この11月23日、長崎でのカトリックとルーテル両教会が宗教改革500年を共同で記念する。そのメインは、共同記念礼拝だ。カトリック浦上教会に約1500人が集うこととなる。
礼拝の主題は「すべての人を一つにしてください」。
説教者は、日本福音ルーテル教会総会議長立山忠浩牧師と日本カトリック司教協議会会長高見三明大司教の二人。
神のみことばによって導かれた一致と協働であることを覚え、福音を聞き、和解と平和の恵みを分かち合い、そうして分断された現代の世界へ神の恵みを伝えるよう祈りを合わせていく礼拝としたい。
この礼拝に与った一人ひとりが、この世界の平和と一致を祈り、また新しい未来に向かって主の働きのなかに自らを捧げ、委ねていくことを具体的に表していくような礼拝となればと願っている。集められた祈りを執り成し祈り、共に主に仕え、明日の世界に希望をつないでいく。きっと、そんな礼拝となることだろう。
礼拝は、以下のサイトで同時配信される。
https://www.youtube.com/channel/UCs8_-OJJpWCurq3l4gFVA1Q/live
2017-11-19
2017-11-18
11・23シンポジウム「平和を実現する人は幸い」
宗教改革500年、ルーテル・カトリック両教会による、共同記念が11月23日に行われる。
午前中はシンポジウム、午後は礼拝。
シンポジウムのテーマは「平和を実現する人は幸い」。
シンポジストは、三名(組)による。
はじめに、「長崎からの声」として橋本勲司祭と深堀好敏氏。深堀氏は、今年の8月9日の平和祈念式典で平和への誓いを被爆者を代表してはなされた方だ。ご高齢なので、当日の出席が心配されるが、橋本司祭がサポートしてくださって、長崎・浦上のキリシタン弾圧と被爆体験の苦難の歴史体験を踏まえたなかから、信仰と平和への願い、取り組みの証しをお話しいただける。
その次は、石居が担当させていただき、私たちが平和を願いつつそれを実現することがなかなか出来ないでいる私たち自身の「罪」の問題を取り上げる。キリスト教に限らず、宗教というものの陥りやすい過ちについて、気づいていくことの大切さを考えたい。そして神の恵みの働きの中に生かされていくルターの信仰に学び、また、このエキュメニカルな交わりの成果にたちつつ、いま何ができるのかを考えていきたい。
最後に、カトリックの光延一郎神父にエキュメズムという視点から平和に取り組むことを深くお話いただく。特に「カトリック性」が全体を一つのものとして捉える視点であることから、現代のように多様化し、また深い分裂や争いの絶えない世界の中でのこれからのキリスト教の責任を説かれる。あらたな宗教改革を生きるべきことをお話いただく。
宗教改革500年は、単なる過去の記念ではない。それがなんであるか、ということを深く問いつつ、今の私たちが何をするのか、その改革を新たに自らのものとするべきことを捉えることだろう。
シンポジウムも礼拝も、参加できなくても、ネットを通じて配信される。是非、それぞれの場所で参加いただければと願う。
2017-11-06
今、宗教改革をおぼえることの意義
(写真は2016・10・31ルンドでのLWFと
カトリック教会の共同の祈りの礼拝)
☆宗教改革とは
16世紀の教会改革運動:ドイツのルターによって始められ、カルヴァン、ツヴィングリなどによるスイスの改革運動や、イングランドにおける英国国教会の改革の取り組みなどに広がりをもつ。この一連の改革運動は神学者同士の単なる教義学的論争ではなく、全ての信徒の信仰生活と教会、そして社会全般に大きな影響を与えるものとなった。
☆激動の世界の中で生きる人々に
近代に向かう中世末の16世紀。大航海時代と新大陸発見に世界の広がり、活版印刷術という新しいメディアの登場と各地域における産業と資本主義の胎動は、政治的・宗教的に固定化した中世社会の崩壊をもたらし、一人ひとりがどう生きるのか問われる時だった。
