2015-05-08

2015年度 牧師のためのルターセミナー


今年も下記の要領でルター研究所主催の「牧師のためのルターセミナー」がひらかれる。
教派を問わず、ルターについて、宗教改革について学びたいと思われるかたは、是非ご参加ください。今回は、特に「アウグスブルク信仰告白」を題材にしますが、ルーテルにおけるエキュメニズムに関わる議論がなされそうです。
実際にも豊かな交わりが与えられ、牧会のことや宣教のことも語り合うこともできますし、リフレッシュできると思います。



日程:2015年6月1日(月)午後3時から6月3日(水)正午まで
 会場:まほろばマインズ三浦(京浜急行三浦海岸駅すぐ近く)
 主題:「宗教改革500年とわたしたち」(第三回)……『アウグスブルク信仰告白』
 費用:2万5千円(宿泊、食事、資料代込み)

原則として全期間の参加をお願いしますが、部分参加を希望される方はご相談ください。
                                                         
1) 発題と討論
1.CAに見る信仰義認とエキュメニズム          ……石居 基夫 
2.CA5、7、8条にみる教会とその職務         ……江藤 直純
3.CA16条における「正しい戦争を行う」の諸問題    ……鈴木 浩 
4.CAと和協信条                    ……立山 忠浩 
5.エキュメニズムの未来                 ……江口 再起
6.信仰告白と宣教……公同の宣教に参与する        ……宮本  新

2) 書評『争いから交わりへ』(バチカン・LWF共同文書)
 ……高井 保夫
 
3) 宗教改革500周年をめぐる討論        ……参加者全員
                   
*「まほろばマインズ三浦」までのアクセスはホームページで検索してください。
*参加申し込みは直接、ルター研究所(鈴木)まで
 

2015-04-08

2015年度 入学始業聖餐礼拝

 日本ルーテル神学校、2015年度の入学始業聖餐礼拝が4月2日に行われた。
その礼拝での説教。
 『真理の霊によって生きる』ヨハネ14:15〜17


 新しい年度を迎え、神学校には3名の新入生が与えられました。また神学基礎コースにも2名の方が学びをはじめてくださることになりました。それぞれに主のみ声に聞いて、ここに集められたのです。改めて、その恵みと導きに感謝を祈りたいと思うのです。
 今年の、この入学式とオリエンテーションは、ちょうど受難週にあたりました。イエス様が十字架の死において、またご自身の復活によって、私たちに神の愛を表し、新たないのちを生きる道を開いてくださる。その出来事をたどっていく時です。
 特に今日は洗足の木曜ということでもあって、お読みいただいた聖書は、ヨハネの14章。この洗足の後に主が弟子たちに話された告別説教と言われている個所です。イエス様は、弟子たちと共にいることがもはや限られているというはっきりとした想いのなかで、弟子たちに語られている個所です。だから、ここには、弟子たちにどうしても伝え残しておきたいことがみことばに刻まれている。弟子たちが、そして私たちが信仰に生きるためのみことばです。
 繰り返し言われるのは、イエス様が神のものであったこと、父と子とが一つであったこと。そこに愛と従順があり、確かな繋がりがあったということですが、その一致によってイエス様が生きられたように、あなたがたも私キリストと繋がり、一つとなって、人を愛し、仕え合うようにと教えられる。それが神とキリストの一致に与って、キリストと一つになる信仰を生きるようにとすすめられているのです。キリストのみことばに聴き、愛に留まることで、弟子たちが確かな信仰のみのり、豊かな働きをもたらすものだという約束が語られているのです。
 なぜ、そのことを繰り返しいわれるのでしょうか。それは、ほかでもなく私たちが信仰を保つことができず、主を見失う時が来ることを、イエス様ご自身がご存知だからなのです。キリストの内の留まることができない、信仰が見えなくなる。
 福音書を書いたヨハネの時代の人々にとっては、おそらく迫害が一番大きなこととしてあったでしょう。しかし、あらゆる困難や危機、またそのなかに私たちを捕らえようとする誘惑、人間の思いが、信仰の根っこであるキリストに留まることを妨げる。そのことをイエス様はご存知なのです。だからこそ、繰り返し、信仰に留まるべきことを語っておられるのです。
 しかし、そう教えられるだけではありません。主は、その時の具体的な助けを約束してくださっています。主のもとに留まり続けるということ、それは主が私たちに命じられ、また望まれていることですが、私たちの力にあまることだと主は知っていらっしゃる。それが本当に可能なのは、私たちの力ではなく、私たちを捕らえ、生かす、神の助け、真理の霊によるのだ、だからこそ、主はキリストにつながって愛する戒めを守るように、繰り返し教えすすめながら、神の働きにのみ救いを求め、信頼するようにと招いておられるのです。

