2013-08-09

『想像ラジオ』(いとうせいこう)の描く世界

 想ー像ーラジオ。DJアークによる軽快なトークとやや古いナンバーを聞かせてくれる番組は、死者たちの、死に切れない魂が交流する世界を描き出す。3・11のあの被災者の断ち切られた生の現実に、あの時圧倒された私たちは、二年半を経て、「復興」という言葉の中で何をみているのか。いつの間にか何か大切なものを忘れていないか。そんな問いかけを「死者の声を聞く」というテーマをもって、想像の世界を描くことで発信した作品といえるだろうか。

                 

 生きとし生ける者、死という現実によって必ずこの世での生を終えなければならない。しかし、その「死」という現実に直面するのは、その死にゆく本人ばかりではない。私たち人間の特殊性は、「共に生きている」という一事にある。だから、関わりの中にある人々は、一人の死の現実に共に直面するのだし、共に部分的に死んでいく。別の見方をすれば、死んでいくものは、その一部の生をまた生きている人々のなかに遺していくのだともいえる。
 もちろん、かけがえのない一人の「いのち」の問題を軽々に他者との関係の中に解消してしまったら、その「個」の「生」の唯一性が軽んじられる危険がある。だから、その人、一人の「いのち」であるという客観性、その自然、その尊厳性を見失ってはならない。けれども、私たちが「関係的存在」としてあるという事もまた忘れてはならないのだと思う。そして、そうした関係のなかで、私たちは生から死という事実の重みを見つめながら、死者は既にないものとするのではなく、死者も共にあるという単純で素朴な私たちの感じ方を大切にしてよいのではないか。死んだ者を軽んじることは、結局は生きる者を軽んじることにもなる。
 そんな死者と共にあるという言い方が、「つまらない」感傷、執着や未練だとして、単なる思い出の中に閉じ込めずに、おそらく人間の文化は長い間その死者とともにある世界を日常としてきたのだろう。現代は、いつのまにか、この世界は生者のものだけになってしまったし、「個」人主義的になってしまったし、そうしていつのまにか「人間」を軽んじる世界になってしまったのではないか。
 この仏教でいえば、中有とか中陰という生者が死者の世界へ移っていく間の状態であろうか。日本の神道的な言い方では、死んだものの霊が新しく、また荒々しい「荒魂」状態から和らいだ「和魂」へと移行する間の時か。せいこう氏は作中で、「魂魄この世にとどまりて」という状態であると描く。
 ただ、こういう世界を描くことで、私たちの存在を深く見つめ直し、生きるということの奥深い「魂の問題」を捉えている。第二章のなかで、作者自身が登場人物を通して、このように死者の声を聞くという言い方が、本当に生きることの現実の問題に答えるのか、また死者とその死を深く受け止めようとしている家族の思いに土足で入り込んでいくことにならないか、など議論して見せてくれるのも重要だ。

 (その不思議な世界にたつ視点は、読むものをある意味では拒絶するだろう。5章立てになっているが、それぞれの描かれる世界がなにかということも、つながりや組み立ても分かりやすくはないかもしれない。でも、分かるということではなく、感じることから読み進むほうがふさわしい。小説としては、なかなかの完成度に感じた。姜尚中氏の『心』や2008年の天童荒太『悼む人』にも似た問題意識を感じたが、独特な手法は、好き嫌いが分かれるかも知れない。)
 
 「木村宙太が言ってた東京大空襲の時も、ガメさんが話していた広島への原爆投下の時も、長崎の時も、他の数多くの災害の折も、僕らは死者と手を携えて前に進んできたんじゃないだろうか?しかし、いつからかこの国は死者をだきしめていることができなくなった。それはなぜか?」
 死者の声を聞く想像力こそが、未来の世界を拓く創造力となるという問題意識は、なめらかなDJアークの語りを包む悲しみのベールへの共感から生まれるのだと思う。


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