09年に出版され、話題になった小説が、映画化されて公開になった。
ちょうどこの本の出版の前年に、天童氏の『悼む人』が直木賞を受賞している。「死」の問題がかたちを変えてとりあげられた小説だったのですぐに気になったが、飛びつくのはミーハーにすぎるかと、棚に戻したものだった。映画化決定を見過ごしていたが、公開が近づいてにわかに新聞などにもとりあげられて、思い出した。あわてて、先週本屋に行って手に入れたが、著者の夏川草介氏は本当のお医者さん。
医療の現場では、医者は病気を治し、患者は元気なることが期待されるけれど、現実には、それがかなわないことも多い。実際に、今、人が亡くなるなる時は、ほとんど病院という場所で最期を迎えるのだから、医者が患者を一人の人として看取るということは病院であっても日常的なことかと思う。けれど、改めて現場の医師の書かれたものから、そうではないということが分かる。大学病院は、けっして看取ってはくれないのだ。医者が、一人の患者に向かい合うということは希有なことなのだ。
だからこそ、こうした人間らしい医師の働く場所。その心の声が改めて一つの小説となる。
2011-08-29
2011-08-10
大学生への推薦図書⑨ 森岡正博『宗教なき時代を生きるために』
2011-08-08
大学生への推薦図書⑧ 石牟礼道子『苦海浄土』
自然を破壊し、いのちの苦しみを生み出した「チッソ」。大資本の産業構造と人間社会のひずみ、そのもとに言葉を奪われていく民衆の深いさけび。水俣病の被害地に身を置いて、そのすべてについて、透徹したまなざしを注ぎ、力強い筆で記した文学的記録。
大学時代に手にしたこの作品は、私のこころの奥深くに、絶望と希望のありかをさぐらせる土壌の一つとして宿っている。
たとえば、日本で大きな独占的企業が政治的力を巻き込んで、小さく、弱い人々の生活に多大な被害をもたらしているときに、たとえば中国で大きな事故があって、その責任のゆくえがくらまされる時に、この記録が教えるものは大きい。
私たちは何を見ているのか。遠く離れてしまえば、あたかも何も関係のないように生き得る私自身を持て余すほどに、私たちの心は彷徨うのだ。私はどこに立つのかと。
そんな問いかけをもたらす一冊。
大学時代に手にしたこの作品は、私のこころの奥深くに、絶望と希望のありかをさぐらせる土壌の一つとして宿っている。
たとえば、日本で大きな独占的企業が政治的力を巻き込んで、小さく、弱い人々の生活に多大な被害をもたらしているときに、たとえば中国で大きな事故があって、その責任のゆくえがくらまされる時に、この記録が教えるものは大きい。
私たちは何を見ているのか。遠く離れてしまえば、あたかも何も関係のないように生き得る私自身を持て余すほどに、私たちの心は彷徨うのだ。私はどこに立つのかと。
そんな問いかけをもたらす一冊。
2011-08-06
『説教学講義』
久しぶりにいい本に出会いました。
1930年代後半、ドイツがナチス政権によって支配されて非人間的な政策を実現していく道をまっしぐらに進むとき、ドイツ的キリスト教への根源的な反対の立場に立った、イ―ヴァント。教会が真にキリストの教会であり続けるための務めを、ただ説教が語られること、つまり人間の言葉ではなく神の言葉が語られるということに見る。時代を思うと、イ―ヴァンとの一言一言の重みを実感する。
時代のなか、世界の只中に神の語りが起こるということ。その奇跡を私たちが共に与ることができるように説教者は召されているということを改めて思い知らされる著作だ。
牧師であること、説教を語るものとしての召しについて、深いインサイトを与えられる。
牧師・神学生は必読と思う。
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