2012-06-09

脱原発にむけて



野田首相がその必要性を表明し、大飯原発の再稼働に向けて大きく舵が切られた。
その安全性は何によって保証されるのかは明らかでない。というよりも、福島の事故について、十分な検証もなければ、被害について補償さえ手が付けられず、今も大勢被災者が自らの家に帰ることさえできない汚染が続いている中で、どうして、「絶対」という言葉を何回も使って、新たな被害を生まないなどという決意を口にすることができるのだろうか。

日本福音ルーテル教会は、この5月の総会で「一刻も早く原発を止めて、新しい生き方を」という声明を採択した。その全文が「るうてる」6月号に掲載された。以下のpdfファイルの4ページ目。
http://www.jelc.or.jp/data/pdf/201206.pdf

私たちが、神の創造された世界に対して保全の責任を持つことを根拠として、いのちを守る重い課題を受け止めることを自覚した声明になっていると思う。実際に過疎の地域社会と社会的弱者に犠牲を強いる仕組みは、たとえ原発稼働そのものが仮に一応無事になされたとしても、到底容認できるものではない。原子力エネルギーを利用しようとする限り燃料加工から廃棄物の処理に至まで、放射能の汚染はさけることができない。その影響は甚大だ。
声明のなかで、「原発が人間のいのちへの途方もない脅威であり、いのちと両立しえない存在」と明言していることは重い主張だ。

また、実際にこの原発のない社会を選び取るためには、私たちが現在享受している生活をそのままにできないことも自覚して自らの生活を見直し新しい生き方を求めていくことを述べている点も重要なポイントだ。
この声明を出発点として、原発をめぐる様々な課題に具体的にどのように取り組むことができるのか学び、考えていくという表明は、単に原発反対というだけではない継続的に自分たちの問題としていこうとするものだ。

自分たちの教会の声明(もともと信仰と職制委員会から出された答申がベースになっている)で、我田引水ということではないが、教会と社会に向けて現したものとしては、意義深いものだと自覚している。しかし、この声明に満足するのではなく、これからの取り組みこそが大切なのだ。

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