2022-02-26

「詩編と祈り」第IV期 開催のお知らせ

昨年度秋に再開されました「詩編と祈り」の講座、2022年度前期に第IV期、講座の最終ステージを開催することとなりました。
いのちの最期の時を、祈りの音楽の中で大いなる神の恵みに運ばれていく。そうした恵みをホスピスや施設などでご奉仕し実践の中で分かち合ってこられたキャロル・サック氏が企画してくださったプログラムです。キャロル氏による「祈りの竪琴(リラ・プレカリア)」の実践を支え、形作っていくこととなったプログラムの一つを新しい形でお分ちいただけるように、2019年度に始められましたこの企画は、4回を一つの期で開催し、四期、全16回の講座として企画してきました。
今年は、その最後の企画となります。
この動画は、キャロル氏によって家庭での祈りや黙想に役立つように詩編をハープと共にお送りしたものですが、祈りと音楽はキリスト教の伝統の中で人々の深いスピリチュアリティを養ってきたのです。
プログラムでは、人間のいのちに神の恵みがどのように深く私たちを導き、生かすものであるのか、尋ねつつ学びを深めてまいります。




もちろん、第一期から続けてくださっている方は多いのですけれど、毎回新たな形でプログラムを考えてきています。第四期が初めて参加という方でも歓迎いたします。
どうぞ、下のHPから、参加のご希望申し込みをいただけますように。
人数制限がございます。
お早めにお申し込みください。








今、問われる牧会(2022年度 牧会研究会)

各教会の状況は厳しい。

礼拝はさまざまな工夫の中で、オンラインでの配信なども含めて守られているけれども、おそらくさまざまな活動は制限されたまま。食卓を囲むことができず、宣教を生きる信徒一人ひとりが互いに祈り、支え合う聖徒の交わりを力とすることが難しい状況が続いている。

今、牧会が問われていると言って良いだろう。






DPC主催の「牧会研究会」も新型ウイルスの影響を受けて、2020年度は活動を休止し、昨年21年度は4回の研究会をおこなうのみであった。しかし、状況の中でオンラインによっても、学ぶ場を作り、現場にある牧師たちが互いに語り合い、模索する日々を分かち合う時がが必要と考えた。

今年は、以下のようなラインアップで計画をしている。

講師は 

 堀 肇(鶴瀬恵みキリスト教会牧師、CCC講師、デール・パストラル・センター所員)、 

 成 成鍾 (日本聖公会八王子復活教会牧師)、 

 関野 和寛(日本福音ルーテル教会牧師、デール・パストラル・センター所員)

 ジェームス・サック(日本ルーテル神学校教授、デール・パストラル・センター所員)


日程とテーマは以下の通りとなる。

4月 8日(金)牧会カウンセリング講座1「家族心理学の応用」(堀肇)

5月13日(金)「人間のパーソナリティ(気質)に基づくカウンセリング」(J・サック)

6月10日(金)牧会カウンセリング講座2「発達心理学の応用」(堀肇)

7月11日(月)「これまでの日本の牧会とその課題」(関野)

9月 9日(金)牧会カウンセリング講座3「交流分析の応用」(堀肇)

10月14日(金)「霊性と牧会」(成 成鍾司祭)

11月11日(金)牧会カウンセリング講座4「フランクル心理学の応用」(堀肇)

1月13日(金)「スピリチュアル・ペイン(心の痛み)とそのケア」(J・サック)

2月10日(金)牧会カウンセリング講座5「心理療法とキリスト教」(堀肇)

3月13日(月)看取りの牧会、哀しみの時を豊かな時間に(関野)

 

