2021-08-09

アメリカの礼拝についての具体的な指針としての「恵みの手段の用い方」における聖餐理解 5

5.   宣教の働きへ

エキュメニカルなコンテキストがこの新しい指針において重要なものであると同時に、宣教のコンテキストが積極的に取り入れられていることはきわめて重要である。とりわけ、そのことをこの指針全体に、つまり、単に聖餐のみならず、みことばと洗礼と聖餐という恵みの手段全体にかかわっていることとして「第IV部 恵みの手段とキリスト教の宣教」という独立した項目をもって書かれているところには大きな意義がある。すなわち、みことばとサクラメントは、そこに集うキリスト者の集まりにおいて「神がその教会を宣教へと力づける」(UMG51)というのである。このことによって、神の恵みの手段がわたしたちを神ご自身の働きへと生かす目的を持つことを明瞭に示しているといえよう。

ここで、聖餐に限って読み取ってみると、次のようなことが言われていることは、聖餐のコイノーニアとしての性格を基礎としながら、さらに一歩踏み込んで、なにが課題となってくるのかということを大変鮮やかに浮き彫りにする。

 

聖晩餐はキリストの体と血によってわたしたちを養い、また、この地上で飢えに苦しんでいる人々があることにわたしたちの気づきを与えるのである。礼拝からの派遣は、感謝のうちに、わたしたちを、神の聖なる賜物においてわたしたちが見たものから、神が愛されたこの世へ仕えることへとわたしたちを送り出す。(UMG51A

 

このサクラメントが、単にそこに集うものに対する恵みの手段であるということにとどまらず、その働きを通して、その恵みに与ったものたちをさらに巻き込みながら、神ご自身の宣教が力強く進んでいくように、世界に対する神の恵みの働きそのものであるということのようでさえある。

 さらに、この神の恵みの働きの聖餐に与る私たちがどのように生かされていくのかについて、この指針は次のように言う。

 

恵みの手段としての聖餐は、神が憐れみと罪の許しを与え、わたしたちの日々の務めとこの世における働きへと信仰を生み出し強めたもうメシアニックな祝宴が、神のこの世界すべてに実現される正義の日を望むようにわたしたちを駆り立て、そして、来るべき永遠の命への復活への確かなそして堅い希望を与えるものなのである。(UMG54

 

 サクラメントに与るものが、この世の課題に心向けるように動機付けられ、そして、希望をもってその課題に生きていく新しい生への招きがこの聖餐の礼典の本質となっているのである。

 また、この礼典の終末論的視点が強調され、神の救いのみ業が、宇宙論的広がりを持ち、全被造物の救いがこの礼典において祝われ、また教えられていることが指摘されていることは興味深い(UMG54A)。こうした視点は、宗教改革の当時には十分に展開されたとはいえない側面であろう。しかし、現代のわたしたちが直面をしている深刻な問題にかかわって、この礼典のもつ包括的な救いの視点を明らかに示すことが意図されているのである。

 そして、この終末論的希望に基づいて、キリスト者一人ひとりが向き合っていくこの世の具体的な問題との取り組みを、ルターの著作を参照し、神の愛された世界の中に実現していく愛の交わりと具体的な分かち合いのコイノーニア的性格に基礎付けながら述べている(UMG54B)。この世のさまざまな問題や困難に対して、神の普遍的な恵みのみ業から生かされるキリスト者が「戦い、働き、いのり、そして、もしそれ以上にできないということであるとするならば、心からの共感をすべきである」ことが示されるのである。

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