2015-06-19

「日本人の死生観 〜そのスピリチュアルニーズとキリスト教〜」

 リラ・プレカリアは、「祈りのたて琴」として知られているが、アイリッシュ・ハープを用いて、必要とする人たちに祈りの音楽を提供する活動だ。高齢の方、重い病気の患者さんや心に傷を持った人たち、また災害にあったり、愛する人を失った方などに、寄り添いつつ、ハープと歌の音楽が永遠とその人をつなぐ。
 この活動をする人たちを養成する二年間プログラムをJELAが提供している。
 その中の一講座を公開して、一般の方々にも聞いていただいている。その公開講座の最終を受け持った。


 講演は「日本人の死生観〜そのスピリチュアルニーズとキリスト教〜」。今日の日本人は、私たちが「死」という問題にどのように向かい合っているのか。東日本大震災やISのテロなどの経験は、特別な出来事だけれども、現代を生きる私たちの魂の深い問題を照らす出来事でもあった。そんなことを説き起こしながら、具体的に、今、死と向かい合う魂にどのように寄り添い、援助できるのかを共に考えた。
 天童荒太の『悼む人』、いとうせいこう『想像ラジオ』、姜尚中『心』、若松英輔『魂にふれる』などを紹介しながら、現代の私たちが死んだ人の魂に向かい合い、死者の声を聞いていくことで、今を生きることの意味を受け取ることやあるいは今を生きる魂の深い痛みに寄り添う力も得ることができるのではないかと、そんなことも含めての話をさせていただいた。
 人間の理想的な姿ではなく、むしろ現実の破れや傷ついた関係を生きる私たちの悩み、苦しみ。やすらうことを失った放浪の魂の現実を、罪の問題として考察を試みてみた。
 ルカ15章の放蕩息子のたとえも用いて、神からのアプローチこそが、本当の救いの鍵になること。そのメッセージに生かされて、その福音を示すことば、そして、ことばではないことば(働き、奉仕)のなかにどこまでも私たちを捨てておかない、寄り添う神の愛を分かち合う鍵を分かち合うことができたかと思う。
 より具体的には、認知症の方々やその人と共に活きる私たちのスピリチュアリティーの問題にもふれた。
 

 

2015-06-04

グリーフについての学び

 日本ルーテル神学校付属デールパストラルセンター(DPC)には、3つの部門がある。その一つソシアルの部門は、キリスト教信仰を基にしながら社会のなかに心と魂の深いニーズを持っている人々への具体的に奉仕していく部門で、特に現在は死別の悲しみの中にある子どもとその保護者、まわりの大人家族の悲嘆への取り組み(グリーフワーク)、その癒し(グリーフケア)に特化した働きを展開している。
 そのDPCのソシアル部門がひらく講演会を紹介したい。
 講師は、日本福音ルーテルむさしの教会牧師でDPCの運営委員でもある大柴譲治氏。大柴氏は神学校で牧会学を担当し、臨床牧会訓練のスーパーバイザーでもあるが、上智大学グリーフケア研究所客員所員もされている。


http://www.luther.ac.jp/news/150601/index.html

私たちは、もちろん、有限な存在で、やがて最期を迎えるものだ。だから、人は、いずれのときにか愛する人との別れを必ず経験しなければならないのだが、事故や災害、病気、あるいは自死など、何らかのことで思わぬときに死別を経験することになる。突然の死は、その人の喪失の悲嘆を大きくすることになる。いや、自分自身がそれによって全く失われてしまうのではないかとさえ思うような喪失を経験するのだ。その悲しみは、子どもであっても、大人であったも同じように深く深くその人を捕らえている。

どのように、その悲嘆を和らげることができるのだろうか。どうしたらその悲嘆から新しく立ち上がることができるのだろうか。
深い悲しみの中にある人の傍らで、私たちはなす術もなく、立ち尽くす。
立ち尽くすことから、何が始まるのか。

共に学んでいきたい。是非、おいでください。