神学校では、灰の水曜日にはじまった受難節の、その最後の聖週間には神学校教員が主の受難を憶えつつ学生と共にみことばに聴く礼拝を毎日行っている。そのクライマックスは、イースターヴィジルの礼拝だ。
日本のルーテル教会でこの礼拝を守っているところは数少ないが、伝統的にこのイースターの朝に続く深夜に、通夜の礼拝が守られた。キリスト教が主の復活の使信によって宣教がはじまったのであるから、ある意味ではクリスマスやイブ礼拝よりも遥かに古くから大切にされてきた礼拝だといってよいだろう。
十字架の主が葬られて、三日目(日曜)の朝早く主の葬られた墓に女性たちが駆けつけると、すでに墓の入り口の大きな石が動かされていて、イエスはその場所に葬られておらず、空の墓があって、復活の知らせが告げられる。ということは夜から明け方に向かう時間に主の復活の出来事が起こったことと想定されることになる。イースターの早朝は、この告げられた復活の知らせに喜ぶものたちの礼拝となるが、救いの出来事は、人々に知られるよりも前にすでに神の出来事として起こっているわけだ。
この神秘的な救いの出来事としての主の復活は、ただ葬られたイエスの復活ということに留まるのではなく、神による人間と世界の救済の出来事として決定的な意味を持っている。聖書に重ねて記される救済の歴史をたどりながら、私たちに神が何を約束し、どのようにこの救いを成し遂げられているのかを心に留めることは、なによりもこのヴィジルでふさわしいことだ。
本来なら、通夜での礼拝になるということなのだろうけれど、そこまでではない。それでも、いつもの主日礼拝では経験できないようなドラマティックで、しっかりと聖書に聴いていく。時間的にも長い礼拝だけれど、一年に一度、この静かな、しかし本当に私たちへの神の救いを心に受けとめていく黙想の時となる。
是非、この礼拝に参加していただければと…
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