お申し込みについては、HPをご参照いただきたい。


DPC牧会研究会 案内


2021-10-28

ルター研究所 クリスマス講演会 「マグニフィカート」 

 ルター研究所の講演会企画のご案内。

例年秋に行ってきたルター研究所主催の講演会。

今年は 12月12日日曜日の午後1時から、オンラインでの開催を企画している。

内容は、ルターの「マグニフィカート」。ルターによって書き上げられたのが、1521年だったから、今年はちょうど。その500年の記念の年ということになる。

宗教改革500年を記念し、ルーテル教会とローマ・カトリック教会とはエキュメニカルな交わりと協働を一歩も二歩も踏み出したといって良いだろう。しかし、マリアについてのカトリック教会伝統の敬虔は、ルーテル教会にはなかなか受け止めにくい性格を持っている。実際、こうしたマリア信仰に象徴されるカトリック神学の構造こそ、ルターはじめ16世紀以後の改革者によって最もクリティカルに論じられたテーマそのものだ。ルターがいわゆる宗教改革的三代著作「キリスト者の自由」「教会のバビロン捕囚」そして「ドイツキリスト者貴族にあてて」を著したのが1520年。その1520年から執筆を始め、翌年、あの有名なウォルムスの国会を挟んであのワルとブルク城で仕上げたのが、この「マグニフィカート」。そこには、マリアの賛歌を丁寧に講解するルターの信仰が極めてよく表されている。




 ルターはマリア、特にこの「賛歌」をうたうマリアには深い慰めと力を受け取ったことと思われる。ただキリストによる救いのみに信頼を置き、本来のキリストの福音が揺らいで見えた当時の神学と教会的慣習に疑問を持って改革を呼びかけたルターであったが、当時の宗教的な権威からもまた世俗の権力からも否定され、自身の破門と帝国追放という厳しい状況の中で命の危険にさらされ、最も弱い者の一人として貶められていた。その窮状の只中で、ルターはマリアの信仰に深く自らを重ねていったことだろう。キリストを身籠るという思いもよらぬ出来事に、受け取らねばならなかったあらゆる非難と陵辱を覚悟し、命の危険にさらされることを覚悟しつつ、ただ、神の御心がこの身になりますようにと身籠った命を受け取ったこと。しかも、神の大いなる御業への信頼を歌うこの賛歌にルターが何を受け取っていったかが想像される。

しかし、そうであればこそ、改めて、「マリアとは誰であったか。いや誰であるのか」と問いかけつつ、そこに生きられるいのちの喜びと悲しみ、その叫びまた希望を賛歌として記録した聖書の世界を今一度深く問い返すべきなのかと思う。今だからこそ、私たち自身が「マグニフィカート」に聞く意味を深めたい。

限られた時間の中で、どのように深めることができるかわからないが、ぜひ、お聞きいただければと思う。

ルター研所長の江口再起氏による基調講演「待つということー現代世界とマリア」をお願いし、そのあと加藤拓未氏によるバッハの「マグニフィカート」紹介を挟んで、シンポジウムを行う。シンポジストは滝田浩之氏(「マグニフィカート紹介」)、多田哲氏(「ルターとマリア」)そして安田真由子氏(「聖書・女性・マリア」)を迎える。司会は私、石居基夫。


オンラインはzoomのウェビナーによる実施となるので、改めてURLなどはお知らせしたい。

乞うご期待


2021-09-10

2021・一日神学校 『その人を支え、ともに生きるために〜「総合人間学」とは〜』

オンライン「一日神学校」へのお誘い

 

今年もルーテル学院は「一日神学校」をオンラインで開催いたします。日時は、9月23日午後1時半から、配信方法は、Youtubeでの限定ライブ配信となります。テーマは、『その人を支え、ともに生きるために〜「総合人間学」とは〜』。

 




昨年、新型ウイルスの猛威に襲われて以来、いまだに感染防止の大原則の中で、教会の礼拝も活動も大いに制限をされています。ルーテル学院でも大学、神学校ともに、学生は基本的には午後の時間だけキャンパスで授業を受けますが、オンラインでの授業も多く、またサークルなど学生活動も制限されたなかで学びを続けています。

こうした今のキャンパスの姿も知っていただくことも含めて、何よりここに集う交わりにこそ「一日神学校」の喜びがあることを思うと、三鷹に皆さんをお招きしたいのです。しかし、感染の状況はやはり深刻で、東京の緊急事態宣言等もいつ解除されるのかわからない現実を踏まえるならば、今年も「一日神学校」はオンラインでの開催とせざるを得ないと決断するに至りました。


