2010-03-04

「見える一致」をめざして


この柊南天は、市ヶ谷センターの建物わきにさいていた。

昨日は、聖公会とのエキュメニズム委員会が市ヶ谷センターで開かれた。2008年度に国際レベルでのアングリカンとルーサランの対話の成果(ポルヴォー宣言とCCM)が日本語に翻訳されて、出版記念の意味もあって両教会の合同礼拝をしたことでこの交わりがさらに深まってきている印象だ。集まっている委員もそれぞれが敬意を持ちつつ、この交わりから何か新しい宣教の展開が生まれるように願いつつ真剣に、しかし楽しく会議を持っている。
エキュメニズムは、教派をこえて一つのキリストの教会としての交わりができることを目指しているが、とりわけ重要なのは目に「見える一致」の一つの具体化である、聖餐の交わりを共に出来るということである。今の日本福音ルーテル教会と日本聖公会との間では、洗礼の相互承認は協約も結ばれているのだが、聖餐の完全な交わりには至ってはいない。「完全な交わり」という意味は、それぞれの教会で執行される聖餐の礼典を福音に基づき、真の教会において行われる礼典として認めることを意味している。
この交わりの実現において、一番大きな問題はルーテル教会で執行される聖餐の礼典の執行者の問題だといえよう。聖公会では、カトリックと同じように歴史的なエピスコペート(監督職)のもとにあって按手を受けたものがキリストの代理として、この地上の司祭として、礼典を執行するものと認められる。つまり、ルーテル教会、特に北欧系のように古いビショップの伝統がない場合には、そこで牧師職にあるといっても、歴史的な監督のもとにあると認められなければその礼典は有効とは考えられないことになる。その問題について、つまり監督の職務ということについての理解のあり方について議論が重ねられてきたのが国際レベルでの両教会の対話での大きな成果であったといってもよい。
今の日本での二つの教会は、正式にこのエピスコペについての議論に入っているわけではない。しかし、いずれにしても、実践的に両教会の交わりを地域の教会レベルで実現させながら、日本の宣教のために協力し合う関係をつくっていくことを願っている。この新しい対話と交わりの構築が日本の他の教派、あるいは世界のエキュメニズムの交わりに資するものとなるように一つ一つを実らせていきたい。

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