2016-12-05

ルター『クリスマス・ブック』

ルターの著作の紹介。
R.ベイントン編、中村妙子訳の『クリスマス・ブック』。

ルターによる短いクリスマスにちなんだ説教集だ。
説教は①受胎告知、②マリアのエリサベツ訪問、③降誕、④羊かいたち、⑤ヘロデ、⑥博士たち、⑦宮もうでの七編。これに、ルターが作り、家族で歌った、「天つ空より」よりの讃美歌が収録されている。
ルターの伝記『我、ここに立つ』の著者として知られるベイントン博士の手による編集。

ひたすら聖書に聴いていくルターの信仰と説教の力を充分に味わうことができる。
また、それぞれの説教にはルターの時代のデューラーやショーンガウアーの挿絵(版画)が入っているのも楽しい。
     

新教出版の新書版で1958年に出版されたが、繰り返して再版された。また、大人のための絵本のようなかたちで、ルター生誕500年を記念して1983年に出版されたものは挿絵も大きく、親しみをもってゆっくりと読むことができる。おすすめだが、手に入るのか??

2016-12-02

臨床牧会セミナー2017 宗教改革500年記念 『時代を生きる苦悩〜魂にふれる牧会』

来年、2017年は宗教改革500年の年。


この時を憶えつつ、来年春はデール・パストラル・センター主催で臨床牧会セミナーを開催する。
テーマは『時代を生きる苦悩〜魂にふれる牧会』。
日程:2017年2月6〜8日。場所:ルーテル学院大学
基調講演:江口再起(日本ルター学会理事長)「青年ルターと心の問題」(仮題)
分科会:「教会と青年」    発題:松谷信司(キリスト新聞・ミニストリー編集長)
    「女性とDV問題」  発題:松浦薫(矯風会ステップハウス所長)
    「ジェンダー」   発題:平良愛香(教団三・一教会牧師)
    「自死と牧会    発題:賀来周一(CCC理事長、DPC所員)

責任:石居基夫(DPC所長)

ルターは、中世末の激動する世界に苦悩をもっていきた人物。当時の西欧世界はキリスト教の世界であったから、救いをもとめて修道士にまでなるのだが、簡単に解決の出来ない「魂の深い問い」に捉えられたことから、「福音」を再発見するほどに求道をした人だといってよいだろう。そして、またそこにはルターが得ることのできたみことばによる、つまり、キリストご自身による牧会があったに違いない。それこそが宗教改革の核となったのだ。
 実際、ルターは宗教改革運動を担った人物、神学者としての側面が強調されるかも知れないが、生涯を牧師として生き、その最期も牧会のための訪問の旅の中で迎えることであった。牧会者ルターは、自分も生かされた神の福音(ことば)を、それぞれの悩みや苦しみの中にいる人々に分かち合う使命を生きたと言えるだろう。
   


 このルターの魂の苦悩と福音の働きということを念頭におきながら、現代世界において教会が直面している「苦悩」に向かい合うための「牧会」を学ぶ企画とした。4つの分科会は、それぞれに多様な課題を含んでいるので、ゆっくりと時間をかけながら問題を整理し牧会者として研究を深めたい。
 定員は60名ほどとなる見込みで、先着順となるので、早めにご予定に入れておいていただければと思う。申し込みについては、別途、お知らせしたい。

2016-11-20

「今、見えないものを曇りなき眼で」@本郷教会

 今年の3月11日のルターナイツに20分という短い時間でお話した、「今、見えないものを曇りなき眼で」〜宮崎駿の問いかけを受けて3・11以後を生きる〜を、今日は本郷教会で80分バージョンでお話しさせていただいた。
 レジュメとしてお配りしたものを記録としておきたい。お話ししながら、改めてアシタカが身に負った「のろい」のしるし(スティグマ)の意味を考えさせられている。



 新しい理想の未来(時代の中で差別され、人として認められないままの一人ひとりが人間として尊ばれるための世界)を築くというエボシ御前が、その実現のために自然を切り開いていくことを可能にするため放った石火矢の一発の鉄つぶて(自然の非神話化、生産のための資源として対象化し、搾取する)。その一発が「ナゴの守」(自然のいのち)に取り返すことの出来ない傷と死の苦しみ与えた。それが、あのタタリガミ(異常な荒ぶる神)を産み出した。自然と共に活きるエミシ村を襲うのは筋違いといっても、自然の不思議な連鎖に特別な意志も論理もない。「鎮まりたまえ」といっても容易におさまることのない、その恐ろしい勢いを食い止めようとしたアシタカは、死に至らしめる「呪い」をみにうけてしまうのだ。不条理なことこの上ない。しかし、まさにそれが真実な姿だ。
 3・11の災害は自然の驚異をとことん思い知らせるものであったが、他方、その時に伴った災害は、自然にたいして人間の文明が与えた決定的な傷であった。自然は苦しみもだえている。それは、いったいどれほどの大きな犠牲を産み出すものであったのだろう。スティグマを身に負うこと。その不条理は、どんな手だてをしても、簡単には救われることはないのかも知れない。けれども、「曇りなき眼」で、その真実をつぶさに見ることだけが、「癒し」につながる可能性という。私たちへ託された使命。宮崎氏の問いかけ。
 「もののけ姫」が1997年に公開されたというのは、なんと予言的なことかと思いもするが、ある意味では、3・11のもたらしたことは予測されたことでもあるということなのではないか。
 私たちは、キリストの信仰において、この問いかけに真っ正面から向き合わなければならないだろう。私たちは、「キリストの十字架のしるし」を身に負うものだからだ。
          
人間の愚かしさは、この矛盾をわかっていても、飽くことなき欲望と利潤をもって自らを豊かなものとし、全てを支配しようという誘惑からのがれられないことなのだ。それによって、私たちは、本当は助け合い、自らの肉の肉、骨の骨と尊重するべき他者との関係に破れをもち、憎み争うものとなってしまった。聖書は、そうした私たちの姿をアダムの堕罪として記す。その罪の結果、その子たちもまた関係に破れを増幅させ、羨みと憎しみをまして、カインはアベルの血を流す。大地はさらに呪いを吸い込んでいく。そして、大地はもはや作物を産み出すことがなくなり、カイン(人)は地上を彷徨うものとなった。

 「もののけ姫」のアシタカは関係をつなぐ存在だ。彷徨いつつも、それぞれの生の真実に触れようとする。「曇りなき眼」で見極めようとする。エボシが自分の生い立ちの中に抱えていた苦しみから、しかし、「理想」を目指す新しい歩みをとった真摯な思いを受け取る。人間に恨みを満ちつつも、人間である自分の宿命を抱えたサンが、森の神々こそ、小さな人間をもその一部とするはるかに大きないのちの営みの確かさを守るものと知っている、その真実をアシタカは受け止めている。そして、どんなに刃を向けられても、「そなたは美しい」といって、サンのいのちの尊厳を慈しむ。そして、エボシのタタラバと神々の森とが共に生きる道を求め続けるのだ。
 映画の最後は、サンとの再会を誓い、今はそれぞれの場所に留まって、しかし、繰り返し、新しい道を探ろうとする。このように、そこに踏みとどまる力はどこから来るのだろう。彼に与えられた「スティグマ」が、不思議な「力」になっているのかも知れない。けれど、本当は、「力」に頼る愚かさをこそ、エボシの姿に描いたはず。宮崎のなかには、なお解けない問いが残されている。
 
 カインの末裔としてのしるし…私たちは、その苦しみの中にあるのか。けれど、神は私たちを決してあきらめない。こんなにも、神から遠く、御心にそぐわない私を愛し、求め、赦し、生かしてくださる。絶望の中に希望をもたらすように、ご自身がこの絶望の只中においでになっている。それがイエス・キリストの出来事が示す啓示なのだ。けれども、ここには「無力さ」のみがある。人間の「弱さ」がある。十字架の愚かさ。そこに、ただ、他者とともに、他者のために生きる十字架のことばがある。
 このことばに与るものは、自らにキリストを、その死といのちを、その十字のしるしを新たに与えられる。無力さ、よわさ。しかし、愛すること、つながることにこそ言葉を持っている。赦しの中に生きる道。赦されて、赦しへ。長い、長い道のりかも知れないが、その確かな歩みの中に生かされていく。だから、このしるしを負うものは、共に、あの方の御心にむかって歩むのだ。


 
「今、見えないものを曇りなき眼で」
     〜宮崎駿氏の問いかけを受けて、3・11以後を生きる〜

1.自然と私たち
(1)驚異の自然
   美し国、いのちの豊かさ、神々の世界

(2)自然の驚異
      台風、地震、津波… 荒ぶる神

(3)自然への驚異
   平和利用という神話の崩壊

2.アシタカのスティグマ
(1)宮崎駿の問いかけ
   ファンタジーを通して、語る強いメッセージ

(2)目に見えない世界の大切さ
   合理主義・物質主義の中で見失われていくもの
  
(3)人間文明と自然の相克関係
   理想社会を求める文明と神々の世界
   「ともに生きる道はないのか」
 
3. 十字架のしるし
(1)土の塵から形づくられたものは
   神のようになろうとした欲望、関係の破れへ
   呪いがおかれた大地、流された血

(2)十字架において
   人となられた神を知る、破れの只中にあって
   自らを裂き、罪の赦しと和解をもたらす

(3)矛盾の只中を生きる
   あらゆる悪に耐えつつ、絶望しない
   この身に負う「キリスト」の死といのち、使命をともにする

2016-11-13

『キリスト者の自由』における悪の問題   〜現代社会に生きる魂の問い〜

ルター研 「秋の講演会」での私の講演メモです。当当日配布のレジュメに書き足していたものです。                
  
『キリスト者の自由』における悪の問題 〜現代社会に生きる魂の問い〜

1.問題意識:「自由」とはなにか。
 中世の終わり、近代前夜の胎動の中、ルターは「キリスト者の自由」をいう。「自由」は近代を象徴するもの。けれども、ルターはキリスト者となってはじめて得られる「自由」を語る。キリスト者となることによって与えられる自由を語ることは、現代を生きる私たちにどのような意味があるのか。

(1)現代人の自由。
   不自由のない現代は「自由」を求めないか。
   ITプラトニズムの時代 。時空を超える。身体性を超える。自分を超える。
(2)「自由主義」の行き詰まり?
   「自由」は近代の指標の一つ。しかし、その原理が自由な競争世界を資本主義のも
   と展開し格差を産み出す。近代のもう一つの指標である「平等」が揺らぐ。
   排他主義、保護主義の台頭、力による支配を求める時代。
(3)「何をしてもよい」自由。善悪の判断が超えられている?
   自由な個人。自己責任を求める世界。個人の欲望を満たす消費社会。人間関係の希
   薄化は、社会の中での共通の価値観や倫理の感覚を弱くする。「良心」が薄らぐ。
   あからさまに、「なぜ人を殺してはいけないか」 が言葉になる。
私たちは、自由を満喫しているようだが、本当の意味で「自由」なものなのか。

2.ルターにおける自由と悪
 一般に中世において「自由」が語られてきたのは、人間の「自由意志」の問題。しかし、ルターが語るのは「魂の自由」。しかし、プラトニズムのように魂だけの自由を語るのではない。むしろ、信仰における魂の自由がこの世に肉を持って生きる新しい生き方、愛と奉仕に生きることを実現する。
(1)自由の問題
   アウグスティヌス以来の中世の伝統⇒ルネサンスにおけるあたらしい人間
   こうした人間中心的なオプティミズムは、人文主義へさらに近代へとつながってい
   く。人間賛歌と自由意志⇒エラスムス自由意志について:ルターとの論争。
(2)悪の問題
   ルターの奴隷的意志の強力な主張⇒すなわち、罪意識の徹底!
   「悪い欲望」 に囚われていること。いっさいの虚しさ。
(3)キリストの勝利
  キリストの十字架⇒逆説的な力。 
  魂はみことば(キリストの福音)において満ち足りる  
  
キリスト者は、確かに、この勝利に与っていて、完全に魂の安らぎを持っているが、魂だけの存在になるわけではない。だから、この世界においては「愛と奉仕」を積極的に生きる。しかし、そのことは、必然的に悪魔の支配にいつもさらされ続けるということでもある。そして、そのことからの完全な自由は死と復活のときまでは得られない。それゆえに、義人にして同時に罪人!