現在、このURLで限定公開されています。

https://www.youtube.com/watch?v=n7yVPKuUJ8k


ルーテル学院大学が社会福祉教育を始めたのは1976年、今からちょうど45年前のこととなります。当時の間垣洋助学長は「福祉の仕事は、元来キリストがおこない、また弟子たちにこれをなすように命じた、教会の負うべき重大な使命」と受け止め、福祉分野への人材育成が神から与えられた使命としてこれ担うと言われました。もちろん、ルーテル教会が日本での宣教の始まりの時から、教会とともに福祉施設を作り、困難を持つ方々を支える使命を担ってきた取り組みがこの言葉を裏付けます。そして、この教育を支えるものは「神の愛された人間」についての福音的理解にあるのだと思います。社会福祉、臨床心理と大学の教育研究の領域が広がる中で、対人支援の専門教育において「総合人間学」と呼ぶものが求めていくところを、今年の「一日神学校」を機会に、共に問い学びたいと思っています。


開会礼拝に始まり、シンポジウム「ルーテルの総合人間学とは何か?〜共生の羅針盤を求めて〜」、そして、「神学生による神学校紹介」の三つのプログラムとなります。詳細や参加の方法などは学校のHPや別途ご案内をご覧ください。

皆様のそれぞれのご参加をお待ちしております。


(機関紙『るうてる』2021年9月号より


ルーテル学院の教育と研究は、皆さんによって支えられます!

後援会を通して、皆さんの思いをお届けください。

⇩⇩

https://www.luther.ac.jp/college/donation/



2021-08-16

デール記念講演会「たましいの安らぎ」藤井理恵氏

日本ルーテル神学校附属研究所デール・パストラル・センターでは2014年の設立以来、ケネス・デール先生のお名前を冠しての講演会を開催してまいりました。これは、困難な時代に生きる私たちが互いに支え合い、共に生きるために、何を考え、大切にしていくのか、ともに学ぶための講演会です。


残念なことにはCOVID19をはじめ諸般の事情により、2019年度と2020年度は開催がかないませんでした。

けれども、このたびこのような状況下ではありますが、今この時にこそ、お話をお伺いするにふさわしい講師をお迎えし、オンラインでの講演会を開催いたします。



淀川キリスト教病院ホスピスのチャプレンとして「死の現実と向き合う方々」に寄り添い働いておられる藤井理恵先生から、神の恵みが働くことによって与えられる「たましいの安らぎ」についてお話を伺います。先生は、昨年同じタイトルでの著書を出版されています。




2021年10月2日 午後1時半から3時半、Zoomを用いたオンライン講演会です。


急速に拡大する感染症は、私たちの日常を奪い、またいのちを奪う勢いをとめません。けれども、そのいのちを守り、また支え、祈ることもまた、休みことなく働いています。ひとりの人をケアすることが確かなたましいの安らぎに結びついていく実践がどのように紡がれていくのか。


牧会の現場にある牧師、隣人に寄り添う信徒、また大切な方をなくされ悲しみの中にたたずむ方にも、ぜひお聞きいただきたく、ご案内申し上げます。





専用申し込みにリンクするサイトは以下の通りです。

https://www.luther.ac.jp/lutheran/news/20210629-01.html


お申し込みをいただいた方に zoom参加に必要なID、パスコード、URLなどを差し上げます。





2021-08-09

アメリカの礼拝についての具体的な指針としての「恵みの手段の用い方」における聖餐理解 6

6.   その他・実践の課題

実施においては各個教会の伝統を重んじてといわれる。ルター派的な穏健で緩やかな実践課題を示している。たとえば、小児倍餐の問題では、子どもがどのくらいの年齢に達したときに初陪餐を迎えるのかというきわめて実際的な課題であるが、これも一応の指針を出しつつ、地域教会の実情から出発するように配慮がなされている。ちょうど、ルターが一種陪餐から二種陪餐の適切性を論じつつも、実際の改革においては、急進的な方法を退けたことが思い起こされる。