ペストや飢饉が、ヨーロッパ全体に死の恐れと不安をもたらし、「メメント・モリ」、「死の舞踏」ということばに象徴される精神的・霊的危機状況をもたらした。真剣に神を求める時代であったし、その神に人間が取って代わろうとする近代の夜明け前でもあった。
宗教改革とは、この激動の時代の苦悩を生きる人々によって、キリストの福音が今一度問い返されていったことだと言える。ルターは時代の人として、聖書に取り組み、それまでの教会のことばによっては伝えられない福音の根源的な意味を、「十字架の神学」、「信仰義認」のことばによって民衆のなかに伝えていくこととなった。
☆福音の鮮明なる宣言
中世における聖人を称え、立派な信仰者となることを目指す敬虔な信仰は、神の救いを人間の素晴らしさのなかに押し込めてしまいかねなかった。その人間の功績すべてに神の恵みを見ているといっても、このスコラ神学のことばは、結局神のはかりに適わない人々を救いから遠ざけているようなものだった。しかし、本当は、人はあまねく神から遠い「罪人」に過ぎない。だからこそ、キリストがその罪人のわたしのもとにおいでくださった。ルターは、その神の救いの働きに信頼するだけだという。
神が見えないところ、弱さ、みすぼらしさ、絶望の只中(十字架)に、神がいたもうことを信じる信仰だけが、反対の層のもとに隠された神を知る。ルターは、この福音を鮮やかに、力強く、喜びをもって語ったのだ。
☆エキュメニカルな交わりなか、主の宣教のために継続する改革
宗教改革500年の記念は特別である。第二バチカン公会議後の50年に及ぶ対話が、過去の対立と争いを乗り越え、新しい時代に向けて宣教の協働を求めつつ、ローマ・カトリック教会とルーテル教会は一致と交わりの道を歩み始めている。かつて袂を分かつことになった宗教改革が、福音理解を深める霊的な賜物と理解されている。16世紀の分裂の鍵「義認の教理」が、21世紀には交わりの回復のしるしなのである。
この歴史の中にある限り、教会は何時でも改革されなければならない。神は、同時代に生きる人たちの苦悩に寄り添い、キリストの福音を分かち合うように求められている。人間の飽くことなき欲望が、世界に分断と争いをもたらし、また自然を破壊していく。この現代に、互いに助けあう愛と平和、そして被造世界の保全のために罪人である私たち一人ひとりが召されているのだ。みことばによって、私たち自身が神の愛に満たされ、赦され、新たに生かされて、自らを絶えず新たに悔い改めていく勇気を持つべきということだろう。
宗教改革を憶えることの意義は、ここにこそある。
(11月3日に行われた日本福音ルーテル教会東海教区と名古屋キリスト教協議会共催の「宗教改革500年記念大会」に寄せて書かせていただいた文章です。)
(11月3日に行われた日本福音ルーテル教会東海教区と名古屋キリスト教協議会共催の「宗教改革500年記念大会」に寄せて書かせていただいた文章です。)
2017-10-20
ルンドからナガサキへ
宗教改革500年 ルーテル・カトリックによる共同記念
「平和を実現する人は幸い」について
【新しいことばを】
宗教改革五百年を迎えた今年、世界中いたるところでそれを記念する行事が催されているが、なかでもルーテル教会とカトリック教会の合同の記念は、特別な意味を持っているといってよいだろう。16世紀には分裂して、互いに断罪し、争う関係となった両教会が、時を得て、この歴史を受け止めつつ、未来に向かう一致と共同を示しているのだ。『争いから交わりへ』。このテーマこそ、五百年目にして歴史を語り直すための新しいことばとなった。
昨年10月31日にスウェーデンのルンドで行われた「共同の祈り」の礼拝は、カトリックのフランシスコ教皇とムニブ・ユナンLWF議長による司式で行われ、今年の記念の意味が示されたのだった。第二バチカン以後50年かけた対話の成果が、新しい時代を作るものとなるように、キリスト教会の全体の一致への道筋を示したのと同時に、世界に対するキリスト教宣教の使命を受け取っていく礼拝であった。
【日本での取り組み】