3.現代の「悪」の力とキリストにある自由
 罪・悪の支配と神の支配の二つの世界を同時に生きている。その同時性に耐え、なおかつキリストのみ業への参与をいきることが求められ、またそのように生かされているのがキリスト者であると言えるのだろう。
(1)罪と悪の具体的な支配のもとにある人間
  ① 人間共同体・自然関係
    功績主義・成果主義による関係の破壊
  ② 組織的・社会的構造的悪と個人 
    関係の抽象化と無責任 弱者とマイノリティへのしわ寄せ
  こうした悪の支配を象徴するような「核」の問題。「核」そのものは、絶対悪ということまでは言えないかも知れないが、これを用いる人間には、戦争利用にしろ、平和利用にしろ、これを確かにコントロールする力は無い。逆に、これによって支配されるだけということが現実ではないか。
 ただ、その現実を変えていくことには、理想を叫び、それを絶対善として求めるだけでは解決しない。むしろ、時間をかけてこの矛盾を抱きかかえる以外にないのかもしれない。
(2)一人ひとりの魂を包む暗やみ
  ① 関係の希薄と生きる意味の喪失
    あらゆる人間関係の希薄さ 隣人への無関心 
  ② 欲望の増殖と虚無
    経済活動はそれゆえほとんど重要な意味はなく、虚しい。
  ③ 「暗やみ」「鬼畜」 聖なるものの喪失
    暴力と破壊衝動 死の欲動、憎悪のエネルギー 
(3)「キリスト者の自由」
  矛盾を抱えている自分を受け入れ、「すべてを抱きしめて生きる」 ために 
 この現実のなかで、ただ「キリストとともに」 というルターの主張!
  ① みことばを受けることのなかで
    律法:「わたしたちのいっさいが無」
    福音:「わたしたちにひつような全てが与えられる」
    「すべてのものが働いて益となる」
  ② 無力さのなかで
    キリストと共に十字架を生きる 
    苦難を引き受けることと他者のための生へ

  一人ひとりが小さなキリストとして、このみことばを生き、とりなしと証
  しによって、みことばを分かち合う。
  悪の支配する現実に耐え、なお確かな安らぎを受けて、
  終末に約束された、神の国(支配)における正義と公平、平和を見通して
  神のみ業への参与へと応答する。  

2016-11-09

アイドル体験

 今年の大学の学園祭に、ひさしぶりに外部からのアーティストを招いてのコンサートが開かれた。どんなアーティスト?って、アイドルだという。生ハムとサラダじゃなくって、「生ハムと焼うどん」。ほかに、「ハッカドロップス」と「IRIS」も出演。
 えっ!と驚いたのはマルチコート前の行列。学生やその保護者、はたまた大学近辺の一般の方とは明らかに様子の違う面々が、午後の1時半からのステージのために、朝の十時過ぎくらいから少しずつ集まってきた。お昼になる頃には、長い列を作っていた。
 ああ、これはステージのためか〜。プロのアーティストを呼ぶってことは、こういうことなのね…くらいに思っていただけなのに。

 しばらくすると、うちのチャプレンがチケットを5枚手にしてやってきて、これ、先生もいかないかと、私のことを誘うではありませんか。いやいや、どんなかな〜と思っていたけれど、自分がその席にすわるなど思いもしないことだったので、ん〜〜〜っと思ったものの、まあ、そういうのも面白いかなと。1時20分に待ち合わせ。
 しばらく用事をしてから、約束の時間にマルチコート前にくるとすでに行列は皆会場に入って準備万端。そっと、5人で場所を確認、席についた。

 はじまる。ハッカドロップスがギターを弾きながら歌い上げていく。ん〜?これは演歌か、と思うべく昭和の歌謡曲のような楽曲は、50代後半の耳には心地よい懐かしさでこころを満たしてくれた。
 
 続くIRISはマレーシアの女の子。日テレ系のあるバラ番で「NIPPONの優しき旅」というコーナーがあり、それに出演していたというので思い出した。とにかく、一生懸命と明るさと、けなげさが歌声にのって心に優しい。ん〜。いいね〜。

 で、いよいよ「生ハムと焼うどん」の登場。いきなり、会場の雰囲気が変わる。いつの間にか上着をとってオレンジのTシャツが会場いっぱいにいるのだ。あれっ、そんなだった?皆さん、これをまっていたのか〜。そうだったのか。会場は指定席なので、前から後ろまでまんべんなく散らばっているが、あの行列はまさにこの二人のJKアイドルの「追っかけ」?ああ、これがいわゆる「おたく」ともいわれるような方々? ふたりが歌うのに、見事に「あいの手」をいれ、声をあげ、お決まりの振り付けで一斉に応える。ワ〜。えらいものを目撃している。

 公式HPは以下のとおり。
     http://namaudon.tokyo/

 しかし、上手い。東と西井ンパネ〜ってやつだ。
古い言い方だけれどコント仕立てで舞台が見事に演出されていて楽曲を盛り上げる。ちょっと下ねただけれど、嘘がないホンネトークを軽快に演じてみせる。女の子の「裏側のホンネ」みたいなものをわ〜といっちゃうから、聞いている者は、笑いながら自分たちのこころの何かをデトックスするのだろうか。
 ドリフの「8時だよ」的なお定まりを思わせるけど、それよりも高校の文化祭的な「のり」を会場はみな了解済みで、お約束によってこれをサポートする。もちろん、恥ずかしがることも悪びれることもないストレートで元気いっぱいな二人は会場と一体になって自分のなすべき役を見事に演じてみせてくれる。途中で、会場からお客をも舞台にあげて、それなりにイジリ、ちょっとディスっても楽しませる。
 走り回り、座席を舞台に変えて盛り上げると、波打つ会場。あ〜、見ているというか、この会場に居ればもはやみなで作る舞台なのだ。
 この一体感か。なるほど、いい歳をしたおじさんもおばさんも、「アイドル」に夢中になるというのがわかる。わかってしまう。
 あぁ、最初に会場が動き出した時は「わ〜、ひく〜」と思っていたはずが、まずい、心がどんどんもっていかれちゃうのだな、これが…。応援したくもなる。
 二人がいなけりゃ成り立たないけれど、むしろ、会場のみんながいなけりゃ成り立たないということでもある。そうして生まれていくこの異空間にみんなが一つの時間を描き出す。だから、集まった者たちに満足感、達成感を与えるのだ。もう一度、経験したいと、思うだろうね。これは・・・。そうして「追っかけ」にもなるだろう。「次は、どこでやるの?」「またいこう!」と思わせる。
 高校を今年卒業したばかりでしょう?これだけの台本を作り上げて、自ら演じ、全てをセルフプロデュースのエンタメ力はすごい。

 そして、ふっと心をもっていかれるのはなぜかと…。現代のストレス社会の中で管理され、自分らしさよりも成果を求められ、居場所を見出せなくなる私たちが、その心のひとときの存在感をこの一体感の中に見出すものなのかも知れない…と思ったりしている。だから、きっとその要素は誰の心にもすでに潜んでいるということか。無縁だなどと思い込んでいるほどに遠い存在ではないことは間違いない。

 というわけで、この体験は私にとって、非常に貴重な「アイドル体験」となったわけだ。


2016-10-28

宗教改革500年、ルーテルとカトリック「共同の祈り」

ルーテル教会とカトリック教会とが合同で宗教改革記念の礼拝、「共同の祈り」を行う。

  (ライブ中継は、次のURLで)
    http://www.lund2016.net/media/livestream/
 
宗教改革500周年を一年後に控えて、今年、2016年の10月31日にルーテル世界連盟発症の地、スウェーデンのルンド(ルンド大聖堂とマルメアリーナ)にて記念式典があり、フランシスコ教皇(カトリック教会)、ムニブ・ユナン牧師(ルーテル世界連盟議長)、そしてマーティン・ユンゲ牧師(LWF事務局長)の共同司式にてこの礼拝が行われる。
                 
                              (ルンドの大聖堂)

 両教会の合同礼拝は、1999年の同じく10月31日に『義認の教理に関する共同宣言』の調印の時に続くものだ。対話は続き、この合同の礼拝をもつために『争いから交わりへ」を公式発表し、さらに準備が重ねられてこの日を迎える。
 20世紀エキュメニズムの大きな流れが、とりわけ1964年にカトリック教会が「エキュメニズム教令」を発布して加速度的に進展してきた結果が、両教会の新しい時代を切り開く画期的な決断へとつながって、今回の合同礼拝が行われる。16世紀に宗教改革が起こり、互いの教会をアナテマを伏して断罪しあった歴史を、「和解と平和」のメッセージの中に塗り替える。この礼拝を受けて、来年の500周年は、世界中でこのメッセージを共有するようにと促されるだろう。
 日本においての企画は、間もなく公式に発表される。楽しみにしたい。
 

 

2016-10-26

Principles of Lutheran Theology 『ルター派神学の諸原理』

                   

ルター派神学の諸原則と訳したらいいだろうか。
著者は、シカゴのルーテル神学校で長く組織神学を教え、ルター派神学の牽引されたカール・ブラーテン。エキュメニズムにおいても重要な役割を果たしてきた。
そして、ロバート・ジェンソンとともにあのキリスト教教義学(Christian Dogmatics)二巻本の編集責任をとった一人だ。

初版は1983年。私の神学校時代の「ルター神学特講」の授業(たぶんこの授業名だったと思う。担当教員は石居正己。)でのテキストだった。

2007年の改訂第二版となって、以下の8つを主要な原理として論じる。

1.聖書原理
2.信条原理
3.エキュメニカル原理
4.三位一体原理
5.キリスト中心原理
6.礼典原理
7.律法と福音原理
8.二王国原理

ルター神学の特徴としてこの8つの原理を挙げ、ルター神学の歴史の中でそれぞれがどのように発展し、どのような意味を持つものとなっているのかを明らかにしたもの。そして、それらを改めて現代の脈絡のなかで問い直している。
180頁ほどのコンパクトな本だが、読み応えはあるし、ルター神学の特質についての深い学びになる。
宗教改革500年を前に、神学生にはもちろん、牧師たちに是非手にとって、学んで欲しい一冊だ。

2016-10-19

ルターの祈り

かつて(1976年)聖文舎で出されたものルター選集第一巻の復刻。
石居正己の翻訳による『ルターの祈り』(リトン社)
(ちなみに、ルター選集は、第二巻がルターの説教、第三巻がルターのことば、そして、第四巻がルターの説教2だった。)


