今日、夕方の報道ステーションという番組で、あの震災直後の少年野球チームの様子がドラマ仕立てで取り上げられた。あの震災の後、まだがれきが校庭をうずめていて、それぞれ被災した子どもたちも毎日の生活を立て直すことに精一杯のころ、すぐに子どもたちを元気づけたい、取り組まれた陸前高田の少年野球。子どもたちは、練習することだってたいへんだった。からだも心も萎縮して、なかなか思ったようにプレーできない。けれど、そんな自分たちが、本当にこの時だからこそ、しっかりと取り組んで乗り越えるって、心に決める。一試合一試合、勝ち進んで、ついに地区大会優勝で県大会に進む。そこにどんなに子どもを勇気づけたいとおもった大人たちの努力があったことか。
その勝ち進んだ子どもたちが、親善試合を他所のチームと戦った。そのあと、懇親会で元気いっぱいの子どもたちがみな自分の将来の夢を語っていた。被災していない他所のチームの子どもたちが、大リーグやプロ野球への夢を語る。そのとき、この高田の子たちは何を夢として語ったか。ずーっとチームを指導し、励ましてきた大人たちは、「大きな夢を語れよ」とはげまして見守る。すると、子どもたちが口を開く。「被災した私たちを助けてくれた自衛官になりたい」、「家に住みたい」「仕事がしたい」、「はやく仕事について、親を助けたい」。大人たちは、子どもの心になにがあるのか、想像だにしていなかったと、その時の驚き、その真実をつたえていた。
大人たちが子どもたちの心に元気をあげたいと、一生懸命取り組む中で、子どもたちは子どもたちなりに、そのときに生きる現実の中で、物事を見て、考えている。どんなに近くにいても、大人が勝手にその心を左右できるわけではないし、押しつけることもできない。子どもであろうと、大人であろうと、その時を生きる精一杯の尊さが、「大きな夢を語れよ」ということばにも、一人ひとりの子どもが紡いだ夢の姿にも見て取れる。そのことばを、ただいとおしく思った。
あの時から五年、成長したこの子どもたちの今の夢は…あの時と同じだった。それはそれで尊いことだと、言えることもある。しかし、同時にこの五年間、私たちはこの子どもたちに新しいなにかを示してこなかったのだろうかと、ふと思うことでもある。けれど、いずれにしろ、これが現実なのだ。その現実の重さを私たちは復興ということの難しさとして認識する。
私たちがともに担うべき復興は…。と、軽々しくはいえないのかと思う。それでも、私たちは、何をいま考えるのか。何を今の子どもたちに残すのか。何を伝えるのか。
東日本大震災から五年。約2万の人々のいのちが奪われ、今も18万近くの方々が避難生活を強いられている現実、また私たちがかかえ続けている原発事故と放射能の問題。私たちはそれらにしっかりと目をむけ、またこころにとめなければならない。そして、明日を生きる子どもたちのために、次の世代の人々のために、いま、このときを私たちはどのように生きていくのか。何を選び取っていくのか。そのことを考えなければならない。
被災地においても、今は、だれも、憐れみや同情を求めてはいない。それは、ある意味で失礼なことだろう。「手を差し伸べる、なんていったら、何様なのかということだ。彼らは自分たちを自分たちとして生きているのだから。それぞれの現実を生きる。かけがえのないものを。
それでも、いや、それだからこそ、私たちは共に今のこのときを、ここで生きるものなのだから、本当に考えなければならない。尊厳ある一つひとつのいのちだから。今を生きる私たちとして。
「共に」「いっしょに」ということばを使ってみたけれど、そのことの難しさを改めて思ってもいる。違うのだ。被災地の子どもたちと他所の子どもたちの描く夢の姿がことなるように、それぞれに向かい合い、背負っているものが。だから、切実に結実することばは、簡単には重ならない。それでも、それぞれをまず知ろう。私たちの明日に向けて、語り合うべきことばを探そう。深い魂の同行をもとめよう。
日本福音ルーテル教会東教区は、本教会が三年間続けた支援を終えた後、今できる支援を展開してきた。小さなものでしかないけれども、その報告と共に、いまも大きな痛みをおい続ける人々の魂に触れながら、3・11を憶える礼拝をおこなう。
あの震災当時から被災地に入って、現地の人々との深い信頼関係を築いて、その人々と一緒になってそこに留まり、寄り添うということを考え、実践して来られた伊藤文雄先生によることばは重い。ぜひ、この礼拝に与って、いのりの時をもちたいと思う。
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