 そんなことは、私たちは分かっているつもりでしょうか。救いは恵みのみによる。信仰は神の働き。ルーテル教会で伝えられてきた信仰義認の教理は、鮮やかにそのことをしめしているのですから。でも、改めて、新年度を迎え、自分の召命を確認する時に、そこに私の出発点があると、深く心に受け止めたいのです。召命が尋ねられ、自分の信仰や取り組みを思う時だからこそ、私たちの信仰の源が主にのみあることを思い起こしたいのです。

 この3月に、ちょうど今年が七十周年にもなった3月10日東京大空襲と、4年目をむかえた東日本大震災のことが何度か、テレビや新聞で取り上げられました。多くの犠牲者を生んだこの二つの出来事は、一つは戦争の悲劇、もう一つは自然災害の脅威です。全く違う二つのできごとなのですけれども、なす術なく、多くのいのちが奪われていったことにおいて共通しているのです。そして、その不条理さは私たちにとってある決定的な信仰の問いを突きつけているのだと、わたしは思います。
 私たちが今日、宣教を考えるとき、そこにあるのはどのような言葉を持って信仰を分かち合えるのかという問題ですが、その答えは、この私たちの信仰への根源的問いを共有することを忘れたところには見いだされないように思う。
 もちろん、こうした不条理の問題は、あの旧約ヨブ記において示されているように、古くから取り上げられてきた問題です。けれども、今日のように、たとえば原子力の問題が象徴的にそのことをしめしているのですけれども、神の創造された世界、一切を無にしてしまうような危機の前に立っている現代の人間精神には、神を信ずるということについて、決定的な問いとなっているように思うのです。

 わたしは、今でもおぼえています。あの3・11のあと、しばらくして、テレビで人気歌手グループがうたった「夜空ノムコウ」という歌の歌詞が私たちの信仰の原風景をうたっているように感じられたのです。その歌は、こううたいだされるのです。「あれから、僕たちは何かを信じてこれたかな〜」。信仰の言葉は、あの時から虚しくなってしまったのでしょうか。
 あれから四年が経って私たち東京に生活するものにとっては、そのことは次第に忘れられていっているのかも知れません。けれども、被災された方々の多くは、仮設住宅で細々と寒さを凌ぎ生きる人たちがいる。ふるさとに帰ることのできなくなった人たちがいます。放射能汚染の問題に発病や死の不安を持つ人々がある。自分たちの畑でとれたものを子どもに食べさせて大丈夫なのかと恐れる母親たち、自分は将来結婚して子どもを産むことを望めるのかと心をふるわせる少女たちがある。
 私たちは、忘れようとしているのでしょうか。見ないようにして生きていないでしょうか。けれど、私たちはこの現実のなかにあるのです。

 原民喜という人をご存知かと思います。原爆小説『夏の花』を書いたことでご存知でしょう。もともと左翼の活動家でもあり、詩人としても作家活動をしていました。40歳の時に広島で被曝し、その経験をメモしたものをもとに小説を書いたそうです。原爆を題材にした多くの小説のなかでも最もすぐれたものの一つとして評価されています。
 たまたま、彼はその時にお手洗いにいたことで、あの原爆の威力から逃れ生き残ったのでしたが、その直後のあの広島に見いだされた惨状を克明に私たちの心に刻むことばが小説に記されています。その文章から、何もかもが吹き飛ばされ、燃えつくし、人々は影になって焼き付き、川に死に倒れ、あるいは生き延びても焼けただれ、顔は腫れ上がり、水を求めて彷徨う姿とうつろなまなざしが見えてくる。
 彼は、その人々をかき分けるようにして避難する。その中で、一瞬彼に起こった思いというか、感情を記しています。