推奨4冊には入っていないけれど、似た装丁で出版されている。というよりも、これが2010年に復刻版として出版されていたので、これにあわせるように新しい3冊の出版となったのだ。だから、実は推奨5冊??というわけではないけれども、手にとりやすく、学びやすいものだ。

ルターは祈りの人とも言われるが、彼にとって、信仰とは祈りそのものだといってよいのだ。そのルターが祈った祈りそのものが収録されている。

内容は以下のとおり

単純な祈りの仕方
魂の神との対話
礼拝の中での祈り
みことばとその務め
罪人への恵みを願って
さまざまな時の祈り

解説・ルターの祈りについて

是非、一読を。

2016-10-18

宗教改革500年記念の推奨4冊

日本福音ルーテル教会が宗教改革500年を記念して、それぞれの教会で、学校・施設でルターその人と、その信仰・神学についての学びを深めていくために推奨4冊を挙げてこの出版事業を展開している。この10月1日の『「キリスト者の自由」を読む』をもって、この4冊全ての出版が終わっている。

一冊目は、実は2012年に岩波新書として出版された徳善義和著『マルティン・ルター』だ。これは、ルターという人物を知るのにもっとも手軽で確かな書物と言ってよいだろう。岩波からの出版ということで、教会外の方にもわかりやすく、読みやすい。


以下の三冊は、ルーテル学院のルター研究所によって編まれたもので、いずれもリトン社から出版されている。それぞれにすでに手にとってくださった方もあるかと思うが、改めて紹介しておきたい。いずれも、ルターの神学、そしてルーテル教会の信仰を学ぶのに欠かすことの出来ない三冊だ。


『エンキリディオン 小教理問答』
いわゆるルターの小教理問答書。洗礼準備などでよく用いられている青もしくは黄色の表紙の薄い冊子のものは、一部掲載がなされていない部分がある。全文を訳されたものが手にとりやすくなった。エンキリディオンは必携とでもいったらよいか。私たちがキリストの福音に生かされる信仰について簡潔に教えるものだから、洗礼の時ばかりでなく、繰り返し、読み、確認するようにとルターはこれを書いている。

『アウグスブルク信仰告白』
1530年、アウグスブルクで行われた神聖ローマ帝国議会で読まれたもので、ルターの宗教改革に賛同する信仰的立場を表明したものといってよいだろう。執筆はメランヒトン。意図は、当時危険なものとされたルター派陣営の信仰的立場は、伝統的なキリスト信仰にあるものであることを表明しつつ、「信仰義認」の福音理解とそれに基づく教会・信仰者の在り方を簡潔に言い表している。

『「キリスト者の自由」を読む』
「キリスト者の自由」は、1520年後に宗教改革の三大著作といわれるようになる主要な改革的信仰を著したものが書かれるが、その中の一つだ。日本でも世界でも、おそらくルターの著作の中で『小教理問答』に続いて最も親しまれてきたものと言って間違いない。短いけれども、キリストによって生かされる信仰者の生を、非常にわかりやすく示されている。これをルター研究所の所員たちが、現代の脈絡のなかで読みながら何を学ぶことが出来るかと簡単に解説したもの。

出来れば、宗教改革500年を迎えるこのときに是非教会でも、個人でも手にとって、これらを学んでいただけるとよいと思う。

注文はアマゾンでも可能かとは思うが、できれば、お近くのキリスト教書店からお求めいただくと書店を支援することにもなる。
また、リトン社の三冊は直接出版元に注文することが出来る。教会ごとにまとめて注文いただくとよいだろう。

リトン社
電 話:045-433-5257
FAX:045-402-1426



2016-10-17

『「キリスト者の自由」を読む』

日本福音ルーテル教会の宗教改革500年を記念した特別企画、推奨4冊の最後の出版となる『「キリスト者の自由」を読む』(ルター研究所編、リトン社)が10月1日付けで出版された。

                   

 この本では、ルターの著作のなか最も多くの人に読まれ、愛されてきた『キリスト者の自由」(1520)を取り上げているが、新訳ではない。紹介したものはすでに公にされている徳善義和先生の抄訳にとどめている。この本は、むしろ、ここに著されたルターの神学的主張が何か、ルターが生きる中で何を問い、信仰の中でその答えを求めていったのかを確かめつつ、それが現代に生きる私たちにどのような意味を持っているのかという考察をまとめていったものだ。執筆は、ルター研究所所員が分担執筆を行っている。

 取り上げたテーマは
・自由
・律法と福音
・信仰義認
・全信徒祭司性
・信仰と行為
・愛の奉仕

(ちなみに、私も「全信徒祭司性」を担当させていただいた。)
加えて、信徒の方にも加わっていただいた座談会も収録している。
単に、宗教改革の記念的著作を読むということではなく、現代の社会と教会に生きる私たちを考えるうえでも、是非、これを用いて学んでいただければと思う。

ご注文は、以下の出版社に願いたい。
リトン
電 話:045-433-5257
FAX:045-402-1426

また、本文の訳と詳細な注解は徳善義和先生の『キリスト者の自由ー訳と注解』(教文館、2011)を是非お求めいただきたい。https://mishii-luther-ac.blogspot.jp/2013/09/blog-post_23.html

2016-10-14

「死とその記念」における神の祝福

『礼拝と音楽』誌の最新号(171)に表題の拙文をのせていただいた。



 ライフサイクルにおける祝福という特集のなかに取り上げていただいたものだ。
別の雑誌では連載もさせていただいてきたし、関係する書籍を出版させていただいたこともあって、死の問題、また葬儀や記念会についての学びに招かれたり、書かせていただく機会も多くなった。
 今回書かせていただいたなかでは、「祝福された死」という視点と「生きられた生への祝福」という二つの側面を意識してみた。日本的文脈のなかで大切にされてきたいわゆる「死者儀礼」を受け止めながら、キリストの福音が何を応えていくのか問いつつ、記したもの。短いものだが、是非読んでいただければと思う。
  

2016-09-28

『幸いのために』(2016年 ルーテル学院創立記念礼拝 説教)

         貧しい人々は、幸いである、
          神の国はあなたがたのものである。
         今飢えている人々は、幸いである、
          あなたがたは満たされる。
         今泣いている人々は、幸いである、 
          あなたがたは笑うようになる。   (ルカ6:20・21)


 ルカ福音書の中にあるイエス様のことばです。二千年前のユダヤ社会でのことですけれども、そこにはたくさんの貧しい人々があり、生きていくために苦しみや哀しみを抱えている人たちが大勢居ました。一方では裕福で、そして安全・安心で宗教的にも社会的にも立派な人たちが居たのですけれど、それは、本当に一握りの特権的な人たちでしたでしょう。そういう人たちだけが神様の祝福を得ていて、他の人はそれには値しない人たち、だからこんなに苦しみがあるのだと差別されていたような時代です。
 その時に、イエス様はその目の前にいる、一人ひとりが神様の祝福、幸いのなかにあるのだと宣言される。慰められ、癒されて、あなたこそが喜びの神の国にある。そうあるべきだから、そうなのだと宣言されるのです。

 イエス様による、神様からの「幸い」への宣言、約束は、神様の国が実現する時にそこでかなえられることの確かさの故に、まだその実現を今目の前に見ていなくとも、その喜びが生き生きと私を変えていく。ルター研・所長の鈴木浩先生流にいえば、一億円の宝くじ、当選したならそのくじを見て、まだ銀行にいって受け取っていなければそのくじはただの紙切れですけれど、1億円が確かに自分のものだともうわくわく大喜びするでしょう。銀行と紙切れが保証する、すぐ無くなるかもしれない一億円ではなく、確かな「幸い」をくださるのは神様で、イエス様のことばがそれを保証するわけですから、こんなに確かな喜びはない。そういう祝福が宣言されているわけです。
 その「幸い」は確かに約束されている。
 けれども、今すぐにはここにないということも確かでしょう。哀しみも苦しみもその現実がそこにある。それなら、その「幸い」をこの時にもなんとかして、その一人ひとりに実現していこうと神様のみ業に仕えるようにする。それが宣教の働きです。神様の約束のことばを告げ知らせる教会や牧師の働きとともに、社会福祉の働きというのは、その「幸い」を具体的に保証していこうという一つの働きだといってよいでしょう。
 
  今からちょうど40年前、1976年に本学は大きな決断を形にしました。それは、それまで神学大学、神学校としてルーテル教会の牧師を育てるというその学校の教育・研究において、「社会福祉」の働き人を育てることを使命として、はっきりと位置づけたことでした。神学部、神学科の中に「キリスト教社会福祉コース」が誕生しました。
 社会福祉は、ルーテル教会がこの日本に伝道をはじめた当初から、教会の大切な働きの一つとしてきたものでした。1919年にモード・パウラスという女性宣教師の働きによって九州熊本の地に慈愛園がたてられ、高齢者やさまざまな生活の困難を抱える人たちへの社会的支援をつくっていきます。その後各地で老人ホーム、母子寮や保育施設、障がい者の施設などが、教会や信徒の働きによって産み出されていったのです。ですから、その現場にその働き人を送り出すことは、当然に考えられたことだったと言ってよいでしょうし、それぞれの現場で人材は求められてきたのです。そうした思いに応えるようにして、この大学は福祉教育をはじめます。

 本学の百年史に、実は、このキリスト教社会福祉コースをつくり、やがて社会福祉学科を立ち上げていったこと、また、キリスト教とカウンセリングコースから臨床心理の教育を産み出していった近年の取り組みが記録されています。まとめられた江藤直純学長が、その時代を記した項目のタイトルは、「人間の『幸い』のための教育への展開」です。
 イエス・キリストが、さまざまな困難を生きる人々に、あなたがたは「幸い」と宣言された。神様によって造られ、いのちを与えられた一人ひとりが、その神様の約束される「幸い」に生きるのは、当然のこと。それが、この世界の中で確かに実現されるための教育をここに展開をしているのだと思う。

 1976年に入学した、キリスト教社会福祉コース第一期生は11名。全員がいずれかの教会の牧師先生の推薦をもらって、当時の日本ルーテル神学大学に福祉を学びたいとやってきた学生たちでした。ズラッと並ぶ神学、キリスト教の科目も神学生と一緒に机を並べて履修しなければならないということもありました。聖書もいいけれど、社会福祉をちゃんと学びたいという強い思いや、逆にキリスト教にしっかりとたったところで福祉を教えてほしいとか、学生たちもそれぞれに自分たちの思いをぶつけ、教員も真剣にそうした学生と議論を交わしながら、一つひとつつくられていった社会福祉の人材教育でした。
 
 先日の一日神学校でもこの福祉教育40周年を記念し、感謝の企画がございました。キリスト教社会福祉コース草創期から牽引してくださった前田ケイ名誉教授をはじめ歴代の福祉のコース主任、学科長の先生方に市川一宏先生がお尋ねくださるようにして、本学社会福祉教育の使命とまたその課題、そして展望をお話くださったのです。

 そのなかで、なによりも印象に残りましたのは、やはり、教会が先駆的に取り組み、支えてきた社会福祉の中で、その専門性を高めるために福祉の現場に即した実践力をつける教育を担ってきたという自負があふれていることでした。そして、もう一つは、私たちの福祉教育は、キリスト教に基づいた全人的・包括的な人間理解を軸にして、個人を尊重し、一人ひとりを大切にするワーカーをたくさん送り出してきたし、卒業生が本当にそれぞれの現場・地域で確かな福祉の担い手となってくださってきたということへの感謝の思いでありました。

