2014-09-14

2014年、一日神学校!

 来る9月23日、恒例の『一日神学校』が開催されます。
このポスターは、そのなかで行われる「こどもしんがっこう」のポスターです。


 今年の一神のテーマは「キリストの心をとなり人に〜新しいミッションの展開」としました。大学の大きな改革がなされた一年目。大学・神学校は何を目的としているのか。その使命を果たすべく、今の大学と神学校の姿をつくってきたことを、教会の皆さんにも、そして、社会のなかにもおつたえすることを考えました。

 開会礼拝!江藤直純学長が説教です。石居基夫が主司式を担当します。


 じつは、今年はルーテル学院が大学を設置して50年目にあたります。1909年に熊本で私塾のようにしてはじめられた神学校は、翌々年に一般青少年教育のためにはじめられた九州学院の中に位置づけられます。その後、1925年に東京の鷺宮に移転し日本中のルーテル教会への牧師養成を担う体制をつくりました。戦争中は一時期、教団の東部神学校に併合されましたが、戦後独立再開。64年に大学組織をおこなって、大学と神学校の6年教育で牧師を養成するようになりました。それから5年後の69年には現在の三鷹に移転し、教育体制を整えるようになりました。
 しかし、この大学としての歩みの中で、小さな教派が牧師養成ということだけで神学校・大学を経営することには困難も生じて、福祉教育をはじめるようになりました。少しずつ教育の幅を広げ、福祉に加え臨床心理も専門分野とするようになりました。
 福祉と臨床心理は、それぞれ学問分野としては全く異なるものですけれども、様々な困難を負う人々への支援のための専門職、その働きに関係する学問分野です。教会は早くから日本の中で社会福祉の施設を先駆的につくり、担っていましたし、そうした施設でも、また教会においても、様々な人たちの心の重荷に寄り添っていくはたらきを大切にしてきました。そのことをふまえて、牧師養成の大学・神学校はこの日本の社会の中に必要な働き人の養成、また学問的な貢献などを考え自分たちのなすべき使命ミッションをこの教育体制の中で考えてきたのです。
 今年は、大学を改革しました。3学科から1学科5コースの新しい教育の形をでここにある教育・研究の資源を用いていくように整えたのです。
 この小さな大学の目指していく教育を、少しでも知っていただければと思っています。
是非、「一日神学校」へおいでください。

2014-08-06

キリスト教のスピリチュアリティ

今年、日本ルーテル神学校では、「五感のクリスチャン・スピリチュアリティ」という公開講座をひらくことになった。ジェームズ・サック氏が担当してくださる。

http://www.luther.ac.jp/news/140801/index.html

キリスト教は「ことばの宗教」といわれることがある。信仰は、神のことばによって生かされる福音といえるだろうし、特にプロテスタント、ルター派の教会は「説教」、神の語りかけを共に聴くことの重要性を強調してきたといえるだろう。

けれども、同時にこのルター派においても、見えるみことばとも呼ばれる、サクラメント・聖礼典をもその「みことば」という概念の中に含み理解してきたことは意味深い。みことばが「聴かれる」ということにとどまらず、むしろ私たち人間がいきるという現実のなかにしっかりと味わわれ、染み渡っていくものとしてとらえられてきたのだ。

つまり、私たちが神のみことばに生かされ、その福音の喜び、恵みのうちに支え合い助け合うという生の現実は、単に信仰の知的な理解ということにとどまらない、私たちの生きる感覚すべてを通して分かち合われるべきものだと言ってもよいだろう。

私たちにとって、「ことば」は重要だ。しかし、同時にことば以上のことばが豊かにあることで「ことば」そのものが意味を持つのだし、また「ことば」はそうした経験を導き、整え、意味付ける。

「ことば」が、うまく機能しないようなときがある。ことばによっては、そのコミュニケーションが難しい場合がある。病気の時、あるいは小さな子ども、あるいは障がいを持つ場合、認知症のひととの関係。「ことば」がまったく意味をなさないということではないけれど、ことばを超えることば、ノン・バーバルなコミュニケーションが意味を持つ。ふれあうことや微笑むこと、相手を尊厳ある存在として、受け止める態度、雰囲気。そうしたことばにならないコミュニケーションもまた、キリストの福音の伝達、分かち合いの大切な一部なのだ。

世にスピリチュアリティを語るものは多い。けれども、キリストの福音を中心にすえたスピリチュアリティをとらえること、考えること、味わうこと、分かち合うことを深く取り上げているものはまだまだ少ないのではないだろうか。

この特別公開講座が、そうした状況に大きく貢献するものであると信じたい。


2014-07-23

デール記念講演シンポジウム 「スピリチュアルペインとそのケア」


今年4月、日本ルーテル神学校の付属機関としてデール・パストラル・センターが創設された。教会を力づけ、牧師の牧会力を向上させ、信徒の霊性を養うことを目的とした新しい研究・教育機関。パストラル、スピリチュアル、ソシアルの三つの分野で研究を進め、研修や具体的なニーズに応えていくプログラムを教会を中心としながら展開させていこう考えられている。
そのセンターの創立記念に行われるのが、このシンポジウムだ。