また、この指針では、陪餐者のアルコール依存症やアレルギーなど困難がある場合の一種陪餐の可能性も述べている。(UMG44C,D)それを積極的にすすめているのでないにしろ、たとえ一種であっても不十分ではないことをはっきりと述べるのである。これも、ルターの二種陪餐の主張と方向は全く逆ではあるけれども、基本的にルターの考えに沿っているといってよい。[8]

しかし、同時にそのことが現場の中の単純な多様性ということで解決のつかない問題になってきていることも事実であろう。神学のひとりあるきではなく、実践と共に現場から発想する、もしくは現場を神学することが大事なことだと確認したい。



[8] ルター「キリストの聖なるからだ」著作集1集 1巻 636ページ

アメリカの礼拝についての具体的な指針としての「恵みの手段の用い方」における聖餐理解 5

5.   宣教の働きへ

エキュメニカルなコンテキストがこの新しい指針において重要なものであると同時に、宣教のコンテキストが積極的に取り入れられていることはきわめて重要である。とりわけ、そのことをこの指針全体に、つまり、単に聖餐のみならず、みことばと洗礼と聖餐という恵みの手段全体にかかわっていることとして「第IV部 恵みの手段とキリスト教の宣教」という独立した項目をもって書かれているところには大きな意義がある。すなわち、みことばとサクラメントは、そこに集うキリスト者の集まりにおいて「神がその教会を宣教へと力づける」(UMG51)というのである。このことによって、神の恵みの手段がわたしたちを神ご自身の働きへと生かす目的を持つことを明瞭に示しているといえよう。

ここで、聖餐に限って読み取ってみると、次のようなことが言われていることは、聖餐のコイノーニアとしての性格を基礎としながら、さらに一歩踏み込んで、なにが課題となってくるのかということを大変鮮やかに浮き彫りにする。

 

聖晩餐はキリストの体と血によってわたしたちを養い、また、この地上で飢えに苦しんでいる人々があることにわたしたちの気づきを与えるのである。礼拝からの派遣は、感謝のうちに、わたしたちを、神の聖なる賜物においてわたしたちが見たものから、神が愛されたこの世へ仕えることへとわたしたちを送り出す。(UMG51A)

 

このサクラメントが、単にそこに集うものに対する恵みの手段であるということにとどまらず、その働きを通して、その恵みに与ったものたちをさらに巻き込みながら、神ご自身の宣教が力強く進んでいくように、世界に対する神の恵みの働きそのものであるということのようでさえある。

 さらに、この神の恵みの働きの聖餐に与る私たちがどのように生かされていくのかについて、この指針は次のように言う。

 

恵みの手段としての聖餐は、神が憐れみと罪の許しを与え、わたしたちの日々の務めとこの世における働きへと信仰を生み出し強めたもうメシアニックな祝宴が、神のこの世界すべてに実現される正義の日を望むようにわたしたちを駆り立て、そして、来るべき永遠の命への復活への確かなそして堅い希望を与えるものなのである。(UMG54)

 

 サクラメントに与るものが、この世の課題に心向けるように動機付けられ、そして、希望をもってその課題に生きていく新しい生への招きがこの聖餐の礼典の本質となっているのである。

 また、この礼典の終末論的視点が強調され、神の救いのみ業が、宇宙論的広がりを持ち、全被造物の救いがこの礼典において祝われ、また教えられていることが指摘されていることは興味深い(UMG54A)。こうした視点は、宗教改革の当時には十分に展開されたとはいえない側面であろう。しかし、現代のわたしたちが直面をしている深刻な問題にかかわって、この礼典のもつ包括的な救いの視点を明らかに示すことが意図されているのである。

 そして、この終末論的希望に基づいて、キリスト者一人ひとりが向き合っていくこの世の具体的な問題との取り組みを、ルターの著作を参照し、神の愛された世界の中に実現していく愛の交わりと具体的な分かち合いのコイノーニア的性格に基礎付けながら述べている(UMG54B)。この世のさまざまな問題や困難に対して、神の普遍的な恵みのみ業から生かされるキリスト者が「戦い、働き、いのり、そして、もしそれ以上にできないということであるとするならば、心からの共感をすべきである」ことが示されるのである。