 「キリスト教に基づいた福祉」というと、それは、なにか特別な宗教的動機や義務感のようなものがあるのかと誤解されるかも知れないし、慈善事業だとかキリスト教の偽善じゃないかと揶揄されるということもあったので、あまり強調することははばかれるといわれたこともあります。しかし、やはり本学では、一貫して、私たちはこのチャペルで、学生も教職員も神様のみことばによって支えられ、導かれてきたと思っています。
 私たちが社会福祉の教育や、臨床心理の教育をするのは、もちろん、学生の皆さんがそういう専門を身につけて、将来に羽ばたいていってほしいとねがっているということであります。けれども、その働きを担う人材をおくりだすことは、この世界で、たくさんの人々が苦しみ、悩み、生きるいのちの尊厳が奪われているという現実のなか、その一人ひとりに「幸い」を実現していかなければならないという使命を思うからです。
 二ヶ月前に相模原の障害者の施設で、決してあってはならない事件で、何人もの尊い命が奪われました。世界を見れば内戦で、また飢餓や迫害で、大きな災害で、今もいのちに危険が迫っている。そういう現実がある。そのなかに、神の幸いの宣言と、そしてそのことの実現を是非とも伝え、守っていかなくてはならないのです。
 この使命を託される私たち自身も、たくさんの悩みや哀しみを抱えている存在でもあります。だからこそ、このチャペルにおいて、生きることの本当の支え、神に愛されているという確かさに私たちも出会い、そのみことばの慰めと力に満たされていたいと思う。そうして、私たちに与えられたこの使命を高く掲げて、神の祝福、「幸い」のために、それぞれの歩みを進めていきたいと思うのです。 アーメン。

2016-09-22

「このひとりを」(2016年度 一日神学校 開会礼拝説教)

今年4月、熊本で大きな地震が起こりました。熊本は107年前、この神学校がはじめられた場所、多くのルーテル教会があり、九州学院と九州ルーテル学院の二つの学校もあります。慈愛園をはじめたくさんの福祉施設がある。私たちルーテルの者にとっては特別なところだと言ってよいのです。
 大きな揺れに、本棚から、戸棚から物が崩れ落ちて、ひどい状況になってしまったのをなんとか片付けていた矢先に二度目の激しい揺れが未明におこります。まるで床下から身体を突き上げられるようだったと、多くの方々がいわれます。この本震が本当に深刻な被害を生むことになりました。皆さんのご存知のとおりです。
 そんな中で、私たちルーテル関係の教会、学校、施設は、それぞれ被災しながらも、直後から近隣の人々の避難や生活の支援の働きを担うことになりました。どうしていいかわからない人たちが家から飛び出してきて、すこしでも安心できる場所、足りない物資を求めてくる。その人々を、教会や施設は自然な形で受け止めていくことになったでしょう。
 口でいうのは簡単ですけれども、腹をくくらねば実現していかない。
 自主的避難所となった健軍教会では、礼拝堂に4〜50名の方々をうけいれました。牧師は役員と相談しながら、一つひとつ教会の取り組みとして決断としていかれました。相談をうけた教会の方は、「先生、やりましょう」と二つ返事だったそうです。節目節目に新しい取り組みをされるとき、「これをやらないでいる理由は無いですよね」といってひきうけられていく。ご自身も被災されている中、そうして、二か月、三か月にわたって三度の食事を提供し避難所、炊き出しが続けられ、困難を抱えている人たちと共に生きる実践がなされてきました。「やりましょう」「やらないでいる理由は無いですね」って。

 ここには、神の愛に生かされた信仰が本当に確かな形になっていく姿を見ることが出来るように思う。そして、きっと、これまでルーテル教会が産み出してきた福祉の働きも同じように、その時々に、困難を抱えている人たちを目の前に、このひとりを助けたい、支援したいという思いが形になっていったということだろう。東京老人ホームもベタニアの母子寮もあの関東大震災後の支援から生まれていったのです。
 お読みいただいた箇所。イエス様が十字架におかかりになられる前、最後の晩餐の席で、弟子たちの足を洗う場面で語られた言葉です。

「ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。」(ヨハネ13:14)

足を洗うということは、当時のイスラエルでは奴隷の仕事です。弟子たちは、驚いたことでしょう。なぜ、主が足をあらってくださるのか。けれど主はご自身で身を低くして、私の歩みのその足下を清めてくださったのです。疲れているこの足、汚れているこの足を手に取って、愛おしむように洗いぬぐってくださる。イエス様は繰り返し、神が私たちを愛し、生かしてくださる恵みを教え、実際に人を愛するべきこと、仕えるべきことを教えてくださいました。しかし、今こうして、具体的な姿をもって、実際にイエス様が弟子の足を洗うということをなさって、弟子たちとの関係を新しく刻まれました。弟子たちは、頭のなかに愛についての教えや考えをいただくのではなく、身体をもって、何をすべきか、その実践の力をいただいたのです。
 同じように、私たち一人ひとりはイエス様によって愛されて、そのみ手に抱かれ、生かされます。この一人を愛してくださる。愛された私たちの経験が、感謝となって、私たちは新しく生かされ、だれかを愛していく実践となる。
 ルーテル教会が大切にしてきたことは、おそらくこの実践の力ではないかと思う。1893年に宣教をはじめる日本のルーテル教会は、ただ教会をつくってきただけではありません。学校を建て、社会福祉の働きを広げていきます。神の愛に生かされた感謝が、奉仕を産み出していくことを、一つひとつ大切に育ててきたのです。

 今年、私たちルーテル学院は福祉教育をはじめて40年目を迎えています。この大学が福祉の働き人を現場に送り出すことを使命としてきたのは、キリストが弟子の足を洗う、その姿をいただいたからといっても良いでしょう。神さまの私たちに対する愛は、私たちを新しく生かしはじめるのです。とるに足りない私たちの存在を主が慈しみ愛してくださった。そこに私たちの感謝と奉仕が生まれてくる。だから、この大学の福祉教育では、このチャペルを通して神の愛を伝え、一人ひとりを大切にする人材教育として、それぞれの現場で、社会で、実践力をもってこの一人を愛する神の働きに仕えていくような働き人を送り出してきたと思う。そのような教育の場が与えられ、40年導かれてきたことを心から感謝をもって喜びたいのです。

 今日は、このチャペルにパイプオルガンが与えられ、共にその音色の中で神様の愛を受け取っていただけていると思います。後で、詳しくご紹介いただくことですが、このパイプオルガンも、一人の信仰者が御自分の人生に神の愛をいただいたことへの深い感謝をあらわされ、その恵みに導いてくれたルーテル教会、その牧師を育てる本学のチャペルへ是非オルガンをと捧げられたものに、多くの人々が賛同して形になったものです。
 
 神の愛に対する感謝は具体的な形になり、また次の人々に神様の愛を伝え、そうして感謝と愛が広がっていく。小さな一人一人の力が合わせられていくのです。その一つの形がこのオルガン。私たちは、その証人となっていますし、その広がりの輪に加えられているのです。

 健軍教会に避難をされていた方達は、それぞれに自立されてそこから旅立っていかれたそうですが、最後までなかなか行き先が決まらなかった人たちは、介護の必要な高齢者、障がい者、心の病を負った人、外国人だったといわれました。社会的弱者の人たちです。日本の社会のなかに埋もれている人たちがあるのです。教会が、そして、私たちが、誰と共に生きるか、誰のために働くか。そのことを改めて教えられているように思う。そして、「このひとりを」主は決してお見捨てになることはありません。だから、私たちもその主の働きの中に、生かされていきたいのです。そして、そのための働き人を育てたい。
 
 この神学校・大学がたてられ、教育を託され、こうして福祉の40年があり、またパイプオルガンを与えられた感謝を思うとき。ルーテル学院の使命を改めて皆さんと共に心におくことができ、本当にうれしく思います。
 どうぞ今日一日、この一日神学校において、この神の恵みを皆さん分かち合っていただければと思います。そして、私たち一人ひとりが、「やりましょう」「これをやらない理由はないですね」と、主の呼び掛けに応えていくものとなりたい。神の愛への感謝を生きて現していく者となっていきたいと思うのです。

2016-09-17

子どものためのグリーフ・サポート・グループ ファシリテーター研修会

 デール・パストラル・センターでは、「だいじな人をなくした子ども」と「だいじな人をなくした子どもの保護者」の集まりを主催しています。

(絵本「くまとやまねこ」(酒井駒子絵)から)

 大切な家族の一人を失うことは、生活も、心も、そして魂も大きく揺さぶられます。もちろん、それは大人も子どもも同じです。その哀しみ、喪失の深い空虚感、死についての恐れや不安などが癒され、大切な自分の一部が失われたような状況を、新しい自分として受け止め生きるには時間が必要なのです。そして、きっと静かにその自分をあらわして、受け止めてもらうことができたなら、新しい自分を生きていくための力になるでしょう。
 グリーフケア、悲嘆の癒しのための、このあつまりでは、子どもとは遊びを通して、その保護者の方とは語り合うことを通して、死を悼む自分に向き合う時間を持っています。
 その時間を提供するためのファシリテーター(その時間を過ごせるように準備し、共にその時を過ごす支援者)が足りません。そのために、少しその大切な働きを知っていただきながら、その働きを共に担ってくださる方を、研修によって育てていきたいと思っています。

そのための研修会のご案内です。(文責:石居)

研修日時:2016年10月22日(土) ・10月29日(土)10:00~17:00
会  場:ルーテル学院大学203教室
対象者 :定員10名
参加条件:①及び②が研修の参加条件となります。
①18~55歳までの方で、子どもに寄り添う活動に参加する気力と体力をお持ちの方。
②2日間の研修すべてに参加でき、グリーフ サポート活動(奇数月第4土曜日、年6回)に
関心のある方(この活動に加わっていただくときには、交通費が支給されます)。

*研修後に実践活動(子どもの集まり)参加希望者には面接(一人10分程度)を行います。

研修内容:
1日目
自らの喪失に気づく。
グリーフワークに関する基礎知識、子どもの死の理解と表現のし方等。

2日目
子どもと接するための大切な技法とその練習。
   
研修担当:
ダギーセンターモデルの研修を受けたグリーフサポート研究会のメンバーが行います。

参加費 : 5000円 (学生:1500円)  *当日、受付にてお支払ください。

当日の持ち物:筆記用具、昼食や飲み物を各自持参。動きやすい服装でおいでください。

問い合わせ先:atsumari.g.7830@softbank.ne.jp
申込先:
ルーテル学院大学事務管理センター内「グリーフ サポート研究会」メールボックス
又はatsumari.g.7830@softbank.ne.jpへ下記の内容をお届けください。こちらから、ご連絡いたします。

締め切り日:2016年10月8日  *締め切り後に担当者よりご連絡いたします。

                              日本ルーテル神学校 
                              校長  石居 基夫

http://www.luther.ac.jp/news/160920/index.html

2016-09-09

ルター研究所 秋の講演会 2016

 今年も、ルター研究所主催で講演会が計画されている。
 宗教改革500年を控えて毎年一回、五回連続でシリーズ化した「宗教改革500周年と私たち」の第四回目。今年のテーマは『キリスト者の自由」だ。ルターの数ある著作の中でも最も多く読まれているものの一つといえるだろう。1520年に書かれ、宗教改革的信仰の神髄を著したもの。現代の私たちは、この書をどう読むのか。
6月に行われた牧師のためのルターセミナーで、研究発表した所員のなかから、今回は二人が選ばれている。ルターの信仰的な格闘を、現代の脈絡のなかで味わいたい。
 どなたも歓迎!是非、おいでください。