日本福音ルーテル教会と日本のカトリック教会は1984年から30年以上にわたる対話を重ね、神学的な相互理解を深めながら、洗礼の相互承認、共同での出版事業や礼拝などを実現してきた歴史をもつ。だからこそ、この宗教改革五百年も特別の意味あるものとしようと、数年前から準備を重ねて計画してきたのだ。「平和を実現する人は幸い」。これをテーマとして、今年11月23日に長崎は浦上天主堂にて、宗教改革500年の共同記念を行う。ルーテル側は教会の総会で、カトリックは司教協議会での決定を踏まえているので、この共同記念にはそれだけの重みがある。そして、これは単なる教会間の交わりの回復の喜びを超えて、今の世界と歴史のなかに両教会がキリストの教会として確かなメッセージを示していくことを目指しているのだ。対立から交わり、そして神と共にある共同・協働へという歩みそのものが、現代の世界に一つのメッセージになっていくと信じたい。
【時代の苦悩に応えて】
現代世界は、一方には国と国、人々と人々が対立し、宗教的主張と対立を巻き込むようにして争い、殺し合う現実がある。また他方では、人間の文明が被造世界に大きな破壊と危機をもたらしているという現実もある。キリストの福音は、この世界の現実の只中に神の国の実現を告げ知らせる。そして、同時に、その恵みに応えていく人々の働きを産み出していく。唯一の戦争被爆国であり、世界中の注目と支援を集めることとなった東日本の震災と原発事故を経験した日本にあるからこそ、世界に向けて確かな福音の証しと平和への執り成しを祈る意味があるだろう。被造物全体の救いが求められ、キリストの教会はそのための使命をいただいている。
16世紀の宗教改革は、時代の苦悩に対する福音の深い洞察とまた確かな信頼、そしてその宣教を教会のなかに呼び覚ますものだったといえよう。現代の中で、私たちが教派を超えて結び合うことを、この脈絡のなかに捉えたいのだ。
【ナガサキから】
浦上は、奇しくも今年あの浦上四番崩れから150年の時を迎えている。キリシタン迫害の歴史には、人間の権力が霊的存在としての人間の魂に対する暴力が刻まれている。長崎では、それでも信仰は重ねられてきた。生きられた信仰がある。その「ナガサキ」が、しかし今度は、帝国主義にかられた国家のもたらした戦争の悲劇のなかで再び被曝を経験することとなったのだ。
今年、ここにカトリック、ルーテルの信仰者が共に集い、私たちの歴史に深く心を置き、それにも拘らず主の恵みの導きがあったことを知り、共に神の平和の宣教のために祈りを合わせる。
宗教改革500年は、単なるお祭りではない。この共同記念は神の出来事の一つの証しになると信じたい。私たち自身が、教派を超えてキリストに生きるものとして、その神のみ業に与りまた、その証人となる。
(ルター研究所発行「ルター新聞」69号より)
How to join
https://luther500.wixsite.com/commemo
おいでになれない場合には、以下のURLで 同時配信。ネットで参加ください。
https://www.youtube.com/channel/UCs8_-OJJpWCurq3l4gFVA1Q/live
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2017-09-12
「フクロウの声が聞こえる」を聞いて
先週Mステで、オザケンとセカオワがコラボで新曲「フクロウの声が聞こえる」を披露。何だか知らないが、揺さぶってくれた。今も、むねに流れる。ことばにも音楽にも力があるけれど、なによりオザケンの歌の力に圧倒された。ひさびさに、なにかをもらった気がする。
渋谷系といわれた頃のオザケンをそんなに知っているわけではないけれど、おしゃれな新時代のバックミュージックのような軽快さを響かせていたと思う。そんなオザケンの新しい挑戦はきっと冒険だ。けれども、セカオワを圧倒する彼のパフォーマンス。楽曲の力を感じた。
