私の父、石居正己は日本福音ルーテル武蔵野教会の牧会時代(1959−1969)から、年末にその1年間の説教からいくつかを選んで説教集としてまとめ、ガリ版刷りで作ったものを関係の方、お世話になった方や教え子たちに送ることで、年始の挨拶に代えていた。
三鷹で神学大学、神学校で教鞭をとっていた時代はわからない。しかし、蒲田教会にいた時(「六郷通信」?)、引退して宇治に行ったのち(「尖山報」)も、似たようなことをして多くの方に説教集を送りつけていたのだと思う。
送られた方は、閉口したかもしれないが、しかし、本人の思っていた以上に、多くの方々に喜んでいただいてきたことも事実だと思う。父の死後も、随分そのことに触れて、息子である私が感謝の言葉を受け取ってきた。
片付けをしていたら、父の亡くなる2010年の年始に作って送ってくれたものが出てきた。改めて読んでみたが、埋もれさせておくのは惜しいと思い、jpegにとってみたので、一部を紹介しておきたいとここに記録した。
あぁ 、これが父の説教であり、また神学であったと、改めてその取り組みに学ばされるのだ。どこに出かけても、父に似ていると言われる自分だが、やはり聖書への深い取り組みは追いつけないままかと思うことしきり。