日本ルーテル神学校では、毎年5月か6月に神学生修養会を企画している。
今年のテーマは「教会と諸施設」、6月18〜20日に行われた修養会では特に幼稚園・保育園の働きについての学びをいただいた。
現在、日本福音ルーテル教会は全国に48の幼稚園・保育園を設置している。教会が120程だから、半分とは言わないけれども三分の1以上の教会が幼稚園・保育園の関係を持っているという計算になる。そして、実際の現任教職が100名弱、出向を除けば80名あまりの教職数だとなると、二人に一人は幼稚園・保育園との関係を持つというような勘定になる。つまり、日本福音ルーテル教会の牧師となると、その生涯で幼稚園・保育園を全く経験しないということはめずらしいことなのだろう。もちろん、それぞれ一つひとつの園によって、牧師の関わリの仕方はさまざまだ。園長になるばあいもあれば、理事としての責任をもったり、あるいはチャプレンとしての働きのみであったり。それでも、牧師館にすむことになれば施設管理等の責任は免れないだろう。
教会は信徒を中心とした教会の活動だが、幼稚園・保育園ともなれば一般社会に開かれた公的な事業である。しかも、生活を抱えた職員を複数雇用してその労務管理などの責任も負いながら、その職員に働いてもらって日々の事業内容としてのキリスト教保育の実現し、具体的な対象である子どもたちとその保護者に深い関わりを持つということになる。
牧師となるための神学教育においては、理論的にも実践的にも教会の神学を学ぶ訳だし、牧師になることの召命ということは、おそらくそうした幼稚園・保育園に関わるということとは全く異なるものであろう。それでも、現実には、そうしてひとたび牧師になれば、教会を営む、あるいは福音に基づいた礼拝の説教や聖礼典の執行ということとば別に加えてこうした教会の責任の中におかれる事業体の責任をもっていくことが少なくないということだ。
一昔前であれば、そうした事業体は、事業体を主に担い、運営していく信徒が中心を持ってきていたかも知れない。海外からの宣教師とその宣教師についていった志を持つ教会員によって担われるようにしてはじめられた幼稚園・保育園は少なくない。ところが、いまや幼稚園・保育園を長く支えてきた信仰者がその次の世代に引継ごうとしてもその引き継ぎができないという現実を抱えている。クリスチャンではない多くの職員のなかからその力を持つ人材を得ることができればまだいいが、それすら出来にくいという現実に直面してきている。そういう時代だ。だから、牧師に対する現実的な期待は高くならざるを得ない。
実際、今年の春卒業した三人の新卒の牧師たちはいずれも幼稚園・保育園と関わりのある教会だった。新任で兼牧で、施設がある。そんなことはめずらしいことでもなくなり、避け得ないこととなっている。では、神学校はそれに応える教育を行えているのか。それは難しい。限られた時間のなかで牧師となるための教育は、それだけでかなりの時間を必要としているのだ。後は現場でオン・ザ・ジョブ・トレーニングとしてもらわねばならないのだ。
けれど、そのためのオリエンテーションも必要だろう。神学校が牧師を育てる責任を持つという時に、現代社会のさまざまな課題に取り組む神学的な力を身につけさせていきたいが、やはり、今の自分たちの教会が展開している福祉、保育・教育という事業についての責任を考えなければならないだろう。
今回、三人の講師の先生方を通して、この課題を学ぶ機会と出来たことは、非常に有意義だった。
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