2010-02-20

「中高年と再生」

今週、15-18日の4日間、ルーテル学院大学・神学校では教職神学セミナーが開かれた。。
テーマは「中高年と再生―人生の危機と信仰の歩み」。
やや硬い感じのタイトル。しかし、このセミナーで改めて「団塊の世代」についての実際を教えられ、また自分の世代との比べつつ、あの世代がいまの時代に大量に引退時期を迎えているという現実について考えさせられている。
あの「団塊の世代」は、自分の世代のちょうど一回り上になる。だから、いろいろな意味で自分たちがぎりぎりあの世代の影響を受けてきたといえるかもしれない。中学になったころにあの浅間山荘事件の連日の報道にくぎ付けになった自分は、大学生になってもうすっかりと時代は変わってしまっていたにも拘らず、学生運動の残り火のようなものを味わい、当時学生たちとしのぎを削った経験を話してくれる教授たちから、いい意味でも悪い意味でも『「学生運動」の後』を教えられてきた。社会の問題に鋭くきりこむイデオロギーの崩壊後の、自分たちの世代が90年代前半のあの「オーム真理教」をはじめとする新しい宗教を求めた中心的世代である。時代はポスト・オームとなって、宗教という衣を嫌い、スピリチュアリティーを求めるようになったわけだから、この世代間の相違はそれなりに興味深い。
しかし、江口氏は「団塊の世代」を生きた一証人として、自分たちがあの時に立ち向かっていた問題は、実は社会の問題ではなくて、今につながる時代の生み出してきていた内面的な「空虚さ」の問題だったと述懐された。これは、なかなかに深い考察だ。あの「団塊世代」との断絶の中で、自らを感じてきた世代としては、突然に親近感を覚えてくる。ならばと振り返るとき、ある種の憧れのような感覚と批判的な視点をもって見てきたあの世代に対する遅れ・・のようなものは、何のことはない逆に早すぎた彼らの世代の問題とも見えてくる。
さて、そうであれば、同じ時代を生きている我々が「中高年」という人生の節目に、どんな「ことば」をキータームとして神の言葉を聞き取るものなのだろうかと、改めて問い直したいのだ。

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