2017-01-06

「2017年宗教改革500年 カトリックとルーテルの共同声明」に学ぶ ⑷-①

本文から
●共に証しすることに向けてのわたしたちの参与
 わたしたちの重荷となっている、歴史上のこれらのできごとを乗り越えて進むとき、わたしたちは十字架にかかり、挙げられたキリストにおいて見えるものとされている神のいつくしみ深い恵みに応えて、相共に証しすることを堅く誓います。わたしたちが堅く関わりをもつあり方こそが福音へのわたしたちの証しを形作ることを意識して、完全な一致を得ることからわたしたちを妨げている、まだ残っている妨げを取り除くことを求めて、わたしたちは洗礼に根拠づけられている交わりにおける更なる成長に深く関わります。キリストは、わたしたちがひとつとなって、この世が信じるようになることをお望みです(ヨハネによる福音書17章23節参照)。

 

           (Joint Declaration on the Doctrine of Justification『義認の教理に関する共同宣言』)

学び
 カトリックとルーテルの両教会が確かな一致への歩みを重ねてきたなかで、最も重要な鍵となったのはキリストの福音についてであった。宗教改革は、まさにその一点を問題にして争われたといってよいのだ。だからこそ、いまその歴史を超えて進むという時に、その問題を避けて通るわけにはいかない。そして、その福音を語るということをもっとも大切な使命とするならば、その二つの教会は「争い」の中に留まるべきではないのだ。両教会がそれぞれに相手を非難攻撃しながら、イエス・キリストによって与えられる神の恵みの出来事を証するなどということはありえない。だから、カトリックとルーテルの関係の在り方そのものの中でこそ、福音が証されるはずだというのだ。これが、長い対話を辛抱強く重ねきた力になっている。
 1999年、両教会は「義認の教理に関する共同宣言」を明らかにする。「義認の教理」こそが、その福音の理解をめぐって「争い」を産み出した神学的なテーマなのだ。その教理について、両教会が一致して共有される理解を告白宣言したということだ。この宣言こそ、長い対話のなかで最も大きな成果であり、宗教改革500年を共同で記念することを可能にした文書だといってよいだろう。
 その「義認の教理に関する共同宣言」は、両教会の一致とともに、まだ残されている神学的な相違や課題も示している。今回のこの声明においても、その相違や課題をこれからの歴史を歩む中で克服していくことが、キリストを証する両教会の使命であるとの理解を示しているのだ。

     
 

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