渋谷系といわれた頃のオザケンをそんなに知っているわけではないけれど、おしゃれな新時代のバックミュージックのような軽快さを響かせていたと思う。そんなオザケンの新しい挑戦はきっと冒険だ。けれども、セカオワを圧倒する彼のパフォーマンス。楽曲の力を感じた。
もしかしたら、これだけの企画なのかもしれない。こんなコラボで作られた事情も私は知らない。オザケンの古いファンには受け入れられないのかも知れない。逆に、セカオワは、もともとそんなにたいしたことないということかも知れない。でも、この融合のなかで、オザケンの見せる魅力。
発信する世界観。未来を夢見ることの出来ない時代に、新しい希望の扉を開けていこうとする。おもちゃばこをいたずらする子どものように、ことばを使って描こうとするのはなんだろう。真夜中に響くのは、確かに生きるフクロウの声。闇の深さにも、明日が見えてくる。本当と虚構、混沌と秩序、絶望と希望、残酷さと慈悲の両方を抱え込んでも、崩壊しないようなたくましさを求めているようだ。
バブルがはじけた90年代に、現実の重苦しさをさっさと脱ぎ捨てて街中をかっこ良くすり抜けていくようなオザケンが、こんなふうに時代を受け止めて何かを見出したいと音楽することへの驚きなのかな。
今を共有するオジサンとして、共感したということなのかも知れない。新しい何かを、こんな時代だからあきらめないで見出したい。そして、それをみんなで楽しく描き出したい。わくわくするような明日を、次の世代に残したい。アラカンとなって、本当はもう去り際を考えるべきだと思いつつ、後10年の現役をゆるされるとして、なにをするのかと問う自分に、勇気をもらったことだけは間違いない。
「オザケン」ファンでも、「セカオワ」ファンでもない。音楽事情通でもない全くの素人が、Mステを見て感じたままに。