2013-02-21

2013 教職授任按手式

今年、日本福音ルーテル教会には四名の新しい牧師が与えられる。神学校の全課程を修了し、教師試験、任用試験にも合格。任地も与えられて3月3日に按手式を迎える。





今年、JELCに牧師として召されるのは伊藤節彦氏、岡村博雅氏、永吉穂高氏、宮川幸祐氏の四名だ。それぞれの人生の歩みの中から主の呼び声を聴き、神学校での研鑽を積み、祈りに支えられ歩んでこられた。それぞれに歩みにドラマがある。主の働きのドラマはこれからその一人ひとりに続けられる。按手は、教会での働きのために特に神と教会からの委託と派遣が聖霊の取りなしと付与のうちに見える形で与えられるもの。伊藤氏は広島教会、松山教会に、岡村氏は小田原教会、湯河原教会、永吉氏は小倉教会、直方教会、宮川氏は久留米教会、大牟田教会、田主丸教会に4月1日付けで赴任される。
そのことを共に祝い、また、私たち自身も彼らの門出に際して、新しい宣教の歩みを教会として、信徒として確認していきたい。これは、彼らの按手であるとともに、教会である私たちへの、神の委託の出来事である。今回の人事でも、新任教職が全員、兼任体制であることが分かるが、これが現状だ。働き人が求められている。それは、教師になるものだけではなく、私たち教会員全員がその働き人として召されているということだと思う。この按手を祝うとき、みなでその委託を確認し、そして宣教の足腰を強くしたい。

ちなみに、神学校を卒業するいま一人、日本ルーテル教団の藤木智広氏は3月10日にルーテル教団の神学院の卒業証書授与式を経て、任地である六本木教会に着任した最初の日曜日4月7日にその教会で按手の予定と聞いている。

それぞれの歩みに神様の祝福を祈りたい。


2013-02-18

第47回教職神学セミナー「説教」 ー今を生きる人の心に届く説教ー

牧師の継続教育プログラムであるこのセミナーも、今年で47年目を迎えた。おそらくルーテル世界連盟の支援を受けて行われるようになった80年代にルーテル四教団の牧師を対象に開催されるようになったのだと思うが、回を重ねてよい交わりの企画ともなっている。
今年のセミナーは「説教」を学ぶシリーズの第三回目。シリーズを通じて指導をお願いした平野克己牧師(日本基督教団代田教会)を今年もお招きし、特に「今を生きる人の心に届く説教」をテーマに三泊四日のプログラムが行われた。
江藤直純校長より基調講演をいただいたが、改めて、ティリッヒの重要性、またルター派としての説教という視点も確認したいと考えさせられた。それに先立って、平野先生からいただいた課題として、今注目のアメリカの説教者、バーバラ・ブラウン・テイラーの説教「いのちをかけて」(マタイ16:21−27)を取り上げて、各自の分析に基づいたフリーのディスカッションを行った。この説教は近日平野氏の翻訳で出版される予定だが、説教の技術・手法そのものが、そのメッセージ内容を効果的に聞き手に届けるものとなることについて、考えさせられた。説教は、確かに伝えるべき内容が重要だと言ってよいのだが、聞き手に対する神の働きかけとならなければ、どれほど立派な内容でも意味をなさないだろう。逆に、イエス様の語るたったひとつの「わたしに従ってきなさい」という語りかけが、その人の人生を変える出来事になる。その意味で、語りかける技術、手法そのものが福音を福音たらしめるものとして働くことを考えさせられた。
二日目、平野氏の説教論を伺いたいということで「空間を造り出す説教」と題して70分の講演をいただいた。説教が一つの世界、空間を現出させて聞き手を包み込み、聞き手に作用する。そうした空間としての説教論を伺うことができたことも大変豊かな学びとなった。これは、ことばによる神の救いの働きとしての説教が、むしろ非言語的なものをも含んでいかに豊に神と人との新しい出逢い、関係を創造するものでありうるかということを深く考えさせるものであった。説教の礼拝論的アプローチとも言えるような興味深い発題をいただいた。聖なる空間が神の働きとして私を包み込んで行く。耳や頭の出来事ではなく私という存在が丸ごと神の御手に包まれるような出来事として礼拝が起こり、説教はその中に機能しているものと、新たな視野が開かれた。
三日目には大串肇氏による「旧約と説教」を、四日目には徳善義和氏による「ルターとことば」、北尾一郎氏「わたしの説教論ーたいせつにしてきたこと」を伺い、それぞれ深い学びを与えられた。
昨年より若干少ない参加者で少し残念な気持ちもしたが、それだけ牧師たちが現場を離れにくい状況であるということだろう。今後のセミナーのあり方にも一考が求められると感じている。私自身も途中抜けざるを得なくてそれぞれの牧師たちの説教への格闘について十分共有できなかったことが悔やまれる。けれども、本当に豊かにされた四日間のセミナーだった。



