2010-02-11

書評「人物でたどる礼拝の歴史」

「本のひろば」に掲載の紹介文

人物でたどる礼拝の歴史


礼拝学関連の出版が続き、近年その研究の充実ぶりには目を見張るものがあるが、そうした各種の研究書の中で、本書は、おそらく最も読みやすい礼拝学のイントロダクションにあたると言ってもよいだろう。現在に至るキリスト教二千年の歩みの中、欠かすことなく守られてきた主の礼拝が、どのような歴史的な変遷をたどってきたのか。礼拝の歴史に深く関与した人物に着目しつつ、礼拝の神学と実践の宝庫としての歴史に近づく一冊である。季刊誌『礼拝と音楽』に7年間にわたって連載されてきたものを中心に纏められたものであるだけに、とりあげられたトピックや人物のみならず、執筆陣の充実ぶりも壮観な印象である。
新たに書き下ろされた二項目を加えた全二十六項目は礼拝史のなかの全てのトピックを網羅するとは言えないのかもしれないが、使徒教父の時代から現代までの広がりの中で重要な項目が十分押さえられている。一つひとつの項目は、コンパクトではあっても、洗練され、凝縮された叙述なのは連載の故だが、執筆者の苦労と同時にその力量を思わせる。それぞれに深いかかわりをもった人物を初めに紹介する手法は、その時代、ことにもそこに生きる信仰者の姿を浮き彫りにしてくれる。「まえがき」にもあるように、礼拝はどんな時も個人のものではないけれども、まさにそこに生きる人々、「共同体の業」(レイトゥルギア)であればこそ、その時とところに生きた具体的な人物が感じられるところで、その共同体の姿も生き生きとして見えてくる。礼拝の神学の展開や実践的発展を歴史的に視るというよりも、その一つの時代に何が求められ、信仰者がどのように礼拝によって生かされていったのか、その時代と場所に焦点が絞りこまれていくことで、礼拝の豊かさを再度確認させられる叙述である。
読者は、読みやすく興味のあるところから自由に読み始めることができるだろう。しかし、読み始めたなら、必ずや他の項目にも目を注ぎたくなる。ローマ・カトリック、聖公会、ルター派、改革・長老派、メソジスト、バプテスト、あるいはピューリタンや敬虔主義の礼拝。今日の多様な教派にかかわる礼拝の源泉をそれぞれに見出すばかりではなく、その源泉が二千年の教会の歴史の中に改めて位置づけられることで、一つの教派的伝統がより大きなキリスト教会全体の伝統の豊かさとなることを思わされる。
日本についても、キリシタン時代やプロテスタント宣教初期の礼拝の様子を紹介していることは見逃せない。特に、日本最初のプロテスタント教会の礼拝が鎖国時代の17世紀にさかのぼるというくだりは、新しい研究の成果でもあり、宣教百五十年を祝ったばかりの読者には胸躍るものがある。
また、西方の伝統ばかりではなく、日本ではあまり一般に知られてこなかった東方正教会の礼拝伝統についても垣間見ることができたことも特筆すべきことだろう。近年ビザンティンの伝統が紹介されているところだけに、同じキリストの教会としての具体的な交わりと相互の理解がより進むように願うところである。読者には、この異なる伝統の具体的なイメージが伝わりきるものではないかもしれないが、その深い敬虔に改めて興味をそそられることになる。
リタージカルムーブメントやエキュメニカルなリマ式文、あるいはヒム・エクスプロージョンなども取り上げられて、現代の礼拝につながっている大きな潮流見ることも出来る。近年のアジア・アフリカ・ラテンアメリカなどのコンテキストから起こっている賛美や礼拝、新しい神学と実践の動きについては、もう少し時間を置いてから紹介されるということになろうか。
いずれにせよ、本書によって、礼拝に招かれ、礼拝から派遣されるダイナミズムの中にこそ、私たちの信仰の生があることを今一度教えられるのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