ルーテル学院大学・ルター研究所主催
秋の講演会 シリーズ「宗教改革500周年とわたしたち」第四回
テーマ:キリスト者の自由

日時:2016年11月13日(日)14:00〜
場所:日本福音ルーテルむさしの教会
    (東京都杉並区下井草1−16−7、JR中央線阿佐ヶ谷駅下車)
入場無料

講演:1.「だれにも服さない自由な主人であると同時に、だれにでも服す僕」
                  講演者:鈴木浩所長
   2.「『キリスト者の自由』における悪の問題〜現代社会に生きる魂の問い」
                  講演者:石居基夫所員


 現代日本に生きる多くの人たちは、もしかしたら、日常の生活においてなにも不自由のない「自由さ」を生きているように見える。生活のあらゆるニーズにはコンビニエントな充足があるのだ。ここ十年で誰もが手にすることとなったITのネットワークは、私たちが時も場所も超越し、あらゆる隔てを乗り越えて結び合い「自由」な往き来を可能にしたかに見える。
 しかし、そこに本当の自由はあるのか。
 ルターがあの中世の末に生きた。それまでの世界がガラガラと変化していくなか、過去の因襲から解放されていく。それは、しかし同時に生きる個(孤)として世界に投げ出されていくということでもあった。一方では確かな自由の予感を感じながら、しかし、同時に他方本当の自分を見つめて恐怖に捉えられたその深い魂の問いを生きざるを得なかった。
 そうであれば、その時に、「キリスト者である」というただその一点において「自由」を語ったことの意味を、現代のなかに捉え直すことに意味があるのではないか。
 そんな問題意識をまとめてみたい。

一日神学校2016『感謝から奉仕へ〜愛はとなりびとに』

今年の一日神学校は、9月22日。



例年は23日に行われるが、今年は秋分の日の祝日が22日なので、それに合わせた日程。

テーマは、感謝から奉仕へ。

(全体のプログラムは、以下のアドレスにアクセスしてください。)
http://www.luther.ac.jp/news/160721/index.html

今年、私たちルーテル学院、大学と神学校は、宗教改革500年を来年に控えそれを前祝いするように、大きな喜びと感謝に満たされています。
 一つはこの学校の社会福祉教育が40年の歩みを重ねてきたことです。1987年に牧師養成のための神学大学・神学校に新しいキリスト教社会福祉コースが誕生しました。ルーテル教会は日本の地に宣教をはじめた時から教会とともに教育と福祉の働きを各地に作ってきました。神様が私たちすべてを愛し、生かされる福音を具体的にこの世において展開していくための教会の使命でありました。だからこそ、本学においても、牧師の養成ということに加え、福祉の分野に専門性と実践力を持つ人材を育て、送り出すことをその一つの使命としたのです。その歩みが40年。主に導かれてきたこと、すばらしい卒業生を送り出して来られたことを感謝したいのです。
 もう一つは、本学のチャペルに新しいパイプオルガンが与えられたことです。これは、あるひとりの信徒の方が、音楽教師としてお働きになられたご自分の生涯に神様の愛をいただいたこと、その恵みの導きをルーテル教会を通して与えられたことに感謝して、オルガンのためにと大きな献金を本学にいただいたことがはじまりです。その思いに本学の後援会が賛同して全国の教会の皆さんからもお捧げをいただいて実現いたしました。これまでのオルガンは古くなって修理もままならなくなってきておりましたので、この新しいオルガンが与えられたましたことは本当に大きな喜び、感謝に絶えないことです。
 今年の「一日神学校」は、この恵みをいただいてきたことに、まず深い感謝を表したいのです。そして、そこから新たに私たちの使命を確認して、神と世に奉仕する働き人を送り出していきたいのです。神様のみ業は、私たち一人ひとりに大きな愛を注いでくださいます。その恵みが私たちに働いて、新しい奉仕の業がうみ出されてくるのです。
 今年も、どうぞ、この一日神学校においでください。


2016-08-08

『遺体』に言葉をかけること 『遺体:明日への十日間』をみて

『遺体:明日への十日間』石井光太原作、君塚良一監督。西田敏行主演。

                                  

西田演ずる相葉常夫が主人公。現役を引退した相葉は、釜石での民生委員をしていたが、そのときあの3・11の地震と津波が起こる。その被災の最初の十日間が描かれている。
海辺の街は壊滅。助けに駆けつけても、誰もいない。見い出されるのは、亡くなった人たちだ。次々に遺体が安置所となった小学校の体育館に運び込まれる。海水と泥にまみれた瓦礫の中から見出された遺体がビニールシートにくるまれておかれていく。かつて葬儀社にいた相葉は遺体の扱いを知っているとボランティアになって、その場所に行ってひとつひとつの遺体を丁寧に扱い、きれいに並べるように指示をしていく。ビニールシートを毛布に変えて、まわりをきれいに整えるようにしていく。

 そこに家族が探しにくる。少し離れたところで自分たちは助かったけれど、家族を失った、探しに回る家族たち。一緒に逃げていたはずなのに、つないでいた手が引きちぎられて、津波にさらわれた娘をやっと見つけた母。現実は何と残酷なことだろう。生死の境を突然異にしてしまう。
 後悔。助けられなかったことの悔しさ、無力さ。圧倒する死の力に飲みこまれてしまったように、遺された人たちも力を失う。誰もがことばをのみこんで、黙々と作業をする。役場の職員も皆被災しているが、それでも懸命に仕事をする。人を助けることにならず、遺体を収容していくだけのこの仕事に、無力感だけが広がる。

 そのなかで、相葉が声をかけていく。遺体に話しかける。
 「ああ寒かったね。家族の人が来ましたよ。見つけてもらってよかったね。逢えてよかったね。」

 たった一つの言葉かけが、一つひとつの遺体に、その人その人の尊厳を取り戻していく。遺体は単なる死体ではなく、ご遺体となっていく。そこにいる人たちは皆、そのやりとりを聞いて、そこにいのちを落としていった一人ひとりの人としてのそのかけがえのなさをもう一度受け取っていくこととなる。
 遺族は、その必死に見い出したことに慰めを得る。

 人間の、その互いにかわす、一つの言葉かけは、人格的な交わりを取り戻すのだ。その交わりにこそ、人間の尊厳、人間のかけがえのなさを受け取る力がある。

 ならば、神のことばには、なお、その人のいのちを豊かにし、確かなものとする力があると信じられよう。


2016-08-01

1980年代の学生時代を振り返って ⑥

 少し遡り、最初に教育を学んでいったときのことを振り返りたい。実は、優柔不断な自分は、国文学を専攻しようか、心理学を専攻しようか、それとも教育を専攻しようかときめかねていたのだ。大学に進んでからこれを決められるという人文学部にとりあえず進んだ。そんな自分がこれを学ぼうと教育を専攻する一番の動機になったのは、大学での一つの出会いがきっかけだった。

 1979年に大学に入って、最初の「教育学」の授業。その先生は、「いやー、まいった」といいながら教室に入ってきた。何人かの教育学研究室の学生といっしょに、それまで学内食堂か研究室で話していたような、そんな雰囲気で入ってきた。教室にすわっている自分は何のことだかさっぱりだったけれども、とにかく、その先生の圧倒的な存在感だけが自分を惹きつけた。大学で学ぶということの不思議な魅力を、その一つのことばから、感じ取ったようなことだった。教授の名前は坂元忠芳。
 先生の手には、一冊の本があってこの第一回目の授業はその本の紹介からはじまり、自分をその本をどうしても読まずにはいられない気持ちにした授業だった。
 その本は、『愛と共感の教育』というタイトルで、糸賀一雄という日本の社会福祉で働いた人の講演集だった。戦後に「近江学園」という知的障害者の施設をつくり、また、最初の重度の障害児施設「びわこ学園」を設立した人で、講演のタイトルは「この子らを世の光に」というもの。この講演の最中に糸賀は倒れ、病院搬送されるが、還らぬ人となる。とにかく、その講演集をもって語る坂元教授は、教育は、愛によって、その子どもを人間として育てることで、そこに愛するという教師の関わりが愛するという子どもの心と産み出す、そういう人格教育こそ考えられなければならないというような話だったように思う。実際にはその講演集を読みながら、施設の中で見られる子どもたちとその子どもに関わるスタッフとの関係の姿に、教育の原点を見るというような講義だった。

 教育といえば、読み書きそろばんではないけれども、この社会に生きる主体として身につけるべき教養、自然科学や社会科学の基礎を学んでいくための力をつけることのように考えていた。そのために、もちろん大学で学ぶような学問のレベルに至るまでに、充分な基礎的能力と知識を系統的に学び、それがより効果的に身に付くようにその教育方法の工夫が必要とされている。学問にはもちろん諸説があり、未だに何が正しいのかわからないような議論がなされるものもあるけれども、高校までに習うことといえば、ほとんど解答のあることを身につけることだ。政治経済にしろ、地理歴史にしろ、あるいは物理化学の理系の科目でも、基本的な知識とものの考え方、分析の能力、もろもろの定理や公式をしっかりと身に付けることが求められてきた。だから、その正解にいかに効率的に、たどり着くことができるか。その能力が鍛えられることが教育なのだと、そう思い込んでいたと言ってもいい。
 もちろん、そういう学力偏重主義の学校教育というものへの反発がいろいろな形で噴出してくるのを目の当たりにしながら、中学高校を駆け抜けてきたから、それなりに教育というものの重要性を考えていたけれども、まだ、教育という現場で何が考えられるべきかということについては、自分の中には充分なイメージが持ててはいなかった。

 そんな自分に、教育とは人を育てること、人格教育であって、その基本は愛、愛の交流の中に、教育、共に育っていくということが出来事として起こっていくのだと強烈に印象づける最初の授業となった。
 今は、同書は古本でしか手に入らない。
 しかし、同じように、この糸賀の実践、そこにどんな考えと働きがあったかは、NHKブックの『福祉の思想』でも見ることが出来る。



 この坂元教授との出会いは、自分のなかに教育を捉え直す最大のきっかけになった出会いだったし、また、いずれ改めて記録することにしたいが、この糸賀一雄との出会いを与えてくれた恩人でもある。