2013-02-07

Ministry 16 「自死」と向き合う


雑誌「Ministry」第16号。今回の特集「『自死』と向き合う」の担当として関わらせていただいた。特集に担当として深く関わらせていただいたのは第7号の特集「みんなで葬儀!」についで二度目のことだが、前回にもましてこの特集を取り組むのに自らを問いただされたという思いが強い。
実際に、この特集の難しさは、まだ誌面作りに入る前、特集を決める会議のときから予想されたことだった。重たい課題で、取り上げるべきテーマと思っても、その取り上げ方にも、また何を語るのかということについてももう一つ踏み込めないような躊躇いが生まれる。「自死」というケースにいろいろな形で出逢い、関わってきた経験が、会議の中で分かち合われ、それだけでも心がいっぱいになっていくのに、逆にことばが薄れていく。一般化することの出来ない問題であるのと同時に、個別なことばがこれほどに重みを持つ課題はないと思われて、「一体どうやって取り組んだらいいのか。」「誰が何を言うのか。言い得るのか。」と、一度は特集を止める雰囲気にまでなりかけたように思う。

それでも、私たち編集にたずさわる者たちは、この「Ministry」が何も語らないでいいか?教会の今の現場に、悩み、立ち止まり、考え、苦しんでいる牧師と信徒の方々とともに、福音を分かち合うという、ただその一事について、訴えるべきことあるのではないのかと問いただされて、取り組むことになった。

実際に、いろいろな所で教会が「自死」者とその近親者に対して取った態度によって、つまずき、傷ついたという経験を聴くことが少なからずある。いわゆる「自死」に対する差別という「悲しい現実」。それは、「自殺は罪」という教会が抱えてきたことばから来る根深い課題なのだ。

それだからこそ、その現場で「福音」が語られ、ともに聴かれるように、私たちの特集が祈りをあわせよう。そんな心が、ことばもなく重ねられて、取り組むこととなったのだ。

ネットを使って多くの方々にアンケートの呼びかけ、ご協力もいただいた。様々な意見をいただいた。この特集そのものへの厳しい問いかけも、また逆に励ましもいただいた。
一つひとつの声には、それぞれの経験から来る思いが込められていることが伝わった。

それだけでも、この特集を組んだ意味を思わされたのだ。取り上げられてこなかった思い、語ることのできない悲しみ、悔しさ。そうしたものがたくさん教会の中に沈んでいる。耳をすまして、聖霊がどのようにうめきをもって取りなしをしてくださっているのか、聴いていきたい。そう思った。

限られた誌面。決して十分なものではないことはよく分かっているが、問いかけられた私たち自身をさらしながら、教会の中に、確かな「主のまなざし」を見いだし、キリストの福音の慰めと励ましとを分かち合えるようにと、記事を書き、編集をしていく皆が取り組んでくださったように思う。

多くの方に読んでいただきたいと、心から思う。


2013-02-03

神学校の夕べ 2013


今年は5名の神学生が卒業、4名は日本福音ルーテル教会、1名が日本ルーテル教団の牧師として旅立っていく。二十代前半から五十代後半まで、個性豊かな面々。
この夕べでは、『招き』をテーマにして一人ひとりがみことばの解き明かす。牧師となる前に、神様の「招き」を受け取ってきた証を語ることともなることだろう。神様の恵みを分かち合う教会の働きを担うために牧師として働く者が与えられることを喜びたい。

日本福音ルーテル教会では、これからの20年で60名の牧師が引退する。単純に計算しても平均して毎年三名の牧師が誕生してギリギリ追いつくかどうかだ。今年は幸いにして多く卒業生を送り出すが・・・。すでに、120の教会を80名ほどの牧師がその宣教・牧会の責任を負っていて、二人に一人は兼任ということになっているのだ。そして、現実を見れば、これからますます牧師の数が足りなくなると思われる。

「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」

だから、これからも献身者が得られるように、祈りとともに具体的な手だてを考えたい。
神学校を拠点とし教会、青年とのつながりをつくりたい。
巣立っていく一人ひとりにも架け橋となってもらいたい。
中高生から大学生、それ以上でも、主のみことばへ奉仕することに献身するものが生まるように。それぞれの教会が養われるように。
たとえば教派を超えてもキリスト教の信仰の種を蒔き、育てていけるように共同の取り組みをつくれるといい。これからの時代の中に分かち合うことばを紡ぐために知恵を集めたい。教会は自らが現代世界に何を貢献できるのか、しているのか。教会だけのことではなく、世界のために明日の働き人を招き、育て、送り出していきたい。

そのために、私たちは何をしたらよいか。
出来ることから…始める!