●感謝の心をもって
この共同声明をもってわたしたちは、宗教改革500年を覚える年の始まりに当たり、ルンドの大聖堂において共同の祈りを捧げるこの機会のゆえに神に喜びをもって感謝していることを表明いたします。カトリックの人々とルーテルの人々との間にもたれた、実り多いエキュメニカルな対話の50年がわたしたちにとって多くの違いを乗り越える助けとなり、わたしたちの相互理解と信頼を深めてきました。同時にわたしたちは、しばしば苦難や迫害の中で苦しんでいる隣人に対する共同の奉仕をとおして互いにより近しい者となりました。対話と分かち合った証しとをとおしてわたしたちはもはや他人同士ではなくなりました。むしろわたしたちは、わたしたちを結び付けるものがわたしたちを分かつものよりも大きいことを学んできました。
〈学び〉
この「共同の祈り」がもたれるということは、先に記したようにこの50年間の両教会の代表によって積み重ねられてきた粘り強い取り組みがなければ、決して実現できなかったものだ。それまでも、もちろん互いの神学的主張についてはそれぞれに研究対象であったが、どちらかと言えば批判的傾向が強かったと言えるだろう。しかし、この対話の時期に入ってからは、お互いをより深く学び、認め合うものであった。
折しもルーテル教会の大切な信仰告白である「アウグスブルク信仰告白」450年やルター生誕500年などのきりの良い時がこの50年の歩みの中に重なっていて、それでなくてもルターやルーテル教会について神学的検証が起こることが必然でもあった。その時期に、この両教会間の対話がなされることは特別な恵みであったといってよいかもしれない。
50年に渡る「エキュメニカルな対話」は今までのところでは五つの期に分けられている。第一期(1967〜72):この次期に、今一度、それぞれの教会の福音理解を友にしていることを確認した。その果実が1972の「福音と教会(マルタレポート)」。
第二期(1973〜84):聖餐、一人のキリストのもとにあること、教会の職務などのトピックを取り上げる。
第三期(1986〜1993):「教会と義認」をテーマに対話を重ねる。
第四期(1995〜2006):第三期をうけて、1999年「義認の教理に関する共同宣言」と、2006年の「教会の使徒性」を成果とする実りある対話がなされた。
第五期(2009〜):2017年を両教会で迎えるための準備をかさねてきた。2013年に「争いから交わりへ」の文書が出され、両教会の歴史の中の過ちを告白し、これからの両教会の宣教の責任とまた教会一致への歩みを宣言している。
つまり、この対話においては実践的な協力という側面よりもむしろはっきりと神学的課題を正面に据えてきたものだということがわかる。言葉をかえるなら、自分たちの信仰の内実、とりわけ福音の理解ということでの一致を確認するための歩みだったといってよいだろう。しかし、その一致を求める対話の中でこそ、それぞれの信仰の具体的な姿、内容が共有され、自らの伝統を寄りよく理解することにも、またそこでの特徴や課題についても気づかされていくものとなったといってよいだろう。そして、相手の姿の中に新しい発見も導きも見出していくことにもなった。
エキュメニカルな対話は教会を豊かに実らせているように思う。
そして、こうした対話とともに、より具体的な世界の課題で協力し合う、実践的交わりももちろんあったのだ。具体的な協力関係がお互いを本当によく理解し合う原動力になったことも確かなことだといわなければならない。
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