2016-07-30

『星の王子さま』

サン・テグジュペリの名作。大学のとき、フランス語のテキストだった。

                  
 三つの火山とバオバブの木、一つのばらの花が咲いている小さな星の王子様。このばらがいろいろと王子を悩ますので、旅に出ることにする。さまざまな星に出かけていき、その星の住人たちと話しながら、新しい発見をする旅のなか、地球に到着する。
 そこに火山もばらも見つけた王子様は、自分の星がひどくつまらなく感じられてくる。でも、そこに新しい出会いがあって、王子様はそれまでと世界の見方が一変する。
 出会ったのは、一匹のキツネ。このキツネとのやり取りはこの作品で最も有名な箇所だ。是非読んでほしい。
 キツネは「仲良くなること」、「ひまつぶし」といわれるような、何かを目的にした成果を求める時間ではない、ただ、その人とともに過ごす時間、その人のために費やす時間を重ねることで、その相手は他の存在と比べることの出来ない、かけがえのない存在となることを教える。それはまた、自分をかけがえのないものとすることでもあるのだ。そして、そうやって人と過ごすことで、人にはその人にしか見えない特別な意味の世界が広がってくることを教える。王子さまと仲良しになったキツネは、別れを悲しんで涙が流れる。悲しみが結果するなら、仲良くなんかならなければよかったのか。いいや、そのかけがえのない出会いによって、黄金色にかがやく麦畑は、キツネにとってこの王子様を思い出させる特別な意味を持つようになる。つまり、この関係を生きたことが、世界の存在の意味をかえるのだ。
 大切なものは…という有名なことばだけでなく、一読して、それぞれに考えてみてほしい。意味ある世界もかけがえのない自分も、関係によって、うまれてくるのだ。何かについて優秀だからでもないし、すばらしいものをつくれたからでもない。歴史や社会で活躍できたからでもない。その存在を共にすること。その人と生きること、その人のために生きること。互いが、互いをもつことでこそ、各々のかけがえのなさがそこに実感される。
 
 

2016-07-25

『90才の信仰エッセイ90』ケネス・J・デール著

 今年90歳を迎えられたデール先生は、今年その90歳のお祝いをかねて来日を果たされ、神学校付属のデール・パストラル・センターのデール記念講演でご本人としてお話しくださったことはすでにご報告した通りだ。
 先生は、この記念の年に信仰エッセイを書かれご出版なさいました。もちろん英語でお書きになられたのですけれども、先生の来日とご講演にあわせて急ぎ翻訳を完成させこれをおわけすることが出来た。


 デール先生がこれまでの長い信仰生活と、現在も続けられている神学の学びの中で、90歳となられたからこそ、心に抱き、またお伝えになられたいと願ってお書きになられた珠玉のエッセイ。一つのエッセイが一頁におさまる短い文章だけれども、神との関係に心を置きながら、この世界の様々な問題について祈りをもって書かれたことがよく伝わってくる。懐かしい、優しい先生のお声やまなざしが、今も確かに主の声に応えて、ご自分を主と隣人に仕えるものとして供えていらっしゃるお姿が思い浮かぶようなエッセイだ。

 内容は、次のような9章立てでそれぞれ約10ずつのエッセイ。
  Chapter1. 神の探求
      Chapter2. 神、この不可解なるもの
      Chapter3. イエス・キリストという道
      Chapter4. そのあなたが御心に留めてくださるとは人間は何ものなのでしょう?
      Chapter5. 人格的な出会い
      Chapter6. 自分の中にある霊と 聖なる霊との関係を大切にはぐくむ
      Chapter7. その時、どのようにすべきか
      Chapter8. まるでポプリのように
      Chapter9. 終わり近く






2016-07-23

1980年代の学生時代を振り返って ⑤

 1985年、この年に自分は神学校に入学する。当時はまだ神学大学の3年生への編入という形で、3・4年生をすごし、大学を卒業してから二年課程の神学校へ進むという制度だったが、とにかく牧師となるべく、神学を学はじめることになる。
 この年、神学校に入って学ぶことは、何もかもが新鮮でした。課題となる図書もたくさんではじから読んでも間に合わない。そもそも聖書語学、ギリシャ語もヘブル語も憶えることばかり、加えて必修のドイツ語に時間のほとんどが奪われていくのでした。はじめの大学では教育を専門としていたという理由で、迷いに迷ったけれどもフランス語をとってしまっていたことをどんなに悔しく思ったことか。でも、語学はとにかく時間を費やせば必ず身に付く。全く取り組まなかった中学・高校時代の英語の学びの反省を生かして、とにかくこれには何時でも全力で取り組んだ。なので、読みたい本はもちろん、読まねばならない本も少しも読む時間がない。問題意識をもってきたはずだったのに、とにかく与えられるものをこなすしかないということなのだと、改めて学ぶということの厳しさに直面した。
 当時の一つの衝撃は田川健三の『イエスという男』だった。新約聖書、そして、イエスをこのように読むということをはじめて経験した。とにかく新鮮だった。二千年前のイスラエル、その社会構造とそこに生きる人々について、徹底した時代考証がなされ、見事な分析が展開している。イエス・キリストという神さまではなく、人間イエス、その生身の姿が当時何を語り、何をしたのか。聖書に描かれているところは、キリスト教信仰によってキリストとして描かれているものだけれど、その描かれた姿のもとにどのような実存が生きられていたか。それが何を意味したか。
 わたしが小さい頃から教会で育てられてきたから、イエス様についてはきっとたくさんのことを聞いてきたけれど、こうした考察ははじめて耳にするようなことだった。わたし自身の頭のなかに描き出されていたイエス・キリストの姿を揺るがしたのだった。そして、人間の世界に、イエスが生きたというその現実のなかでこそ、このイエスを救い主と呼んだその告白を考えなければ、信仰はわからないということに気づかせてくれたのだった。面白かった。いろいろな意味で、目が開かれた。
 ただ、田川のそれは、自分がその世界をあとにしてきた教育学研究室のあの雰囲気を思い出させた。それは、マルクス主義的社会分析に強く影響されたものに見えて、逆に懐かしくも思えたのだ。そして、これではだめだったのではないか、と自分の信仰の足場をもういちど確認したいと、もがきはじめることになる。
 その時に、イエスをどう見るのかということを、徹底して考えさせられていく。ちょうど、それに参考になるように呼んだのは、H・G・ペールマンの『ナザレのイエスとは誰か』であった。ユダヤ教や他の宗教、哲学のそれぞれの分野にあるものたちが、どのようにイエスを考えるのかということを提示しながら、キリスト信仰はそのどれも一部に認めつつ、それらの主張を超えていくものとして、考えさせられていく。
 改めて神学の語ってきたことが何を言っているのか、学びを深めたくなったのだった。

1980年代の学生時代を振り返って ④

 1983年に尾崎豊のファーストアルバム『17歳の地図』とシングル『15の夜』が発売された。学校の校舎、規則、計算高い生き方、わかり合うことも、信じることも出来ない大人の世界の虚偽と建前を拒否して、決して器用に立ち回れない思春期の孤独、傷つきやすい、純粋な心が愛を求めて彷徨い、駆け出す。思春期の「反抗」を絵に描いたように歌い上げる彼のような心は、おそらく、子どもの世界と大人の世界に明白な線引きがまだ有効であったこの時期までは生きていたというべきだろう。
 ちょうど同じ年に、任天堂からファミコンが発売されて、子どもから若者までの多くの時間は瞬く間にゲームへとスライドしていった。わずかに残っていた活字に向かう契機があっという間にバーチャルな世界の画面へと流れてきえていく。ジャンプのドラゴンボールの連載は84年からだったが子ども向けのマンガ週刊誌からヤンジャンやビッグコミックなどのコミック週刊誌まで、若いサラリーマンの鞄の中に忍び込む。このころのスポーツ紙はまだ売れていたかも知れないが、大人がどんどん子ども化していく時代に突入したのが80年代だったように思う。
 ウォークマンのヘッドホンが公共の場のなかにさえ自分のプライベートな時間と空間を持ち込んで移動するようになっていくのが当たり前になったことも影響するのか。社会というものの存在よりも個人化した世界のパッチワークのように人が生活をすりあわせていく世界が立ち現われるようになる。

 それでも、そういう社会のなかで、大学を卒業すれば、汗を流して真面目に仕事をしていくものだったのだけれど、なぜか立ち止まってしまったのは、漠然とした不安からだったかもしれない。この時代に、自分が何をして生きるのかと、モラトリアムとの批判を覚悟しながら大学卒業後の二年間を大学院の聴講と神学校の聴講、受験準備にあてていた。世界というものを見渡す力はなかったけれども、漠然とした不安を持て余すようにして、自分のなすべきことを考えていたように思う。

 フランクルの『夜と霧』のなかで、「自分が人生に何を期待するかではなく、人生が自分に何を期待するか」という人生への観点変更ということが言われていて、まさに、自分が何をしてこの時代に応えていくのかと、牧師への道にたどり着いていったのだ。
 

2016-07-21

1980年代の学生時代を振り返って ③

 山口百恵の引退が1980年。今で言えば「百恵ロス」ということだろうけれど、同世代を生きてきた自分にとっては一つの時代が過ぎ去ったと、新しい歩みに促されるような出来事だった気がする。百恵は清純派アイドルなのに、歌う歌詞はすこしキケンな香りで、一般的な清純派イメージを崩しながら、思春期から大人の女性に成長する姿を楽しませたアイドル像だった。山口百恵を論ずるほどには通じているわけではないけれど、貧しい家庭に生まれて新聞配達のバイトまでして家族をささえるような少女だった彼女が、同じ世代の活躍に心揺さぶられて「スター誕生」に応募して、苦労しながら夢を実現していったときいていた。その姿は、時代が求めた一つの「偶像」であったのかも知れない。高度経済成長時代が終わり、浅間山荘事件やオイルショック後の、ある意味で重苦しい70年代に、夢を描き、幸せを求める人々の心とともにあったアイドルだった。その引退が「結婚の幸せ」であり、彼女がそれ以降全く芸能界から身をひく潔さも、一般の多くの人々の苦しみと希望を共にしてくれたということであったかもしれない。拍手喝采で、彼女の引退を見届けながら、自分たちはどこへ行くのかと、同世代を生きた多くの心は何かを求め、自分を見つめる。引退後の彼女の「結婚の幸せ」が、確かに幸せであってほしいと願いつつ、もはやその幸せには自分たちを重ねていくべきものはないと、突然不安になるような何かに直面していたのではなかったか。

 このころから、個人的にももう歌番組は年末以外はあまり見なくなったかもしれない。百恵をつくった千家和也・都倉俊一、阿木燿子・宇崎竜童の歌謡曲の時代が一つに区切りを迎えていたということでもあるかもしれない。

 と同時に、あの頃しきりにポスト・百恵が誰かということが話題となって、「アイドル」という存在について漠然と考えさせられたように思う。アイドルとはよくいったもので、それが「偶像」という意味であるとしるが、なるほどいわゆるアイドルは同世代を生きる者に擬似宗教的体験をさせるものだし、また、そのアイドルによって自分に慰めや力を受け取っていったとといってもいいほどに、自分を投影させる存在なのかもしれない。そこに登場するのが松田聖子だった。こちらについては、なおのこと上手くかけない。けれど、いつか少し書いてみよう。

 とにかく、時代はバブルの全盛期に入っていく。女子大生ブームもその頃だったかな。しかし、漠然とした将来への不安が立ちこめていく。そんな時代でもあっただろう。豊かさや便利さは私たちの生活のスタイルと経済を大きく変えていったように思う。この80年代にコンビニエンス・ストアが広がりはじめる。住宅街のなかにも点在していた小さな商店街は、地域のなかの大型スーパー(西友など)によって、存続が難しくなっていったが、それぞれの街角には消費のニーズがあり、宅配で成り立っていたお米や牛乳店、酒屋などがコンビニに転換していく。これは、あっという間に町並みを変えていったように思う。一足先に広まっていたファストフードとともに、マニュアルによる統一したサービスは機能的で合理的、消費社会の新しい接客のスタイルを造り出す。こういう生活がひろがっていったのはこの時代だった。
 80年代前半の教育学研究室での一つの話題は、高吸水性ポリマーによってもたらされた新しい使い捨ての紙おむつ話題だった。忙しい働くお母さんには画期的な便利さだったが、母子関係に大きな問題をもたらすのではないかと語られたのだ。つまり、このおむつは、おしっこやうんちをしても子どもが不快感を持たずに過ごし、親に訴え、「泣く」ことがなくなる。親は、自分の都合で定期的にチェックをして、取り替えればすむ。極めて便利な代物だが、これでは、親と子の関係が今までとは代わり、不快と快という赤ん坊にとって最も基本的な欲求の満足に親が関わるコミュケーションが失われいくことで、人間関係に根本的な変化が起こり、これは人格発達に大きな影響をもつのではないかといわれたのだ。