もしかしたら、これだけの企画なのかもしれない。こんなコラボで作られた事情も私は知らない。オザケンの古いファンには受け入れられないのかも知れない。逆に、セカオワは、もともとそんなにたいしたことないということかも知れない。でも、この融合のなかで、オザケンの見せる魅力。
発信する世界観。未来を夢見ることの出来ない時代に、新しい希望の扉を開けていこうとする。おもちゃばこをいたずらする子どものように、ことばを使って描こうとするのはなんだろう。真夜中に響くのは、確かに生きるフクロウの声。闇の深さにも、明日が見えてくる。本当と虚構、混沌と秩序、絶望と希望、残酷さと慈悲の両方を抱え込んでも、崩壊しないようなたくましさを求めているようだ。
バブルがはじけた90年代に、現実の重苦しさをさっさと脱ぎ捨てて街中をかっこ良くすり抜けていくようなオザケンが、こんなふうに時代を受け止めて何かを見出したいと音楽することへの驚きなのかな。
今を共有するオジサンとして、共感したということなのかも知れない。新しい何かを、こんな時代だからあきらめないで見出したい。そして、それをみんなで楽しく描き出したい。わくわくするような明日を、次の世代に残したい。アラカンとなって、本当はもう去り際を考えるべきだと思いつつ、後10年の現役をゆるされるとして、なにをするのかと問う自分に、勇気をもらったことだけは間違いない。
「オザケン」ファンでも、「セカオワ」ファンでもない。音楽事情通でもない全くの素人が、Mステを見て感じたままに。
渋谷系といわれた頃のオザケンをそんなに知っているわけではないけれど、おしゃれな新時代のバックミュージックのような軽快さを響かせていたと思う。そんなオザケンの新しい挑戦はきっと冒険だ。けれども、セカオワを圧倒する彼のパフォーマンス。楽曲の力を感じた。
もしかしたら、これだけの企画なのかもしれない。こんなコラボで作られた事情も私は知らない。オザケンの古いファンには受け入れられないのかも知れない。逆に、セカオワは、もともとそんなにたいしたことないということかも知れない。でも、この融合のなかで、オザケンの見せる魅力。
発信する世界観。未来を夢見ることの出来ない時代に、新しい希望の扉を開けていこうとする。おもちゃばこをいたずらする子どものように、ことばを使って描こうとするのはなんだろう。真夜中に響くのは、確かに生きるフクロウの声。闇の深さにも、明日が見えてくる。本当と虚構、混沌と秩序、絶望と希望、残酷さと慈悲の両方を抱え込んでも、崩壊しないようなたくましさを求めているようだ。
バブルがはじけた90年代に、現実の重苦しさをさっさと脱ぎ捨てて街中をかっこ良くすり抜けていくようなオザケンが、こんなふうに時代を受け止めて何かを見出したいと音楽することへの驚きなのかな。
今を共有するオジサンとして、共感したということなのかも知れない。新しい何かを、こんな時代だからあきらめないで見出したい。そして、それをみんなで楽しく描き出したい。わくわくするような明日を、次の世代に残したい。アラカンとなって、本当はもう去り際を考えるべきだと思いつつ、後10年の現役をゆるされるとして、なにをするのかと問う自分に、勇気をもらったことだけは間違いない。
「オザケン」ファンでも、「セカオワ」ファンでもない。音楽事情通でもない全くの素人が、Mステを見て感じたままに。
2017-09-08
日本ルター学会 宗教改革500年記念学術大会
宗教改革500年の年。ルターの宗教改革を記念しながら、現代を、プロテスタンティズムを、キリスト教を問い直すことがさまざまに取り組まれている。
日本ルター学会も、当然にこれに取り組む。
日本ルター学会も、当然にこれに取り組む。
金子晴勇先生の代表的研究は『ルターの人間学』といってよいだろう。西欧思想史の緻密な研究をもとに人間学、霊性の問題に切り込んでこられた。先生のライフワークとなったこの霊性研究の視点から、宗教改革の意義を問い直す講演は是非聞いておきたい。
また、シンポジウムは宗教改革史のなかでどちらかと言えば脇役となった人物研究を深めて来られた先生方に宗教改革を少し違った視野から捉え語っていただけることだろう。いままでにない、ルター像、宗教改革像が見えてくるに違いない。楽しみ。