「私は狭い川岸の径へ腰を下ろすと、しかし、もう大丈夫だといふ気持ちがした。長い間脅かされていたものが、ついに来るべきものが、きたのだった。さばさばした気持ちで、私は自分がいきながらえていることを顧みた。かねて、二つに一つは助からないかもしれないと思っていたのだが、いま、ふと己がいきていることとその意味が、はっと私を弾いた。
 このことを書き遺さねばならない、と、私は心につぶやいた。けれども、その時はまだ、私はこの空襲の真相をほとんど知ってはいなかったのである。」

 この惨状のなかで、いきていることの一切の意味が見いだされないような状況の中で、かれは、生き残った自分に与えられた使命を感じるのです。天命として、この現実を書き遺す使命を、自分を弾くような衝撃とともに受け取ったのだというのです。その感覚は、少なくとも彼を捕らえ生かしたことだと思う。原民喜は小説家として、この使命を生きたのです。
 けれど、それだけではもしかしたら何かが足りなかったのかもしれません。彼は、「夏の花」を書いてから4年目の1951年3月13日に吉祥寺と西荻の線路に身を横たえたのでした。
 
 私たちが今の時代に、牧師としてたてられていく、その使命をどのように感じていますか。自分を弾くようにした感覚は、あなたを呼ぶ神様の声です。何をするように求められているのだろう。
 私は確認したい。あなたを捕らえた弾くような感覚は、あなたへの確かな救いの出来事なのです。そして、あなたに与えられた使命は、この惨状・この不条理を記録することだけではなくて、「ここに、主がいたもう」という救いのメッセージを分かち合うことです。
 それを可能にするのは、あなたを捕らえ、ここに導きたもうお方が、真理の霊であるという、ただそのことによっているのです。真理の霊。それは、嘘偽りなく、ごまかしもなく、この現実に向かい合って、その重荷を負って生きるための勇気と力、慰めであり、助けである神ご自身の働き、あるいは臨在なのです。そして、そのよりどころは、キリストの十字架にある。 
 キリストが十字架におかかりなって、「我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか」と、神が自分を見放したという叫びのなかに死にたもうこと。にも拘らず、その主が復活のいのちを示してくださったこと。その出来事が、あらゆる時にすべての信仰を支えるのです。一切が虚しくなってしまったのか、と思わされるその現実の中、その出来事があなたを捕らえているのです。その出来事が私たちを生かしているのです。その出来事が私たちの信仰をつくるのです。
 
 皆さんが、信仰の歩みの中で聞き取られた召命の言葉。それは、間違いなく皆さんを導いています。もちろん、その歩みがどのようにかたちを整えてくるかは、分かりません。牧師になることだけが答えなのではないのです。けれども、大切なことは、あなたに語りかける声がある。あなたを生かす真理の霊がある。あなたを助け、あなたを導き、あなたを用いたもう主がいたもうということです。そのことへの信頼をもって、私たちの直面する一つひとつの現実に誠実に向かい合っていきたいと思う。
 新年度、それぞれに召されてここに集っています。赦された歩みがどのように主によって整えられるのか、希望と期待をもちつつ、私たち自身もその恵みに応えていきたいと思うのです。

2015-03-12

神学基礎コース 2015年度から

日本ルーテル神学校に『神学基礎コース』を設けました。
 このプログラムは、教派を超えてキリスト教の人間理解やキリスト教死生学に関心のある方、信徒として聖書をもっと深く学びたい、少し神学について学んでみたいという方、あるいは牧師になるために神学校へ進もうかな〜と少し考えている方など、学びの意欲のある方に一緒に学んでいただけるようなプログラムを提供するものです。

 ルーテル学院大学の神学・キリスト教関連科目と神学校での神学基礎科目から神学校が選んだ科目群から年間30単位を上限として履修することができるようにしています。

 詳しくは、大学・神学校のHPをご覧ください。

http://www.luther.ac.jp/news/150311/index.html

 このコースをとる方には、神学校の教員が担当するホームルームで履修のガイダンスや学びについての手引きなども受けることができます。
 
 将来的には、教会とも連係を強め、さらに整えて、「信徒奉仕者・説教者」(オルガニスト、教会学校の教師なども含めて)の養成なども考えています。
 
 教会での信徒の方々に深く福音を味わっていただき、またいろいろなタラントを生かし、教会を強めていきたいのです。
 通常の授業を用いたプログラムですから、お仕事のある方には無理がありますが、なかなか別の時間を使って特別なプログラムをつくることが難しい現実があるので、今、神学校や大学で提供する授業をもって、いろいろな方の学びのニーズに御応えしたいというコースです。研究生の制度的枠組みの中で考えました。

