全国で牧師・司祭など教職を養成する神学教育を担う大学の神学部、教派神学校の代表が年に一度集い、情報交換と交わりを深めている。いずれの教派であっても、少子高齢化した社会と教会の現実があり、また教会そのものの霊性も弱っていて、献身者がなかなか得られない。牧師の数が少なくなって、神学教育を担う人材も少なくなっているという現実もある。
戦後のキリスト教ブームから高度経済成長期に右肩上がりの教会や社会の状況で体制を作ってきた神学教育の制度や組織の状況は大きく変わっていて、これを維持することに困難を生じている。すでに、現実に合わない制度疲労を起こしているのだ。
ただ、そのような状況のなかで、それぞれに神学教育の使命を自覚し、教職養成ということばかりではなく、信徒育成、またキリスト教関連の諸施設(福祉や幼稚園・保育園など)での働き人を意識しながら教育の幅を広げて取り組んでいる。教会という枠組みや洗礼をうけたキリスト者ということに限らないで、社会のなかに必要な人材を育成する必要を見ている。キリスト教の公的役割を自覚して来ているとも言えよう。
いずれにしても、それぞれの神学校の厳しい現実を分かち合いながら、今後どのように教派の枠をこえた協力体制を構築できるのかという現実的な問題がもっぱら話題に上ってきている。
神学・神学教育の現実は、欧米からの翻訳的な方法ではなく、アジアという具体的な脈絡を意識しながら日本の現実に根をおろした姿を模索しているということでもあろうか。でも、アメリカではすでに教派をこえた神学教育は実現している。
宗教改革500年、エキュメニカルな交わりを考えるときでもある。新しい、これからの神学教育の姿を求めていく必要を分かち合う時間となった。
(写真は1969年以前の鷺宮にあった日本ルーテル神学校。時代とともに神学校は姿を変える??)