大学が、これまでの3学科から1学科5コース制へと改めるおおきな改革を実現させた。それに伴って、
神学校もまた、新しい歩みをはじめていく。
もちろん、これまでの神学校での神学教育・牧師養成の伝統を全く違うものに変更するということではない。むしろ、目指されて来た伝道・牧会者、またキリスト教指導者の育成を、現実に即しつつ新しい時代へ向けて具体化していくための新たな展開を目指していく。
まず、これまでは、大学と神学校の一貫した6年間を神学教育として位置づけていたが、大学はこの改革においていわゆる神学教育のカリキュラムを神学校にすべて移して、大学レベルで学ぶように、キリスト教の基礎と文化や社会との諸関係、そして「いのち学」を軸とした「人間理解」「人間論」の方に傾斜させたカリキュラムとしている。神学校は大学を卒業した基礎力に上に4年間の神学教育を専門的に実現する。
もう少し説明するなら、神学校の神学教育の専門性は今まで以上の教育の質をもつが、まずは大学レベルの教育機関において、よく学んできておいてほしいということだ。牧師になるということは、キリスト教信仰の深い理解と高い指導力が求められることはもちろんだが、現代社会の様々な課題について学び、現代を生きる人間と社会の課題、いのちの問題などに深い理解をもっていなければならない。その幅広い教養と専門教育を大学において修得することで、神学への取り組みを深めてもらい、実際の教会の牧会に実践的な力を発揮してもらえるように考えたと言ってよいだろう。
そのために、これまでのように大学の3・4年を神学校の1・2年として二重在籍とする制度はとらない。神学校は神学校の4年間で、教会での奉仕者、牧師を養成するべく、多様な教会のニーズにこたえ、社会への宣教を担うことのために、集中した専門的なプログラムとして今一度整えていくことになる。
さて、そのこと以上に大切なこと。
神学校は、教会全体が神さまによって生かされ、宣教を新たに展開していくことができるように、教会の働きに仕えたい。その宣教は、「ルーテル」においては具体的には教会での「伝道」と共に、「教育」と「福祉」の分野において社会全体を神様のみ心の実現へと整え、様々な困難をもつ人々への奉仕の業を担うことによって展開してきた。九州は熊本に拠点をおいて、教育機関や福祉施設を生み出してきたのは「ルーテル」の宣教の働きである。
だから、神学校は単に牧師を養成するということにとどまらないで、この具体的な宣教を支え、新たな時代にむけて展開していく指導的な力を持つ人々を養成する使命を持っているのだ。教育は学校に任せ、福祉は施設に任せるというのではなく、いずれも教会の大きな働き(宣教)の一つなのだから、そのことに理解と責任を持ち続けられるように神学教育の中に新しい質とプログラムとを実現させなければならない。そして、それは牧師や現場で働く信仰者への継続的な教育をどのようにつくることが出来るかということでもある。
そのためには、神学校は、教会、あるいはそれぞれの宣教の現場(学校や施設、幼稚園・保育園など)と共に、現代の宣教の課題を共有し、協力しながら神学を深め、教育の質を実践的な意味でも深めていくことが大切なこととなるだろう。
例えば、「教育や福祉施設でのチャプレンシーとはなにか。」そうしたことも、具体的な課題の一つのなる。現場から今一度学び、神学をしていく。そんな研究・教育の機関として神学校を整えたい。