関心のある方、お問い合わせください。

2015-02-28

2015年 教職授任按手礼拝

今年2015年、日本福音ルーテル教会には4名の新しい牧師が誕生する。明日、3月1日は、そのための按手礼拝が日本福音ルーテル教会の宣教百年記念東京会堂で行われる。



今年、日本ルーテル神学校は5名の卒業生を送り出すが、そのうちの4名が日本福音ルーテル教会の牧師となる。それぞれ、1月に行われた教職試験と任用試験を合格し、2月の常議員会で任地を与えられた。甲斐友朗氏は日本福音ルーテルシオン教会、関満能氏は、日本福音ルーテル水俣教会・八代教会、渡辺高伸氏は日本福音ルーテル新霊山教会、渡邉克博氏は日本福音ルーテル浜松教会・浜名教会へと赴任する。

今年は、定年を迎えられた牧師が5名であったから、4名の卒業でも間に合わない計算だ。これから10年ほどは、牧師の大量引退時代。卒業はおそらく年平均で2.5名くらいだろうか。教会・神学校は共に協働して、次に牧師となる人材を育てなければならない。

日本ルーテル教団の神学生、笠原光見氏は3月8日に教団の神学院卒業式を迎え、4月からは日本ルーテル教団浦和教会へと赴任される。合わせて、祈りに覚え、支えていただければと思う。


2015-02-23

『争いから交わりへ』

 ルーテル世界連盟(LWF)とカトリック教会が2017年の宗教改革500年を共に記念するために、両教会の世界規模の合同委員会が議論を重ね、昨年その成果を一つの形として文書にし発表した。1999年に両教会は「義認の教理に関する共同宣言」を公に調印して、キリスト教界にエキュメニズムの新しい時代の到来を示したが、さらに具体的に両教会の協働が合同の礼拝をもって続けられるように、宗教改革500年が覚えられることは本当に画期的なことだ。その基礎となる文書なだけに、この書がいち早く日本語に翻訳出版された意義は大きい。


http://www.kyobunkwan.co.jp/publishing/archives/16965

翻訳チームの一人として加えられたが、元訳を鈴木浩先生がいち早くつくってくださり、それをもとに、カトリック教会と日本福音ルーテル教会からの代表が半年以上をかけて出版に向けて翻訳を丁寧に造り上げた。
 本来、1517年の宗教改革は、M・ルターが「贖宥の効力に関する95ヶ条の提題」を公にして、いわゆる「免罪符」(贖宥券が正しいが、免償符でもよい)の問題をきっかけにカトリックに対して改革を呼び掛けた教会運動だった。けれども、結果的にはそれまでのカトリック教会の一致を分つことになったわけだから、プロテスタント教会にとっては自分たちのアイデンティティーを示す記念、祝いの気持ちを持つかもしれないが、カトリック教会からすればこれは少しも喜ばしいことではない。だから、この日は一緒に「祝う」(celebration)はできない。「記念する」(commemoration)という言葉遣いだ。
けれど、いずれにしても、福音を世に伝えるとう使命と喜びを確認し、歴史的な断罪を改めた両教会が協働・共同する世界への宣教のコンテキストを意識して取り組まれていることは本当に意義深いことだ。
 この文書は、両教会がそれぞれの歩みを神学的に検証しつつ、新しい世紀への教会の在り方を示そうとしていると言ってよいだろう。
 神学生には必読の書。

内容は下に目次を紹介する。
ルターの宗教改革的神学主張が、カトリックとルーテルの双方からの視点を合わせつつ評価を加えて確認されている。詳しく検証される必要があるが、こういう文書が共同で出せるというところが今の新しい時代を象徴するできごとだと思う。そして、なにより大事なことは、新しい時代にむけたエキュメニカルな責務を明らかにしていることだと言えるだろう。


序
第一章
エキュメニカルでグローバルな時代に宗教改革を記念する(4−15)
第二章
マルティン・ルターと宗教改革を見る新たな視点(16−34)
第三章
ルターの宗教改革とカトリック側からの反応に関する歴史的描写(35−90)
第四章
ルーテル教会とローマ・カトリック教会の対話に照らして見た
マルティン・ルターの神学の主要テーマ(91−218)
第五章
共同の記念に召されて(219−237)
第六章
五つのエキュメニカルな責務(238−245)