ウァルデマール・キッペス先生、窪寺俊之先生、そして賀来周一先生の三名が「スピリチュアルペインとそのケア」というタイトルでお話くださった後、会場の質問にも応えながらディスカッションを行う形ですすめられる。

生と死に直面する魂の痛み、葛藤、苦しみのうちにある一人ひとりにどう向かい合うのか。牧師として、キリスト者として、なにが出来るのか。援助というものの必要と限界を知りながら、「信仰」というものの果たす役割について改めて学んでみたいものである。

7月26日 土曜日 午後1時から4時まで
会場は日本福音ルーテル東京教会。
http://www.jelc-tokyo.org/i_map.html

入場は無料。内容は魅了。

是非、大勢に方においでいただければと思う。

また、報告を書きたい。

2014-05-16

2014年度 神学生修養会「教会と神学」

 例年、6月中旬に行われる日本ルーテル神学校の神学生修養会。今年は諸事情があって5月に実施した。テーマは「教会と神学」。キリストの恵みに生かされた弟子たちが、ペンテコステを経験してその喜びを宣べ伝えはじめたその時から、神学はいつでも教会の宣教の働きに仕えるように営まれてきた。だから、宣教の現場で生きて働く神学に触れることで、神学校での学びが将来牧師として働く自分自身の姿の中に生かされるものであることを確認したかった。



 JELC、NRKそれぞれから三人の若い牧師たちを招いた。藤木智広牧師、後藤由起牧師、関野和寛牧師。彼らが、牧師として宣教の現場でどんな課題を見てきたか、教会のなかでどんなチャレンジを受け、なにを試みてきたのか。その只中で様々な現実を乗り越え、突破していくために何を考えてきたのか。
 それぞれにさらに留学をしてきたり、神学的学び・研究を積み重ねようとしている三人が、そうした取り組みこそが神学としてどんなふうに確認されてくるかを聞くことができた。教会という現場にあるからこそ、教会のなかで役員をはじめとする会員とともに生き、働き、一緒に考えつつ歩み、そこで働く牧師としての責任とともに彼らの生の声を聞くことは本当に意義深いことだった。
 神学生は多いに学び、刺激を受けて、今すべきこと、出来ることに思いを新たにしてくれたと思う。神学教員として、神学をするものとして私自身も多いに学んだ。
 教会は、いつでも終末に向かう途上にある。かつての姿も、今の姿も決して理想的なものでも、絶対的な形でもない。福音が分かち合われるために、誰とともに生きているのか、何を大切にし、どんな現実のなかにある人へ仕えようとしているのか。問い直しつつ、固定した形にとらわれないで、新しい姿をまたかりそめの姿としてでも、むしろ確かな神の国への一歩を刻むと心得ればよい。キリストのからだとしての教会の、そんな歩みのために私たちがともに考え実践するところに、本当に生きた神学があるのだ。

 神学生には、その「神学する力」を神学校の学びのなかで身につけていってほしいし、神学校の教育はそうでなければと考えている。神学はいつでも、そうした現場での神学的格闘の積み重ねの中にあって、叙述されてきたのだ。そこから学ぶべきことは汲み尽くせないほどのものがある。現場で生かされる神学のために、いや、明日の教会の働きのために、二千年に及ぶ神学を歩みに、しっかりと学ぶものでありたい。

2014-05-10

教団「東日本大震災国際会議宣言文」について

次第に風化していくことへの危機感をいだきながら、忙しい日々への心の傾斜は、遺憾ともしがたく忸怩たる思いに駆られるばかり。震災から3年が過ぎても、私たちはあの「フクシマ」の深刻な原発事故を終息させることが出来ないばかりか、これから何世代も続く深い闇を抱えているのだ。

 日本基督教団は、今年の3月にフクシマで国際会議を開き、そこで現実と向かい合いながら深い学びをされたようだ。教団はおそらくその時に採択した宣言文を公にしている。

「東日本大震災国際会議宣言文」

⒈罪の告白、⒉祈り、そして⒊決意と呼びかけ の三部構成になっている。
「キリストのからだ」として生きる教会(信徒)がいま何に向かい合い、どんな思いを祈り、そして、どう生きていこうとするのか、ということについて、学びながら告白された文書であることが伝わってくる。

日本基督教団のこと…とせず、私たち日本のキリスト者はこの宣言に学び、この足場を自らのものとしてさらに確かめ、明日の一歩を踏み出すことを考えたいものだと思う。


2014-04-26

ルターセミナー 2014

今年も牧師のためのルターセミナーが企画・準備されている。

             




