今年は、一人の神学生が日本ルーテル神学校を卒業し、四月から新しい牧師として日本福音ルーテル教会に赴任することとなる。教職として召されていく、歩みのはじめに按手礼拝がある。
今年、按手を受けるのは、秋久 潤(日本福音ルーテル大森教会出身)さん。
高専から電通大、そして東工大の大学院と進み、日立建機につとめて将来を嘱望されたが、5年前の東日本大震災後のボランティア体験に深く魂を揺さぶられた。神の呼びかけを受け止め、神学校へ。4年間の研鑽を通して、私たちに本当に必要なものは、世界の不条理のなかに、なお神の恵みを知るたった一つの十字架の福音への信頼であることを確信し、宣教に生きる決意を新たにしている。
今年、按手を受けるのは、秋久 潤(日本福音ルーテル大森教会出身)さん。
高専から電通大、そして東工大の大学院と進み、日立建機につとめて将来を嘱望されたが、5年前の東日本大震災後のボランティア体験に深く魂を揺さぶられた。神の呼びかけを受け止め、神学校へ。4年間の研鑽を通して、私たちに本当に必要なものは、世界の不条理のなかに、なお神の恵みを知るたった一つの十字架の福音への信頼であることを確信し、宣教に生きる決意を新たにしている。
こうして一人の牧師が誕生する。それはなんと恵みに満ちた出来事だろう。
もちろん、神学校の4年間という短い時間の中で、学び、研鑽をしたからといって、それで牧師になれるわけではない。そこからはじまる教会での実際の牧会と伝道の生活のなかで、人と出会い、人々と共に生きる。たくさんの人たちの人生に伴いゆき、悲しみも喜びもともにする。その経験の只中で、神のことばの持つ意味が少しずつ知らされる。
そのとき、私たちはあらためて信仰ということが何を私たち人間のなかに生み出すものであるのかを知る。人間ではどうにもならない現実を生きる私たちの中に、神の特別の働きがあることを知るだろう。積み重ねられていくその経験こそが、牧師としての人生の歩みを形づくってくれるのだ。神学校の4年間はその歩みをはじめる準備期間に過ぎない。
新しい歩みへと神様の召しがある。主の御手が一人ひとりに差し伸べられて、その人は召されていく。
按手礼拝…その恵みの出来事の証人となろう。
総会議長、五つの教区の教区長らがそろって赤いストールをかけて、この按手を行うのも壮観だ。私たち自身が宣教への心を新たにいただける。
秋久牧師の赴任地は、東海教区、日本福音ルーテル小鹿教会、清水教会。
今年 4月1日からの就任。
按手の時の記録をここに残したい。
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