ルーテルの「教職神学セミナー」がこの2月13日、14日と4年ぶりに対面で行われた。会場はルーテル市ヶ谷センター会議室。ウイルス禍前は2泊3日はとって、ゆっくりと学びと交わりを深めたが、今回は久しぶりの対面ということで1泊2日の集中プログラムとなった。
テーマは「キリストを伝えるーキリスト教と公共世界」。
私は基調講演「ルターと公共世界」を担当させていただき、前座としてセミナー全体のイントロダクションをさせていただいた。
そして続いて、ゲストスピーカーにお招きした福嶋揚先生から特別講演「資本新世のキリスト教〜資本主義の神学」をいただいた。福嶋先生のお話は、ご自身もおっしゃっていらしたが、かなり大胆でラディカルなプレゼンテーションであったと思う。現在の資本主義世界の先をどのように私たちの未来として描いていくのかということに関わって刺激的な問題提起をいただいた。福嶋先生の講演についても改めて私なりの受け止めと感想をのちに記したい。
2日目は盛り沢山でまず李明生先生に説教者のための聖書研究ということで「隣人愛が向かう先はどこか -新約諸文書から-」で講演、また現場からということで白川道生先生に特別講演➁「今、ここにある公共性~教会に顕在する、公の場~」、そして最後は宮本新先生「公共世界における宣教~カサノヴァの公共宗教論を手掛かりに」という講演でまとめをしていただいた。
とりあえず、私がお話しした「ルターと公共世界」のレジュメを以下に置いておく。
大きく4つのまとまりで限定したお話をしたので、できれば今後このブログで、それぞれでお話ししたポイントをまとめ、また時間の関係で話すことができなかったことを補って私自身のこのテーマでの学びを整理しておきたいと思うが、ここではレジュメのみ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024・02・13 ルーテル 教職神学セミナー
ルターと公共世界
日本ルーテル神学校 石居基夫
1. はじめに
(1)公共世界とは
公共(Public)⇔ 私事(Private) ← 近代・市民社会の形成とともに
他者と共に生きる領域 全構成員の共通の関心と課題、基本的人権、
他者性、多様性、差異性、中立性、公平性、自由、民主主義 ☞ 福祉
(2)神学の射程として
「公共」の神学 「公共」のために 「公共」を問う cf.稲垣
教会も信仰者も日常的に生きている基盤としての「公共世界」の問題
国家の支配、資本主義経済の世界支配(グローバリズム)による「公共」の危機
危機をもたらす「力」の持つ宗教性(偶像・マモン)を問題として
2. 私たちの問題
(1)ルーテルの包括的宣教における「公共」
教会における伝道と共に、幼保、教育、福祉の働きを展開
ルーテル学院←「神の民」育成、福祉・心理の対人援助へ
法人会連合⇔各法人の将来に向けて ルーサラン・キリスト教主義とは
(2)公共世界に向けて
戦争と平和、宗教と国家(靖国、天皇制)←20世紀後半の課題
被災地支援、臨床宗教師、スピリチュアルケア←21世紀、とりわけ3・11以後に
原発、沖縄、多様性、生命倫理、環境倫理
3.ルター
(1)神の二様の支配と悪魔的勢力との戦い cf. U. ドゥフロウ
律法:(神の左手の支配、世俗的支配、国家)
この世の平和、正義、公平を実現する⇔ 悪魔的諸力
(罪、悪魔、死、律法・神の怒り)
福音: (神の右手の支配、霊的支配、教会)
キリストの義が与えられ、赦しに生かされる
(2)神の世俗的支配における「三つの機関(秩序と立場)」 社会教説 cf. 倉松功
国家(politia):教会(ecclesia):家政(oikonomia)
すべてのキリスト者がそれぞれの秩序に立場をもち、召命(ベルーフ)を生きる
教会はみことばによって預言者的に参与し、また具体的な奉仕者を派遣する
(3)全信徒祭司と協働
すべての信仰者が神の御業への参与・協働に生きる
創造の業 他者と共に生きる世界、必要な物、関係 ← 「小教理問答」使徒信条
救済の業 隣人への奉仕(ディアコニア) ← 「キリスト者の自由と奉仕」
4.近代以降の枠組みから新しいカタチを描くために
(1)近代市民社会の形成と公共 の中でのキリスト教信仰
宗教改革以後のキリスト教的一体世界の崩壊
近代国家は多様な信仰の共存を内包する⇔信仰は私的領域へ
市民革命以後の市民による「公共社会」の自覚的形成と参与
(2)国家と資本主義の支配
現代における国家と地域社会の「公共性」との矛盾
自由と平等の相剋、格差と犠牲の必然、
産業革命後の資本主義経済の圧倒的支配
⇔人間性疎外と自然の搾取の論理
(3)現代日本の中で
19世紀敬虔主義における宗教的個人主義をいかに超克するか。
→ドイツ敬虔主義の脈絡におけるディアコニア運動の形成の批判的検証
(シュペーナー、フランケ、ツィンツェンドルフ、ビュルヘン
今日のいのちと尊厳、多様性を支え、ケアする営みを
神の恵の働きの中にもう一度捉えなおす
創造論と終末論のただなかで、救済論を軸にしながらも、包括的神学思考をする
Politiaとoikonomiaの間に立つecclesiaの意味と可能性
Cf.キリスト教自然神学の再考へ(稲垣久和、マクグラス、)