2012年3月26・27日の二日間、日本聖公会聖アンデレ教会において、日本キリスト教協議会の第38回総会が開かれた。
総会二日目の朝の礼拝を信仰職制委員会・委員長の私と神学・宣教委員会の大宮溥委員長と二人で担当するよう依頼され、大宮先生と年頭に打ち合わせ、準備をさせていただいた。
礼拝は、テゼ共同体の祈りと賛美を用いて、「一つになって」というテーマにさせていただいた。
震災と原発の事故によって被災の人々はばらばらにされ、その生涯が切り裂かれる経験の中におかれていることを私たちもまたともに経験している。そして、一般の社会の中で「絆」や「つながり」が求められ、助け合い、支えあうことが改めて見つめなおされている。それは、今回の被災によって特にクローズアップされた問題だけれども、現代の日本社会が特に20世紀後半から直面させられてきた問題なのだ。神と人との間が私たち自身の罪によって切り裂かれるとき、人と人、人と被造物が分裂し、その深い痛みを負わされている。この分裂の中にあって、結び合い、一つとなることを祈っていきたかった。
また、実際に被災された方々を憶えること、また特に生と死の境を異にせざるを得ず切り裂かれた痛みを憶え、主から慰めと力が与えられるように祈りたいということ、そして、この現実の中で、だれもキリストによって見いだされないものはないと信じ、祈りを合わせていきたいと願った。
そして、NCCがキリストのミニストリーの中に生かされるものとして、こうした切り裂かれている現実の中で信仰の一致と協働を主の恵みのうちに証しするものでなければならないし、そうありたいと思い、このテーマを持たせていただいた。(そして、一番私自身が大切に思っていたことは、この現実に責任のある私たちの罪の告白だった。)
大宮溥先生にはローマ書8章18-30節から御言葉を取り次いでいただき、「共に生きる」と題して説教をいただいた。NCCのおかれている「今」を深く考えさせられ、また励まされた説教をいただいた。
加盟の各教会、団体の代表者にろうそくを灯して、聖卓の前に進み出ていただき、祈りを合わせ、神様からの赦しと祝福をいただく、感謝の部を設けさせていただいた。
教会が聖公会の聖アンデレ教会であったので、あのアンデレが五つのパンと二匹のさかなを持った少年を主の前に連れてきたように、私たちがそれぞれに持っているものは役に立つとも思われないようなわずかであっても、それを主が受け取られ、神への感謝とともに祝福し、用いられるときに大きな働きに生かされていくものであることを象徴的に表させていただいた。
NCC、日本キリスト教協議会は、日本のプロテスタント諸教会の教派を超えたエキュメニカルな働きを担うものである。エキュメニカルな働きの一つの軸は信仰の一致ということである。歴史の中で、それぞれの状況の中で生まれてきたプロテスタント諸教会は、しかし、同じキリスト教会なのだ。その信仰を一つの信仰として、互いに理解を深めキリストに従う一つの交わりとして自らを表していくことができることを目指している。
今一つの働きの軸は、この世界の中で信仰に基づいて他者のために奉仕をする、実践的な働きについての協働である。
こうしたNCCの働きは、日本にあるばかりではなく、世界中に存在する。世界規模の団体としてはWCC、世界教会協議会がある。日本のNCCはこのWCCの働きを受けながら、日本におけるプロテスタン教会諸派が一致と協働のために話し合い、活動を担っていくものとなっている。キリスト者としての多様な活動、運動がこのNCCを軸にして生み出されてきた。
しかし、この新しい21世紀を迎えて、NCCはその組織そのもののあり方について大きな曲がり角に立っている。加盟の教会、団体をはじめ、各委員会が今改めて自らのあり方について考えなければならないのだと、痛感させられた総会だった。
そうであればこそ、本当に主の前に立つものであること、憶えたいと思い、この礼拝を企画させていただいた。
主の恵みに生かされたい。