 昨年から、「宗教改革500年とわたしたち」を基本テーマとして、現代の文脈において500年前の宗教改革の意義・意味というものをもう一度捉え直していく取り組みとしている。所員の発題を絞り、参加者の問題意識を掘り起こしながら、共に学んでいく研究会としようと試みている。毎年、その所員の研究発表は『ルター研究』にまとめられて、秋には出版される。
 今年のサブテーマは「教理問答」だ。ルターの小教理・大教理は共にルーテル教会の一致信条集におさめられ、ルーテル教会の信仰の基本を示すものとなっている。実際「小教理問答」は、現代に至るまでルーテル教会の洗礼・堅信教育に欠かさず用いられてきたものだし、ルターの著作の中では「キリスト者の自由」とともに最も多くの人々に読まれてきた者だと言えるだろう。この500周年の記念事業の出版事業において、新しい翻訳と解説も出版が予定され、すでに準備が進んでいる。私たちの信仰を養う大切なテキストだが、しかし、それをもって何を私たちは自分の信仰の糧とするのだろうか。
 単に、教理的な理解を受け取るとか、500年前からの伝統を引き継ぐということよりも、ルターが時代のなかで、何と格闘し、何を見いだし、何を伝えようとしたのか。その取り組みそのものを感じながら、今ルーサランであること、あるいはキリスト教を信仰するということを現代の脈絡のなかで捉え直し、問い直していきたいのだ。
 今年は、私も研究発表を担当する。いささか準備の時間が取れずに心配だが、私の問題意識を掘り下げていきたいと考えている。
  (下の一覧には、「教理問答に見る諸関係の中の自己〜ルターにおける『私』」となっているがたぶん「ルターにおける『私』、その問題の所在〜教理問答に見る、諸関係の中の自己」というようになるかと思う。)

以下、鈴木浩所長からのご案内を紹介する。
 
………………………
牧師のためのルターセミナーのご案内

                       ルター研究所 所長 鈴木  浩

 主の御名を賛美いたします。
 「宗教改革500周年」(2017年)が近づいてきました。そこで、2017年まで「宗教改革500年とわたしたち」を統一テーマに5回のシリーズでセミナーを開催することにいたしました。今年のセミナーが第二回となります。
 どうか積極的にご参加ください。そして、ご一緒に宗教改革の意義を確認し、来たるべき「500周年」を有意義に迎える備えにしたいと思います。今回も時間にゆとりを持たせ、発題以上に討議の時間を多く取りました。活発な意見交換を期待しています。
 なお、このセミナーは「牧師のための……」となっていますが、毎回、信徒の方の参加があります。関心のお持ちの信徒の方々には、先生の方からご案内いただければ幸いです。
 
 日程:2014年6月2日(月)午後3時から6月4日(水)正午まで
 会場:まほろばマインズ三浦(京浜急行三浦海岸駅すぐ近く)
 主題:「宗教改革500年とわたしたち」(第二回)……ルターの教理問答
 費用:2万5千円(宿泊、食事、資料代込み)
    原則として全期間の参加をお願いしますが、部分参加を希望される方はご相談ください。→ hsuzuki1945@yahoo.co.jp

    
 1.発題と討論

  1.『大教理問答書』における神信仰             ……江口 再起
  2.教理問答の時代                     ……高井 保雄
  3.教理問答に見る諸関係の中の自己(ルターにおける「私」) ……石居 基夫
  4.1917年の宗教改革400周年(日本の諸教会の記念事業とその意義)                              ……ティモシー・マッケンジー
  5.『小教理問答』の「聖礼典における罪の赦しの問題」    ……立山 忠浩
  6.『エンキリディオン』の実践的意味と現場からの問題提起  
                    ……徳善 義和、大柴 譲治、渡邊 賢次
  
 2.説教黙想:司会 鈴木  浩
   説教黙想の対象テキストは、7月13日の福音書日課、マタイ10章16節から33節
  

*「まほろばマインズ三浦」までのアクセスはホームページで検索してください。
*申し込みは直接、ルター研究所(鈴木)まで

2014-04-22

 神学校の聖週間とイースター

 神学校では、今年も、聖週間の礼拝を寮のチャペルで毎日守り、そして、イースターヴィジルを三鷹教会と合同で行った。神学生は、この間もそれぞれ実習教会のプログラムにも加えていただき、イースターの喜びへと連なっていくこととなった。

(写真は、ヴィジルの礼拝での復活のロウソクと洗礼を覚えるための水と枝)
         
 イースターは、毎年日にちが変わること、そして年度の節目と重なることもあってそれぞれ違った味わいを頂くことでもある。今年はちょうど4月の第二週から三週ということで新年度の学び、実習のスタートと重なって忙しいけれども充実した密度の濃い時間を神学生が共に過ごすことができたのではないか。
 
 私自身も、久しぶりに洗足木曜の礼拝を担当させていただいた。神学生とともに祈り、また洗足の式で足を洗い合い、主が私たちに命じられた「互いに愛し合いなさい」とのみことばが、主ご自身の深い愛に包まれ、支えられ、生かされていく恵みのなかに語られたことを受け取ることができた。今、この場所を離れている仲間をも心に留めながら深い祈りへと導かれた。

 やはり共に集い礼拝に与り、祈りを合わせて、みことばに養われることでこそ信仰が支えられ、宣教へと遣わされる一人ひとりがたてられてくる。ただ神学生の学びと研鑽が行われるというのではなく、そうした信仰の共同体として神学校が与えられているということが何よりも大切なことと改めて思う。