2023-07-03

臨床牧会セミナー「暗闇の中で:助けを必要とする牧会者」2

基調講演②



2.牧師の抱える現代の「暗闇」

私たちの経験している暗闇とは一体何か。 まず一つには現代の「生きづらさ」からくる問題の深刻さがある。2000 年代になってもたらされた急速な社会変化は、人間関係のあり方を変えてきた。成果と生産性が求められる評価社会は格差を作り、あらゆるところで余裕をなくし、人間関係を引き裂き、とりわけ社会的弱者に皺寄せがきている。虐待、DV、ハラスメント、差別やいじめなど、教会の中では屈折した在り方で隠されてきたかもしれないが、夫婦、親子といった諸関係が破綻していることも決して珍しいことではない。

牧会において、私たちはこれらの複雑で深刻 な問題に出会い、簡単には解決することのないままに抱え続けることになる。そしてこのよう なケースでは心理、福祉、法律、あるいは警察 といった外部機関の支援や連携が不可欠となってくる。重い課題に対しては、相応しい専門職との協働が必要なことは間違いない。

では、こうした現代の暗闇に関わる牧師職の 専門性とは何か。この現実に切り込んでいく 「神学」が十分に熟成されていないことが二つ目の問題として見えてくる。たとえば、性や結婚、家族という問題について、現代の多様性に向き合うための神学的な言葉を十分に持っているだろうか。日々格闘している牧会の現実、その諸課題を分析し、実践を批判的に検証し、そして再構築していくための神学が弱いのだ。 「ジェンダー・ジャスティス」とか「ポリティカル・コレクトネス」といった言葉が世俗/一般社会を組み替えていく言葉として力を持っているのに比して、具体的に今の私たちの教会や信仰の実践を問い、また支える神学の言葉が熟成されてきていないように思われる。

さらに言うならば、この神学の貧困ともいうべきその根底のところで、そもそも「暗闇」に生きる信仰そのものが問われている。これが三つ目の問題である。つまり、なぜキリスト教信仰なのか。それは、今の世界を生きることの中にどのような役割や意味を持っているのか。過去においては、先進的欧米の文化や人権・民主主義などの価値の源泉としてキリスト教が求められたかもしれないし、禁欲や他者への奉仕を謳う敬虔主義が意味をもっていたかもしれない。しかし、二つの世界大戦のみならず、環境問題、ジェンダー、人種差別の問題、植民地主義の問題などにおいて保守的役割さえも果たしてきた欧米のキリスト教は 20 世紀後半からその責任が問われ、限界性も指摘されてきた。 日本はそもそもプルーラリズム (多元主義世界だからキリスト教信仰はすわりが悪いが、改めて「信仰の権利問題」を実感してきているのではないか。

本来は、私たちの実感しているこれらの課題に、聖書もキリスト教の伝統もしっかりと向かい合う力があるのだが、それを受け取るスピリチュアルワークとしての信仰生活、教会生活が十分に営まれていない。

以上、私たちの「暗闇」の実情を三つの視点で考えてみた。

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