1985年、この年に自分は神学校に入学する。当時はまだ神学大学の3年生への編入という形で、3・4年生をすごし、大学を卒業してから二年課程の神学校へ進むという制度だったが、とにかく牧師となるべく、神学を学はじめることになる。
この年、神学校に入って学ぶことは、何もかもが新鮮でした。課題となる図書もたくさんではじから読んでも間に合わない。そもそも聖書語学、ギリシャ語もヘブル語も憶えることばかり、加えて必修のドイツ語に時間のほとんどが奪われていくのでした。はじめの大学では教育を専門としていたという理由で、迷いに迷ったけれどもフランス語をとってしまっていたことをどんなに悔しく思ったことか。でも、語学はとにかく時間を費やせば必ず身に付く。全く取り組まなかった中学・高校時代の英語の学びの反省を生かして、とにかくこれには何時でも全力で取り組んだ。なので、読みたい本はもちろん、読まねばならない本も少しも読む時間がない。問題意識をもってきたはずだったのに、とにかく与えられるものをこなすしかないということなのだと、改めて学ぶということの厳しさに直面した。
当時の一つの衝撃は田川健三の『イエスという男』だった。新約聖書、そして、イエスをこのように読むということをはじめて経験した。とにかく新鮮だった。二千年前のイスラエル、その社会構造とそこに生きる人々について、徹底した時代考証がなされ、見事な分析が展開している。イエス・キリストという神さまではなく、人間イエス、その生身の姿が当時何を語り、何をしたのか。聖書に描かれているところは、キリスト教信仰によってキリストとして描かれているものだけれど、その描かれた姿のもとにどのような実存が生きられていたか。それが何を意味したか。
わたしが小さい頃から教会で育てられてきたから、イエス様についてはきっとたくさんのことを聞いてきたけれど、こうした考察ははじめて耳にするようなことだった。わたし自身の頭のなかに描き出されていたイエス・キリストの姿を揺るがしたのだった。そして、人間の世界に、イエスが生きたというその現実のなかでこそ、このイエスを救い主と呼んだその告白を考えなければ、信仰はわからないということに気づかせてくれたのだった。面白かった。いろいろな意味で、目が開かれた。
ただ、田川のそれは、自分がその世界をあとにしてきた教育学研究室のあの雰囲気を思い出させた。それは、マルクス主義的社会分析に強く影響されたものに見えて、逆に懐かしくも思えたのだ。そして、これではだめだったのではないか、と自分の信仰の足場をもういちど確認したいと、もがきはじめることになる。
その時に、イエスをどう見るのかということを、徹底して考えさせられていく。ちょうど、それに参考になるように呼んだのは、H・G・ペールマンの『ナザレのイエスとは誰か』であった。ユダヤ教や他の宗教、哲学のそれぞれの分野にあるものたちが、どのようにイエスを考えるのかということを提示しながら、キリスト信仰はそのどれも一部に認めつつ、それらの主張を超えていくものとして、考えさせられていく。
改めて神学の語ってきたことが何を言っているのか、学びを深めたくなったのだった。
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