「Ministry」誌の秋号が発行された。
特集をお手伝いさせていただき、天童荒太氏との対談も収録されている。
http://www.ministry.co.jp/
礼拝、牧会、リタージーなどについて諸先生方に執筆していただき、私自身も葬儀にかかわるQ&Aに応えながら、改めて「死」に直面する牧師のミニストリーについて深く考える機会となった。
「死生学」などを学んでいるといって、今回の特集でも私の書いた拙文を多用していただいたが、改めて「死」を語ることのおこがましさを実感している。私たちが出会うのはいつでも、まったく新しいその人だけの「死」なのであって、一般化することの出来ない個別性、一回性を持ったものだ。そこには一切の予断の入る余地のない「出来事」としての「死」がある。私たちは、そこでただ一切を神にゆだねるべきなのだ。
だからこそ、牧師が牧師として何か踏み越えてならない一つの線を踏み越えないようにしながら、同時に神を想うこころを確かに神に向かわしめること、そして、神がまた、私たちに示されること、働かれることの真実を御言葉において取り次ぐべき不可能をどうしても担わされる奇跡を牧師として謙遜に受け止めることを願って、この特集にあたらせていただいたつもりではある。
しかし、それでもなお、不遜なことばがあれば、それを清めて益としていただけるように願うばかりである。
ただ、今回、この特集でご協力いただきながら、執筆してくださった諸先生と心が重なるような内容になっていたことに何よりもうれしく思わされた。それぞれの専門の領域で葬儀をしっかりと取り上げていただいたことで、読み進むうちにカノンの曲を聞くがごとくに同じいくつかのテーマが繰り返されているように思われた。
全体として、良いものができたのではないかと思う。
是非、実践的に用いていただければと思うし、また、実践の中では、本誌に書かれたことを批判的にこえていって主ご自身の働きがそこに現れるものを共有していってほしいと願う。
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