今年度、これまでの授業の一つを少し衣替えをして「死生学」として木曜日の5時限目に開講している。すでに長くこの枠で公開講座としてきたもののバージョンアップと考えている。このクラスで用いたり、紹介する文献を紹介していきたい。初めにとりあげるのはこれである。
日本人の死生観〈下〉 (1977年) (岩波新書)
日本人の死生観に関する本は今や星の数ほど出版されているが、この岩波新書の二巻本はこの種の研究をする場合の必読書といえよう。
加藤周一とリフトン、ライシュ3人の共同研究の翻訳で、近代日本人6名のケーススタディでが基礎となっている。終章の考察は圧巻で、特に加藤氏の挙げる日本人の死生観についての五つの特徴は極めて示唆に富むものである。
日本人の死生観一連の特徴を簡単にまとめると次のとおりである。
第一に、家族、血縁共同体、あるいはムラ共同体は、その成員として生者と死者を含む。
第二に、共同体の中で「よい死に方をする」ことは重要である。
第三に、死の哲学的イメージは、「宇宙」の中へ入って行き、そこにしばらくとどまり、次第に溶けながら消えてゆくことである。
第四に、「宇宙」へ入ってゆく死のイメージは、個人差を排除する。
第五に、一般に日本人の死に対する態度は、感情的には「宇宙」の秩序の、知的には自然の秩序の、あきらめを持っての受け入れということになる。
私自身は死生観をめぐる日本人の宗教性(霊性)には「共同体指向型の霊性」と「自然志向型の霊性」があると考えているが、加藤先生の挙げる前半二つは前者に、他の三つが後者に関連しているとみている。
この研究は直接に現代の日本社会の「死」をめぐる問題を浮き彫りにするということではない。むしろ、近代の日本人を取り上げたということで、現代日本の中から失われつつあるようにさえ見られうる日本人の伝統的な死生観を近代という文脈の中において確認するものといえるかもしれない。そして、そうした「伝統的」なものは、現代でもある種の影響力をもっているように思われる。この研究から学ぶものは多い。一読されたい。