2009-09-11

マイケル・ルート氏講演

日本ルーテル神学校・ルーテル学院大学の百周年記念で取り組んだ神学の連続公開講演の一つ。

http://www.luther.ac.jp/news/091117/index.html

この9月4日には、アメリカのサザンセミナリーの組織神学の教授、マイケル・ルート氏を迎えた。講演のタイトルは「エキュメニカルな対話におけるルーテル教会とはーこれまでと将来」。
16世紀の宗教改革以来、たくさんの教派に分かれてきたキリスト教会が、唯一の神をキリストにおいて一致して告白することができるようになる祈りとそのための教会一致の働くことをエキュメニズムという。ルターはもちろん、教会の改革を呼びかけたのであって、教会を割ることを求めもしなかったし、願ってもいなかった。しかし、結果はキリストの福音を確かにするための彼の主張が、後にルター派の教会と呼ばれるようになる群れをつくることになった。宗教改革の陣営はまた、その聖餐の理解における異なる立場において一致を保つことが出来なくなった。つまり、ルター派であることは、歴史的にいえばキリストの福音理解において教会を割ることになってもその神学的な主張を守り抜くことであった。
19世紀以来の信仰復興運動が盛り上がり、ヨーロッパの世界進出とともに世界宣教が進められていく時代にエキュメニズムが展開する。二つの世界大戦を経ることで、この教会一致の運動も楽観的な見通しよりもはるかに厳しい現実認識の中で、しかし、また世界へキリストを証する使命を帯びて展開してきた。その一つの頂点が、おそらく礼拝における聖餐の交わりを実現するようにWCCの「信仰と職制」の委員会によって取り組まれたリマ文書(BEM)とリマ式文の完成(1982年)だろう。しかし、それ以後はエキュメニズムといっても大きな進展が見られないと言われ、エキュメニカル冬の時代とさえいわれる。

ルート氏は、しかし、この時代にこそ、ローマ・カトリックとルター派、またルター派とアングリカン・チャーチの間で生まれてきた新しい成果のあることを指摘しながら、この「冬」の喩は正しくないとしながら、むしろ、この困難な時代は、教派を超えた新しい課題にキリスト教会全体が向かい合っていることを自覚しつつ宣教と神学の新しい協力関係を築かれるべきことを訴えた。「和解された多様性における一致」を目指し、教派的な違いをむしろキリスト教世界全体の豊かさとし、ルター派であることをはるかに大きなキリスト教世界の流れの中に位置付けることを意識すべきと説いた。

講演全体は、いずれ出版紹介される予定である。

1 件のコメント:

  1. 『ルター研究 第10巻』の中に全講演が収録されている。
    http://www.kyobunkwan.co.jp/xbook/archives/1044

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