2016-07-19

1980年代の学生時代を振り返って ②

 神学校に入る決心は、実存的に遍歴があってのことだったから、一口で語ることはできない。
 けれど、一番簡単に言えば、教育学の大学院受験に挫折をしたからだ。この挫折は自分を見つめ直すきっかけになった。当時の自分には、あのアカデミズムの中で学的な取り組みをするということに自信が持てなかったということなのだ。学部の卒論を書きながら、子どもたちとの出逢いを生きたいという願いと、論文を書くという作業とはどうしても相容れない別々の道だと思われた。研究者には教育の現場はやはり遠いものとなってしまうのだということに耐えられないという思いが当時の自分の心に働いたのだと思う。人と出逢い、人と一緒に生きる。そういう中で自分の存在が研究を通してではなく、もっと直接的にふれあい、支え合うものでなければ自分の存在の意味がないと思われたのだ。まあ、そんな言い訳をしながら、自分の研究者としての将来像を描くことができなかったということだと思う。
 いずれにしろ、この院の受験失敗の挫折によって、自分が世界の現実と向かい合うためには、もう少し遠回りをしながら、自分をしっかりと見つめてみなければならないと思ったことは間違いない。
 そして、この自分ということを考えた時に、大学時代には教会に少しも真面目に通って来なかったにもかかわらず、自分のキリスト者としての自覚だけはやけに強く抱くことにもなっていた、この薄っぺらな自分の虚偽に一度しっかりと向かい合っておかないではいられなかった。それで、神学校で聴講をはじめることになる。そうすると、これは渇いた土が水を吸い込むように、自分の中に教えられる一つひとつがしみ込んでいくのを感じたものだ。ただ、同時に奥が深い世界であることにいささか腰が引ける思いでもあった。
それで、自分は何かしっかりとキリスト教について学ばなければと思いはじめ、内村鑑三を読み、矢内原忠雄、前田護郎などを読み、神学校の受験準備にも取り組んだのだった。

 そのころ、つまり、教育学から神学への転向を考えた時期、熱心に読んだものは、キェルケゴールだった。ヘーゲルからマルクスへと展開する流れに逆らう自分にはまず、この実存主義から学んでいかなければならないと思えたのは、自然なことだったのだろうか。僕自身としては、ごく単純に、このキェルケゴールの世界には自分自身のキリスト教信仰への大きなチャレンジがあると思えたのだった。かつて高校時代に倫理の授業で課題図書となった『死に至る病』を今一度読み、『あれか、これか』『おそれとおののき』『不安の概念』『愛について』などなど、このときもとにかく取り組んで読んでみることだけに集中した時間があった。まだ、神学校に入る前のことだ。ギリギリと自己を追いつめていくキェルケゴールの在り方が、自分の甘っちょろい信仰が問い返されていく感覚だっただろうか。取り付かれたように読み進んでいった。

 おそらく、その読書の影響なのか、信仰は決断だという理解をもっていた。神学校に入って、それがブルトマン流の実存主義的信仰理解に近いことを知ったが、同時にそれが自分の最大の欠点だということにも気づかされることになる。でも、それは神学を学び始めなければ決してわからなかったことだったように思う。
 信仰の事柄は、決断なのだと言い切ることが、じつは最も合理的なのだとそう思っていたのだ。キリスト者とそうでない者との間には、なんにも区別がない。神様は等しくだれにも救いを差し出しているし、すでに一人ひとりに救いは約束され、その人のものとなっている。しかし、それを知らなければ、まず、その価値を理解できないし、知ったとしてもその恵みを受け取ることは、同時にキリストに従うという新しい生き方を造り出すことになるので、その決断が伴わなければ、信仰とは言えない。決断がなくても救われているが救われたことを知って決断するところにこそ信仰がある。だから、決断こそが信仰だと。洗礼は決断を示しているし、聖餐はその決断の表明に他ならないと、そんな風に思っていたのだ。
 もちろん、こうした考えに至るには理由があった、洗礼を受けるか、うけないかということによって、救いの有無がきまるということがどうしても納得いかなかったのだ。なぜなら、洗礼の機会をもたない人もいるし、ましてキリスト教など存在しない時代、伝得られてもいない場所もある。間違って教えられた人だっているだろう。そうした個人的な偶然が、洗礼からその人を遠ざけるのだから、それで救いの有無がきまるのはあまりに不条理で、神の平等・普遍の原則に合わない。だから、救いこそは普遍でないといけない。だれもが救われている。ただ、その救いを知って、その救いに応える決断が信仰であって、信仰に生きるということは、救いへの応答なのだと。これはまことに理屈に合うと信じていたのだ。
 しかし、そうなるともはや洗礼も聖餐もそこにあるのは、もはや神の働きなのではなく、人間の決断となってしまい、そこに何ら救いの働きをみないことになり、そうなると、もう信仰や救いは限りなく人間の業の中にのみあることになってしまうのだ。そうなると、もはや十字架のイエスは模範とはなるが、恵みの賜物にはならない。十字架は必要ないことになる。まあ、われわれを決断へと促すためのささやかな演技のようなものなのに成り下がるのではないのか。こうした実存主義の弱点について気づかされるのは、神学校の学びを通してだった。

 神学校の専門的な神学の学びは、あまりに忙しい学びではあったが、改めて神学的なものの考え方をきたえられていくことになるのだ。 
 


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