2020-06-09

今、神学すべきとき  日本福音ルーテル教会の今を記録しつつ ①

いつの間にか紫陽花の咲く頃となった。鳥たちのさえずりを聞きながら、朝の光を深呼吸する。




今年、新型コロナウィルス感染拡大のもたらしている世界史的な出来事は、おそらく誰の記憶にも残り、また記録されていくことだろう。問題に向かい合いながら、私たちが何を考え、何をしてきたのか。どのような「言葉」が語られたのか。語られなかったのか。おそらく、こうしたことが、あらゆるところで検証されるべきなのだと思う。
教会もまた例外ではない。いや、「ことば」を何より大切にしてきたキリスト教会は、今こそ、私たち自身をしっかりと見つめ、記録しながら、神学をすべき時だと理解する。
この学びの現場は、2020年の日本福音ルーテル教会である。


教会とは何か、礼拝とは何か、信仰は何を受け取って、何を考えているのか。そして、どのような世界を実現しようとするのか。私たち自身の言葉を鍛えるべきだと思う。




まず、新型コロナウィルスの感染拡大の状況の中での、日本福音ルーテル教会がどのように対応してきたのか、全体教会として記録しておきたい。
おそらく、国内感染の増大が見られ、全国の小中学校、高等学校の一斉休校の要請が言われるようになった2月下旬頃から、いくつかの教会で礼拝の持ち方、特に聖餐式の配餐方式などに工夫が始まり、礼拝後の交わりや集会についても注意するような対応が取られ始めたと記憶する。3月に入ると感染拡大の状況に合わせて聖餐式の自粛なども含めて諸々の対応は広まってきて、各地域や教区ごとにその情報を共有、確認する動きが始まってきたといって良いだろう。
325日東京都知事の記者会見で「感染爆発の重大局面」ということが言われた、翌26日に、大柴譲治総会議長よる「議長談話」が全国の教会に発信された。



そこでは「すべての命(いのち)を守ること」という原則が示され、同時に地域社会における教会の責任と使命が確認をされ、私たちがその使命に尽力しつつ主のみこころを求めることが示されている。その方針に従い、それぞれの地における主日礼拝の持ち方について、オンラインなどの方法をとることも含め、礼拝堂に集まる形に拘らない、柔軟な対応が工夫されるべきこと、また、牧会の状況の中で、緊急にかつ大勢の人が集まることが想定される葬儀の持ち方についての慎重な対応を求める指針が示された。それ以降、4月9日5月2日と緊急事態宣言の発出や延長などに合わせて、総会議長は議長談話を各教会に向けて発信している。繰り返し、礼拝に集まることや集会の自粛を強く要請しつつ、医療や福祉の現場にあって援助に従事される方、また病気の方とその家族、生活上の不安や困難を余儀なくされている方々や、孤独の中にある方などのために祈りあうことを勧め、私たちの牧者である主に導かれて「一つの霊的な主のからだ」である教会に皆が結ばれていることへの信頼にたった牧会的な談話を発信た。
そして、5月6日には、緊急事態宣言が解除された場合に「新しい生活様式の中での礼拝」をどのように準備する必要があるかということを細部に渡って示し、再開にあたってはそうした対策をするとともに、その対策をしたことの上での再開であることを明示する責任を語っている。


こうした対応は、全国の教会に対し、礼拝を自粛するという感染症に対する単なる対処方針を示すものではなかった。何よりも主の教会として、神ご自身が仕えてくださる礼拝の本質を確認しながら、教会が教会であることを、集う者たちのためだけのものと考えるのではなく、それぞれの地域社会に対する責任と使命のうちに自覚することを促している。その上で、神を求め、また信頼しつつ、それぞれの教会に自主的な取り組みをするよう要請しているのだ。
すなわち、日本福音ルーテル教会では、一律に律法的にこうすべきであるとか、そのようにせよと強制的な対応が作られたのではなく、それぞれ教会の実情と宣教の現実に合わせた各個教会の主体的判断が求められたということになる。

各教会は、それゆえにそれぞれに与えられた地域社会とそこに集う信徒、またその家族や生活に心を寄せながら、牧師と役員とを中心として独自の判断をしていくこととなった。ほとんど全ての教会で、信徒を集める礼拝を中止したかと思うが、礼拝堂や教会を完全に閉じることを余儀なくされた教会もあれば、会堂はオープンにして祈りの場として提供し、牧師が来会者に牧会を行えるように整えたところもあった。そうして、それぞれの現実にあった教会のあり方を実現してきている。

緊急事態宣言は、521日に一部を残して解除され、525日には残されていた東京近郊と北海道を含めて完全に解除された。これに伴い、全国の教会はそれぞれ段階的に教会での礼拝や集会を再開し始めている。ただ、東京では62日に「東京アラート」を発令したため、都内の教会では慎重な対応が続いているといって良いだろう。

続く・・・

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