ルター研究所の講演会企画のご案内。
例年秋に行ってきたルター研究所主催の講演会。
今年は 12月12日日曜日の午後1時から、オンラインでの開催を企画している。
内容は、ルターの「マグニフィカート」。ルターによって書き上げられたのが、1521年だったから、今年はちょうど。その500年の記念の年ということになる。
宗教改革500年を記念し、ルーテル教会とローマ・カトリック教会とはエキュメニカルな交わりと協働を一歩も二歩も踏み出したといって良いだろう。しかし、マリアについてのカトリック教会伝統の敬虔は、ルーテル教会にはなかなか受け止めにくい性格を持っている。実際、こうしたマリア信仰に象徴されるカトリック神学の構造こそ、ルターはじめ16世紀以後の改革者によって最もクリティカルに論じられたテーマそのものだ。ルターがいわゆる宗教改革的三代著作「キリスト者の自由」「教会のバビロン捕囚」そして「ドイツキリスト者貴族にあてて」を著したのが1520年。その1520年から執筆を始め、翌年、あの有名なウォルムスの国会を挟んであのワルとブルク城で仕上げたのが、この「マグニフィカート」。そこには、マリアの賛歌を丁寧に講解するルターの信仰が極めてよく表されている。
ルターはマリア、特にこの「賛歌」をうたうマリアには深い慰めと力を受け取ったことと思われる。ただキリストによる救いのみに信頼を置き、本来のキリストの福音が揺らいで見えた当時の神学と教会的慣習に疑問を持って改革を呼びかけたルターであったが、当時の宗教的な権威からもまた世俗の権力からも否定され、自身の破門と帝国追放という厳しい状況の中で命の危険にさらされ、最も弱い者の一人として貶められていた。その窮状の只中で、ルターはマリアの信仰に深く自らを重ねていったことだろう。キリストを身籠るという思いもよらぬ出来事に、受け取らねばならなかったあらゆる非難と陵辱を覚悟し、命の危険にさらされることを覚悟しつつ、ただ、神の御心がこの身になりますようにと身籠った命を受け取ったこと。しかも、神の大いなる御業への信頼を歌うこの賛歌にルターが何を受け取っていったかが想像される。
しかし、そうであればこそ、改めて、「マリアとは誰であったか。いや誰であるのか」と問いかけつつ、そこに生きられるいのちの喜びと悲しみ、その叫びまた希望を賛歌として記録した聖書の世界を今一度深く問い返すべきなのかと思う。今だからこそ、私たち自身が「マグニフィカート」に聞く意味を深めたい。
限られた時間の中で、どのように深めることができるかわからないが、ぜひ、お聞きいただければと思う。
ルター研所長の江口再起氏による基調講演「待つということー現代世界とマリア」をお願いし、そのあと加藤拓未氏によるバッハの「マグニフィカート」紹介を挟んで、シンポジウムを行う。シンポジストは滝田浩之氏(「マグニフィカート紹介」)、多田哲氏(「ルターとマリア」)そして安田真由子氏(「聖書・女性・マリア」)を迎える。司会は私、石居基夫。
オンラインはzoomのウェビナーによる実施となるので、改めてURLなどはお知らせしたい。
乞うご期待