「あれから 僕たちは何かを信じてこれたかな」
スガシカオの『夜空ノムコウニ』のはじまりの一節。国民的人気歌手グループがカバーして歌う声が時々テレビを通して流れてくる。
今まで聞き逃してきた、この歌の一節が突然に心いっぱいに響き始めた。
私たちが経験している事柄は、 単純に人生の挫折とか、大切なものが失ったということにとどまらないのだ。それは、「信じるということが失われた」という体験なのだ。
揺り動かし、押し流し、すべてが帰らない。
それまでのすべてが失われ、何も見いだせない。
ただ強いられた喪失は、今までを失ったにとどまらない。
「あれから・・・」
僕たちが経験している事態はこういう時なのだ。
かつてあの哲学者が見据えた事態も、同じ喪失感であっただろうか。
信じるものは いっさいなくなった。
生きてきたことを根こそぎ否定された経験は、私の根拠を見出せなくなる。
もしかしたら、この経験を私自身はもう何年も認めずにきたことかもしれない。
私の生に関わる意思の存在が、もし事実あるなら、私は否定されたものでしかないのではないか。そのような意思を私たちは私の信じるものとして 受け入れることはできないだろう。
しかし、もし、そのような意思の存在がないなら、私たちはやはり信じるものははじめからなかったと知らされるだけなのだ。
自分だけを信じることが もし出来るなら どれほど 幸せなことだろう。
しかし、この喪失を経験した自分のすべては失われたものでしかない。そこに何を信じる礎を見出せるだろうか。
ただ、そうした「私」になお語りかけるものがある。
その語りかけだけが自分をとらえ、呼び出し、生かすのだ。
そう、だからこそ、聞き続けたい。
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