神学校の夕べ 2014年度

2014年度神学校の夕べが昨日行われた。あらかじめのご案内にならず、報告となってしまったが、記録したい。


今年は、五人の卒業生を送り出す、神学校の夕べとなった。ポスターの順とは異なるが説教順に紹介したい。甲斐友朗(JELC賀茂川教会出身)、笠原光見(NRK中越教会出身)、関満能(JELC三鷹教会出身)、渡辺高伸(JELC雪谷教会出身)、渡邉克博(JELC東京教会出身)。5人のうち3人が都内の教会の出身であり、またNRKの学生が卒業になるということも重なって、およそ270名を超えた方々が祝福に駆けつけてくださった。また、遠く九州からお祝いに駆けつけてくださった方もあった。それぞれの地でも覚えていただき、祈りを合わせてくださって、祝ってくださっている方々があることにも感謝したい。

「賜物」という一つのテーマを選び、それぞれが別々の聖書箇所を取り上げてみことばを取り次いだ。自らの献身、召命の歩みから語りだされる説教は力強く、福音に生かされた恵みが伝わってきた。また、卒業してそれぞれ遣わされていく宣教へのあつい思いがあふれていた。
 それぞれの派遣教会も決まっている。甲斐さんは日本福音ルーテルシオン教会、笠原さんは日本ルーテル教団浦和教会、関さんは日本福音ルーテル水俣教会、八代教会、高伸さんは日本福音ルーテル新霊山教会、そして克博さんは日本福音ルーテル浜松教会、浜名教会。
 それぞれが刻んできた神学校と教会での学びと研鑽の歩みが、こうして主によって豊かにされ、新しい教会の歩みに重ねられていく幸いを、共に喜び、祝うことができた。
 個人的には、私も校長となって最初の神学校の夕べであって、この喜びを集まってくださった皆様とまた全国の教会の方々と分かち合えたことが、本当にうれしかった。
 祈り、支え、育て、また召してくださるのは、それぞれの教会、そして、そこに働いてくださる主ご自身であることを改めて心に受け止めている。感謝。



2014-12-08

臨床牧会セミナー:「それでも、主を見上げて〜牧会の光と闇〜」

第一回臨床牧会セミナー
   テーマ:「それでも、主を見上げて〜牧会の光と闇〜」
      (デール・パストラル・センター/日本ルーテル神学校主催)
 期間:2015年2月9〜11日
 場所:日本ルーテル神学校(三鷹キャンパス)で開催
 
 対象:教会の教職者(ルーテルに限らず、教派を超えて学びましょう)
 
 現代を生きる私たちには様々な困難があり、悲しみや痛み、苦しみが心をとらえてしまいます。教会で、社会で共に生きようとしても、その人間関係においてさえ、傷つき、私たち自身の破れを経験します。そうした、牧会の闇ともいうべき実情にも拘らず、私たちが養われ、生かされていく信仰の歩みを照らす光を確認し、牧会者として立つために、癒しと慰めと励ましを学び、分かち合うためのセミナーです。
 教派を超えて、牧師の皆さんに学んでいただけるセミナーですので、ご参加ください。
 

基調講演:「ルターと牧会」
     鈴木浩(ルーテル学院大学ルター研究所所長)
分科会:
①グリーフケア
(大柴譲治:日本福音ルーテルむさしの教会牧師、賛育会病院チャプレン、上智大グリーフケア研究会客員研究員、デール・パストラル・センター運営委員)
②教会と人間関係
(堀肇:鶴瀬恵みキリスト教会牧師、ルーテル学院大学非常勤講師、日本パストラルケア・カウンセリング協会事務局長、デール・パストラル・センター所員)
③牧師のメンタルヘルス
(石丸昌彦:精神科医、放送大学教授、日本基督教団柿ノ木坂教会員)、
④高齢者と教会
(賀来周一:日本福音ルーテル教会牧師、キリスト教カウンセリングセンター理事長、デール・パストラル・センター所員)
まとめ
石居基夫(日本ルーテル神学校校長、デール・パストラル・センター所長)

日程の詳細は、別にお知らせ致します。