日時:2017年10月7日(土曜日)午後1時から5時まで
場所:日本福音ルーテル東京教会
是非、おいでください。
2017-09-07
こどものグリーフケアのために
だいじな人を亡くす喪失の悲嘆は、年齢に関係なく誰にでもあるものです。たとえその哀しみの様子が見えていなくても、心のふかいところに抱きかかえているものがある。そうした別れを経験した子どもたちのグリーフ(悲嘆)に目を注いで、注意深く寄り添うことが必要とされます。デール・パストラル・センターはそのグリーフケアの働きを長く続けてきています。
(『わすれられないおくりもの』スーザン・バーレイより)
この秋も、この働きを担うファシリテーターの養成の講座を下記の要領で開きます。
研修日時:2017年10月14日(土)・28日(土)10:00~17:00
会 場 :ルーテル学院大学(東京都三鷹市大沢3-10-20)
対象者 :定員10名
参加条件:①及び②が研修の参加条件となります。
①18~55歳までの方で、子どもに寄り添う活動に参加する気力と
体力をお持ちの方。
② 2日間の研修すべてに参加でき、グリーフ サポート活動(奇数月第
4土曜日、年6回)に関心のある方(交通費が支給されます)。
*研修後に実践活動(子どもの集まり)参加希望者には面接(一人10分程度)を行います。
研修内容:
1日目:自らの喪失に気づく。グリーフワークに関する基礎知識、子どもの死の理解と表
現のし方等。
2日目:子どもと接するための大切な技法とその練習。
研修担当:ダギーセンターモデルの研修を受けたグリーフサポート研究会のメンバーが
行います。
参加費 : 6000円 (学生:2000円)*当日、受付にてお支払ください。
当日の持ち物:筆記用具、昼食や飲み物を各自持参。動きやすい服装でおいでください。
問い合わせ先:080-9682-7830 または atsumari.g.7830@softbank.ne.jp
お申込み先 :atsumari.g.7830@softbank.ne.jpへ下記の内容をお届けください。
お申し込み期間:
2017年9月1日(金)〜9月23日(土)
*締め切り後に担当者よりご連絡いたします。
DPC 所長 石居基夫
(『わすれられないおくりもの』スーザン・バーレイより)
この秋も、この働きを担うファシリテーターの養成の講座を下記の要領で開きます。
研修日時:2017年10月14日(土)・28日(土)10:00~17:00
会 場 :ルーテル学院大学(東京都三鷹市大沢3-10-20)
対象者 :定員10名
参加条件:①及び②が研修の参加条件となります。
①18~55歳までの方で、子どもに寄り添う活動に参加する気力と
体力をお持ちの方。
② 2日間の研修すべてに参加でき、グリーフ サポート活動(奇数月第
4土曜日、年6回)に関心のある方(交通費が支給されます)。
*研修後に実践活動(子どもの集まり)参加希望者には面接(一人10分程度)を行います。
研修内容:
1日目:自らの喪失に気づく。グリーフワークに関する基礎知識、子どもの死の理解と表
現のし方等。
2日目:子どもと接するための大切な技法とその練習。
研修担当:ダギーセンターモデルの研修を受けたグリーフサポート研究会のメンバーが
行います。
参加費 : 6000円 (学生:2000円)*当日、受付にてお支払ください。
当日の持ち物:筆記用具、昼食や飲み物を各自持参。動きやすい服装でおいでください。
問い合わせ先:080-9682-7830 または atsumari.g.7830@softbank.ne.jp
お申込み先 :atsumari.g.7830@softbank.ne.jpへ下記の内容をお届けください。
お申し込み期間:
2017年9月1日(金)〜9月23日(土)
*締め切り後に担当者よりご連絡いたします。
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