咲き始めはほとんど色を見せないでいたアジサイが、いつのまにか瞳にあふれる色をにじませている。
青い花が集まって咲く様子から「アジサイ(集真藍)」と名付けられたこの花の「花ことば」が、「移り気」や「変化」といわれるのは、こんなふうにふと気づかされる花の色の移り変わりの故だ。
この春に父が突然召された。もう、遠く暮らしていた父なのだから、亡くなったという現実は自分の日々の生活にはほとんど何の変化ももたらさないといってもいい。実際は、遺された母のこともあって往き来も多くなったし、いろいろな忙しい日々なのだけれども、やはりすでに「父」がこの地上には存在しないという実感を持つのは書棚の本を手にとる一瞬だったり、バラの赤い色に目をとめた時であったり。
6月11日にFEBCで放送になった「老いと死を生きる」という番組の録音は、父が亡くなる十日ほど前のことだった。「生きている」父や母のすがたを思いつつ語ったものだ。その父は今はすでに神の御許・天にある。いつの間に・・そうだったのか。
Motoo's Blog: 「老いと死を生きる」この青は何の色? しかし、天の青さ・・・・
本当のアジサイの花ことばは「辛抱強い愛」だという。
様々な変化の中にあって、波の中にもまれつつも、神様のその愛にこそ生かされていくものでありたい。
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