学問にはもちろん諸説があり、未だに何が正しいのかわからないような議論がなされるものもあるけれども、高校までに習うことといえば、ほとんど解答のあることを身につけることだ。政治経済にしろ、地理歴史にしろ、あるいは物理化学の理系の科目でも、基本的な知識とものの考え方、分析の能力、もろもろの定理や公式をしっかりと身に付けることが求められてきた。だから、その正解にいかに効率的に、たどり着くことができるか。その能力が鍛えられることが教育なのだと、そう思い込んでいたと言ってもいい。
 もちろん、そういう学力偏重主義の学校教育というものへの反発がいろいろな形で噴出してくるのを目の当たりにしながら、中学高校を駆け抜けてきたから、それなりに教育というものの重要性を考えていたけれども、まだ、教育という現場で何が考えられるべきかということについては、自分の中には充分なイメージが持ててはいなかった。

 そんな自分に、教育とは人を育てること、人格教育であって、その基本は愛、愛の交流の中に、教育、共に育っていくということが出来事として起こっていくのだと強烈に印象づける最初の授業となった。
 今は、同書は古本でしか手に入らない。
 しかし、同じように、この糸賀の実践、そこにどんな考えと働きがあったかは、NHKブックの『福祉の思想』でも見ることが出来る。



 この坂元教授との出会いは、自分のなかに教育を捉え直す最大のきっかけになった出会いだったし、また、いずれ改めて記録することにしたいが、この糸賀一雄との出会いを与えてくれた恩人でもある。