 便利さは人の生活に余裕をもたらし、あまった時間に人間的なコミュニケーションが豊かにされていくということが、まことしやかに語られていた。しかし、それは本当なのだろうか。その頃教育学のゼミで取り上げたのがミヒャエル・エンデの『モモ』(1973年にドイツで刊行、76年には日本語翻訳が岩波より)だった。時間泥棒の灰色の男たちが世界から時間を奪い、人間性を奪い取っていく。その世界にもう一度人間性を取り戻す少女モモの活躍が描かれる。時間をかけて、ひとの話に耳を傾け、その人を愛するモモが時間泥棒のシステムを崩壊させて、時間を解放させるという話だけれども、ちょうど世界の便利さのなかにゆったりとした新しい時間と人間性が謳われながら、実は忙しいだけの世界になり、人間関係が壊されていく現実をひしひしと感じたあの80年代に学ぶにふさわしい教材だったように思う。それほど、見える形で世界が変わっていった時代だったという気がする。



2016-07-19

1980年代の学生時代を振り返って ②

 神学校に入る決心は、実存的に遍歴があってのことだったから、一口で語ることはできない。
 けれど、一番簡単に言えば、教育学の大学院受験に挫折をしたからだ。この挫折は自分を見つめ直すきっかけになった。当時の自分には、あのアカデミズムの中で学的な取り組みをするということに自信が持てなかったということなのだ。学部の卒論を書きながら、子どもたちとの出逢いを生きたいという願いと、論文を書くという作業とはどうしても相容れない別々の道だと思われた。研究者には教育の現場はやはり遠いものとなってしまうのだということに耐えられないという思いが当時の自分の心に働いたのだと思う。人と出逢い、人と一緒に生きる。そういう中で自分の存在が研究を通してではなく、もっと直接的にふれあい、支え合うものでなければ自分の存在の意味がないと思われたのだ。まあ、そんな言い訳をしながら、自分の研究者としての将来像を描くことができなかったということだと思う。
 いずれにしろ、この院の受験失敗の挫折によって、自分が世界の現実と向かい合うためには、もう少し遠回りをしながら、自分をしっかりと見つめてみなければならないと思ったことは間違いない。
 そして、この自分ということを考えた時に、大学時代には教会に少しも真面目に通って来なかったにもかかわらず、自分のキリスト者としての自覚だけはやけに強く抱くことにもなっていた、この薄っぺらな自分の虚偽に一度しっかりと向かい合っておかないではいられなかった。それで、神学校で聴講をはじめることになる。そうすると、これは渇いた土が水を吸い込むように、自分の中に教えられる一つひとつがしみ込んでいくのを感じたものだ。ただ、同時に奥が深い世界であることにいささか腰が引ける思いでもあった。
それで、自分は何かしっかりとキリスト教について学ばなければと思いはじめ、内村鑑三を読み、矢内原忠雄、前田護郎などを読み、神学校の受験準備にも取り組んだのだった。

 そのころ、つまり、教育学から神学への転向を考えた時期、熱心に読んだものは、キェルケゴールだった。ヘーゲルからマルクスへと展開する流れに逆らう自分にはまず、この実存主義から学んでいかなければならないと思えたのは、自然なことだったのだろうか。僕自身としては、ごく単純に、このキェルケゴールの世界には自分自身のキリスト教信仰への大きなチャレンジがあると思えたのだった。かつて高校時代に倫理の授業で課題図書となった『死に至る病』を今一度読み、『あれか、これか』『おそれとおののき』『不安の概念』『愛について』などなど、このときもとにかく取り組んで読んでみることだけに集中した時間があった。まだ、神学校に入る前のことだ。ギリギリと自己を追いつめていくキェルケゴールの在り方が、自分の甘っちょろい信仰が問い返されていく感覚だっただろうか。取り付かれたように読み進んでいった。

 おそらく、その読書の影響なのか、信仰は決断だという理解をもっていた。神学校に入って、それがブルトマン流の実存主義的信仰理解に近いことを知ったが、同時にそれが自分の最大の欠点だということにも気づかされることになる。でも、それは神学を学び始めなければ決してわからなかったことだったように思う。
 信仰の事柄は、決断なのだと言い切ることが、じつは最も合理的なのだとそう思っていたのだ。キリスト者とそうでない者との間には、なんにも区別がない。神様は等しくだれにも救いを差し出しているし、すでに一人ひとりに救いは約束され、その人のものとなっている。しかし、それを知らなければ、まず、その価値を理解できないし、知ったとしてもその恵みを受け取ることは、同時にキリストに従うという新しい生き方を造り出すことになるので、その決断が伴わなければ、信仰とは言えない。決断がなくても救われているが救われたことを知って決断するところにこそ信仰がある。だから、決断こそが信仰だと。洗礼は決断を示しているし、聖餐はその決断の表明に他ならないと、そんな風に思っていたのだ。
 もちろん、こうした考えに至るには理由があった、洗礼を受けるか、うけないかということによって、救いの有無がきまるということがどうしても納得いかなかったのだ。なぜなら、洗礼の機会をもたない人もいるし、ましてキリスト教など存在しない時代、伝得られてもいない場所もある。間違って教えられた人だっているだろう。そうした個人的な偶然が、洗礼からその人を遠ざけるのだから、それで救いの有無がきまるのはあまりに不条理で、神の平等・普遍の原則に合わない。だから、救いこそは普遍でないといけない。だれもが救われている。ただ、その救いを知って、その救いに応える決断が信仰であって、信仰に生きるということは、救いへの応答なのだと。これはまことに理屈に合うと信じていたのだ。
 しかし、そうなるともはや洗礼も聖餐もそこにあるのは、もはや神の働きなのではなく、人間の決断となってしまい、そこに何ら救いの働きをみないことになり、そうなると、もう信仰や救いは限りなく人間の業の中にのみあることになってしまうのだ。そうなると、もはや十字架のイエスは模範とはなるが、恵みの賜物にはならない。十字架は必要ないことになる。まあ、われわれを決断へと促すためのささやかな演技のようなものなのに成り下がるのではないのか。こうした実存主義の弱点について気づかされるのは、神学校の学びを通してだった。

 神学校の専門的な神学の学びは、あまりに忙しい学びではあったが、改めて神学的なものの考え方をきたえられていくことになるのだ。 
 


2016-07-15

1980年代の学生時代を振り返って ①

 女優、桐谷美玲が携帯電話のCMで、一月の低額使用の値段を年代と引っ掛けて1980年台を垣間見せる。バブル期のディスコ、クラブのボディコンを懐かしく思う人もいるだろう。ちょうど80年代に学生時代を過ごした自分は、改めてあの時代を思い起している。1990年に按手を受けて牧師となった自分は、80年代を丸まる学生として生きたのだ。

 70年代の一番終りに大学という世界に入った自分は、今まで何も世界を知らずに生きてきたことを深く自覚させられたものだった。大学には立て看板が並び、まだわずかに残る学生運動の残り火のようなものが、お定まりの言葉で政治的関心をアジるような時代だった。ごくごく単純に、人間への関心と教育学部に進んだ兄の影響もあって教育学を学ぼうかと漠然と考えながら大学生活をはじめたものだった。大学に通って、はじめてこの日本に、今もなお差別・被差別の現実があるなどということを知ったのだった。事程左様に無知であった自分に、今の現実社会をありのままに見るという視野を広げてくれたのは大学という場であったことは間違いない。
 大学とは、就職のための準備とか、資格を得るための場所ではなく、四年間という時間が与えられ、学問の世界で「世界を視る」ということを学ぶ時間だと思ったものだ。まだまだみんなが大学に行くという時代ではなかったから、大学に進学するということについては、特別な責任のようなものを受け取ったのは、僕らの時代までだったかも知れない。
 そんな中で、史的唯物論、つまりマルクス主義が現代世界を見事に分析して見せるのも心地よかったのだろう、学生たちが自分たちの貧しさとそれでも大学教育を得られた特別な使命感を感じて使命感と自負心をくすぐられるようにして多くの意識ある学生は「民青」、もしくはその系統のサークルに身を投じていった。そんな学友が、高邁に政治的問題関心を僕に話しかけ、しきりに勧誘の触手を延ばしてきたが、そんな輩に限って勉強しないで、カンニングして単位を取ろうとする。真面目な先輩も数名はいたけれど、往々にして語ることがいつもだれでも同じになる人たちの仲間には入りたくもなかった。むしろ、彼らとは違うという意識を強くもっていたと思う。その自分を支えたのはキリスト教信仰であったのは間違いない。大学時代、教会にはほとんどいかなくなったのだが、実は自分がキリスト者であるという強い自意識を生きていたのだったと、今改めて思い出す。いずれにしても、それほどまでに、自分のまわりには、史的唯物論が奉じられていたのだった。
 大学の教授もまた、このマルクス主義的哲学思想とそれに基づいた世界革命を民主的な世界の中で実現することをこころの片隅に置きながら、教育の現場で子どもたちの生活と人格の教育、そして歴史的主体の育成を実現することを望みつつ実践と理論の研究を重ねていたように受け取った。政治的な関心も高く、美濃部都政後の「今」を憂い、教育と福祉の重要性を訴えていたし、また日教組や教育研究集会などに具体的な貢献をする熱心な取り組みには、僕も尊敬の心を深く抱き、研究者は常に実践とともになければ意味がないということを知らず知らず習い受けたように思う。

 けれども、この80年代の前半は、すでに70年安保から十年経ち、ノンポリ、しらけ、新人類と学生たちの一般的な潮流は実はかなりいい加減なものになりつつあったように思う。ハマトラ、丘サーファーといった姿が街中を歩いていた。みんな似たようなスニーカーを履いたり、スタジャン着たりして。学生の多くがディスコがよい、そして麻雀にパチンコに明け暮れて、後はサークル活動に興じるようなところがあった。それでも就職に困らない。青田買いといって就職の時期には会社から大学の研究室にいい人材を先んじて採用内定を持ち込んで、当時まだ高いパーソナルコンピューター支給の約束などもしてくれるような時代だった。だから、学生は「遊ぶために大学にいる」などと揶揄されることがしばしばであったのは、こうした現実があったためだろう。
 実は、こうした現象の奥にあるのは、若者が若者として世界に触れて、新しい理論や世界観をしっかりと自らのものしていくための信頼あるアカデミズムが存在しなかったということであるように思う。72年の浅間山荘事件はまだまだ子どもであった私自身の目にも焼き付いている。当時の学生を燃え立たせたマルクス主義とその革命実践の行きつく先が、あのような私的暴力の中で内部から崩壊していったのを目撃した世代には、世界を丸ごと捉えるような、あるいは自分の存在を根底から支えてくれるような信頼を学問の世界にもはや見出せなくなったということであったかもしれない。
 いまだに岩波を小脇に抱えるような大学生活を送る、典型的な文系学生となった自分などは、おそらく少し時代遅れの面白みのない、野暮ったい人間であったかと思う。信頼のおけなくなった学問をかじるより、豊かな現実をこそ楽しむべきという雰囲気が次第に広がっていったのが80年代の前半であったように思う。

