2016-07-23

1980年代の学生時代を振り返って ④

 1983年に尾崎豊のファーストアルバム『17歳の地図』とシングル『15の夜』が発売された。学校の校舎、規則、計算高い生き方、わかり合うことも、信じることも出来ない大人の世界の虚偽と建前を拒否して、決して器用に立ち回れない思春期の孤独、傷つきやすい、純粋な心が愛を求めて彷徨い、駆け出す。思春期の「反抗」を絵に描いたように歌い上げる彼のような心は、おそらく、子どもの世界と大人の世界に明白な線引きがまだ有効であったこの時期までは生きていたというべきだろう。
 ちょうど同じ年に、任天堂からファミコンが発売されて、子どもから若者までの多くの時間は瞬く間にゲームへとスライドしていった。わずかに残っていた活字に向かう契機があっという間にバーチャルな世界の画面へと流れてきえていく。ジャンプのドラゴンボールの連載は84年からだったが子ども向けのマンガ週刊誌からヤンジャンやビッグコミックなどのコミック週刊誌まで、若いサラリーマンの鞄の中に忍び込む。このころのスポーツ紙はまだ売れていたかも知れないが、大人がどんどん子ども化していく時代に突入したのが80年代だったように思う。
 ウォークマンのヘッドホンが公共の場のなかにさえ自分のプライベートな時間と空間を持ち込んで移動するようになっていくのが当たり前になったことも影響するのか。社会というものの存在よりも個人化した世界のパッチワークのように人が生活をすりあわせていく世界が立ち現われるようになる。

 それでも、そういう社会のなかで、大学を卒業すれば、汗を流して真面目に仕事をしていくものだったのだけれど、なぜか立ち止まってしまったのは、漠然とした不安からだったかもしれない。この時代に、自分が何をして生きるのかと、モラトリアムとの批判を覚悟しながら大学卒業後の二年間を大学院の聴講と神学校の聴講、受験準備にあてていた。世界というものを見渡す力はなかったけれども、漠然とした不安を持て余すようにして、自分のなすべきことを考えていたように思う。

 フランクルの『夜と霧』のなかで、「自分が人生に何を期待するかではなく、人生が自分に何を期待するか」という人生への観点変更ということが言われていて、まさに、自分が何をしてこの時代に応えていくのかと、牧師への道にたどり着いていったのだ。
 

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