 83年が東京ディズニーランドの登場ということも象徴的だが、ちょうどその時期に学問の世界に新しい風が吹きはじめる。それが浅田彰、中沢新一らの颯爽とした登場だったように思う。『構造と力』『チベットのモーツアルト』は、大学生協の書籍コーナーに山積みになり、瞬く間に売れていった。知の新しい潮流がここにはじまったような感じだった。けれど、これこそが新しい時代への生みの苦しみのはじまりであったかも知れないと今は思う。
 ヘーゲル『精神現象学』やマルクス『経済学哲学草稿』に食らいつきながら、哲学はわからないと音をあげていた自分には、哲学をわかりやすく?手玉に取るように見事に論じていく著者の力量に圧倒されたのを憶えている。
 しかし、そんなアカデミズムの天才などに惑わされるなというのが、僕らの教育学研究室の雰囲気ではあったように思う。教育実践に根ざした研究によって、この子どもたちに、困難な世界とまた限りある能力をもつ自分自身に耐え、したたかに生きる力を育てるために、何をどのように教えるのか。そういうことに賢明になっていた現場の教師たちとの話しあいには、浮ついた哲学議論は噛み合ないと言わんばかりだった。
 そのころの自分はといえば、なによりもアンリ・ワロンの心理学に没頭しながら、ヘーゲルもマルクスもかじり、チャン・デュク・タオの『言語と意識の起源』とか、ジュリア・クリスティヴァの『中国の女たち」、ルネ・ジラールやイヴァン・イリイチ、パウロ・フレイレなどを手当たり次第に読みながら、現実世界の内実を捉えること、人間が人間としての関係を生きるということは何か手探りをするように学んだものだ。でも、読んでいるうちに頭がついていかなくなって、何のために読んでいるのか、読んだら何が得られるのかもよくわからず、大海に溺れ、迷走を重ねていく。
 ただ、そうした時代を経て、自分が神学校へと向かう準備をしていたように思う。神学校への直接の動機にはいろいろな要素が複雑にからみあっているのだが、いずれにしても、このはじめの大学生の時期に、もがきながら読書をした経験が神学校での学びを教会という現場の中で自分のものとするまで考えるということの訓練となっただろうと思う。
 ものを読めば、すぐに影響されて新しい言葉に飛びついて、上滑りになっていったものだが、そこからもう一度自分に立ち返って読まなければ本当に読んだことにならないと思うようになったのだった。そして、ちょうど神学校へいこうという決心をするころに岩波が取り上げたのがグティエレスの『解放の神学』であったのは、自分の歩みを象徴する一つのしるしであったように思うのだ。

2016-06-11

キリスト教の死と葬儀〜現代の日本的霊性との出逢い〜

 今まで雑誌『Ministry』に発表して来たものを中心に、これまでキリスト教死生学として著してきたものをまとめて出版することとなった。


 私たちの死と葬儀について、実践的・臨床的な視点で教会の牧会を念頭にして書いてきた。死の問題は、私たち人間にとっては、普遍的な問題であるのと同時に、それぞれの文化的宗教的背景、また時代によっても異なる諸相を見せるものだ。伝統的な日本の宗教風土を持ちながらも、現代という科学・合理主義と非宗教化の時代に生きる私たちが直面している死にゆくこと、生き抜くことにおける課題を見据えながら、キリストの福音の持つ意味を深く考えてきたものだ。
 
 もう二十年前になるけれども、アメリカでの学びの機会を得た。まとめた論文は組織神学の分野で、日本人の死生観とルターの死と復活の理解とのコンペラティヴ・スタディだった。私にとって、6年間の牧会生活で教会の皆さんと共に多くの方を主のみもとへと見送ることとなった経験はかけがえのないもので、論文をまとめていく考察の原点になった。その論文そのものは、すこし堅いものなので、今回のように実践的な形でさらに考察を深めたものを皆さんにお読みいただけるようにできたことは、なによりもうれしいことだ。

 『悼む人』の天童荒太氏との対談もう六年ほどまえに雑誌の企画で実現したものだ。ルーテル学院にまで足をはこんでいただいたのだが、やや緊張していたこともあって、その対談内容よりも天童氏との出逢いそのものの方が印象に残っている。久しぶりに、たいへんピュアな魂と出逢った気がしている。あの『悼む人』を書くのに、自ら悼む人となったと言われたことばは重く感じたし、嘘のない祈りが、あの筆を運ばせたのだと、読者を虜にする文章に納得したものだ。

 牧師の牧会の働きのためにも、また、「死といのち」について教会で学び合うときにも、お役に立てたらと願っている。


2016-05-13

牧師のためのルターセミナー 2016

今年も、牧師のためのルターセミナーの季節になった。


今年のテーマは「キリスト者の自由」。ルターの膨大な著書のなかで、おそらくもっともおおくの人々に読まれたものに数えられる。少なくとも日本では、石原謙訳で岩波から出されたものがいまでもよく売れているとおもわれる。キリスト者の「自由」という部分だけが書名にあげられるが、実際にかかれているのは「自由と奉仕」「信仰と愛」という二つがキリスト者となるということにおける一つの出来事として見いだされているのがこの書の中で捕らえられていることだといってよいだろう。
この名著を現代の脈絡のなかで、どのように読むのか。これが、今回のセミナーの課題だ。
是非、おいでください。

…………………………………
2016年度牧師のためのルターセミナーのご案内

教職各位
201652
ルター研究所 所長 鈴木  浩

 主の御名を賛美いたします。
 大きな地震に見舞われた熊本では大勢の人が被害を受けました。そのため、日本全体が依然として苦しみと悲しみの中に置かれていますが、このような時にこそ教会がその苦しみに深く連帯しつつ、希望の光を掲げることができればと念じています。
 さて、恒例の「牧師のためのルターセミナー」を以下の要領で実施いたします。ふるってご参加ください。今回は「宗教改革五〇〇周年とわたしたち」の四回目で、『キリスト者の自由』を取り上げます。

 日程:20166月6日(月)午後2時から6月8日(水)正午まで
 会場:マホロバマインズ三浦(京浜急行三浦海岸駅徒歩五分)のアネックス棟
 主題:宗教改革五〇〇周年とわたしたち……「キリスト者の自由」
 費用:2万5千円(宿泊、食事、資料代こみ)

 発題予定

 「ルターの自由概念……信仰と行為」          ……高井 保雄
 「ボンヘッファーと自由について」:
   「宗教改革なきプロテスタンティズム」を読む   …ティモシー・マッケンジー
                      
 「誰にも服さない君主であると同時に誰にでも服す僕」  ……鈴木  浩
 「律法と福音」                    ……立山 忠浩
 「受動的能動性」                   ……江口 再起     
 「『キリスト者の自由』と悪の問題」          ……石居 基夫
 「ルターにおける『善い行い』の再考」         ……江藤 直純



*「牧師のため」とありますが、信徒の方々の参加も大歓迎です。礼拝の報告の際に教会員の皆さまに周知いただければ幸いです。

第三回 デール記念講演

来る5月14日、午後1時半から、日本福音ルーテル東京教会を会場に、第三回デール記念講演が開かれる。
今年の講演は、この記念講演にお名前をいただいたケネス・デール先生ご本人をお願いすることができた。デール先生は、戦後一早い段階でアメリカのルーテル教会から日本に派遣された宣教師として50年以上に渡ってお働きになった先生。特にその宣教師としてのお働きの後半は、日本ルーテル神学大学・神学校で神学教育にご尽力くださり、人間成長とカウンセリング研究所(PGC)を創設された。まだ、カウンセリングというものが物珍しい時代に先駆的にその働きの重要性を紹介され、また実際に認定のカウンセラーの養成にあたられたのだ。これが、今のルーテル学院における臨床心理分野の研究と教育への展開への土台となった。
今年90歳を迎えられる先生は記念として来日をご計画になり、その機を得て今回の講演を実現することが出来た。
講演のタイトルは、「21世紀を生きる人間性の牧会的理解〜90歳をむかえて〜」
先生の長い牧師・宣教師としての歩みから、いま、新しい時代を迎えている私たち自身の理解を深め、どう生きるべきかと考えるところを、お話いただけるものと思う。


講演会の後、ささやかな祝会で、先生の90歳のお誕生日をお祝いしたい。
是非、大勢の方にお集りいただきたい。

また、当日はデール先生が90歳を記念して出版された 90 at 90 というエッセー集の翻訳本を販売する。『90才からの90の信仰エッセイ』で一冊千円。


2016-03-27

『わたしを離さないで』

イシグロカズオ 『わたしを離さないで』という小説。


臓器提供のために生まれ、生かされるクローン人間の存在をあつかうフィクション小説。この前まで金曜ドラマとして放映されていた。(http://www.tbs.co.jp/never-let-me-go/)ご覧になられた方もあるかもしれない。彼ら、彼女らは、その出生がクローン技術、そして、ただ必要とされる臓器提供の目的のために生かされているという存在で、人間であるのに、魂のない存在、人権を持たない存在とされている。そんな設定。映画化されたのは2010年。生命倫理の問題に深く関わるので、是非見たいと関心をもっていた。現実的に、そうした状況が生まれかねないし、あるいは、世界の貧困と格差社会の陰で、クローンではなくても臓器提供を目的に人のいのちが売り買いされることもある。だから、こうした問題を取り上げる中で、どんなふうに人間が考察されるのか、その描き方には大きな関心を抱いたのだ。
 けれども、この小説は、そのクローンの人たちの生を描きながら、いのちを生きる意味、人間存在として心をもつことの苦しさ、切なさを問いつづけていて、これは、クローン人間の問題なのではなく、実は、私たち人間がだれでもかかえる問題であることをしらされているようだった。私たちが生きることとは、かならず死に定められた生を生きるということなのだ。その限られた生を生きるということの意味は何か。かけがえのない私という存在は、どこにあるのか。そうした、私たちの魂についての深い問いを投げかけている作品といえるだろう。
 小説のなかでは、クローン人間は当たり前のようにその運命が受け止められているし、また、社会全体がクローンとはそのような存在であるということを至極当然としているので、その異常性についていけないところがある。つまり、感情移入しにくいのだ。それだけに、実は問題が深いということもある。ドラマでは、その辺りにも工夫をしているようだったが、違和感そのものが、ある意味で訴えるものでもあると思う。幾つか、気になるテーマとしてみえてきたものは、私たちの生における自由と支配、記憶と希望、教育、芸術、奉仕のもつ意味。
 なかなか、問いかけの大きさに比して、答の見えない、救いと慰めを得にくい作品でもある。それでも、だからこそ、実は真実味があるのかも知れない。すべてが見通せているわけではないけれど、そんななかで、ギリギリ私たちの紡ぐことばをもとめているようだった。「ありがとう」という関係を、私たちの現実のなかに持ち得るのか…。問いのままだ。私たち人間のその尊厳を、魂の証を、本当に愛するということがどうしてもできない私たちに過ぎないけれども、「にもかかわらず愛する」という関係の中に見つめようとしているように思われた。